写真家:福山雅治の師、世界でUeda-cho(植田調)を生み出した写真家 鳥取:植田正治写真美術館

鳥取県

こんにちは。今日から鳥取県です。
ここに1人の写真家の業績を記念した美術館が存在します。1人の写真家…といえばこのブログでは山形県の土門拳記念館以来かもしれません。やはり写真家が、しかも1人の業績を称えるため美術館が設立されるというのは並大抵のことではないのかもしれません。どんな美術館なのでしょう、それでは早速。

このブログで紹介する美術館

植田正治写真美術館

・開館:1995年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、県・市観光協会より転載)

→建物のスリット状の隙間から伯耆富士の形状の大山と水面に写る「逆さ大山」を望むことができるように設計されているそうです。

・場所
植田正治写真美術館 – Google マップ

写真家:福山雅治の師、世界でUeda-cho(植田調)を生み出した写真家

・被写体をオブジェのように配置する独特の技法で多くの有名作品を残してきた写真家:植田正治氏(1913年生-2000年没)の作品を故郷である山陰:鳥取県西伯郡の自然を舞台に展示。植田氏の独特な「演出写真」は写真誕生の地であるフランスで「Ueda-cho(植田調)」という言葉で広く紹介され、国内のみならず世界的にも評価。代表作に大胆な空間構成で鳥取砂丘を表現した「砂丘シリーズ」など。最近では、シンガーソングライター・俳優の福山雅治さんが師事、本美術館で個展を開き、世間の注目を集めました。

植田正治とは

・世界で注目された日本人写真家でありながら、生地(鳥取県境港市)を離れず、山陰の空・地平線・そして砂丘を背景として、被写体をまるでオブジェのように配置した演出写真を制作。写真誕生の地フランスで日本語表記そのままにUeda-cho(植田調)という言葉で広く紹介されています。70年近くに及ぶ作業活動を通し、斬新で多彩なイメージを掲示。アマチュア精神を抱き続けた写真家でもありました。

植田正治年表

1913年 鳥取県西伯郡境町(現境港市)に生まれる。
1932年 上京、オリエンタル写真学校入学。卒業後郷里に帰り19歳で営業写真館を開業。日本光画会会員となる。
1937年 中国写真家集団創立同人となる。
1947年 銀龍社参加。
1950年 写真家集団エタン派結成。
1954年 第2回二科賞受賞。
1958年 ニューヨーク近代美術館出展。
1971年 写真集『童歴』刊行。
1974年 同年より約12年間『カメラ毎日』に「小さい伝記」連載。
1975年 日本写真協会年度賞受賞。
1978年 文化庁創設10周年記念功労者表彰受賞。
1978年 フランス「第9回アルル国際写真フェスティバル」に招待される。
1980年 「風景の光景」展開催。
1980年 西ドイツ「フォトキナ写真展」に選ばれる。
1989年 日本写真協会功労賞受賞。
1975年〜1993年 九州産業大学教授を勤める。
1993年 東京にて大規模な個展を開催。
鳥取県岸本町(現伯耆町)に作品寄贈。
1995年 植田正治写真美術館開館。
1996年 フランスから芸術文化勲章を受章。
2000年 7月4日、死去(享年87歳)

主な作品

Modernism



 
 

Realism

 

Attitude

 
 

Vision


 
 

…いかがでしょうか。そんな植田正治さん、シンガーソングライターの福山雅治さんと楽曲「HELLO」のCDアルバムジャケットの撮影が縁で交流を深め、カメラマンとしても師として仰いだのはよく知られていますが、彼は植田さんの活動拠点であった鳥取県(境港、米子)を「第二の故郷と呼びたい。そんな温かさを感じます」と発言したそうです。「写真家 福山雅治」は植田正治さんの「最後の弟子」もしくは「正統派後継者の中のひとり」と評するファンもいるとか。

そんな1人の写真家の作品がコレクションされている鳥取:植田正治写真美術館、皆さんもぜひ足を運んでみて下さい。

福山雅治 HELLO

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