戦後有数の個人コレクションと、季節に触れアートに出会える空間 新潟県立近代美術館

アートな場所

こんにちは。新潟県…あらためて広大な面積です。(南北に)
県内に2ヶ所、有名な公立美術館を有しています。今日は1993年に開館した本館、というかそのルーツとなった方からご紹介します。

このブログで紹介する美術館

新潟県立近代美術館

・開館:1993年
・美術館外観(以下、画像は美術館HP及び県観光協会HPより転載)

・場所
新潟県立近代美術館 – Google マップ
→新潟市ではなく、長岡市の「千秋が原ふるさとの森」に立地しています。長岡…花火大会行きたい。。
※信濃川のほとりに位置し近くにはハイブ長岡、長岡リリックホール、新潟県立近代美術館があり施設内には色とりどりの季節の草花が咲きそろう花の広場や広々とした芝生と大型遊具がある緑の広場、そのほか野外音楽堂がある音楽の森などがあり市民の憩いの場として家族で親しまれています。(長岡市HPより)
とんでもなくお花が綺麗ですね。
(参考)にいがた観光ナビ  https://niigata-kankou.or.jp/spot/5958

戦後有数の個人コレクションと季節に触れアートに出会える空間

・新潟における戦後有数の個人コレクションである「大光コレクション」を軸に、

①日本の近代美術の黎明期に大きな影響を与えた「世界の美術」
②明治以降の美術の流れを展望する「日本の美術」
③県出身、県ゆかりの作家の作品を中心とした「新潟の美術」

この3つを柱として、将来にわたって系統的なコレクションを構成。日本の近代美術に関わりの深いバルビゾン派やナビ派など19世紀の西洋美術も収集し、コレクション展や企画展を通し紹介しているそうです。また講座やワークショップなど、美術に親しむための活動も実施。四季折々の自然のなかでゆったりとアートにふれることができる美術館です。

新潟県立近代美術館の使命

・広く新潟県民と新潟を訪れた人のために、新潟県固有の文化の価値を見直し、併せて未来に継承すべきコレクションの充実と研究、活用、普及を通じて、多様な美術館活動を開発、提供し、創造力溢れる人材の育成に取り組み、地域の人々と協働しながら、県民の誇りとなる新潟県の文化を発信する。(美術館HPより)

美術館創設の経緯

1964年の新潟地震の復興を祈念して、県民生活の向上と教育文化の発展のために新潟県民会館が建設。この会館内に、設立を要望する県民の多年の願いが実って、新潟県美術博物館が併設されたそう。1993年、それまで新潟県民会館に併設されていた新潟県美術博物館の施設拡充を求める声を受け、新潟市における25年間の歴史を踏まえ、県央に位置する長岡市の信濃川沿岸の豊かな自然に恵まれた「千秋が原ふるさとの森」に新潟県立近代美術館を設置。

美術館だより(雪椿通信)

・本館も広報活動の一環として、美術館だよりを発行されているようです。(以下は過去3年分)
雪椿通信vol55(2022年)
雪椿通信vol54(2021年)
雪椿通信vol53(2020年)

→更に詳しく見たい方、バックナンバーはコチラ
https://kinbi.pref.niigata.lg.jp/collection-kanko/dayori.php

主なコレクション

<ロダン>

※美術館エントランスホールにどーん!とあります。美術館の象徴的な彫刻です。

<カミーユ・コロー>

<モーリス・ドニ>

<小山正太郎>

<佐々木象堂>

<土田麦僊>

<小林古径>

<横山操>

<牧野虎雄>

<佐藤哲三>

<北村四海>

※日本人作家に関しては菱田春草、竹内栖鳳、下村観山、岸田劉生、安井曾太郎、中村彝、佐伯祐三、萬鉄五郎、前田寛治などの大家の作品も数多く収蔵されていますが、画像のご紹介はなるべく地元の作家さん達にしました。

(付録)大光コレクションについて

・「大光」と書いて、「たいこう」と読むそうです。今に生きる時代の人は聞いたことないかもしれませんが、このコレクションに関わった時代を揺るがず金融界の大事件が1979年に発覚します。大光相互銀行の乱脈融資事件です。「乱脈融資」って文字面だけ見るとものすごい危ない感じですが、実際にとんでもない事件でした。(こういうのを本ブログで載せるか迷ったのですが、これも時代の1ページということで…)

・このコレクターだった旧:大光相互銀行頭取の駒形十吉氏は1970年にその座を婿養子に明け渡しますが、1979年、大光相互銀行は簿外債務保証が743億円に達していることが明るみになり、214億円の累積赤字を計上。秋には警察の強制捜査を受け、娘婿子は特別背任で逮捕、80年春、銀行は上場廃止となります。こののち、大光相互は、都市銀行・地元地方銀行・全相互銀行等88機関から540億円の低利融資を受け再建を図り、1988年に融資返済で再建を完了…という四半世紀にもわたる金融事件を起こしてしまいます。(あくまで起こしたのは娘婿子ですが)

その影響を受け、大光コレクションは再建のために売却の憂き目に遭います。複雑なことに長岡現代美術館にあった大光コレクションは大光相互銀行、長岡文化会館、長岡現代美術館という3者に帰属していたため、売却後の作品は各地への散逸を免れなかったそうで今でも当時のコレクションが散在しているそうです。
※「現代」と名前が付いていますが…新潟県長岡市にあった私設美術館。1964年に開館し、日本で初めて館名に「現代美術」を用いた美術館である。1979年に閉館し、現在は長岡商工会議所美術文化ホールとなっている。

(付録)コレクター:駒形十吉について

・駒形十吉氏、憂き目には遭いますが、さすが戦後最大のコレクターだけあって、ご本人自身はアート各界の巨匠たちから高い評価を受けています。最後に加山又造と平山郁夫の各コレクター評を記載して終わりたいと思います。

<加山又造から見たコレクター:駒形十吉>
・駒形十吉さんと知己を得たのは、昭和31年、新制作春季日本画展の出品作が春季展賞を受賞し、その作品を面白い絵だと言って画商を介して買ってくださったのが始まりでした。以来ずっと私の仕事を見続けてくださった人生の師でもありました。

お目にかかれぱ、お話はいつも美術についての随想でありました。駒形さんの美についての感覚は、当代随一の大コレクターの風格のある素晴らしさで、その博覧強記の分厚さに満ちた、趣き深く、慈悲深いものでした。特に私の作品に対するご指摘は誠に鋭く、温かく、一つ一つ心にひびくものでした。反面私の若い話にも熱心に耳を傾け、何か不審の点は聞きなおし、見直して美を楽しみ、過ぎ行く時をゆったりと愛でておられる風でありました。それは私にとってもしみじみ楽しい一刻でした。

俳句もお好きで多くの句集を作られ、又、気のむくまま淡彩、水墨山水もなさっておられたようでした。晩年には書も熱心になさっておられました。頂いた「雪・月・花」の額は、松煙墨の淡墨で書かれ、戦後日本美術のコレクターとして、当時の現代美術館の動向に巨大な足跡を残された日本のミスターコマガタとして、世界の現代美術家たちに広く知られた大文化人の書として、むしろつつましやかに、実にすずやかな美しさがしみじみと感じられます。

そしてまた、人生での様々な夢を実現され、まさに希有とも思われる天寿を現役で全うされた駒形さんが次に描いた夢は何であったのか、問うてみたい衝動にかられます。

<平山郁夫から見たコレクター:駒形十吉>
・駒形十吉氏と初めてお眼にかかったのは、昭和40年代の初め頃です。当時、駒形十吉氏は新潟財界の重鎮であり、すでに、著名な美術品のコレクターとしても知られていました。駒形十吉氏は私の父と同年輩で、私は30過ぎの若輩でした。故横山操さんや、加山又造さんの作品を所有されていました。

村越画廊で行われた轟会展といった若手新進の会に、私もご好意で仲間に入れて戴いたのも一つのご縁でした。先輩の胸を借りて張切ったのは若き日の思い出であり、大変勉強になったと、今も感謝しております。駒形氏は、村越画廊を通じ、その当時制作した作品をつぎつぎとコレクションに加えられ、ご支援をしてくださいました。

また、若い時より横山大観先生とのこ交友もあり、とても教養と芸術作品の鋭い鑑賞眼を持っておられ、会話の節々にその素養を感じました。

何時も側で気を使われておられた夫人にも感銘を受けておりました。駒形氏ご自身も書や絵を楽しんで描かれていました。生涯、現役で活躍されたエネルギーを、お会いする度に戴いておりました。大変、ご支持を頂き、励まして頂いたことを感謝しております。有難うございました。

※いずれも駒形十吉記念美術館HPより転記(https://www.komagata-museum.com/service

 

→偉大なアーティストには偉大なコレクター有り。
どんな時代もその時代をくぐり抜けた強力なタッグがあるのだなぁとしみじみ感じました。

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