東急グループの礎を築いた実業家のコレクション、半生をかけて収集した古写経と明治期以前の古美術 東京:五島美術館

東京都

こんにちは、マウスです。
今日は東京都世田谷区上野毛にある美術館です。ぴんと来ない方でも東急:二子玉川駅の近くと聞けばわかるかもしれませんね。

…なんで突然そんな話をしたかと言うと、私が東京に住んでいるときにこのあたりに知人が住んでいまして、何度か周辺を散策したことがあります。「今度ニコタマに引っ越したから」と言われ、「ニコタマ…?」と地方から上京した私を困惑させた記憶がよみがえってきました。

 そんな東急:二子玉川駅(フタゴタマガワ!)に近くに歴史ある美術館があったのは当時の私は知りませんでした。実は日本でも珍しい、古写経・中国画・日本画・陶磁器・書道の巻物などを所蔵する美術館が立地します。そして何と、今から800年ほど前に作られた「源氏物語絵巻」と「紫式部日記絵巻」を収蔵しています。そんな国書級のコレクションを一民間人が収集しただけでも驚きですね。

なお、本美術館の創設者、大阪の逸翁美術館でも登場しました。関西エリアの「阪急」とも縁が深い方です。(そしてコレクションの種類も似ています。ぜひ両館併せて巡ってみてください)

それでは早速見ていきましょう。

このブログで紹介する美術館

五島美術館

・開館:1960年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、都、観光協会HPより転載)

・場所:五島美術館 – Google マップ

東急グループの礎を築いた実業家のコレクション、半生をかけて収集した古写経と明治期以前の古美術

・昭和35年(1960年)、東急グループの礎を築いた五島慶太氏(1882-1959)が構想し、東京都世田谷区上野毛(かみのげ)に開館。慶太氏は鉄道事業のかたわら、半生をかけて古写経をはじめとする貴重な美術品の数々を蒐集。自らの所蔵品を広く公開するため精力的にその準備を進めていきました。(惜しくも開館を目前にして完成した姿を目にすることなく世を去ります)

 また、開館と同時に東京都目黒区にあった大東急記念文庫が五島美術館の建物内に移転。同文庫は昭和23年(1948)に当時の東京急行電鉄株式会社を東京急行電鉄・京浜急行電鉄・京王帝都電鉄・小田急電鉄・東横百貨店の五社に分離・再編成する記念事業として企図され、昭和24年(1949)4月20日に開庫したもので、慶太氏が一括購入した久原文庫と井上通泰氏の蔵書を発足時の根幹としています。以後現在にいたるまで、研究者を対象とした閲覧公開などの教育・研究活動を続けています。

五島慶太とは

・1882年、長野県生まれの実業家。大正・昭和期にかけて東急コンツェルンを創設。長野県の農家の二男に生まれ、1911年東京帝国大学法科大学卒業後、農商務省を経て鉄道院に勤務。1920年に武蔵電気鉄道(のち東京横浜電鉄)の常務取締役となる。旺盛な事業活動を展開し、1922年に目黒蒲田電鉄を設立。以後、池上電気鉄道、東京横浜電鉄、玉川電鉄、小田急電鉄、京浜電気鉄道、京王電気軌道の各社を合併して1942年東京急行電鉄に統合、経営合理化、体質強化をはかった。

 交通事業を主軸にしながら、土地、住宅、百貨店など付帯事業も次々と拡大、いわゆる東急コンツェルンを築く。1944年東条英機内閣の運輸通信大臣に就任。第2次世界大戦後は公職追放となり、また財閥解体によって傘下から東横百貨店(→東急百貨店)、小田急電鉄、京王帝都電鉄(→京王電鉄)、京浜急行電鉄の各社が分離独立したが、1951年追放解除とともに東京急行電鉄会長に復帰。分離した各社を再び支配下に収め、東映の再建、白木屋の買収、土地開発や伊豆箱根の観光開発などを手がけ、東急グループを形成した。「事業の鬼」と呼ばれる手腕と覇気に富んだ人物像は,日本の実業界でも異色の存在であった。文化事業として五島育英会、五島美術館の設立、亜細亜大学の経営なども行なった。
(本写真は日経新聞より転載)


→途中出てきましたが、池上電気鉄道、東京横浜電鉄、玉川電鉄、小田急電鉄、京浜電気鉄道、京王電気軌道…こんな一気に鉄道会社をおこすなんてこんなに鉄道網の発達した今では考えられませんね。逆にこの時代だからこそできた偉業だと思います。

五島慶太 年表

・1882年(明治15年)- 長野県小県郡青木村に生まれる。
・1906年(明治39年)- 東京高等師範学校卒業後、四日市商業学校に赴任。
・1911年(明治44年)- 東京帝国大学法学部を卒業し、農商務省に入省。
・1913年(大正2年)  – 鉄道院に転属。
・1920年(大正9年)  – 武蔵電気鉄道常務に就任。
・1922年(大正11年)- 目黒蒲田電鉄専務に就任。
・1924年(大正13年)- 武蔵電気鉄道、社名を(旧)東京横浜電鉄と変更。
・1934年(昭和9年)  – 東京高速鉄道常務に就任。
・1936年(昭和11年)- (旧)東京横浜電鉄、目黒蒲田電鉄取締役社長に就任。
・1939年(昭和14年)- 目黒蒲田電鉄が(旧)東京横浜電鉄を合併し、名称を逆に(新)東京横浜電鉄とする。
・1942年(昭和17年)- 京浜電気鉄道および、小田急電鉄を合併し、(旧)東京急行電鉄に商号変更。
・1942年(昭和17年)- 東京宝塚劇場取締役に就任。
・1943年(昭和18年)- 内閣顧問に就任。
・1943年(昭和18年)- 東宝取締役に就任。
・1944年(昭和19年)- 運輸通信大臣就任に伴い、東京急行電鉄社長を辞任。
・1947年(昭和22年)- 公職追放。
・1951年(昭和26年)- 公職追放解除。
・1952年(昭和27年)- 東京急行電鉄取締役会長に就任。
・1955年(昭和30年)- 学校法人五島育英会を設立し、初代理事長に就任。
・1959年(昭和34年)- 死去。77歳没。

→東京宝塚劇場と東宝の取締役に就任したのは、これも阪急の逸翁(小林一三)との縁でしょう。東京で任せられる人物は五島慶太しかいないと絶大な信頼を寄せていたようです。

主なコレクション

五島コレクション

・創立者:五島慶太氏(1882-1959)が戦前から戦後にかけて蒐集した日本と東洋の古美術品(明治期以前)をもとに構成。慶太氏の古美術蒐集は、奈良時代の古写経に始まります。(鉄道事業の関係から関西へ行くことが多く、繁忙な仕事の合間に味わう古都奈良の古代文化の香りに、次第に引き込まれたことが理由)

 のちに日本有数の古写経コレクションを築きつつ、慶太氏は次第に僧侶の書(墨跡)など中世の美術へと手を広げ、やがて茶の道へも足を踏み入れていきます。さらに美術館の設立計画が具体化すると、国宝「源氏物語絵巻」をはじめとする高梨仁三郎(たかなしにさぶろう)氏のコレクション、および守屋孝蔵(もりやこうぞう)氏の古鏡コレクションを一括購入。昭和35年(1960)、これらの蒐集品を中核として、五島美術館が開館。開館後も、福井貞憲(ふくいさだのり)氏旧蔵の刀剣や、五島家旧蔵の近代日本画、宇野雪村(うのせっそん)氏旧蔵の文房具類などコレクションを増やし、現在の所蔵品総数は国宝5件、重要文化財50件を含む約5000件にのぼります。

源氏物語絵巻



紫式部日記絵巻



絵画
日本絵画



中国絵画

書跡

・古写経含め、さすが、圧巻の古写経のコレクションです。

古写経

古筆


墨跡


茶道具
花生

香合

水指

茶碗

茶入

茶杓

鉢・向付・酒器


陶磁
日本陶磁

中国陶磁

朝鮮半島陶磁

考古
古鏡

金銅馬具

大東急記念文庫コレクション

・大東急記念文庫の所蔵品:慶太翁氏が一括購入した「久原文庫」と「井上文庫」を中心に構成。久原文庫は、実業家・久原房之助(くはらふさのすけ)の蒐集品ですが、実際に本を選定したのは農商務省鉱山局長の和田維四郎氏(わだつなしろう/雲村)、三菱財閥を築いた岩崎家の集書にも携わった目利きでした。久原文庫は彼の見識を反映して国書、漢籍、仏書、古文書・芸術資料の幅広い分野にわたる資料を約2万点収蔵、質量ともに充実した内容を誇ります。 一方の井上文庫は、医者・国学者の井上通泰(いのうえみちやす)博士旧蔵の懐紙、書帖、短冊等の歌学資料で、本居宣長、香川景樹等、主に国学者の作品約80点。これらに貴重書を併せ、総数は国宝3件、重要文化財33件を含む約2万5千冊。日本有数の特殊文庫の一として、国文学、国語学、歴史学、美術史学、仏教学をはじめ、国内外のさまざまな分野の研究者に広く利用されています。

国書

漢籍

仏書

絵画

古文書

…いかがでしょうか。国立博物館並みの質と量、圧巻のコレクションです。いかに東急コンツェルンがすごかったのかが分かりますね。やはり明治期早々の実業家は、今ほど規制や競合も少なかったでしょうから、今では考えられないほどのスケール感で事業を展開していますね。

東京国立博物館など、歴史モノが好きな方は、ぜひこの五島美術館の方へも足を運んでみて下さい。きっと楽しめると思います。

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