奄美の自然に魅せられて、大島紬の染色工として働きながら亜熱帯の鳥や自然を描き続けた日本画家 鹿児島:田中一村記念美術館

鹿児島県

こんにちは。皆さん、唐突ですが、引っ越しは好きでしょうか?
個人的には引っ越しは嫌いなのに賃貸派のマウスです…そんなどうでもいい話は置いておいて、今日は奄美大島の大自然に魅せられて、齢50歳にしながら離島へ東京、千葉から奄美大島に移り住んだ1人のアーティストのお話です。奄美…鹿児島県内でありながら、県庁所在地の鹿児島市からはフェリーまたは飛行機で、400㎞近くの距離にあります。どんな自然と文化があるのでしょうか。それでは早速みていきましょう。

このブログで紹介する美術館

田中一村記念美術館

・開館:2001年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、県・市観光協会HPより転載)

・場所
田中一村記念美術館 – Google マップ
→奄美市にある奄美群島の観光拠点施設「鹿児島県奄美パーク」内にあります。

奄美の自然に魅せられて、大島紬の染色工として働きながら亜熱帯の鳥や自然を描き続けた日本画家

・田中一村記念美術館は,奄美の自然を描いた日本画家田中一村のコレクションを常設展示している美術館。地元の素材をふんだんに使い,奄美の高倉をイメージした展示室には,一村氏の東京時代、千葉時代、奄美時代の作品約80点(年4回展示替え)を随時展示しており、日本画家田中一村の画業に触れることが可能。その他,館内の企画展示室では、奄美にちなんだ催しも開催。

田中一村とは

・明治41(1908)年、栃木県に生まれの日本画家。彫刻家であった父親の指導により幼少の頃から画才を発揮、若くして南画家として知られた。18歳のとき、既に天才児とうたわれ東京美術学校に入学するが2ケ月で中退。(同期は東山魁夷、橋本明治ら)

その後、結核を患ったため千葉で療養生活を送る。当初、屏風、ふすま絵、天井画などを描く。1947年に川端龍子の主宰する青龍展に出品、昭和22年「白い花」が初入選(のち脱退)。その後は日展や院展に相次いで落選。中央画壇とは一線を画す。

50歳を過ぎて独り絵筆1本で奄美へ移住。以降、紬工場で染色工として働きながら亜熱帯の植物や鳥などを題材とした新たな日本画の世界を切り拓いた。代表作に3種類の異なる魚が縦に並んだ「熱帯魚三種」(1973年)などがあるが、奄美時代の作品で現存しているものはわずか30点ほどで、殆ど作品を発表することなく69歳の生涯を終える。

田村一村「熱帯魚三種」

※画像は毎日新聞WEBサイトより転載(https://mainichi.jp/articles/20180423/dde/012/040/016000c

→個人的には前にご紹介した「熊谷守一つけち記念館」以来の我が道を探求し続けた画家として映っています。私がキュレーターなら熊谷守一とこの田中一村の2人展を勝手に企画したいです。

…田中一村氏、あまり多作ではなく、そんなに作品画像は出回っていないのですが(だからこそ遠いですが奄美まで足を運んでもらいたいのです)、本美術館で開催中のチラシで使用された作品画像と美術手帖さんのブログ解説分、Youtube動画がありましたのでそちらが参考になるかと思いますので掲載しておきます。

〇美術手帖著「田中一村展 奄美へとつづく道」:https://bijutsutecho.com/exhibitions/7890

 

…何となく私のこれまで観覧した少ない経験からは、国内では滅多に見ない画風です。これも画壇という世界の外で生き続け、最後は亜熱帯という環境を変えてチャレンジを続けた作家の生み出した賜物なのかもしれません。海が好きな方は夏に行く機会があるかもしれませんが、奄美大島へ行った際は美しいオーシャンブルーとその大自然を描いた1人の作家の世界を堪能してみて下さい。

※画像は㈱トラベルマスターズWEBサイトから転載(https://www.travel-masters.co.jp/tour/island/entry-1661.html

(マウス)

コメント

タイトルとURLをコピーしました