国際的に活躍する建築家ユニットの処女作 和歌山:熊野古道なかへち美術館(田辺市立美術館分館)

和歌山県
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こんにちは。熊野古道、皆さん行ったことがありますか?
ここにとてもスタイリッシュな美術館があるのです…この美術館の設計者、これを建てた8年後、先日ご紹介した金沢21世紀美術館を建て、一躍評判を高めました。そんな彼女/彼らの記念すべき第一号が和歌山にあるのは意外と知られていないのではないかと思います。それでは早速。

このブログで紹介する美術館

熊野古道なかへち美術館(田辺市立美術館分館)

・開館:1998年
・美術館外観、内観(以下画像は美術館HP、県・市観光協会より転載)

・場所
熊野古道なかへち美術館 – Google マップ

→ちなみに美術館名称の「なかへち」とは、田辺市の中心から熊野三山(熊野本宮・速玉・那智大社)へ続く参詣道「中辺路(なかへち)」からとった名称だそうです。

国際的に活躍する建築家ユニットの処女作

・熊野古道なかへち美術館は、現在国際的に活躍する建築家ユニット「妹島和世+西沢立衛/SANAA」が最初に手がけた美術館です。「美術作品を新しい空間で見せ、アートを通じた交流の場を生み出す」という構想のもと設計。光が放出しているガラス箱のような特徴的な外観で、館内は展示室を囲むように回廊があります。回廊とロビーは全面ガラス張りになっているので、そこで古道の美しい風景を眺めて過ごすことも。古道を歩く人々が気軽に立ち寄れるスポットです。1998年に旧中辺路町立美術館として開館。2005年から市町村の合併により、田辺市立美術館の分館として新たなスタートをきっています。
 
※写真は熊野情報サイト「み熊野ねっと(https://www.mikumano.net/meguri/nakahetibijutukan.html)」、
建築情報サイト「ARCGI’RECORDS(https://archirecords.com/blog-entry-304.html)」から転載

主な収蔵作家

・日本画家・野長瀬晩花と南画家・渡瀬凌雲の作品を中心とする郷土ゆかりの日本画家作品など1000点以上を収蔵。美術館HPには画像はありませんでしたが、どのような作家か気になる方も多いかと思いますので、美術館HP画像と併せて、過去、展覧会図録の表紙を掲載しておきます。(略歴は美術館HPより)

野長瀬晩花

・和歌山県西牟婁郡近野村大字近露(現田辺市中辺路町近露)に生まれる。14歳で大阪に出て中川蘆月塾に入門。蘆秋の号を受ける。1907年(明治40年)、京都の谷口香に学ぶ。1909年(明治42年)、京都市立絵画専門学校第一期生として入学、晩花と号す。1911年(明治44年)、「被布着たる少女」で京都画壇でデビュー。1918年(大正7年)、土田麦僊らと国画創作協会を創立し、画壇に新風を起こす。1921年(大正10年)から1922年(大正11年)にかけ渡欧。第六回国画創作協会展に「海近き町の舞妓」を出品後は、公募展に出品せず孤高の道を歩む。度々当時の満州方面へスケッチ旅行に出かける。1946年(昭和21年)、信州の文化人たちと白炎社を結成、地方の芸術活動に貢献。

渡瀬凌雲

・和歌山県西牟婁郡近野村野中(現田辺市中辺路町野中)を郷里として、父の勤務地長野県で生まれる。7歳より南画と山水画を習い、12歳で画号「凌雲」を与えられる。1924年(大正13年)より約7年間和歌山県内で活動。1930年(昭和5年)より京都に移り、日本南画院展、帝国美術院展等に出品を続ける。第十四回帝展入選の「采藻」でドイツの建築家ブルーノタウトの賞賛を得、著書『日本文化私観』に記載され、広く名が知られるようになる。写生や展覧会開催等のため、中国やヨーロッパ各地を巡歴。アメリカでは約一年間滞在し、各地で個展を開くなど、南画を積極的に世界に紹介した。昭和48年日本南画院の副理事長、審査員となり、和歌山県文化功労賞を受ける。


※いずれも画像は展覧会の図録です。(参考)日本の古本屋:https://www.kosho.or.jp/

こちら、年間3千人前後の来館者数のようです。熊野古道は世界的観光地となり注目を浴びていますが、この美術館はそれに隠れてまだ知らない人も多いのではないかと思います。妹島和世+西沢立衛/SANAAさんの処女作というだけでも一見の価値はあるのでぜひ、和歌山に行かれた際は少し足を伸ばしてその建造物とコレクションを観に行ってみてください。

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