迷い悩んで遠回りした市長が最後に果たした故郷への贈り物ー茨城:水戸芸術館(現代美術ギャラリー)

アートな場所

こんにちは。水戸、行ったことがありますか?
もしかしたら納豆好きな方(⁈)やお庭好きな方は日本三大庭園、偕楽園があるので行ったことがある方も多いかもしれませんね。
そんな水戸、着くとひと際目立つオブジェがあります。煙突?電波塔?…いえ、あれ複合文化施設なんですね。水戸の景観にめちゃくちゃ影響を与えるかもしれないオブジェ、よく水戸市許可を出しましたよね。そんなところに感心しながら本日の美術館のご紹介です。

このブログで紹介する美術館

水戸芸術館現代美術ギャラリー

・開館:1990年
・美術館外観(以下、画像は美術館HP及び県・市観光協会HPより転載)

→大分市出身の建築家、磯崎新による設計です。(他代表作に大分県立大分図書館、つくばセンタービル、ロサンゼルス現代美術館など)

一番の特徴であるシンボルタワー、その紹介動画がありましたので載せておきます。高さ100m(!)もあるそうです。

・場所
水戸芸術館現代美術ギャラリー – Google マップ
→偕楽園のすぐ隣ですね…うん、やっぱりこの伝統的な日本庭園の隣にこれを設置した水戸市すごすぎです。

水戸芸術館とは

・水戸芸術館は水戸市制100周年を記念し、平成2年(1990年)に開館した複合文化施設。内部には、コンサートホールATM、ACM劇場、現代美術ギャラリーの3つの独立した施設があり、音楽、演劇、美術の3部門がそれぞれに、自主企画による多彩で魅力あふれる事業を展開。
→今回ご紹介する美術館はこの3分野のうちの1つということになります。

<水戸芸術館紹介ムービー>

新進気鋭の若手作家と学芸員の協働による新作展覧会を軸に

・水戸芸術館現代美術ギャラリーの特徴として、「クリテリオム」と呼ばれるギャラリー第9室で行う、若手作家と当センター学芸員が共同企画する新作中心の展覧会シリーズが挙げられます。(ちなみに、「クリテリオム」とはラテン語で「基準」を意味)

・また、通常の美術館とは違い、企画展示に予算を集中しているため美術史の流れに沿った収集や、関連する作品をあわせて収蔵するような系統だったコレクション形成を図るような活動は行っておらず、企画する展覧会開催に必要な場合にのみ美術作品を収蔵しているとの事。

美術館のコンセプト

①現代社会と呼応する多様な芸術表現を紹介する
②多世代の、様々な人に現代美術の楽しさを提供する
③活動の場をまちに広げアートで地域をつなぐ
→「現代社会」とのつながり、シニアから赤ちゃんまで幅広いつながり、「地域やまち」とのつながりを意識されているようですね。上でご紹介したクリテリオムはこのうち①の取組みになります。

シニアから赤ちゃんまで

②について、詳しくはHP参照いただければと思うのですが、クリテリオム以外も面白い活動をされています。一部ご紹介。
 ・赤ちゃんと一緒に美術館散歩
 ・園児のための鑑賞ツアー+造形ワークショップ(水戸市内の幼稚園、保育園の年長クラス対象)
 ・美術館の送迎バスで行く充実の鑑賞プログラム(水戸市内の小・中学生対象)
 ・高校生ウィーク(高校生と同年代の方に、現代美術に親しんでもらうための展覧会無料招待期間)
 ・視覚に障害がある人との鑑賞ツアー   など
参考:https://www.arttowermito.or.jp/gallery/education/3torikumi.html

「地域やまち」とのつながり

③についても面白い企画を多くされています。
 ・日比野克彦「明後日朝顔プロジェクト水戸」…街なかでの朝顔の育成を通じて、人と人、地域と地域のゆるやかなつながりを構築。
 ・日比野克彦「HIBINO CUP」…工作ワークショップとスポーツが融合した参加型イベント(日比野の掲げるテーマのもとに、ゴールとボール、ユニフォームを参加者がチームで作り、独自のルールでミニサッカーの試合を行って競う)
 ・中心市街地活性化事業…水戸商工会議所との連携事業。
参考:https://www.arttowermito.or.jp/gallery/education/2torikumi.html

→やけに日比野克彦さん活躍されていますね。。私自身もサッカー観戦が好きなのでこの方気になっています。
※1958年岐阜市生まれ。東京芸術大学大学院修了。在学中に「段ボール」を用いた作品で注目を浴び、国内外で個展・グループ展を多数開催する他、舞台美術、パブリックアートなど、多岐にわたる分野で活動中。近年は、各地で一般参加者とその地域の特性を生かしたワークショップを多く行っている。

各著名人のことば

・HPに小澤征爾さん(現:水戸芸術館館長)、森英恵さん(現:公益財団法人水戸市芸術振興財団 理事長)、吉田秀和さん(水戸芸術館 初代館長)、磯崎新(当館建築家)さんの言葉が載っていました。URL掲載しておきます。https://www.arttowermito.or.jp/about/aisatsu.html#ozawa

その中でも特に吉田秀和さんのコメントの中で印象的な部分がありましたので再掲しておきます。
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芸術というものは、今生きているところから、将来に向かって展望して、これから何を作ることができるだろうかとか、また、ぼくたちの人生、社会というものがこのさきどうなってゆくのだろうか、ということを予感したり、予覚したり、あるいは予告するような仕事をする側面をもっている。この芸術館では、そちらの面を美術が受けもつ。ここで展示されるものの中には、奇妙きてれつなものがあるかもしれませんけれども、それはそれで、ぼくたちの明日のことを示しているのかもしれないし、あるいは明日はこうなってほしくないようにってことをいっているかもしれない。ともかく、ごらんになって下さい~(中略)~芸術館は、どこの誰に対しても、胸襟を開いた存在にならなければいけないと思います。これが、ぼくの、音楽評論家としての哲学だし、それから、ぼくがここに芸術館の館長としている限りにおいて、水戸芸術館のテーゼとして、貫いていきたいと思うのです。水戸のものだけど、視野を水戸だけに閉ざさないでゆき、水戸を超えたものになろうと心がけ、前進することを怠らない。そうなってはじめて、世界の方でもよろこんで日本を、水戸を受け入れてくれるようになるのです。
 ひとつ、この水戸芸術館を、水戸のものだが、水戸を超えたもの。世界から受信し、世界に発信する開かれた芸術活動のひとつの拠点にしようではありませんか。これが水戸芸術館の原則です。
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迷い悩んで遠回りした市長が果たした故郷への贈り物

元水戸市長 佐川一信とは

・偕楽園という日本有数の庭園の横に磯崎新さんはじめ著名な現代作家たちととんでもない複合文化施設をつくった当時の水戸市長…どんな方だったのでしょうか。最後はその人物像について触れて終わりたいと思います。まずは写真を。
※佐川文庫HPより転載

略歴

・1940年生まれ。水戸市出身。
早稲田大学大学院法学研究科修了、法学研究者の道を歩み、早稲田大学、中央大学、茨城大学など各講師のかたわら、金属加工会社経営。1978年水戸市民の会を主宰し「市民からの出発」を発刊。1984年水戸市長選挙に『市民派市長』として当選。1992年3選するが、1993年8月茨城県知事選挙出馬のため退任。中央官僚が地方を制覇する、と地方自治の危機を訴え、無所属無党派で30万票を獲得したが僅差で敗れた。1995年死去。2007年、水戸市名誉市民の称号が贈られる。

→法学一筋の研究者だったのですね。そんな佐川さん、芸術に造詣が深かったというのは何とも不思議な感じがします。ちなみに佐川さんは論理の人だったようで「誰の責任によって、どんな法律で、どんな権限に基づいて、行政が行われているのか、それを市民の前に明らかにすること。それが行政の一切の前提でなければならない」と論じて水戸市政を推進したそうです…そんな佐川さん、なぜ文学、音楽、芸術をこよなく「愛せた」のでしょう。この情熱がなければ恐らく水戸市にここまでの文化施設はできていなかったはずです。以下、佐川さんが残した言葉です。

残した言葉

・その頃、まだ私は24歳になったばかりだった。

しかし、私の生活はだらしなく、人見知りするほど孤独なものだった。午前10時だというのに薄暗く、朝日さえ差さない地下室に入った。昨日から積み残しておいた本にぼんやりと目を落とす。やがていつのまにか時を忘れ、「終館ですよ。鍵を閉めますから」という事務員の声に促されて、部屋を出た。

こうして図書館の一室で、大学院時代の数年間を過ごした。

弁解するわけではないが、私の経験といえば、20代の10年間を大学で過ごしたことが、今のところ最も長いものである。したがって自らの経験を通して知り得た事実や考えたことを語れと助言して下さるが、実は私の最も大きな経験といえば、惰眠をむさぼった読書三昧の日々でしかないのである。(2000年11月 佐川文庫)
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→佐川さん、20代の時分、人生に迷い、随分と遠回りをされたそうですね。その時に読みあさり、集めた、文学・音楽・芸術の数々の本を市民の方々へ一般公開されたいという想いをずっと抱き続けていたそうです。55歳で早世されますが、その5年後に「佐川文庫」としてこの想いは叶うことになります。

 

…いかがだったでしょうか。
最後に、水戸芸術館の創設者の1人、当時の水戸市長のお話を掲載しました。

55歳の生涯のうち、その5分の1を大学生として過ごされた佐川さん。
コメントでは「惰眠をむさぼった」と述べられましたが、果たして本当にそうだったでしょうか…
その答えは、2022年現代に生きるアートを愛する人たちと佐川さんの故郷:水戸の人たちにとっては既に出ているような気がしますね。

人生、急がば回れ。そんな背中を佐川さんは押してくれるような気がしました。
そんなこんなで今日はここまで。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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