市への一作家一作品寄贈運動がきっかけ、湘南の美術・光をテーマに 神奈川:平塚市美術館

神奈川県

こんにちは、マウスです。
神奈川県平塚市…「湘南」ときいて何を思い浮かべるでしょうか。
私は友人がここに住んでいたこともあり、何度か訪れたことがある少し思い出深い土地です。ちなみにその友人は年末年始になると箱根駅伝の路上観戦を楽しみにしていました。
私自身(というよりJリーグファン)は「湘南」と聞くと、ベルマーレに直結するのですが、もしかしたら人によっては「の風」をくっつけたくなる人もいるかもしれません。

そんな魅力にあふれた平塚:湘南、ここに実は市立美術館があることはご存知でしょうか。私も実は何度も平塚に足を運んでおきながらここを訪ねることになるのはだいぶ後になってからでした。少し他の観光地に押されている印象もありますが、充実したコレクションと展示内容になっています。早速見ていきましょう。

このブログで紹介する美術館

平塚市美術館

・開館:1991年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、県・市観光協会HPより転載)

・場所
平塚市美術館 – Google マップ

市への一作家一作品寄贈運動がきっかけ、湘南の美術・光をテーマに

平塚:湘南エリアについて

・平塚は太平洋に面した相模湾沿岸の中央、首都東京の西南50kmに位置し、江戸時代には東海道の宿場町のひとつとしてさかえました。現在、市の総面積は67.88平方キロメートル、現在の人口は約26万人、温暖な気候と豊かな自然に恵まれ、各産業が均衡をたもつ中核都市として、またリゾート地としても親しまれています。

湘南とアート

・平塚を含む”湘南”と呼ばれる地域には、明治時代(19世紀末)から多くの芸術家が居住し、芸術運動を展開してきました。たとえば日本の近代美術や文学に大きな影響を与えた雑誌『白樺』は鎌倉において、また油彩画の新しいスタイルを追求した岸田劉生の草土社は鵠沼において、それぞれ活動を展開しました。

平塚市美術館創設の経緯

・平塚市に美術館建設が発起されたのは戦後まもなくでした。中心となったのは空襲からの復興のなか、展覧会を自主的に開いていた地域の作家たち。1960年代初め、彼らによる市への一作家一作品寄贈運動が始まり、学校、公民館や図書館の建設に続いて、1976年に平塚市博物館が開館すると、そこに美術部門を設置。その後、生涯学習と美術館建設の全国的な動きと同じく、平塚でも1984年に美術館建設研究委員会が発足して、開館へ向けての具体的な動きが始まり、1986年に平塚市美術館基本構想を、1986年に平塚市美術館建設基本計画を策定、その後建設工事と事業準備を開始し、1991年3月開館します。

開館以来、湘南地域の中央に位置する美術館として、メインテーマを<湘南の美術・光>とし、よい環境で国内外の優れた美術を人々の鑑賞に供する事で文化に対する市民の理解を深め、創造や学びの意欲を刺激することを大きなテーマに取組みをされています。

平塚市美術館 館長コメント

・私、この平塚市美術館のHPを眺めていると、館長の草薙奈津子さんという方は非常にユニークで鋭い視点と実行力をお持ちの方なのだろうなと勝手ながらに感じました。以下、館長コメントを掲載しますので少し読んでみて下さい。
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・平塚市美術館が開館したのは1991年です。つまり当館はバブル期に計画され、その崩壊寸前に完成したのです。ですから平塚市美術館は県立美術館並みの規模と充実度を誇っています。また館員にとってもとても使いやすい建物です。

 問題は中身です。

近年、平塚市美術館では大中小3種の規模の展覧会を開催しています。大は比較的知名度があり入場者数の見込めるもの、中は知名度ではもう一つだが、専門家の間で評価の高い作家たち、そして小は館蔵品の展覧会です。勿論個々の作家ばかりでなく、テーマ展もこれに準じて行っています。

さらにロビー展と称して、石やブロンズなど比較的温湿度の影響をうけない素材の彫刻展などを行っています。新人の展覧会が多いのですが、約4ヶ月にわたる長期展示となるため、作家には喜ばれています。ロビーで行う展覧会ですので、勿論無料です。しかし展示場内で行われる展覧会を見にいらした方も見て下さるので、かなりの方の目に留まる展覧会となっています。

このような工夫の結果、県外からのお客様も多く、年間10万人近い方々にご来館頂いております。


しかし展覧会だけをやっていれば良いという時代は過ぎました。今や展覧会と教育普及(ワークショップ)の割合は半々だと思っています。それだけ教育普及に期待して下さる方が多いということです。しかも教育普及に参加されるのは平塚市周辺の方が殆どです。市民の税金で成り立っている市立美術館としては大変嬉しいことなのです。


今や対象は赤ちゃんから大人まで、美術館に来られる方でしたらどなたでも、勿論障がいのある方も受け入れています。
こういう多彩な事業を展開するには館員だけではむずかしく、多くのボランティアに参加して頂いています。美術館は多くの方たちのご協力のもとに成り立っているのです。そのことに感謝しつつ、そして試行錯誤しながら、皆様に愛される美術館を目指しています。ご期待ください。(2020年4月、平塚市美術館 特別館長 草薙奈津子)
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→いかがでしょう。どんな方にでもわかるような平易簡潔な表現で、厳しくも美術館をより良くしようと愛情に満ちた文章なのではないでしょうか。普通、美術館と関係ある(特に館長という立場では)いろんなしがらみ等があってここまで直球に「課題(館長はあえてさらに踏み込んで『問題』といっていますが)」を述べることはできないと思います。

これまで見てきた他の館長との違い、ユニークだなと思った点は割と「バブル」とか「問題は中身」とか「市民の税金でなりたっている」とか、なかなか中の人が言えない言葉を、市民の目線でしっかりと伝えてくれているところです。これは(皆さんも館長という立場になったと仮定して考えていただけると解るかと思いますが)、そう思っていてもなかなか公表することはできません。

最後に、「美術館は多くの方たちのご協力のもとに成り立っている。そのことに感謝しつつ、そして試行錯誤しながら、皆様に愛される美術館を目指す」と言われていますが、本音で語る、議論するというのはこういうことをいうのだなと妙に感心させられました。草薙奈津子さん、やり手だなーという印象です。

コレクションの概要

・メインテーマ「湘南の美術・光」に沿って、湘南地域ゆかりの作家の作品を中心に収集。時代は明治から現代まで、日本近現代の作品が大部分。作品の種類は油彩画、日本画のほか、版画、水彩・素描、写真、書、工芸、彫刻など多岐にわたます。

コレクションは、1960年代なかばにかけて展開した一作家一作品寄贈運動による平塚市への寄贈作品に端を発し、作品収集は建設準備時代から現在にいたるまで継続されています。また、近年は開催した展覧会を機に寄贈を受けることも増え、コレクションが拡充。

質量ともに最も充実したものとしては近代日本洋画では平塚出身の洋画家:鳥海青児を中心に、原精一、二見利節、本荘赳、森田勝の作品、また近代日本洋画の先駆者、黒田清輝や岸田劉生、萬鉄五郎などの作品も収蔵。日本画では、長らく大磯に住んだ安田靫彦の作品を多く収蔵するほか、ともに活動した横山大観、下村観山、今村紫紅ら院展作家、平塚に住んだ工藤甲人など創画会作家の作品、また、版画では菅野陽、写真では濱谷浩、彫刻では保田春彦などの作品も収蔵しています。

〇平塚市美術館コレクション検索サイト:https://jmapps.ne.jp/hiratukabi/

(付録)一作家一作品寄贈運動と平塚市長の奮闘

・最後に、この平塚市美術館創設のきっかけとなった「一作家一作品寄贈運動」とそれを推し進めた当時の平塚市長:加藤一太郎さんについて触れておきたいと思います。

美術館設立への機運が高まった1960年当時は「復興すら道半ばなのに、美術館なんて」と厳しい声も上がっていたそう。そんな中でも設立を後押ししたのが、湘南の芸術家たちが市へ作品を寄贈した「1作家1作品寄贈運動」と当時の加藤一太郎市長が芸術に造詣が深く設立に賛同し推進したことで、ここから、市民や地域の芸術家が組織的に展覧会やアトリエの開放などを実施、美術を発信する場の必要性を説いていくきっかけにつながっていきました。

→当時の市長:加藤一太郎さんの詳細な経歴を探しましたが、教育畑出身ということ以外はあまりWEB上には情報がありませんでした。1つだけ以下の平塚市美術館30周年特別展の紹介ページに貴重な成り立ちに経緯が載っていましたのでこちらを掲載しておきたいと思います。
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・戦後間もない平塚。戦災からの復興という意味では人々の暮らしや経済はもちろん、文化的振興をどのように成し遂げるかも大きな課題だった。戦災からの復興とその後の成長は目覚ましく、平塚は昭和期をかけて都心のベッドタウンとして発展していく。そんななか、市域周辺に美術に携わる人々も居を構えるようになっていく。そういった人々が独自の展覧会などを開くなかで美術館を求める機運が高まり、美術館設立の礎が作られていくことになる。

 国立美術館であれば国宝や重要文化財などが、大企業などの私立美術館であれば収集品が主な展示物となるが、平塚市美術館にはそういったコレクションの母体がなかった。

そこで1960年半ばから一作家一点寄贈運動という収集活動が始まり、1963年から1975年まで市長を務めた加藤一太郎氏も自ら、平塚市出身の洋画家・鳥海青児に作品の寄贈を依頼するなどして熱心に収集に取り組んだという。

1976年に平塚市博物館が開館するとその動きはさらに加速していく。井上三綱や二見利節の作品などが収蔵され、美術館が開館を迎える1991年には6,000点を超える寄贈品を所蔵するようになった。


2000年から同館で勤務し、現在いるスタッフのなかでは一番の古株という勝山 滋学芸員は「寄贈されたもの、購入したもの、寄託(美術館が作品を預かること。作家は美術品に適した環境で作品を保存できる一方、美術館は自由に展示や研究ができる)の品なども含め、現在は約1万3,000点の所蔵品があります」という。


いわゆる、歴史的な価値の高い作品は、より大規模の美術館などに比べれば多いわけではないが、湘南エリアのアーティストたちの思いが込められた珠玉の作品群は、平塚市の美術館ならではの宝物というわけだ。
(湘南ジャーナル 湘南のアート発信地 平塚市美術館が30周年から抜粋、https://shonan-journal.com/magazine/27616/
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→なんとなくこの「近隣の町などから労働人口流入があり都市圏を形成していった」という話を聞いて、前にブログでご紹介した群馬県立館林美術館を思い出しました。創立年は違えど、成り立ちは似ているということでこの2館をめぐってみても楽しいのかもしれない、そんなブログ読者には二度おいしい(笑)美術館だと思います。それではまた次回。

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