アートとサッカー。日本から見る海外、海外から見た日本

アートな考え

こんにちは。今日はアートの話は一旦お休みです。
…というよりどうしても皆さんにご紹介したい動画がありそれを題材に挙げたいと思ったからです。(広い意味ではアートと繋がるかもしれません)

とその前に、以前の動画で私、結構クルマが好きというお話をしたかもしれません。厳密には遠距離通勤によりクルマが好きにならざるを得なかったという感じですが、実は私、アートとクルマとは別にもう1つとても大きな割合を占めている趣味があります。

それが「サッカー観戦」です。(主に国内、Jリーグなど)

サッカーとアート。一見何の関係も無いように見えますが、私の中では結構この2つは共通点があります。

それは「世界と繋がることができる」という点です。

この2つ、よく考えるといずれも海外の方が歴史が深いというだけでなく、現段階での盛り上がりもどちらかというと日本より欧米の方が強いという共通点があります。そして何より、この2つに精通していれば海外へ行った際に話題に事欠くことはまずありません。それくらい(分野は異なりますが)欧米の人にとって重要な2つの分野だと感じています。

私も元々はアート主体でサッカー観戦は稀に行くという感じだったのですが、ワールドカップやオリンピックなどを見るにつけ、同じサッカーというフィールドであってもその国や地域の個性や考え方、採る戦術なども異なり奥深いなぁとどんどんのめり込んでいきました。もちろん他のスポーツもそういう側面あるかと思いますが、とりわけサッカーはタクティクススポーツで、90分間をいかに戦術的に戦うかという課題解決手法はアートにおけるそれと少し似ているなと感じる部分もあります。

と言いつつ、本ブログは絵本とアートを主体にしているため、今後もサッカーの話題について書くことは少ないと思いますが、先日9/3(土)の「アビスパ福岡―名古屋グランパスエイト」の試合において、アートファン(特に海外シーンに興味がある方)にとっても日本と海外の根底に流れるものの違いについて解りやすく、是非ご紹介したい動画がありました。

これは近視眼的にはサッカーの話題ですが、アートやアートを語るうえで避けて通れない「日本と海外」、そしてその考え方の違いについて示唆に富む事例だと思います。
ということでまずは5分程度ですが、以下の動画をご覧ください。

本ブログでご紹介したい動画

・2022年J1リーグ第28節 アビスパ福岡×名古屋グランパスエイト

動画の内容

・1―0で名古屋グランパスがリードしていた前半21分。アビスパ福岡側の選手が相手との接触で倒され、すぐに起き上がれず。これを見た名古屋グランパスの選手が意図的にボールを外へ蹴り出し、倒れた選手の治療に入る。試合はアビスパ福岡側のスローインで再開。福岡の選手はフェアプレー精神で相手に返そうと敵陣方向に投げたのだが、このボールを右サイドで同福岡の外国人選手が奪い、ゴール前へクロスを供給。そのボールを福岡のこれまた外国人選手が左足で合わせゴールを奪って1―1の同点としてしまった。

何が問題か

・プレー自体はルールに違反したわけではない。しかし、負傷した可能性ある選手の治療のため、相手選手が試合を止めるために故意に外に蹴り出した後、治療が終わった後は相手にボールを返すのがフェアプレーであり日本サッカー界の暗黙のルールでありながら、そのルールを外国籍選手が破ってゴールを決めてしまった。

その後の展開

・これに名古屋グランパス側が激怒。名古屋側の監督が福岡側の監督のところへ行き、2人の話し合いの結果、福岡が無抵抗で1点を与えることになった。

※まさに、これだけを見ると福岡側の外国人選手がとんでもなくフェアプレーに反した行動をしたかのように見えます。ただし、この問題には複雑な背景がありました。

問題の背景

・これは後に福岡側の外国人選手がSNSで発信したことですが、名古屋グランパスの1得点目に異議を申し立てるためにとった行動とのこと。(つまりこの問題のシーンが起こる背景があった)
以下は、そのシーン。まずはご覧下さい。(背景のシーン、24秒過ぎから)

<解説>
・前半2分、ロングボールを処理しようとした福岡のゴールキーパーがペナルティーエリア外へ飛び出ると、帰陣してきた味方ディフェンダーと頭同士が激突し転倒。ゴールキーパーは脳震盪の疑いがあったものの、味方同士の接触であり2人が倒れ込んでいるなかでもプレーは止まらず。名古屋はそのままボールを拾いゴールを決めて先制点を挙げた。
※一応補足しておきますと、この脳震盪を起こしたゴールキーパー、大事には至らず、今は回復しているそうです。

専門家の意見

・Jリーグの元プロフェッショナルレフェリー、家本政明氏は以下の通り指摘。
「名古屋が悪いということは絶対ないこの状況で唯一止められるのはレフェリーチームの判断だけ。競技規則の一番最初に、『サッカー競技規則の基本的考え方と精神』というものがあって、『事故が起きてしまうのは致し方ないものだが、競技規則は競技者の安全や安心・快適さとスポーツがフェアであることとのバランスを取りながら、サッカーの試合ができる限り安全にプレーできるための手助けになることを目指している』と書いてある。~(中略)~競技精神としてレフェリーとして何を大事にしなきゃいけないのか、十分に把握できていれば、この状況でも止めることができたと思う。」

判断が難しかったシーンながら、プレーを止める余地はあったと見解を述べています。間違いなく脳震盪が起きている場面、味方同士の接触や相手側のチャンス場面という状況を加味してもレフェリーは即座に試合を止める必要があったのではないかとの事です。

外国人選手がとった行動

・ここまで来て再度最初の動画を見てみてください。福岡の外国人選手があながち全て悪いと言えるでしょうか。もしかしたら意図的であるにしろ、名古屋の1得点目のレフェリングを見て、福岡の外国人選手は本レフェリーの判断基準、価値基準は「多少の接触、負傷の程度でも試合を止めない」と思った可能性もあります。

日本人と外国人

・やっと私が本ブログで話したかった内容になりますが、日本はスポーツの世界では兎にも角にも「フェアプレー」が叫ばれます。どんなに試合に勝ったとしても、いわゆる「狡賢さ」や「相手を落とし込めるプレー」での勝利は評価に値しないという教育、伝統ですね。

一方で、海外、とりわけサッカーのような世界的なスポーツで強豪と言われる国の中には、それをまさに「真剣勝負」として捉え、試合を止めることができる権限を持つのは唯一レフェリーだけだという価値基準を持っています。

私もこのブログを書くにあたって数人知人に意見を求めてみましたが、バレーボールやバスケットボールなど球技をやっている人はレフェリーが止める止めないに関わらず試合を止めるべきだという意見であったのに対し、ボクシングなど格闘技を行っていた人はレフェリーが止めない限りは逆にチャンスになるのだからプレーを続けるべきだとの意見を持っていました。(確かに格闘技はやるかやられるかの世界ですからね…悠長なことは言ってられないのかもしれません)

日本と海外の根底にある違い

・ここからは私の推測ですが、私の場合はまずアートがあり、そこからアートを通して日本と世界、そしてその違いなどについて意識するようになりました。それとともにサッカーも似たような存在で試合を観る機会も増えましたが、海外の根底にあるのはやはり「人間が世界を創造した。強いもの。」という意識なのだろうな思う機会が多々あります。
一方で、日本やその他アジアの一部の国は儒教的な考えもあり「自然と調和。人間は従属するもの。弱いもの。」という意識が根底に流れているような気がします。そこから派生して、同じアートやサッカーという分野の中でも各々微妙にコンセプトが変わってきているのだろうと感じます。

ひと昔前の海外の絵画作品…「人」ばかりですからね。海外の美術館など行くと、所狭しと人物画が並んでおり、どんだけ人が好きなのかと思ってしまいます。
方や日本、詳細は割愛しますが、風景画など自然を題材に扱った作品が多いように見受けられます。名画と言われる作品も人物画よりも風景画(や自然界の動植物を描いた絵)が多くあります。

今回起こったサッカーの事例も「レフェリー=この試合の創造主」として考えると解りやすいかもしれません。その創造主がジャッジの全てであって、プレーヤーはその契約通りに動かねばならない…そして人と人とが相対する以上、その勝敗は最も尊むべきものであってプレーヤー同士によるフェアプレー精神はそれに優先されることはないと。
一方日本はレフェリーも1人の弱い人間であって、試合中に起きる問題は皆で協力して解決に導かなければならないと。フィールドの中にいる人間は皆平等、試合の勝ち負けよりもその試合や試合を見に来てくれた人たちの雰囲気、空気を大切にするべき、何よりも優先すべきは試合の勝敗よりもフェアプレーだと。

アートとサッカー。どちらも分野は異なりますが、根底に流れているものは同じなのかもしれないと、そんな事を考えながら過ごした先週末でした。

だいぶ長くなりましたが、たまにはこういうアートど真ん中ではなく、その根底の部分、他分野の共通話題などにも触れていければと思っています。
引き続き、本ブログ「絵本と、アートと。」をよろしくお願いします。

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