戦後4年間滞在した地に開設、101歳まで画筆を執り続けた日本画家 長野:奥村土牛記念美術館

長野県

こんにちは。本ブログでご紹介している画家の方々、昨日の荻原守衛(碌山)や洋画「海の幸」で有名な青木繁など、齢30歳そこそこで太く短い生涯をまっとうする画家もいれば、前にご紹介した野見山暁治さんのように100歳を超えるまで現役で作品を制作している画家もいらっしゃいます。

今日ご紹介する作家(日本画家)は、後者、1889年(明治22年)に生まれ、1990年(平成2年)に101歳で亡くなるまで、明治、大正、昭和、平成と最期まで現役として多くの作品を遺し続けました。その代表作のほとんどが、70歳を過ぎ、文化勲章を受章してから発表したものであるから驚きです。

そんな時代をかけ抜けた日本画家の美術館、実は戦争中に空襲で東京の家が焼け、長野県南佐久郡穂積村へ疎開したことが縁で開設となりました。どんな美術館なのか…早速みていきましょう。

このブログで紹介する美術館

奥村土牛記念美術館

・開館:1990年 ※亡くなった年にできたのですね
・美術館外観(以下画像は美術館HP、県・市、観光協会HPより転載)

・場所
奥村土牛記念美術館 – Google マップ

戦後4年間滞在した地に開設、101歳まで画筆を執り続けた日本画家

・日本画壇の最高峰にもたった奥村土牛の素描を収蔵した美術館。所蔵作品はすべてご本人からの寄贈によるもので、佐久地域で描いた作品を含め下図・書などと合わせ207点の作品を年3回展示。常時45点程の作品を展示し、文化勲章をはじめとする記念の品々も展示されています。美術館は、大正時代から昭和の初めに建築された、黒澤合名会社の集会場として使われていた建物。奥村氏が戦後4年間旧穂積村(後に八千穂村から佐久穂町)に滞在していた縁から、平成2年(1990年)に記念美術館としてリニューアルされました。
(亡くなる101歳まで画筆を執り続け、生涯現役だった「日本画家 奥村土牛」の素顔に出会える美術館とHPにはご紹介されています。)

奥村土牛とは

・1889(明治22)年、東京・京橋生まれの日本画家。1905年(明治38)梶田半古(かじたはんこ)の門に入り、1920年(大正9)、同門の先輩小林古径の画室に住んでその指導を受ける。1923年に日本美術院研究会員となり、翌年初めて院展に出品したが落選、しばらく制作上の迷いが続いた。1927年(昭和2)、第14回院展に『胡瓜畑(きゅうりばたけ)』が初入選、1932年日本美術院同人に推された。1936年の第1回帝展で『鴨(かも)』が推奨第一位になり、1942年から第二次世界大戦後にかけて新文展、日展の審査員を務め、1947年(昭和22)には帝国芸術院会員にあげられた。1948年以降は院展を主とし清流会、彩交会などに出品。対象は花鳥、人物、風景と幅広いが、篤実で深く温かみのある観照の姿勢が一貫し、『踊り子』『鳴門(なると)』『朝市の女』『醍醐(だいご)』『僧』などがよく知られる。1944年から1951年まで東京芸術大学講師。1962年に文化勲章を受章。

奥村土牛「胡瓜畑」

奥村土牛「鴨」

奥村土牛 年表

・1889(明治22)年、東京都京橋生まれ。日本画家。本名は義三。
・1905(明治38)年、16歳で梶田半古塾に入門。後に塾頭の小林古径に師事。
・1917(大正6)年、28歳の時、父の経営する書店から「スケッチそのをりをり」を出版。この時から雅号「土牛 とぎゅう」とする。丑年生まれの干支に因んで父が、中国寒山詩の中の「土牛石田を耕すから選び、命名したもの。
・1927(昭和2)年、「胡瓜畑」が院展初入選。
・1929(昭和4)年、「蓮池」院展出品 (美術館所蔵)
・1930(昭和5)年、「枇杷と少女」院展出品 (美術館所蔵)
・1932(昭和7)年、日本美術院同人に推挙される。
・1936(昭和11)年、「鴨」が帝展で推奨第1位となる。
・1944(昭和19)年、「信濃の山」を文展に出品し、政府買上げとなる。家族を長野県臼田に疎開させる。
・1947(昭和22)年、帝国芸術院(現・日本芸術院)会員に推挙される。この年の11月、長野県南佐久郡穂積村(旧八千穂村)に移る。
・1951(昭和26)年、疎開先の信州から杉並区永福町に転居する。
・1957(昭和32)年、兄弟子で恩師の小林古径逝去。
・1958(昭和33)年、「鳴門」を院展に出品。
・1962(昭和37)年、文化勲章を受章する。
・1972(昭和47)年、「醍醐」を院展に出品。
・1974(昭和49)年、自伝「牛の歩み」を日本経済新聞社から出版。
・1978(昭和53)年、日本美術院理事長に推挙される。
・1980(昭和55)年、東京都から名誉都民の称号を贈られる。
・1985(昭和62)年、山種美術館と京都市美術館において白寿記念展が開催される。
・1986(昭和63)年、白寿を記念して、天皇陛下より銀杯三ツ重、皇太子殿下より御所の紅白梅を賜る。
・1990(平成2)年、 5月20日 長野県八千穂村に「奥村土牛記念美術館」が開館。9月25日 逝去。101歳7ヶ月。従三位に叙せられる。

 

…それにしても戦後の4年間疎開していた地に本人から作品を寄贈したいと申し出があったということ、人生の中では僅か4年ですが、戦後の動乱の中、相当にこの長野県南佐久郡穂積村(旧八千穂村)に思い入れがあったということなのでしょうね。確かに皆さんも住んだ年数もさることながら、一番大変だった時期や世の中が動乱だった時期(たとえば東日本大震災の後など)に居住していたエリアというのは後々振り返ってもなんとなく思い入れがあるものです。そうやってアーティストと地域のつながりが増えていくことは何だか不思議で素晴らしい縁なような気がします。

そういうことで今日はここまで。また引き続き本ブログ「絵本と、アートと。」をよろしくお願い致します。

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