川越が生んだ偉大な日本画家、「近世」と「近代」の境界に立つ1軒の和菓子屋 埼玉:山崎美術館

アートな場所

天明っていう和暦…なかなか聞かないですよね。今日はそんなもう耳にしないくらい大昔から営業されている1軒の和菓子屋さんのお話です。こちら天明三(1783)年の創業以来、二百三十余年、川越の地で菓子づくりに励まれています。もしかしたら「龜屋(かめや)」と書くとピンとくる方もいらっしゃるかもしれません。そんな和菓子屋さんが美術館を運営されているのご存知でしたでしょうか。では早速。

このブログで紹介する美術館

山崎美術館

・開館:1982年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、県・市観光協会HPより転載)

・場所
山崎美術館 – Google マップ
→またまた川越です。さすが小江戸と呼ばれるだけあって由緒ある場所が多いですね。

川越が生んだ偉大な日本画家、「近世」と「近代」の境界に立つ1軒の和菓子屋

・川越の蔵造りの町並みに面する老舗和菓子屋「龜屋」。地元の有力者らと画宝会を設立して、元川越藩士の日本画家「橋本雅邦」を経済的に支援するなど、文化活動にも積極的に参加、本店の一角に建つ蔵を利用。館内では、橋本雅邦の作品を中心に、山崎家に代々伝わる美術工芸品の数々が季節に合わせて展示。※入館者には、老舗の和菓子とお茶のサービスがあるそうです!

橋本雅邦とは

・明治期の日本画家。天保6年7月27日(1835年8月21日)、川越藩御用絵師橋本晴園の子として生まれる。弘化3年(1846年)、狩野晴川院養信に入門。なお、生涯付き合いのあった狩野芳崖とは同日の入門。安政元年(1854年)、塾頭となったのち万延元年(1860年)独立。フェノロサと岡倉天心によって設立された東京美術学校(現:東京芸大)では、明治21年(1888年)に合流、明治23年(1890年)に教授となるも、明治31年(1898年)東京美術学校騒動に際して同校を辞職。日本美術院創立では主幹となり、以後、野に下った天心を支え続けた。日本画新派の作家としてだけでなく、画壇の大家としての地位を築き、門下に川合玉堂ら多くの日本を代表する画家を育成。教育者としても優れた資質を発揮したほか、古社寺保存会委員を務めるなど、古美術保護にも尽力。同門の狩野芳崖ともに、日本画の「近世」と「近代」を橋渡しする位置にいる画家との評価で、芳崖と共に狩野派の描法を基礎としつつも洋画の遠近法等の技法を取り入れ、明治期の日本画の革新に貢献している。雅邦の代表作の一つである『白雲紅樹図』では、従来の山水画を基にしながら、月の光と空気の透明性を微妙な色彩で表現した。明治41年(1908年)1月13日没。
(参考)白雲紅樹図

※画像は文化遺産オンラインより転載(https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/160955

→埼玉に入ってなお、フェノロサ&天心の話が出てくるとは…すごい影響力ですね。

(付録)龜屋(かめや)の歴史

・美術館紹介に関係ないので割愛しますが、本美術館のもとになった蔵、提供した和菓子屋の龜屋さんの歴史も載っていましたので、気になる方は以下のURL参照にされてください。割愛…と言いながら、「創業年の天明三年は、浅間山が大噴火を起こして農作物が大きな被害を受けた年でもありました。そのような時分に和菓子屋を開業することは考えにくいことから、実際の創業は1783年より以前であろうと考えられています。」という一節に驚愕しました。もっと古いんですね。
〇龜屋(かめや)の歴史:https://www.koedo-kameya.com/history.html
 
…おいしそう…

そんなこんなで、川越にある歴史ある和菓子店「龜屋」さんと山崎美術館、ぜひご賞味ください。
※(館内の様子)小江戸川越観光協会HPより転載

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