「自然へのいつくしみ」をテーマに、明治・大正・昭和を生き抜いた趣味人 栃木:小杉放菴記念日光美術館

アートな場所

このブログで紹介する美術館

小杉放菴記念日光美術館

・開館:1997年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、県観光協会HPより転載)

・場所
小杉放菴記念日光美術館 – Google マップ
→日光です。金谷ホテルから目と鼻の先にありますね。

小杉放菴とは

(以下は美術館HPからの引用です)
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・1881(明治14)年に日光で生まれ。日光在住の洋画家・五百城文哉に師事したのち、上京して小山正太郎が主宰する不同舎で学ぶ。「未醒」と号して活躍し、雑誌特派員として日露戦争に従軍。のちに反戦文学の先駆と評されることになる『陣中詩篇』を出版。帰国後は、文部省美術展覧会で2度にわたり最高賞を受賞し、この間、漫画家や挿絵画家としても頭角を現す。

 のちに横山大観と親しくなり、1914(大正3)年の日本美術院再興時にも加わり、洋画部を牽引。同部が第7回展をもって解散してから、友人たちと新たに春陽会を結成、その後も、山本鼎の農民美術運動に協力するなど、幅広い芸術活動を展開しました。

  また、スポーツマンとしても知られ、かなり早い時期からテニスや野球を楽しんでいたことが伝えらています。そのおかげか、国木田独歩や芥川龍之介といった作家や、その周辺の学者、思想家、財界人たちとの親密な交友関係があったことも注目に値します。

 1923(大正12)年頃に雅号を「放庵」(1933年末から「放菴」)と改め、次第に水墨と淡彩による表現への関心を深め、日本画の世界においても独自の枯淡な境地を切りひらいていきます。戦後は、新潟県赤倉の山荘で世俗から離れた余生を送り、1964(昭和39)年に没。

 代表作には、東京大学・安田講堂の壁画や、東京国立近代美術館の《水郷》、当館の《神橋》《飲馬》など。
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→1800年代生まれの方で、83歳まで存命だったとは…やっぱりスポーツって健康や長寿にいいんだなって感じました。(すいません、アートとずれた感想で)

より詳しく知りたい方は以下のURLを参照ください。
・小杉放菴年譜:https://www.khmoan.jp/khmoan/biography.html

「自然へのいつくしみ」をテーマに明治・大正・昭和を生き抜いた趣味人を称える

・小杉放菴記念日光美術館は「自然へのいつくしみ」を基本テーマに、日光に生まれた小杉放菴という画家の多彩な才能と日本の近代美術史上における広範な影響関係を御紹介しています。(以下、美術館初心者の方のためのリーフレットがありましたので掲載しておきます)
小杉放菴記念日光美術館リーフレット

美術館の役割

小杉放菴の常設展に加え、関わりの深かった画家や作家たちの企画展示

・小杉放菴には、横山大観や山本鼎、森田恒友や倉田白羊といった多くの友人の画家たちとの交流のほか、ピュヴュス・ド・シャヴァンヌやポール・ゴーギャンら、外国の著名な画家からの影響関係も指摘されており、さらには、国木田独歩や田山花袋、芥川龍之介といった著名な文学者たちとの親密な交友もあったそうです。

近代日光の豊かな自然と優れた文化的な背景についての調査と研究、展示企画

・古くから日光山や東照宮の門前町として繁栄してきた日光は、明治以降も多くの外国人や文化人が訪れる国際観光地として賑わい、東照宮の建築に代表される芸術美と、華厳滝や中禅寺湖といった奥日光などの自然美との強烈な対比は、遠くヨーロッパやアメリカにまで知られて内外の芸術家や文化人に大きな影響を与えてきました。小杉放菴は、まさに、このような状況下の日光において生まれ育った画家です。

コレクション

<小杉放菴>

※写真は小杉放菴記念日光美術館、栃木県立美術館HPから転載

その他、放菴や栃木、本館とゆかりのある吉澤儀造、秋山俊也、斎藤博之、中村直人なども収蔵。詳しくは以下美術館の収蔵品リストをご覧ください。
・収蔵品リスト:https://www.khmoan.jp/collection/index.html

…完全にイメージですが、小杉放菴、なんとなく作風も趣味人らしく自由って感じの画風ですね。色んな美術会を渡り歩きスポーツを通して文化、政財界と幅広く交流してきた小杉放菴、彼はどんな想いをもって明治、大正、昭和という3時代を生き抜いたのでしょう。
※ありし日の小杉放菴

そんな想像を巡らしながら今日は終わりたいと思います。

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