日本とドイツ、友好の象徴。「第九」をアジアで初めてコンサートとして全楽章演奏した場所 徳島:鳴門市ドイツ館

徳島県

こんにちは。徳島県鳴門市、アート界隈の観光雑誌でも引っ張りだこの某有名製薬会社が運営する某有名陶板画美術館は後日記載するとして、今日は同じく鳴門市にあるアジアで初めて「第九」をコンサートとして全楽章演奏した場所のご紹介です。こちら元々は第一次世界大戦のドイツ人捕虜の収容所があった場所ということですが…なぜいま逆にドイツとの友好の象徴になっているのでしょうか、早速ご紹介したいと思います。

このブログで紹介するアート施設

鳴門市ドイツ館

・開館:1993年 ※前身は1972年、初代鳴門市ドイツ館
・施設の様子(以下画像は鳴門市ドイツ館HP、県・市観光協会より転載)

・場所
鳴門市ドイツ館 – Google マップ

日本とドイツ、友好の象徴。「第九」をアジアで初めてコンサートとして全楽章演奏した場所

・大正時代、かつて鳴門市大麻町(当時の板野郡板東町)には、大正6年~大正9年(1917年~1920年)のおよそ3年間、第一次世界大戦時にドイツの租借地であった青島において、日本軍の捕虜となったドイツ帝国将兵及びオーストリア=ハンガリー帝国の将兵(日独戦ドイツ兵捕虜)4715名のうち、約1000名のドイツ兵を収容した「板東俘虜収容所(ばんどうふりょしゅうようじょ)」が立地していました。

「収容所」と聞くとマイナスのイメージを抱く方も多いかもしれませんが、捕虜の多くは志願兵となった元民間人であったこともあり、板東俘虜収容所では、所長である松江豊寿氏をはじめとした管理スタッフがドイツ兵の人権を尊重しできるかぎりの自主的な生活を認めていました。(職業は家具職人、時計職人、楽器職人、写真家、印刷工、製本工、鍛冶屋、床屋、靴職人、仕立屋、肉屋、パン屋など様々だったそうです)

そのため、ドイツ兵たちは元々優れていた技術を活かして様々な活動に取り組み、中でも盛んだった音楽活動においては、ベートーヴェンの「交響曲第九番」を、アジアで初めてコンサートとして全楽章演奏。ドイツ兵たちは地域の住民とも交流を深め、親しみを込めて「ドイツさん」と呼ばれるようになるほど打ち解けていました。こうしたエピソードから、板東俘虜収容所は模範収容所と当時評価されました。

鳴門市ドイツ館は、板東俘虜収容所で過ごしたドイツ兵たちの活動の様子や、地域の人々との交流の様子を展示した史料館で、ドイツ兵たちが板東でどのような生活を送っていたのか、地域の住民とどのように関わり合ったのか、なぜドイツ館が創設されたのかなどを展示。第九初演のエピソードが映像とロボットで語られる「第九シアター」も設置しています。また、ベートーヴェン交響曲第9番初演から100周年となる2018年6月には、鳴門市ドイツ館前に松江豊寿氏の銅像を建立しました。

館内の様子

板東俘虜収容所:所長 松江豊寿とは

・1872年6月に現在の会津若松市で会津藩士、警察官・松江久平の長男として生まれる。戊辰戦争の敗戦後、青森県下北半島の斗南藩に移住、当時は不毛の土地で困窮した生活を強いられる。1889年(明治22年)16歳の時に仙台陸軍地方幼年学校に入校、1892年(明治25年)には陸軍士官学校に進む。1894年(明治27年)、22歳で陸軍歩兵少尉に任官。日清戦争・日露戦争に出征。1904年(明治37年)、韓国駐剳軍司令官長谷川好道大将の副官を務める。1907年(明治40年)、陸軍歩兵少佐に進級し、歩兵第67連隊(浜松)附。1908年(明治41年)、歩兵第67連隊大隊長。1911年(明治44年)、第7師団副官。1914年(大正3年)、陸軍歩兵中佐に進級して歩兵第62連隊(徳島)附となる。

→42歳の時、陸軍中佐として徳島へ赴任した後、板東俘虜収容所:所長としての功績が出てくるのですね。これは彼の生い立ち、賊軍としての悲哀を味わった会津藩士の子弟に生まれた体験が、大きく彼の良心的な人格形成に影響したといわれているそうです。第一次大戦が終わり、俘虜たちは解放された後も「世界のどこに松江のような(素晴しい)俘虜収容所長がいただろうか」と語るほどだったそうです。

近代を振り返っても、明治維新、第一次世界大戦、第二次世界大戦、(経済史的には)バブル崩壊、阪神・淡路/東日本大震災と悲哀の歴史があり、それが世代によっては繋がっていくこともあるのだなあ、とこのドイツ館を書きながら思ったマウスです。

ということで、徳島県1館目はそんな、100年前のちょうど同じ頃、何が起こっていたのかを振り返ることができるアート施設(資料館)をご紹介しました。引き続き、本ブログ「絵本と、アートと。」をよろしくお願いします。(今日はそんな収容所から捕虜の人たちがどんな想いで交響曲第九番を演奏したのか、そんなことに想いを巡らせながらお別れとします。)

(付録)交響曲第九番[演奏:Chicago Symphony Orchestra]

(参考)
〇ベートーベン『第九』を解説。歓喜の歌の意味など:
https://personality-oneself.link/archives/547.html

 

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