即興性のなかに潜む罠ーバンクシー 天才か反逆者か 前編

アートな場所

こんにちは。マウスです。
いやー、ガソリン高いですね。都内に住んでいる方はあまりピンとこないかもしれませんが、地方だと死活問題です。
特にこれから冬を迎える中で、皆さんは暖をとる準備は万全でしょうか?
(雪国の方、私はこんな工夫をしているよーって知恵がありましたらコメント欄にでも残していただけると皆幸せに冬が過ごせますので宜しくです。)

ちなみに私なんてあまり雪が降らない地方の出身のくせに(だからか?)、寒さに弱いので、毎冬宮田織物さんのはんてんにお世話になっています。これ、めちゃくちゃ暖かくてかなり暖房代の節約になっていると実感しているのでお勧めです。
いまもこのブログ書きながら羽織っています。
※男女ともモダンな感じなのでいくつか画像載せておきます。(Amazonとリンクさせているので興味ある方はサイトに飛んでサイズ等確認してみて下さい!)


ところで燃料費の高騰は衣食住のあらゆるところで物価上昇の悪影響を生じさせますよね。
ただでさえずーっと賃金が上がっていない日本の現状とコロナ禍で失業率も上昇している中で、富というのがいかに人や国家の私利私欲のために動いているものかというのを痛感させられます。
11/22のブログ内では触れられませんでしたが、SAPEURが奮闘しているコンゴ共和国も実は石油が最大の主要産業です。それなのにGDPのランキングは下位なんですからね。
我々がひーひー言いながら高いお金を払っている燃料代があるにも関わらず、一部の国は石油資源があっても貧しいまま。
果たしてこのお金がどこに消えていっているのか、いつもガソリン給油口をぼんやり見ながら考えています。(危ない人ですw)

一方でその劣悪な労働環境が社会問題となることもあるスズや鉛、銅、珪石、鉄鉱石など鉱業やコーヒー豆やカカオなどの1次産業。
日本でも古くは石炭産業など、大勢の人身の力で社会を支えてきた産業がある一方、粉塵爆発などで多くの犠牲を伴いました。

前置きが長くなりましたが、今日はそのような資本主義社会の不条理さを、逆に社会それ自身を媒体にすることで露わにしようと取り組んできた1人のアーティストをご紹介したいと思います。

既に名前は多くの人が知っているであろう「バンクシー」です。

知らない方のために少し説明を捕捉すると、
バンクシーとは、ステンシルという技法を使って、壁にスプレーで絵を描くというゲリラ的なスタイルで作品を残し、グラフィティアートを世界に知らしめたイギリスの覆面芸術家です。


※The art of Banksyより転載 https://theartofbanksy.jp

その特徴は、
・制作している姿を人に見せない
・人の前に一切姿を現さない
・本名を知る人はごく少数の彼の友人のみ
・社会風刺的な作品が多い

という点に挙げられ、イギリス国内にとどまらず、世界中に熱狂的なファンがいることでも知られています。
彼(男性であることは特定)の作品がアメリカ サザビーズのアートオークションにおいて、29億円で落札された直後、自動で仕込まれていたシュレッダーで作品ごと裁断されたという事件は世界中を驚かせました。

最終的には彼の作品についてもいくつかご紹介したいと考えていますが、今回の前編では少しこのバンクシーが取り入れている即興性について言及したいと考えています。
彼が使用している技法は「ステンシル」と言われ、覆面で迅速に制作するためにバンクシーにとっては必須の技術となっています。ステンシルは1960年にフランスではじまったと言われ、現在のグラフィティアートにおいては切っても切り離せないものとなっています。
色々と調べている中で、ステンシルを実際に趣味でやっている人の動画がありましたので載せておきます。
この技法がどのようなものはイメージしてみてください

このステンシルという発明によって、美術分野においては迅速に作品を生み出すことのできる数少ないツールの1つとなりました。
私、普段はあまりテレビは見ないのですが、フジテレビさんの「TEPPEN」という番組が好きで、その中で芸能人がピアノを演奏するコーナーがあるのですが、それを見ながら「音楽の分野はストリートで演奏する機会があっていいなー」と思ったりします。
最近は駅でもストリートピアノが置かれれているところも増え、コロナ禍という人と人との隔たりが増えた世界において、そのようなストリートという即興性の中で人と人とが繋がれる機会というのは、演者・観覧者双方にとって貴重な時間だと感じます。

日本でも古くは室町時代にはじまる大道芸や江戸初期の歌舞伎など、屋内表現の歴史と比べ、野外表現ははるかに長い歴史を持っています。この理由は諸説あるかと思いますが、恐らくもっとも大きな理由の1つは、芸術というものが元来「誰かに認められたい」という人間の本質的な欲求に基づいたものであり、より大多数の人と繋がりをもつには、壁で仕切られた屋内空間よりも屋外の、それもゲリラ的に行う方がより接点を見つけやすいというところにあるんじゃないかなと感じます。

話を戻します。
では、バンクシーはどうか。

バンクシーは屋外でのゲリラ的な表現には相違ないものの、その作品を見る人たちは彼の素性を一切把握することができません。そしてバンクシー自身もその場に居合わせることができず、新聞やテレビなどメディアを通じてその反応を伺い知ることになります。(しかも必ずメディアが取り上げざるを得ない内容を含んで)

どうでしょう…皆さん、大道芸などの一般的な屋外表現と比べ随分違和感を感じませんか?

私が思うに、バンクシーの最大にして唯一無二の魅力は、この屋外表現における即興性のセオリーを少しずらしたところにある「違和感、異質感」だと考えています。屋外という本来即興表現に適した領域を選びながらも、それを知る時点までは、静謐かつ愉快な時限性を生じさせるという、まるであくせくと時間に追われている現代人をあざ笑うかのような表現手法です。

このようにバンクシーはその作品内容は言うまでもなく、その表現手法を取ってみても、現代の資本主義社会に対し大きく警鐘を鳴らしています。
バンクシー1人に多くのメディアやオークションサイト、そしてそれを追いかける観衆までもが逆に彼の即興アートの枠組みの中に埋め込まれるような罠(ユーモア)が潜んでいるのです。

私は前回SAPEUR展の際に、世の中を変えるには「笑い」の力が必要だという意見を書きました。
バンクシーは厳密には「笑い」を目的とした表現ではないのかもしれませんが、現代の消費社会で踊らされる人たちが、新聞メディア等資本主義社会の申し子たちによって追いかけられ、またそれを機に新たな即興性が紡がれていくという永遠と途切れることのない皮肉でつながっていっているのです。

いかがでしょうか。
後編ではそのような表現手法をとるバンクシーが実際にどのような作品を残し、どのようなメッセージを発してきているのかに迫りたいと思いますが、前編の最後に、このような覆面芸術家バンクシー、さすがにコロナ禍までは予想できていなかったようで、それを垣間見れる作品を1つご紹介して終わりたいと思います。

それはコロナ感染拡大により国内外のあらゆるところで行動制限がかかる現状を嘆き、彼のInstagram上で公開されました。

※バンクシーInstagram投稿写真より転載

そして、このInstagramには以下のようなコメントが本人から投稿されています。
「My wife hates it when I work from home.(妻は僕が自宅勤務をしているのを嫌がっている)」と。

社会の不条理さという大きな課題に対し、屋外でのグラフィックアートを武器にそれに真っ向から挑んできたバンクシー。そんな彼も1人の人間なんだということことを知ることができる(恐らく唯一の)作品なんじゃないかなと思います。

ただこれがバンクシーからの発信だということを考えるとただの愚痴でないような気もしてきます。
結局、古今東西、人の命を奪うも救うも得体の知れないものではなく、弱い1人の人間だと。

ではでは前編はこの辺で。
いよいよ12月ですね。皆さんはサンタさんに何をお願いしますか?
私は寒いときだけ室内を温暖化してくれる家庭用メタンガスをお願いしようと思います。(それって普通のガスコンロ…と思ったあなた、正解です)
後編も近いうちにアップしますね。お楽しみに!

(マウス)

コメント

タイトルとURLをコピーしました