300年前に消えた幻の花染め、生涯を賭けて生み出した辻が花 山梨:久保田一竹美術館

アートな場所

こんにちは。
このブログを見ていただいている皆さんは、美術館やアート施設を巡るのが好きな方、もしくはこれから色んな所を巡ってみたいと思っていらっしゃる方も多いかと思います。中にはその展示作品に魅了され、何としてでも自分でも描いてみたい、創作してみたいと思い習い事をしてみたり実際に県や市の展覧会に出される方いるのではないでしょうか。

今日ご紹介する作家は、20歳の頃にある展示作品に魅了され、(しかもその魅了された当時既にその技法は日本では失われていた技術であるにも関わらず)生涯をかけてそれを再現、発展させていこうと試行錯誤された方です。

恐らく、展示作品に魅了され、自分もやってみようかなと思った経験がある方ならきっとこの作家の偉大さを感じとれるのではないかと思います。今日はあまり本ブログでは触れられていなかった工芸分野の第一人者、染色工芸家です。では早速。

このブログで紹介する美術館

久保田一竹美術館

・開館:1994年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、県・市観光協会HPより転載)

なお、本館と新館で異なる雰囲気の部屋を用意しているようです。
<本館>

→一竹が四季折々の景色そして宇宙を80枚の連作で表現した「光響」をはじめ、富士をテーマにした作品群、及び代表作品が展示。

<新館>

→こちらは一竹がコレクションした蜻蛉玉(とんぼだま)などを展示。

・場所
久保田一竹美術館 – Google マップ
→富士五湖の1つである河口湖の湖畔から10分ほど歩いたところのようです。

久保田一竹とは

・東京神田の骨董品屋の息子として生まれ、昭和から平成にかけて活躍をした染色工芸家。[1917年(大正6年)生- 2003年(平成15年)没]

・友禅師の小林清に入門、10代の頃は主に人物画や日本画を学ぶ。

・20歳のとき、東京国立博物館で室町時代の染色技法「辻が花染め」の小裂に出会い魅了。その当時すでに失われた染色技法となってしまっていた辻が花を模倣・再現するだけでなく、現代でも通用する独自の技法として復刻することを目指し、その研究に全身全霊をそそぐことを決意。
(参考:辻が花染め)※東京国立博物館 研究情報アーカイブスより転載

太平洋戦争とシベリア抑留

・27歳で太平洋戦争に召集され出兵、敗戦後は31歳で復員するまでシベリアに抑留。抑留中は満足に研究も進められず、防寒具の毛で筆を作って絵を描くなどして窮地を免れようとしていたとか。

辻が花染め研究再開

・1957年、40歳にしてようやく本格的に辻が花の研究に取り掛かれるようになるも、一竹が45歳を迎えた1962年、技術的な観点から伝統的な辻が花を完全に復刻するのは無理だと判断。それ以降「一竹辻が花」として自己流の辻が花を発展。

→いや、45歳で無理だと判断して以降、そこで諦めずに独自の技法を昇華していこうとする熱意、すごすぎませんか?

・その後1977年には、自身初の個展である「一竹辻が花展」を開催。一竹の作品は国内だけでなく海外からも高い評価を受け、1990年にはフランス芸術文化勲章シェヴァリエ、1993年には文化庁長官賞を受賞。

300年前に消えた幻の花染め、生涯を賭けて生み出した辻が花

そんな久保田一竹氏が生涯をかけた研究した辻が花染め、そして45歳で完全な再現は諦めることに至るのですが、この染め方、何がそこまで難しいのか気になりませんか?まずは辻が花染めの定義から。

辻が花染めの定義

「絞り染めを基調として、描き絵・摺箔・刺繍などを併用したもの」

→私が調べた限りでは、これです。超シンプルですね。でもまだ何が難しいかは分かりません。

辻が花染めの歴史

・辻が花の基本となる絞り染めは、奈良時代から日本に伝統的に続く手法、布を結んだり括ったりして染めた初歩的で簡略なものから、絵模様の輪郭を縫い絞って多色に染め分けたものまで様々。中世の公家服飾や、室町時代には禅僧の袈裟などにも用いられた。ただし、他の補助技法との協調、あるいは離反という非常に複雑な展開が錯綜しているため、名称の由来や発生の時期や変化・展開は、ほとんど謎だとか。

→何となくここまでくるとうっすら辻が花染めの難しさが分かったような、分からないような、、

再現不可能な技術

・模様を表すために、複雑な縫い締め絞り・竹皮絞りなど高度な技法を使用。辻が花の技法が何が難しいか…それははっきり言って糸をほどいてみるまで模様がどうなっているのかわからないというところで、現在において当時の技術の完全な再現は不可能といわれ、あくまで「化学的な再現」でのみ類似の表現が行われているそうです。

再現不可能な技術、その理由

①当時は草木を煮出して作った染料を使う草木染めであったこと
②生地が今よりずっと薄かったこと
③木綿糸が無かったために麻糸で絞っていたこと

いずれにしろ、今、当時の技術の完全な再現を試みても、化学染料も木綿糸も使えないため、気が遠くなるような作業になるようです。化学染料も木綿糸も使えない悪条件であったにもかかわらず、美しい辻が花をつくった当時の職人の技術は、計り知れないものなのですね。
(参考)辻が花染め工房 絵絞庵さんのブログ:http://www.tsujigahana.com/tsujigahanablog/%E8%BE%BB%E3%81%8C%E8%8A%B1%E3%81%A8%E3%81%AF/

主な展示作品

<久保田一竹(一竹辻が花)>
  

 

→なお、更に詳しく辻が花染めについて知りたい方は以下のブログが参考になりました。ぜひ参考にされてみて下さい!(すいません、私も工芸はそんなに詳しくないもので…)
・久保田一竹とは?特徴や歴史、辻が花について解説:
https://www.buysellonline.jp/blog/kubota-icchiku

…うーん、日本にはまだまだ秘技が眠っているのですね。技術はテクノロジーの進歩によって継承できるものもありますが、その技術が生まれた背景や心意気、コンセプトはどうしても失われがちになりますよね。そういうものも併せてしっかりと引き継いでいかねばならないと久保田一竹氏の歴史を追う中で感じました。
そんなこんなで今日も大変勉強させていただきました。ではまた。
 
※写真は上でご紹介したブログ「久保田一竹とは?特徴や歴史、辻が花について解説」から転載

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