熊野の自然とつながる場所で未来への創造力を育む 和歌山県立近代美術館

和歌山県

こんにちは。今日ご紹介する美術館、県の総合美術館として明治時代から現代にいたる日本画、油彩画、彫刻、版画など、一万点を越すコレクションを有しています。展示替えしながら、企画展やコレクション展で紹介しており、皆さんも一度は目にしたことある作品があるかもしれません。それでは早速。

このブログで紹介する美術館

和歌山県立近代美術館

・開館:1994年
・美術館外観、内観(以下画像は美術館HP、県観光協会より転載)

→黒川紀章さんの設計です。

・場所
和歌山県立近代美術館 – Google マップ

熊野の自然とのつながる場所で未来への創造力を育む

・1963(昭和38)年に和歌山城内に開館した和歌山県立美術館を前身とする和歌山県立近代美術館。(→珍しい!ここは他館とは異なり逆に「県立美術館」に「近代」を名称としてつけたんですね!)

1970(昭和45)年、和歌山県民文化会館1階に開館、23年間の活動を続けたあと、1994(平成6)年7月、現在の場所に新築移転。和歌山県立近代美術館の個性的な外観は、和歌山城の天守閣を間近に望む緑豊かな環境のなかで、和歌山城と美しいコントラストをなしているそうです。

池や滝が配されている広々とした敷地には熊野古道をイメージした散策路がめぐらされ、館を訪れる人々がゆったりとくつろぎ、楽しめるように工夫されています。また池の中には、天然記念物である根上がり松を背景にした野外ステージを設け、三年坂をへだてた和歌山城との歴史のつながり、黒川紀章氏が設計時に重視した「熊野をイメージした自然とのつながり」を念頭に置いた「共生の思想」が反映された施設となっています。

和歌山県立近代美術館の使命

・芸術は、私たちに楽しさや深い感動、精神的な安らぎをもたらしてくれるものと認識したうえで、芸術作品に触れることで、人は豊かな人間性を涵養し、未来への創造力を自らのうちに育むことができる美術館をめざしているそうです。
和歌山県立近代美術館は、展覧会等を通じて人々に国内外の優れた美術文化に接する機会を提供し、地域や学校と連携しながら各種事業を通じて学校教育や生涯学習を支援、そうした活動を通じて文化による地域作りを活性化し、文化資源の保全と活用を図り、文化芸術を担う人作りの推進に努められています。

基本方針

魅力ある展覧会の開催

・県民に優れた美術作品を鑑賞する機会を提供するため、魅力的な特別企画展・企画展を開催するとともに、充実した館蔵品コレクションを活用して常設展を開催。展覧会は次の4つの方針を標ぼう。
①国内の近現代美術を紹介
②海外の多様な美術を紹介
③和歌山ゆかりの優れた作家を紹介
④現在活躍している若手作家を紹介

調査・研究の充実を図り成果を公表し反映する

・美術史等の研究に寄与するため、充実した調査・研究を行い、その成果を展覧会や教育普及活動等に反映させ、印刷物、インターネット等を通して公開。

作品・資料の収集

・美術作品収集方針に沿って作品・資料の収集を行い、県民の文化遺産のさらなる形成に努める。

所蔵作品・資料の状態調査、保存修復、保存環境の整備

・収集した作品・資料を文化財として活用し、文化遺産として未来に伝えるため、状態調査及び保存修復、保存環境の整備に努める。

地域と連携し学校教育や生涯学習を支援

・地域の学校と連携して、子どもたちが団体鑑賞、体験的プログラムに参加できる環境を整備することによって、また鑑賞教材の作成等を通じて、幅広い学習支援を実施。多様化する県民の関心に応えるため、ワークショップや解説会への参加等を通して生涯学習を支援。またボランティアや友の会との協働を図り、他の県立博物館施設をはじめとする生涯学習施設・関係機関・団体等と連携する。

国内外の美術館や関連組織等と連携し、多様な活動を展開

・これまで深めてきたわが国の美術館や関連組織等との信頼関係を基に、さらなる学術交流を行い、より質の高い、幅広い事業を展開する。国内外の美術館に所蔵作品・資料を貸し出すことにより、当館の優れたコレクションの魅力を発信。本県の美術文化の発展並びに博物館活動を通じて広く知的資源の蓄積に寄与できるよう努める。

利用者が安全で快適に利用できるような美術館運営

・すべての利用者が安全で快適に利用できるよう、施設・設備の維持管理を行うとともに、危機管理、安全、アメニティーに対する職員の意識向上に努める。また施設の美観の保持と衛生管理に努める。

→どうでもいいですが、和歌山県立美術館のコンセプト…少し表現が固いのと、「努める」という曖昧表現が多用されているのが気になります。「努める」のではなく、ぜひ実行してもらいたいですね。

自主企画展の開催

・そんな和歌山県立近代美術館と前身の和歌山県立美術館、自主企画展に力を入れられているそうです。ホームページには、自主企画展で取り上げた美術家が載っていました。

※意外と知られていませんが、美術館の展覧会はブロックバスターと言われる美術館外の新聞社やテレビ局、広告代理店など外部から買ってくる展覧会も数多く開催されています。美術館としても効率的に集客を見込める一方で、館内にノウハウが蓄積されない、郷土ゆかりの作家との関連が薄く公立美術館としての使命が果たせないなど指摘されることも。

・野長瀬晩花(日本画)
・建畠大夢(彫刻)
・原勝四郎(洋画)
・石垣栄太郎(洋画)
・ヘンリー杉本(洋画)
・川口軌外(洋画)
・吉田政次(版画)
・硲伊之助(洋画)
・木下孝則(洋画)
・木下義謙(洋画)
・田中恭吉(版画)
・川端龍子(日本画)
・日高昌克(日本画)
・神中糸子(洋画)
・村井正誠(洋画)
・高井貞二(洋画)
・恩地孝四郎(版画)
・逸見享(版画)
・下村観山(日本画)
・建畠覚造(彫刻)
・稗田一穂(日本画)  など。

・他にも郷土の美術家とその活躍した時代をテーマとしたシリーズとして、「1910年代における京都日本画の新動向展」(昭和51年)や「開館十周年記念 1930年協会の作家たち展」(昭和55年)や同58年の「和歌山の作家と県内洋画壇展(1912~1945)」を開催、それら自主企画展を契機に作家、遺族、所蔵家から作品を譲り受け、それらの作品資料を基礎にしてまた新たな視点で自主企画展を開催する。こうした積み重ねの中で郷土作家を中心とするコレクションと資料の核が形成されていったそうです。

昭和58年からは関西の現代美術家を軸とする展覧会のシリーズも開始。「津高和一・泉茂・吉原英雄展」をはじめ、「関西の美術家シリーズ」は平成3(1991)年まで8回を数え、27名の作家を紹介するまでに。戦後の関西に興った前衛美術運動「走泥社」(陶芸)、「パンリアル美術協会」(日本画)、「デモクラート美術家協会」(洋画・版画)、「具体美術協会」(洋画)等で活躍した美術家をはじめとする作品も展覧会を契機に取得、戦後美術コレクションの核となります。

和歌山県立近代美術館と近現代版画のコレクション

・1970年代後半に入ると大型の公立美術館が全国各地に建設、個性的な美術館活動を競い始めた時期で、和歌山県でも郷土作家コレクション、戦後美術コレクション以外に新たな収集の柱を加えることはできないかと検討が重ねられました。その中で選ばれたのは版画だったそうです。

その理由は、本県ゆかりの美術家には、我が国の版画界の指導者であった恩地孝四郎、恩地と共に版画集『月映』を刊行した田中恭吉、日本創作版画協会や日本版画協会で活躍した逸見享、硲伊之助、また戦後の国際的な版画展で受賞を重ねた吉田政次、浜口陽三、村井正誠といった近現代版画史を飾る重要な美術家たちが多くいるからだったそう。

また版画は他のジャンルに比べ安価なため、優れた作品を収集できる可能性が高いと考えらました。こうして、近代美術館は、昭和55(1980)年頃から本格的に版画作品の収集を行い、同60年に第1回展が開催された「和歌山版画ビエンナーレ展」は、版画に関するコレクションと活動に厚みを加えるとともに、多くの人々に版画芸術についての理解を深めてもらうきっかけになったそうです。

コレクションについて

・平成元年からは海外の作家も収集の対象とし、日本画・洋画・彫塑・工芸・写真など広範な領域の作品収蔵を開始。マーク・ロスコの《赤の上の黄褐色と黒》やフランク・ステラの《ラッカⅢ》、ジョージ・シーガルの《レンガの壁沿いに歩く男》などのほか、版画についてはパブロ・ピカソの《貧しき食事》《ミノトーロマシー》《泣く女》をはじめ、ルドン、ムンク、クレー、カンディンスキーなど、作品1,343点が27億4,664万円の基金で取得。昭和45年の近代美術館の開館当時83点であった所蔵品は、新しい美術館に移転する前の平成6年3月末には5,839点に増加。うち購入は3,232点、寄贈は2,607点との事。(近代美術館は用地費用54億円を含めて134億円、県立博物館58億円で、両館の敷地面積は23,356.78平方メートル、地上2階、地下1階の近代美術館の建築面積は4,500.62平方メートル、延床面積は11,837.90平方メートル…なんかそんな数字の詳細がホームページに載っていました。珍しいですね…珍しいのであえて載せました 笑)

ちなみに「美術作品・資料の保存事業については、平成12年にIPM(総合的文化財虫菌害管理)の手法を導入し、虫菌害と保存環境の調査及び必要最小限のガス燻蒸の組み合せによる最新の保存処置」とありました。平成12年に導入した手法が最新の保存措置なのかどうか…もはや私に知識がなくわかりませんが、もし詳しい方いたら教えてください。

主なコレクション

・和歌山県は川口軌外や野長瀬晩花など、1970年の開館以来、和歌山県ゆかりの作家の展覧会を開催しながら、郷土作家コレクションの充実を図っています。和歌山ゆかりの作家には、浜口陽三や田中恭吉、恩地孝四郎など、日本の近代版画史に足跡を残している作家も多く、1980年頃から近代・現代版画の収集・紹介に力を入れ、現在では国内でも屈指のコレクションを誇ります。海外の版画についてもピカソ(Pablo Picasso)やルドン(Odilon Redon)などの作品を所蔵。さらに、1983年に始まった企画展「関西の美術家シリーズ」をきっかけに、戦後の関西に興った前衛美術運動、「走泥社」(1948 陶芸)、「パンリアル美術協会」(1948 日本画)、「デモクラート美術家協会」(1951 洋画・版画)、「具体美術協会」(1954 洋画)などで活躍した作家の作品収蔵をスタート。現代美術コレクションの形成に努めています。1989年からは、わが国だけでなく海外の作家も収集の対象に。マーク・ロスコ(Mark Rothko)やフランク・ステラ(Frank Stella)、ジョージ・シーガル(George Segal)をはじめとするコレクションを有しています。

郷土作家コレクション

<神中糸子>

<川口軌外>

<石垣栄太郎>

<稗田一穂>

<野長瀬晩花>

<田中恭吉>

<建畠大夢>

近代・現代版画コレクション

<山本鼎>

<橋口五葉>

<戸張孤雁>

<エドヴァルド・ムンク>

<ワシリー・カンディンスキー>

<パウル・クレー>

現代美術コレクション

※残念ながら画像はHPにありませんでしたので一覧だけ載せておきます。
〔日本画〕
大野 俶嵩 《TWO FORMS》1956年
下村良之助 《鳥のほこら》1965年
星野 真吾 《喪中の作品 A》1965年
三上  誠 《経路・暦》1968年

〔洋画〕
須田国太郎 《風景》1950年
菅井  汲 《雷神》1958)
難波田龍起 《緑の空間》1960年
元永 定正 《作品》1964年
山口 長男 《連》1965年
荒川 修作 《The ObserverContinues》1965-66年
白髪 一雄 《平治元年12月26日》1966年
マーク・ロスコ 《赤の上の黄褐色と黒》1957年
トム・ウエッセルマン 《シースケープ#8》1966年
フランク・ステラ 《ラッカ III》 1968年
ヴィクトル・ヴァザレリ 《ピソール》1978年
マーク・ボイル 《黒いふちの石の研究》1980-81年
クリスト 《ポン・ヌフ》1985年

〔写真〕
杉本 博司 《日本海 北海道I》 1988年
シンディ・シャーマン 《無題》1983年
バーバラ・クルーガー 《無題》1988年

〔彫塑〕
豊福 知徳 《円柱 I》 1965年
堀内 正和 《人差指》1965年
三木 富雄 《耳》1965年
柳原 義達 《道標・鳩》1973年
戸谷 成雄 《森》1986年
バーバラ・ヘップワース 《弦を張った円板》1969年
ルイーズ・ニーヴェルソン 《北の星》1977-82年
イサム・ノグチ 《考える議長》1978年
アンソニー・カロ 《ライン川流域》1986-87年
ジョージ・シーガル 《煉瓦の壁ぞいに歩く男》1988年
バリー・フラナガン 《ねじまがった釣鐘の上で跳ねる野兎》1989年

〔陶芸〕
山田  光 《陶面の中の数字》1976年
八木 一夫 《陰気な暦》1977年
鈴木  治 《馬》1984年

玉井一郎コレクション

・大阪府阪南市に生まれ、和歌山市で医師として務められた玉井一郎氏のコレクション。和歌山県立近代美術館友の会会長など様々な役職を歴任。、1980・83・90・94年の4次にわたって寄贈を受け、佐伯祐三(洋画13点、素描1点)を軸に、原勝四郎(洋画21 点)、ジャコモ・マンズー、エミリオ・グレコ、山本豊市(各彫塑1点)、瑛九(版画239点)の作品、計277点を収蔵。
<佐伯 祐三>

和歌山県立近代美術館、想像以上のボリューム感でした。途中批判めいたこと言いましたが、逆にここまで自館の歴史やコンセプト、そしてそのコンセプトについて丁寧に書かれてある美術館はここが初めてかもしれません。キャッチーな言葉ではないかもしれませんが、しっかりとそれを記録・記憶していくという意味では、真面目なまるで好青年(?)のような美術館なのかもしれません。そんなこんなで今日はここまで。これからも本ブログ「絵本と、アートと。」をよろしくお願いします。

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