皇居お濠に面した帝劇ビル9階に位置、大手石油元売の創業者が70余年の歳月をかけて蒐集した美術品を展示・公開 東京:出光美術館

東京都

こんにちは。今日ご紹介する美術館は福岡県でご紹介した出光美術館(門司)の東京本館とも言うべき美術館です。
こうやって東京に立地する美術館は、各地方で拠点を構える美術館・美術の歴史の系譜の源流にあたるような美術館(言うなれば親玉みたいな館)が多く立地するのも特徴ですね(地方在住の私としては羨ましい限りです)。

 さて、出光美術館(門司)の方は、創業者:出光佐三ゆかりの地で、その生涯の軌跡を紹介する「出光創業史料室」が併設されているのが特徴でした。※明治44年(1911年)、門司において機械油の販売店「出光商会」を開店したのがはじまりでしたね。

 そして出光美術館(東京)の方は、東京都千代田区丸の内に開館、皇居のお濠に面した帝劇ビルの9階に位置しています。この帝劇ビル、日比谷濠に面した三菱地所の所有で、東宝が建物を所有する帝国劇場との合築なのが特徴です。かつて出光興産株式会社も美術館の下階(4〜8階)に本社を置いていました。

 そんな建物と共に長い歴史をもつ美術館、早速みていきましょう。

このブログで紹介する美術館

出光美術館

・開館:1966年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、都、観光協会HPより転載)

・場所:出光美術館 – Google マップ

皇居お濠に面した帝劇ビル9階に位置、大手石油元売の創業者が70余年の歳月をかけて蒐集した美術品を展示・公開

・ 出光興産の創業者であり、美術館創設者の出光佐三(1885−1981)が70余年の歳月をかけて蒐集した美術品を展示・公開するため、昭和41年(1966)、東京都千代田区丸の内に開館。

 美術館は皇居のお濠に面した帝劇ビルの9階に位置。開館当初の伝統的な和の雰囲気を残しつつ、その後の改装を経て、ビルのワンフロアであることを感じさせない落ち着いた空間つくりに専念されています。展示は日本の書画、中国・日本の陶磁器など東洋古美術が中心。

 テーマに沿った内容で、年6回の展覧会を開催。併設として、コレクションを代表するルオーの作品を紹介する専用展示室があるほか、アジア各国および中近東の陶片資料を集めた陶片室は、充実した陶磁器コレクションをもつ出光美術館ならではの施設となっています。

主なコレクション

仙厓


〇詳細ページ:http://idemitsu-museum.or.jp/collection/sengai/

絵画

詳細ページ:http://idemitsu-museum.or.jp/collection/painting/

やまと絵

伴大納言絵巻  ※国宝

真言八祖行状図 ※重要文化財

画/伝 藤原信実 詞書/伝 後京極良経「佐竹本三十六歌仙絵『柿本人麿』」※重要文化財

四季花木図屏風 ※重要文化財

水墨画

能阿弥「四季花鳥図屏風」※重要文化財

琳派

画/俵屋宗達、詞書/烏丸光広「西行物語絵巻」※重要文化財

風俗画

祇園祭礼図屏風 ※重要文化財

江戸名所図屏風 ※重要文化財

肉筆浮世絵

英一蝶「四季日待図巻」※重要文k財

喜多川歌麿「更衣美人図」※重要文化財

文人画

池大雅「十二ヵ月離合山水図屏風」※重要文化財

浦上玉堂「雙峯挿雲図」※重要文化財

田能村竹田  「梅花書屋図」 ※重要文化財

与謝蕪村「山水図屏風」※重要文化財

中国絵画

牧谿「平沙落雁図」※重要文化財

玉澗「山市晴嵐図」※重要文化財

書跡

詳細ページ:http://idemitsu-museum.or.jp/collection/calligraphy/kana/01.php

かな書

古筆手鑑「見努世友」※国宝

伝 紀貫之「高野切第一種」※重要文化財

伝 小野道風「継色紙」※重要文化財

伝 西行「中務集」※重要文化財

墨書

無準師範「禅院額字『選佛場』」※重要文化財

宗峰妙超「偈頌」 ※重要文化財

芭蕉

陶磁器

詳細ページ:http://idemitsu-museum.or.jp/collection/ceramics/

中国陶磁

南宋官窯「青磁下蕪瓶」   ※重要文化財

朝鮮陶磁

青磁象嵌蒲柳水禽唐子文浄瓶

日本陶磁

桃山時代「絵唐津柿文三耳壺」 ※重要文化財

柿右衛門「色絵花鳥文八角共蓋壺」※重要文化財

尾形乾山「銹絵染付金銀白彩松波文蓋物」 ※重要文化財

茶道具

野々村仁清「色絵芥子文茶壺」※重要文化財

本阿弥光悦「赤楽兎文香合」※重要文化財

工芸品

中国 元時代「螺鈿楼閣人物図稜花食籠」※重要文化財

室町時代「金銅蓮唐草文透彫経箱」※重要文化財

小川破笠「春日野蒔絵硯箱 柏に木菟蒔絵料紙箱」※需要文化財

詳細ページ:http://idemitsu-museum.or.jp/collection/crafts/

近代の作家

詳細ページ:http://idemitsu-museum.or.jp/collection/artist/

小杉放菴

 
 
→以前、栃木県で小杉放菴記念日光美術館を取り上げましたね。詳細まだの方はぜひご覧ください。

板谷波山


ジョルジュ・ルオー

 

→いかがでしょう。ルオーのコレクションを有しているのは全国でも珍しいかもしれません。パナソニック汐留美術館が「ルオー・ギャラリー」を持つことで有名ですが、この出光美術館とセット見るとなお理解が深まるかもしれませんね。

ルオー展示室

・出光美術館のルオー作品は、初代館長出光佐三氏とルオーの油彩連作《受難》との出会いをきっかけとして蒐集が開始、現在では質量ともに世界有数のコレクションとして知られています。出光美術館では、出光佐三氏の遺志をつぎ、常時5~7点の油彩を中心とした作品を展示しています。

ジョルジュ・ルオーとは

・フランスの画家、版画家。ピカソ、マチスたちとともに20世紀を代表する画家の1人。
1871年、パリに家具職人の息子として生まれる。1885年からステンドグラス修復の工房に徒弟修業し、かたわら装飾美術学校の夜間コースに学ぶ。1890年、絵画に専念することを決意し、エコール・デ・ボーザールのエリ・ドローネーの教室に学び、1892年よりドローネーの後任ギュスターブ・モローの教えを受ける。

 モローの推挙でローマ賞を志すが二度にわたり失敗、学校をやめたあとリギュジェの修道院に入り、ここでユイスマンスたちと知り合い、内面的、宗教的な感情を養う。1898年のモロー没後に旧宅に設置されたモロー美術館の館長を務め、1903年のサロン・ドートンヌの創立に参加。このころからルオーは、修業時代の基本的にはアカデミックであった主題と画法を捨てる。この、第一次世界大戦前後に至る初期には、尊敬する師モローの作品の影響下に水彩を主とし、幅の広い動的な筆触、青を基調とする色彩に託して、社会的な不正義に対する怒りと悲しみを、道化、娼婦、裁判官、郊外の貧しい人々などの主題で描く。『鏡の前の娼婦』(1906・パリ国立近代美術館)などがその代表作。それらは筆触の強さ、色彩の表現性で、同時期のフォービスム、あるいはピカソの「青の時代」と類縁性をもつが、独自な精神性を備え、フランスにおける表現主義の表れとみることができる。

 1917年、彼は画商ボラールと専属契約を結び、以後、『ミセレーレ』(1917~27制作、1948刊)などの連作版画集に制作の大半の時間を費やしている。油彩を中心とするルオーの中期の制作もこのころに始まる。版画技法の習熟から得た広い筆触による隈(くま)取り、透明感のある緑・青・褐色を厚塗りする激しいマチエールなどの手法が用いられ、引き続き娼婦、道化、裁判官などの主題が描かれるが、初期における罪、絶望の表現とは異なり、静かな内面的世界が描かれる。

 とくに、30年代以降、キリスト教的なテーマが多くなり、それらが、しばしば道化、裁判官、郊外などのテーマと合体し、救済と恩寵(おんちょう)の世界へと転換してゆき、中世、ルネサンス以降、真の意味での宗教画家としてのルオーの世界が成立する。代表作は『ベロニカ』(1945・パリ国立近代美術館)など。

 1945年のフランス東部のアッシーの教会のためのステンドグラスなども注目される。1952年ごろからの晩年の作品は、主題も多様化し、色彩も赤、黄色などが多くなり、マチエールの深さと相まって輝くようなきらめきを生んでいる。ボラールの死後、訴訟を起こして未完の旧作を取り戻し、1948年にはそのうち315点を焼くという、ルオーの完全主義を物語る事件もあった。

 1958年2月13日パリの自邸に没し、国葬が行われた。 連作版画集『流星のサーカス』(1938)、『受難』(1939)などのほか、リトグラフ挿絵入りの『私的な思い出』(1925)、『独言』(1944)の著作もある。死後未完の作品約200点がパリ国立近代美術館に納められた。

陶片室

・日本をはじめアジア各地の遺跡や窯跡から出土した世界各地の貴重な陶片資料を常時展示。やきものの新たな魅力やおもしろさを発見できる出光美術館ならではの展示室です。なお、美術館のHPには以下の通り、本展示室を開設したコンセプトや設立の想いが載っていましたので転載しておきます。
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・出光美術館の陶片室は、古陶磁を学ぶための特色ある展示室として、昭和41年(1966)の開館と同時に開設されました。本館では、伝世する名品の展観とあわせて、古陶磁の魅力や歴史をより深く理解するために、そのうつわが焼かれた窯跡や使われた生活遺跡から出土した、いわゆる陶片を重要視してきました。

 この展示室には、アジア諸地域の古窯跡あるいは重要な都市・港湾遺跡などから発見された古陶磁片を陳列しています。日本各地の古陶磁片(猿投窯・中世六古窯・美濃窯・古唐津・伊万里・鍋島など)はもとより、朝鮮半島・中国・ベトナム・タイ・イラン、さらにはエジプトの中世遺跡であるフスタートから出土した貴重な陶片などを多数ふくんでいます。

 日本の陶磁史研究において陶片資料を使って大いなる業績を残したのが、出光美術館理事であり国際的にも著名な2人の学者、小山冨士夫先生(1900~1975)と三上次男先生(1907~1987)です。この2人の先達の学識こそが、当館の陶片コレクションには貫かれているのです。

 とくに陶片室の開設に尽力されたのは、小山先生でした。小山先生の中国宋代の名窯、定窯々跡の発見は世界的に有名で、また国内では中世の古窯跡を調査し、「中世六古窯」の概念を確立させました。昭和初期以来続けられた古窯跡調査や陶片を利用した科学的な研究方法は、国内の研究者に広く影響を与え、現在の陶磁研究の方法論の基礎を成しています。

 さらに、三上先生は、中国の古陶磁片を調査研究することで壮大な学説を提唱されました。出光中東調査団のエジプト・フスタート遺跡調査(1964年)に端を発する東西の貿易ルートの調査により、「陶磁の道(海のシルクロード)」という概念を確立させたのです。現在では「絹の道」とならび、「陶磁の道」は世界的な貿易ルートとして認識されるに至っています。

 本館は、これからも小山・三上両先生の遺志を継いで、研究資料としての内容を充実させるとともに、多くの皆さまに陶片の鑑賞を楽しんでいただけるような展示を目指し、陶片室の充実に努めてまいります。興味をもって古陶磁を学んでいただく機会となれば幸いです。
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茶室「朝夕菴」

・また、出光美術館には茶室も設置されています。こちらは金沢出身の建築家、故:谷口吉郎氏の設計ですが、い以前のブログで石川県立美術館(旧館)を設計したこともご紹介しました。美術館HPには「昭和50年(1975)、表千家家元即中斎宗匠を迎え『朝夕菴』披きの茶会を行った。」との記載がありました。

…いかがだったでしょうか。出光美術館。門司の別館では掲載できませんでしたが、最後に恒例の美術館の母体である出光興産の年表を載せて終わりたいと思います。

(参考)出光興産株式会社 年表

・1911年(明治44年)6月20日 – 福岡県門司市(現在の北九州市門司区)にて「出光商会」として創業。
・1938年(昭和13年)12月 – タンカー日章丸一世(1万4千重量トン)就航(1944年(昭和19年)2月戦没)。
・1940年(昭和15年)3月30日 – 出光商会が出光興産株式会社を設立、「事業を通じて人間を育てる」という企業理念から。
・1947年(昭和22年) 8月 – 石油配給公団の販売店に全国29店が指定され石油業に復帰。 11月 – 出光商会を合併。
・1949年(昭和24年)4月1日 – 石油元売業者に指定。
・1952年(昭和27年)5月 – アポロガソリン販売開始。
・1953年(昭和28年)5月9日 – 日章丸事件が発生。
・1957年(昭和32年)3月17日 – 徳山製油所が操業開始。旧・海軍第3燃料廠跡地で、10か月の工期で完成。
・1961年(昭和36年)5月1日 – 中部電力・三菱商事などと共同で、東邦石油株式会社を設立。
・1962年(昭和37年)10月7日 – 当時世界最大の13万9千重量トンタンカー「日章丸三世」を建造。
・1963年(昭和38年) 1月31日 – 千葉製油所が操業開始。11月12日 – 生産調整に反対し、石油連盟を脱退(1966年(昭和41年)10月1日復帰)。
・1964年(昭和39年) 9月 – 石油化学部門を分離し、出光石油化学を設立。 10月 – 出光石油化学徳山工場が竣工。
・1965年(昭和40年)1月 – 自動車用潤滑油「アポロイル」シリーズ販売開始。
・1966年(昭和41年)12月 – 世界初の20万トン級VLCC(超大型タンカー)「出光丸」(20万9千重量トン)を就航。建造を担当したのは石川島播磨重工業横浜工場(現・ジャパン マリンユナイテッド磯子工場)。
・1967年(昭和42年) 9月 – 千葉製油所に世界初の重油直接脱硫装置を竣工。 11月 – ハイオクガソリン「出光100ガソリン」発売。
・1970年(昭和45年)11月21日 – 兵庫製油所が操業開始。
・1972年(昭和47年)6月 – 沖縄石油精製(現・沖縄石油)に資本参加。
・1973年(昭和48年) 7月7日 – 出光石油化学徳山工場にてエチレン装置アセチレン水添塔爆発炎上。社員1名死亡。10月1日 – 北海道製油所が操業開始。
・1975年(昭和50年) 2月 – 出光石油化学千葉工場が竣工。 10月1日 – 愛知製油所が操業開始。以降日本では製油所が建設されておらず、最も新しい製油所である。
・1976年(昭和51年)7月 – 日本初の海底油田、阿賀沖油ガス田の生産開始(1998年に生産終了)。
・1983年(昭和58年)9月1日 – 無鉛ハイオクガソリン「出光無鉛金アポロガソリン」発売。
・1984年(昭和59年)10月 – 当時の日本最大の海底油田、阿賀沖北油田の生産開始(1993年に生産終了)。
・1986年(昭和61年)7月1日 – アルキレート配合のハイオクガソリン「出光NEW金アポロガソリン」発売。
・1987年(昭和62年) 5月7日 – 愛知製油所に日本初の重油流動接触分解装置竣工。 6月20日 – 「出光100ガソリン」(愛称・アポロ100)が無鉛ハイオクで再度発売。
・1993年(平成5年)12月1日 – 環境対応ガソリン「出光ゼアス」・「出光スーパーゼアス」発売。
・1994年(平成6年)10月 – 北海道製油所に日本初の重質軽油水素化分解装置竣工。
・1995年(平成7年) – 日本初のダブルハル(二重殻)VLCCタンカー「スーパーゼアス」建造。
・1996年(平成8年) 3月 – 「ゼアス」シリーズがガソリンで初めてエコマーク商品に認定。 10月 – 自動車用新潤滑油「出光ゼプロ」シリーズ発売。
・1997年(平成9年) – 「ゼアス」シリーズが長野オリンピックの公式ガソリンとなる。
・1998年(平成10年)2月 – 全製油所・工場で「ISO14001」の認証を取得。
・2000年(平成12年) – CVTトラクションオイルの実用化に成功。
・2003年(平成15年) 4月4日 – 兵庫製油所閉鎖。 9月 – 十勝沖地震で被災した北海道製油所にてナフサタンク火災。10月1日 – クレディセゾンとの包括提携により出光クレジットを合弁会社化。翌年「出光カードまいどプラス」の発行を開始。
・2004年(平成16年)8月1日 – 出光石油化学を合併。
・2005年(平成17年) 1月 – サルファーフリーガソリン販売開始。 10月 – 第三者割当増資を実施。その際、出光佐三の弟・出光弘が創業した「新出光」が出資し、初めて両社に資本関係が生じる。

・2006年(平成18年) 3月 – 社名ロゴが明朝体から変更。また、アポロマークの図柄をマイナーチェンジ。旧図柄は耳の部分が「いでみつ」「こうさん」「さぞう」の3つから「3」であったが改められた。アポロマークを囲っていた円も、普通の円からやや右に倒れた楕円形となった。 4月1日 – LPガス部門の出光ガスアンドライフと三菱液化ガスが合併し、アストモスエネルギーが発足。 10月24日 – 東証一部に上場。上場に伴い、創業家は経営から完全に撤退し、かつ関与しない体制が確立。

・2007年(平成19年)4月19日 – 有機EL材料を製造する御前崎製造所が操業開始。上場会社にふさわしい強靭な体制を目指し、急ピッチな組織再編を推進。
・2009年(平成21年) 7月1日 – 販売会社16社を統合し、出光リテール販売が設立される。 9月29日 – 創業100周年事業の一環として福岡県北九州市門司区東本町に会社発祥の地を伝える記念碑を建設。

・2011年(平成23年) 6月20日 – 創業100周年。 6月 – 創業100周年記念として、長年出光バッテリーとして愛された“出光スーパーダイハード”(GSユアサ製)から、パナソニックストレージバッテリーからのOEM商品“ZAXIA”に変更、販売開始。 2016年にパナソニックからGSユアサにパナソニックストレージバッテリーの株式が売却され、商号がGSユアサエナジーに変更されたことに伴い、パナソニックの系譜を持つ商品のままでありながら供給元の資本が回帰した。 9月5日 – 米国での潤滑油生産能力を1.5倍に増強し、2013年末までに年間生産能力を10万キロリットルにすると発表。総投資額は約15億円。


・2013年(平成25年)11月1日 – 同社初の太陽光発電所(メガソーラー)の門司発電所を営業運転開始。

・2014年(平成26年) 3月4日 – 門司発電所に続く太陽光発電所(メガソーラー)、姫路発電所の営業運転開始。 3月14日 – 徳山製油所の原油の精製を終了(製油所の名称廃止は31日)。11月 – 北海道製油所が緑化優良工場として経済産業大臣賞を受賞。 12月20日 – 近年の石油業界における経営環境の変化に伴い、業界再編の必要性を国が指摘したことから業務提携先である同業大手・昭和シェル石油との両社間で経営再編についての検討を開始したことを公式発表。

・2015年(平成27年)7月30日 – ロイヤル・ダッチ・シェル(現・シェル)から昭和シェル石油株式の33.3%を1691億円で取得し、筆頭株主となることを発表。

・2016年(平成28年) 1月5日 – 出光フォルモサ(台湾)を設立。8月29日工場が竣工。 12月19日 – ロイヤル・ダッチ・シェルから昭和シェル石油株式の31.3%を取得し、筆頭株主となる。当初予定の33.3%から引き下げたのは、出光興産の創業家が昭和シェル石油の株式を取得したことにより、株式公開買付けの規制に抵触する恐れがあるため。

・2017年(平成29年) 4月 – 2017年(平成29年)4月までに昭和シェル石油との統合を目指していたが、創業家から合併に反対され延期。 7月3日 – 国内外で公募による増資を実施し約1,400億円を調達すると発表。発行済み株式の約3割にあたる4,800万株の発行となるため、合併阻止に動く創業家の持ち株比率を三分の一より下回らせ、合併を単独で否決できないようにする効果があった。 7月4日 – 公募増資の発表を受け、創業家は東京地方裁判所に対し株式発行の差し止めの仮処分を申請。 7月18日 – 創業家の仮処分申請に対し東京地裁(大竹昭彦裁判長)は、申し立てを却下する旨の決定を下す。 7月19日 – 東京地裁の決定に対し創業家は東京高等裁判所に即時抗告を申し立てたが、東京高裁は即時抗告を棄却する決定を下す。 7月20日 – 増資を完了。


・2018年(平成30年) 4月 – 合併に先行して出光と昭和シェルの主要事業を事実上統合。両社から約300人が参加して新組織を立ち上げる。 7月10日 – 昭和シェルと経営統合に関する合意書を締結。創業家との間にも合意書を締結。また、自己株式の取得も発表。10月16日 – 昭和シェル石油とともに、2019年(平成31年)4月1日付で経営統合を行うことを発表。同時に株式交換により昭和シェル石油を完全子会社化することを発表。


・2019年(平成31年・令和元年) 4月1日 昭和シェル石油と経営統合を実施。同時に株式交換により昭和シェルを完全子会社化。 日本語の公式サイトのドメインを「idemitsu.co.jp」から「idss.co.jp」に変更。 7月1日 – 昭和シェル石油の事業を統合。9月5日 – 出光フォルモサで樹脂の生産を開始。


・2020年(令和2年) 3月9日 – シェル・インターナショナルとシェルブランド潤滑油事業の譲渡に関する協議を開始。 4月1日 – 昭和シェル石油と同社従業員との間の雇用契約に関する権利義務を承継。 6月19日 – サービスステーション(系列給油所)のブランド名を2021年(令和3年)4月より「apollostation(アポロステーション)」へ刷新・統一すると発表。7月 – コーポレートブランドを刷新し、アポロマークも囲っていた円を外したものへ14年ぶりに一新。阪神甲子園球場両ベンチ屋根上の広告から採用され、同年8月からはテレビCMの一部、提供スポンサー表示も「出光昭和シェル」から「(新アポロマーク)idemitsu」、読み上げも「出光興産」または「出光」に変更。さらに同年9月からは公式サイト上の体裁も変更され、公式サイト上での「出光昭和シェル」の表示は会社情報等を除くとシェルブランドに関わるもののみになった。 非接触決済ツール「DrivePay」を開始。この時点ではDrivePayと昭和シェル石油で利用可能なShell EasyPayとの相互乗り入れは行われない。 7月3日 – 昭和シェル石油がRSエナジーに商号変更。 8月6日 – シェル・インターナショナルの関係会社のシェル・オーバーシーズにシェルルブリカンツジャパンの株式譲渡契約を締結。 10月1日 – 旧昭和シェル系でシェルブランドSS向けに自動車関連商品や店舗備品を取り扱う株式会社ライジングサンが出光ブランドSS向けに同様の事業を行うアポロリテイリング株式会社と合併し、アポロリンク株式会社となる。同様にライジングサンの保険事業を出光保険サービス株式会社に移管。 11月24日 – 「apollostation」のサービスや店舗デザインなどの詳細を発表。従来の「出光」「昭和シェル」両ブランドを「apollostation」に統合し、旧系列の会員カードの相互利用を可能にする一方で、「出光カードまいどプラス」の後継となる新会員カード「apollostation card」の会員募集も開始する。共通ポイントに関しても出光の楽天ポイント、昭和シェルのPontaがそれぞれのSS(一部SSを除く)及び「apollostation」SSで使用可能になる。エンジンオイルも出光ブランドSSで取り扱われる「ゼプロ」を「apollostation oil」にリブランドし、シェルブランドSSで取り扱われるエンジンオイルは店舗ブランド切り替えをもって従前の「HELIX」から「apollostation oil」に切り替えとなる。 12月21日 – 本社機能をOtemachi One タワーに集約移転[17]。 12月30日 – シェル・オーバーシーズにシェルルブリカンツジャパンの株式を譲渡。これに伴い、2021年(令和3年)1月5日に出光の台場オフィスおよび旧昭和シェルと同一の港区台場からシェルの日本法人であるシェルジャパンと同一の千代田区丸の内に移転。千葉事業所における1,4-ブタンジオール(BDO)の生産を終了、その後同製品を製造・販売するBASF出光のBASFとの合弁契約を解消し、BDO事業より撤退。


・2021年(令和3年) 3月1日 – アポロリンク株式会社が出光興産の旧帝劇本社に移転。 3月3日 – 日本語の公式サイトのドメインを英語版と同じ「idemitsu.com」に統合し、日本語版と英語版はディレクトリ(それぞれjpとen)で区別するように変更。 4月 – 「apollostation」の展開を開始。2023年(令和5年)までにサービスステーションのブランド統一を完了予定。それに連動し、ブランド切替時をもって、ガソリン・軽油・灯油の名称を「出光スーパーゼアス」・「出光ゼアス」・「出光軽油」・「出光灯油」から「apollostation(ハイオク・レギュラー・軽油・灯油)」に切り替える。シェルブランドSSで取り扱われるハイオクガソリンも「shell V-power」・「shell premium」から「apollostation ハイオク」に切り替わる。 DrivePayとEasyPayの相互乗り入れを開始。 出光興産とライオンの合弁企業である出光ライオンコンポジットの合弁契約を解消し、完全子会社化。 7月1日 – 出光ライオンコンポジットの商号を出光ファインコンポジットへ変更。 7月30日 – 新プライベートブランド「ZERIOUS」(ゼリオズ)を発表。 8月2日 – 株式交換によりエス・ディー・エス バイオテックを完全子会社化。 10月1日 – 燃料油・潤滑油製品を販売するリーフエナジー株式会社が同業のエスアイエナジー株式会社と合併し、出光エナジーソリューションズ株式会社となる。なお、リーフエナジーは旧・昭和シェル系、エスアイエナジーは旧・出光系である。


・2022年(令和4年) 4月1日 – 旧昭和シェルから引き継いだ平面作品の公募展「シェル美術賞」を「Idemitsu Art Award」に改称。 10月1日 – ENEOSから同社知多事業所の石油化学製品製造設備を譲受し、愛知製油所を愛知事業所に改称。 12月15日 – 株式売渡請求により東亜石油を完全子会社化。

・2023年(令和5年) 4月1日 – 出光リテール販売が中央シェル石油販売を吸収合併。

 

→ いかがでしょうか。さすが創業100年を超える企業、色んなことが起きましたね。個人的に印象的なのは出光佐三の半生を描いた小説「海賊とよばれた男」でも出てきた1963年の石油連盟脱退でしょうか。(政府の減産調整に反対した結果とは言え、自身の意志を貫くのはある意味で確固たる経営の美学を経営者とそれを慕う人々一人ひとりが持っていたからに違いありませんね)

 そんな出光美術館、皆さんも是非足を運んでみて下さい。

海賊とよばれた男 文庫 (上)(下)セット

 

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