土を根源に、人の暮らしを彩る「用の美」 岐阜:多治見市モザイクタイルミュージアム

アートな場所

こんにちは。日に日に寒くなってきました。
そんな日には湯船にゆっくり浸って鼻歌でもうたいながらアート界の先人たちがどんな想いでお風呂に入っていたのか妄想を働かせてみたいですよね。(え、私だけ?)

そんなお風呂、今やFRP(繊維強化プラスチック)、人工大理石、ステンレス、ホーローなど、様々な素材で出来ていますが、ひと昔前までの浴槽や今でも昔ながらの銭湯に行くと「タイル」が埋め込まれているのを目にしたことがある方もいらっしゃると思います。どことなく懐かしく、見ていると何だかホッと落ち着くような…カタカナ語でありながら日本人の生活に溶け込んだそんなタイルを専門に扱っている美術館が今日の主役です。
※こんなイメージ

このブログで紹介するアート施設

多治見市モザイクタイルミュージアム

・開館:2016年
・アート施設外観(以下画像はアート施設HP、県観光協会HPより転載)

→「なんじゃ⁈この建物はっ!?」っていう叫びが聞こえてきそうです。長野県出身の建築家で現モザイクタイルミュージアム館長の藤森照信さんの設計です。(建造した方がそのまま館長をされているのも珍しいですよね。それだけこのミュージアムは建築物が重要っていうことですね)

・場所
多治見市モザイクタイルミュージアム – Google マップ

土を根源に、人の暮らしを彩る用の美

・施釉磁器モザイクタイル発祥の地にして、全国一の生産量を誇る多治見市笠原町に誕生。タイルについての情報が何でも揃い、新たな可能性を生み出すミュージアム。タイルの原料を掘り出す「粘土山」を思わせる外観は、地場産業のシンボルとして、なつかしいのに新鮮な、不思議な印象となることを狙っているそうです。膨大なタイルのコレクションを基盤に、この地域で培われてきたタイルの情報や知識、技術を発信。さらに、訪れた方々がタイルの楽しさに触れ、タイルを介して交流して、モザイクタイルのように大きな新しい絵を描いていける、そんなミュージアムを目指しているそうです。

モザイクタイルとは

・面積が50cm2以下の小さなタイルのこと。丈夫な性質を生かし、建材として、壁や床を保護するために使用。また、人々が生活する家の中を清潔に保つために、その防水性と耐久性を生かし、お風呂やキッチン、トイレの床材など水回りでも活用されてきました。より詳しくモザイクタイルを知りたい方は以下のURLページをご参照。

〇タイルライフコラム「モザイクタイルとは?」 https://www.tilelife.co.jp/column/archives/11243

なぜ多治見市にモザイクタイル⁈

・岐阜県東濃地方で1300年以上の伝統をもつ、陶磁器の「美濃焼」がルーツ。モザイクタイルはその美濃焼の伝統と技術を背景として、1914(大正3)年に多治見町で生まれたと言われています。

その後、関東大震災の被害をきっかけに、建物のつくりがレンガから鉄骨・鉄筋コンクリートへと変わっていった日本の建築。コンクリートを保護する役目として、外装や壁、床などにタイルが使われるようになっていきます。

昔は美濃焼の茶碗の生産地だった多治見市(旧:笠原町)。昭和初期に、窯業技術者の山内逸三氏によって、モザイクタイルの生産が開始。焼き物ならではの色合いとあつかいやすさ、そんなデザイン性と機能性をあわせもつモザイクタイルは、戦後に生まれた「美濃焼」のなかで、もっとも発展。

そして、昭和30~40年代後半にかけて、高度経済成長とともに進んだ建築ブームのなかで、さらに生産量を上げ、笠原町で作るモザイクタイルは、国外へ輸出される生産量全体のうち70%をしめるほどに。タイルに釉薬を施して焼成を行うことで、モザイクタイルは耐久性や耐水性に優れた製品となり、戦後には浴室・トイレ・洗面所・台所などに多く使用。笠原町産のモザイクタイルは外国へも輸出され、主にアメリカ合衆国・カナダ・ヨーロッパ・オーストラリアに輸出された。1984年(昭和59年)における日本のタイル輸出額は242億円であり、うち半分はモザイクタイルとなった。名古屋港からの輸出品として自動車が台頭するまでは、モザイクタイルが同港からの主要な輸出品の一つでした。笠原町は、日本一のモザイクタイル生産地となり、国内外でモザイクタイルが使われるきっかけを作りました。

※山内逸三氏とは…1908年、岐阜県土岐郡笠原町(現多治見市)生まれ。窯業技術者。笠原町におけるモザイクタイルの先駆者。1924年(大正13年)3月に土岐窯業学校(現岐阜県立多治見工業高等学校)を卒業すると、15歳で京都市立陶磁器講習所(後の国立陶磁器試験所)に伝習生として入所し、近代窯業やタイルの製造技術を学ぶ。21歳だった1929年(昭和4年)、郷里の笠原町に戻り、岐阜県陶磁器試験場(現・岐阜県セラミックス研究所)に勤務した。山内製陶所を設立して製陶を行いながら、石膏型を用いた装飾タイルや吐水口など彫刻的な作品を製。山内氏は施釉モザイクタイルに着目し、誰も目を付けていなかった磁器質の施釉モザイクタイルの研究を開始。1935年(昭和10年)頃には実用量産化(機械化・自動化)に成功。地元の同業者にもその技術を教えたことで、笠原町は日本国内最大のモザイクタイル産地に。1952年(昭和27年)から4年間は笠原町議会議員を務める。

→山内逸三氏、そのタイル技術を地元の同業者にも教えたところに懐の深さを感じますね。

モザイクタイルの役割

・そんなモザイクタイル、あらためて役割を振り返っておきましょう。
①建物を建てるときの材料として、壁や床を保護する
②水に強く、掃除(そうじ)もしやすいため、水回りを清潔に保てる
③インテリアのかざりとして、アクセントになる

ミュージアムの建築について

・そんな多治見市モザイクタイルミュージアム、独特な形をしていますよね。
※ミュージアムHPより

設計者の藤森 照信さんのコメントがミュージアムHPに載っていますので、載せておきます。
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・すり鉢状に傾斜した地面と、そこに立つ土の壁。タイルの原料を掘り出す採土場をモチーフにモザイクタイルミュージアムを設計した藤森氏は、「建築物を構成する素材の中で最も根源的なものは何か」という問いに、「土」と答えています。タイルもまた、土を焼成して作る建材のひとつ。土という原点を形にすることで、そこから生まれ、人の暮らしを彩ってきたタイルの変幻自在な魅力と、これからの豊かな可能性を示唆します。(藤森 照信)
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常設展示作品

・モザイクタイルミュージアムには2階から4階まで3つの展示室があり、それぞれの階でタイルの異なる表情を感じることができるそうです。(あの奇抜な形、4階建てなんですね;)

2F

・産業振興のエリア。今まさに流通しているタイルを、実際の生活の中でどのように活用したらよいか、16のシーンに分けてご紹介されています。それぞれの空間をインテリアデザイナーが提案するデザインに基づいて作りこんであり、タイルの多様性を感じることができるそうです。展示されているタイルは、コンシェルジュカウンターで注文することも。

3F

・多治見のモザイクタイルの製造工程や歴史がたどれるコレクションを展示。タイル産業の歩みを記した年表や今となっては貴重な昭和のタイルの見本、そして製造工程と歴史を説明する映像も流れています。併設のギャラリーでは、タイル産業や歴史、アートなどに関する独自のテーマを設けて、年間3回程度の企画展示を行っており、コレクション展示の方もそのテーマに合わせて展示替えを行っているそうです。

4F

・床から天井まで白いタイルに覆われた空間。地元を中心に各地から収集されてきたモザイクタイル画の壁面、銭湯の絵タイル、洗面や風呂など。昭和時代には日常風景の中に溶け込んでいたようなタイル製品が、藤森照信氏により、見たことのないような非日常の空間に変貌しています。

 

…いかがだったでしょうか。モザイクタイル、土の芸術品。その実用として美しさと、芸術品としての美しさ、それを一挙に感じ取れるミュージアムなのではないでしょうか。皆さんも岐阜県多治見市、いま目の前にあるタイルのルーツを知ることができるかもしれません。ぜひ足を運んでみて下さい。

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