会津が生んだ世界的版画家 福島:やないづ町立斎藤清美術館

アートな場所

こんにちは。最近、写真家、漫画家と様々なジャンルを取り扱っている気がします。
(私自身は結構王道の美術館というよりその周辺のアート作品にも興味があるからかもしれません)
今日も…実は洋画家や日本画家などとは分野が異なります。(アートってほんと幅広い!)

そう、版画です。「版画」と聞くと「あー昔、図画工作の時に彫刻刀で彫ったわー」とか「日本昔話風のあれだよね」とかいう意見が出るかもしれませんが、今日ご紹介する版画家は少し皆さんの想像を良い意味で裏切ってくれる、そんなモダンな作家さんです。それでは早速。

このブログで紹介する美術館

やないづ町立斎藤清美術館

・開館:1997年 ※斎藤清さん90歳で亡くなられますが、その年に開館したそう
・美術館外観(以下、画像は美術館HP及び県・町観光協会HPより転載)

・場所
やないづ町立斎藤清美術館 – Google マップ
→会津若松から1時間、郡山からだと2時間くらいでしょうか。なかなか遠いですので車がいいかもです。

斎藤清とは

・福島県会津坂下町窪出身の世界的版画家。1907年4月27日-1997年11月14日、享年90歳。
4歳の時、父親の仕事の関係で故郷会津を離れ、北海道夕張へ移住。小さい頃から童謡を作って雑誌に投稿したり、イラストを描くことが大好きで、小樽の看板店「広告研究社」に就職。1931年、24歳で上京、宣伝ポスターの仕事をしながら油絵を独学。そして、1936年、29歳の時、安井曽太郎の木版画『正月娘姿』にインスパイアされ、独学ながらも木版画制作に着手。同年、第5回日本版画協会展に、初めての木版画『子供座像』『少女』を初出品、初入選、以後、版画制作へ傾倒。

会津が生んだ世界的版画家

・1949年、斎藤清42歳の時、東京目白の旧徳川邸で開催された第1回サロン・ド・プランタン展に木版画『ミルク』を出品、トップ賞を受賞。後々、この展覧会はアメリカ各地をツアー。

・1951年、斎藤清44歳の時、第1回サンパウロ・ビエンナーレ展に木版画『凝視 (花)』を出品、在サンパウロ日本人賞を受賞。戦後日本人初の国際展受賞であり、日本の現代版画のポテンシャルを世界へ広める。

・日本の伝統表現に、西洋の近代造形を取り入れた斎藤清オリジナルな木版画技法。
ここから誕生した数々の斎藤作品への評価は、国内よりも海外の方が先行し、いわば評価の逆輸入と言うカタチで、日本国内へ広まって行きました。その後、国内外を問わず多くの栄誉に輝き、1995年には文化功労者に顕彰。
その作品は、日本の美術館だけでなく、ニューヨーク近代美術館、ボストン美術館、ワシントン美術館、ミシガン大学美術館、シカゴ美術研究所、サンフランシスコ美術館、グレーター・ヴィクトリア美術館、東アジア美術館などに収蔵。

→こんなすごい現代版画家…いたんですね。失礼ながらこれを書くまで無知でした。

主なコレクション

 

   

 

   

 

   

 

 

 

 

 

   

→昨今の資金難の中、町立で地元のアーティストを盛り立てていこうという試みは頭が下がりますね。日本にはまだまだ知られていない美術館・博物館などが沢山あるのだなーと感じました。

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