ピカソの生き様が画業のきっかけ、魂を揺さぶる絵画を追求し続ける1人の画家 兵庫:横尾忠則現代美術館

兵庫県

こんにちは。これまで多くの美術館をご紹介してきました。(そしてこれからも…)
そんな中、存命の作家で、いわゆる美術館(しかも県や市、またはそれに準ずる組織が運営する館)が建てられているのは私の知る限りこの館を除いてほとんど思い浮かびません。それほどまでに兵庫県にとって切っても切り離せられない、現代美術界をけん引する画家といっても過言ではないでしょう。今日はそんな兵庫県が生んだ1人の画家のコレクションを有する美術館です。それでは早速。

このブログで紹介する美術館

横尾忠則現代美術館

・開館:2012年
・美術館外観、内観(以下画像は美術館HP、県・市観光協会より転載)
 
・場所
横尾忠則現代美術館 – Google マップ

ピカソの個展が画業のきっかけ、魂を揺さぶる絵画を追求し続ける1人の画家

・兵庫県西脇市出身の美術家、横尾忠則氏からの寄贈・寄託作品を適切な環境で保管し、多くの人に鑑賞いただくため、兵庫県立美術館王子分館(旧兵庫県立近代美術館、村野藤吾設計)の西館をリニューアルし、2012年に開館。

国際的に高く評価されている横尾忠則芸術の魅力を国内外にアピールするとともに、横尾氏と関わりのある様々な分野のアーティストや、横尾作品に関連するテーマ展など、多彩な展覧会を開催。

また、アーカイブルームでは、膨大な関連資料の保管・調査・研究を実施。横尾氏の創作の秘密に迫る資料の数々は、その幅広い交流関係を反映し、戦後文化史を物語る貴重な資料となっています。

2021年に新設された横尾忠則コレクションギャラリーでは、横尾忠則氏の手元に保管されていた様々なアーティストの作品のほか、アーカイブ資料を交えた多彩な展示を開催。さらにオープンスタジオでは、レクチャーやワークショップ、コンサート、公開制作など、子どもから大人まで幅広い世代を対象とした、様々なイベントを展開しています。

なお、横尾氏は当時76歳でしたが、開館に向けての展覧会の企画に51の構想が湧き出たそうです。「年4回でも、終わるころには僕はもうこの世にいない。向こうから鑑賞するかもしれない」と発言したことが有名です。

横尾忠則とは

・兵庫県生まれの画家,グラフィック・デザイナー。神戸新聞社、日本デザインセンターを経て独立。唐十郎の状況劇場,寺山修司の天井桟敷,土方巽の暗黒舞踏のポスターや雑誌のイラストなどを手がける。日本の大衆性や土俗性を濃厚に反映した反モダニズム色の強い作風で、1968年パリ青年ビエンナーレ展の版画部門大賞を受賞、1970年にはニューヨーク近代美術館で個展を開催。1980年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で行われた「ピカソ展」に影響を受け、1982年には「今後は絵画制作に専念する」という立場を鮮明に打ち出す(画家宣言)。その後は、ニュー・ペインティングと呼応するような具象的な形態を通して,近代美術が捨象してきた〈魂〉の問題を追求、独特のコラージュ感覚を発揮した作品を発表し続けている。

横尾忠則とピカソ

・そんな横尾忠則さん、1980年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で行われた「ピカソ展」を見たことがきっかけで「画家宣言」を発表、画業に専念することになります。そのときの様子を美術手帖さんのインタビューで語っていらっしゃいましたので、少し長いですが、こちらへ一部掲載しておきますので読んでみて下さい。ついでにピカソの凄さもわかると思います。

横尾忠則氏、ピカソ展の回顧録

・あんなにスケールが大きくて素晴らしいピカソ展はその後なかったんじゃないかなと思います。なかにはあの《ゲルニカ》もあったんです。まだ作品がスペインに戻ってしまう前のことで、パリのピカソ美術館も開館前のことでした。デッサンも含めて1000点、なにしろ全館ピカソ一色ですからね。MoMAの周辺がお祭り騒ぎみたいに人であふれていました。

でも美術館に入ってからも大変で、とても混んでいたためつねに前に人がいて、その人が移動しないと次の作品を見れないんです。ただ、前の人が動かないので、仕方なく絵をじっくり観ますよね。その間にいろんなことを観察するわけです。たとえばドローイングが並んでいるのを見ると、それぞれに日付が入っていて、よく見ると並んでいる作品の日にちが1日違いだったりするんです。それで驚いたのは、昨日描いた絵と今日描いた絵の様式が全然違うんですよ。それを見ていて「絵ってこれでいいんだ」と思いました。

もともと僕も10代のころは画家を志望していたんですが、とにかく「自分の主題と様式を決めなきゃいけない」「それが作家にとってのアイデンティティだ」と言われていました。でもとんでもない。ピカソは「そんなアイデンティティなんて関係ない」とでも言っているかのようでした。それでだんだん解放されていくのを感じたんです。

当時、僕はグラフィック・デザインをやっていて、そのときすでにワガママにやっていたつもりでいたんだけど、さらにワガママで無頓着にやっているピカソを見て「このままじゃ駄目だ」「やっぱり絵でないと僕の考える生き方はまっとうできない」と思いました。

そんな風にして、作品を見ながらグラフィックに対する関心がどんどん遠くに行ってしまって、反対に「新しい絵を描きたい」という気持ちがどんどんやってきました。冗談で言ってるんだけど、美術館に入ったときはブタだったのに、出るときにはハムの缶詰になっていたような感じです(笑)。それまでグラフィック・デザインは僕の天職だと思っていたんですよ。一生グラフィックをやっていくだろうと思っていました。でも、美術館の中でその気持ちがだんだん変化していって、出るころにはハムかソーセージになっちゃったみたいな感じですね。

日本には「変化するのは悪徳だ」みたいな習慣があります。でも、ピカソはそうじゃなく「変わることが人生だ」とでも言うようにどんどんどんどん変わっていくんですね。そのことに圧倒されて、ある種の啓示を受けたような気がしました。そのとき僕は45歳だったので、いまさら転向しても無理だと思ったんですけど、「いましかない」と思ってね。でも考えてみれば、45歳で芸術家に転向した人にはジャン・デュビュッフェやアンリ・ルソーもいるんですよ。

もうね、気持ちの方が先行しているので落ち着いて絵を見られないんですよ。大げさな言い方ですが、絵を見ながら「いかに生きるか?」という問題に直面していました。だから冷静さを欠いているわけです。「ここはこういう風に描いているな」なんてまるで考えられないわけですね。目と脳が直結せずバラバラになっちゃっているような感じでした。頭でものを考えられなくなっているぶん、身体が考えて行動を起こそうとしていたんですね。

でも、「ピカソのような絵を描きたい」とは思っていないんです。僕がピカソの展覧会を見て画家に転向したので、あたかもピカソの表現に影響を受けたと思っている人もいるみたいだけど、そうではありません。あくまで生き方ですよね。ピカソの自由さ、いい加減さ、無手勝流、剽窃主義、詐欺師的(笑)。そういうものに全部襲われたんです。

ピカソは91歳で死ぬわけだけれど、そのころになってやっと子供のような絵が描けるようになりました。だから80代で死んだんじゃ、ピカソも納得できなかったでしょうね。90代になってやっとああいう絵が描けた。子供は純粋で無垢で素朴で遊びの精神に満ちていますが、最終的にピカソは子供になろうとして実際になれたんじゃないですか。僕はまだピカソがなったような老人にはなりきれていないと思います。老人としてはまだまだ幼いですよ

老人になるために時間が足りないんです。それとつい先日82歳になったんですが、老人になると不思議と自分の中から野心や野望や願望や夢や欲望や執着みたいなものが消えていくんですね。若いころはそういうものを力に変えて創造していたんですが、80代になるとそういう社会的な概念がなくなっていくというか、どうでもよくなってくるんです。そういう気持ちに50代ぐらいでなれればよかったんだけど、やっぱり80代にならないとそうなれないんですよね。でもピカソの作品を見ていると、もっと早くそういう気持ちになったんだと思います。30代か40代ぐらいのときにはもう老人になっちゃっていたんじゃないかな。いや、もしかしたら20代でね。

早く老人になることが大事だと思うんです。小林秀雄は59歳のときに「若者が持っているような考え方をしていたら、折角歳を取ったのに値打ちがない」というようなことを言っているんですよ。歳を取ることの値打ちについて、彼は59歳で言っているわけですね。だからね、彼もずいぶん早い時期に老人になったんだなと思います。そこまでくるともう怖いものなしですよ。他人の目は意識しなくなりますよね。僕の場合は80歳を過ぎてやっとそういう状態に近付きつつあるんだけど、ピカソはもっと若いころからそういう「老人意識」というか「子供意識」を持っていたんじゃないかと思います。

(参考)美術手帖インタビュー「『ピカソが僕を変えた』横尾忠則、ピカソを語る。」
    https://bijutsutecho.com/magazine/special/promotion/18094

→「美術館に入ったときはブタだったのに、出るときにはハムの缶詰になっていたような感じです」—何とも横尾さんらしいコメントです。(笑)
横尾さんだけでなく、全ての人にとって美術館という場所がそのような場所であることを私も願うばかりです。

主なコレクション

・画像はないですが、美術館HPにアーカイブ資料一覧が掲載されていましたのでご参照ください。
横尾忠則現代美術館_アーカイブ登録済み資料

動画 / the Y+Times

・横尾忠則現代美術館の公式YouTubeチャンネルでは、ギャラリートークやイベントの映像など様々な動画を配信されています。一部を掲載。

 

 

 

横尾忠則とは何者か

・そんな横尾忠則さん、(アーティストの中にはあまり口数少なく言葉での表現を嫌う方もいらっしゃいますが)横尾さんは自らの言葉でSNS含め多くの媒体で自分の想いを表現されていることでも有名です。最後に以下に参考動画を載せておきますので、こちらもぜひお時間あるときにご覧いただければと思います。

更にアーティスト:横尾忠則について知りたい方はこちら。
実は横尾さん、養子として義理親の家庭で育ったため、本当の生みのお母さんを知りません。それでもなお、義理母を本当の母のように慕い、通常の母子関係以上に深い絆で結ばれていたようです。義理母もその生みの母が妊娠中に使用した腹帯を亡くなる間際まで自分の近くに置き、横尾さんを立派な青年に育て上げる責任を自分に課して励まれたそうです。そんな深い話が載っていますのでぜひご覧いただけたらと思います。

 

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