岡倉天心の影響を受けた近代彫刻界の巨匠、99歳から移り住んだ住居を開放した美術館 東京:平櫛田中彫刻美術館

東京都

こんにちは、マウスです。先日ご紹介した町田市立国際版画美術館に続き、本日は小平市が運営する美術館です。
東京はこのように市町村単位でも美術館を運営できているのは…地方在住の私としては羨ましい限りです。

そんな、今日ご紹介する作家さん、1962年に文化勲章を受章した近代彫刻界をリードした方でなんと99歳から移り住んだ住まいを美術館として開放されています。引っ越し…ただでさえ大変なのに99歳で引っ越すなんてものすごいエネルギーですね。
(ちなみに、富嶽三十六景で有名な浮世絵師である葛飾北斎は生涯のうち93回引っ越しをしたそうです。アーティストの中には引っ越しをすることで自身のインスピレーションを得る手法にしている方もいるようですが…ただでさえ家でカチャカチャPCをしている私的には信じられないことです。いえ、美術館には行きますけど…)

そんな余談はされておき、早速見ていきましょう。

このブログで紹介する美術館

平櫛田中彫刻美術館

・開館:1984年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、都・市、観光協会HPより転載)

・場所 平櫛田中彫刻美術館 – Google マップ

岡倉天心の影響を受けた近代彫刻界の巨匠、99歳から移り住んだ住居を開放した美術館

・近代日本彫刻界に多大な貢献をした平櫛田中氏の作品を保存・展示、その功績を顕彰するとともに、市民文化の向上を図ることを目的に、1984年(昭和59)に平櫛田中氏の旧宅を公開、「小平市平櫛田中館」として開館しました。その後、平成6(1994)年に展示館を新築、平成17(2005)年に遺族から作品の寄贈を受けたことを機に、翌年に館名を「小平市平櫛田中彫刻美術館」へ変更しました。

 田中が遺した彫刻、書、資料を中心とする年4回の企画展示のほか、平櫛田中と関係の深い作家の作品紹介を中心とする特別展(2年に1回の隔年開催)を開催、田中芸術への理解が深められるような企画・展示を行っています。

〇地域情報サイト「タウン通信」 美術館紹介動画

平櫛田中とは

・岡山県井原市生まれの彫刻家。大阪で人形師中谷省古に木彫技術を、1897年(明治30)上京して高村光雲に木彫を学んだ。早くから日本美術協会、東京彫工会などで活躍、文展にも第1回展(1907)から出品。

 1908年(明治41)岡倉天心の指導のもと仏教説話や中国の故事などを題材にした精神性の強い作品を制作。その後、山崎朝雲、米原雲海らと日本彫刻会を結成。1914年には日本美術院の再興に参加、彫刻部同人として活躍。1937年(昭和12)帝国芸術院会員、1944年帝室技芸員。1944~52年東京芸術大学教授を務め、官展の審査員も務めた。1955年(昭和30)文化功労者、1962年文化勲章受章。

 練達した彫技法に基づく写実的な作風が特色で、おもな作品に『(てんしょう)』『天心先生像』『降魔』『鏡獅子(かがみじし)』などがある。また、1969年には生地:井原市にも井原市立田中美術館が開設され、1972年から彫刻振興のための平櫛田中賞が設定されている。

→こちらも岡倉天心ゆかりの美術館なのですね(詳細は茨城県天心記念五浦美術ご参照)。
またブログ右下の「検索」欄から「岡倉天心」と入れていただくと、過去岡倉天心に関係する美術館が一覧で見ることができます)

転生

天心先生像

降魔

鏡獅子

 

主な収蔵作品



 

→いかがでしょう。一度見たら忘れられないような写実性と迫力がありますね。最後に現:館長で平櫛田中氏のお孫さんである平櫛弘子さんのコメントを載せて終わりたいと思います。

館長(平櫛田中の孫)コメント

・祖父、平櫛田中が一橋学園に家を新築し、移り住んだのは昭和45年6月、99歳の時でした。この地は、昭和10年ごろに祖母と将来の隠居場として求めたもので、二人は玉川上水の風景が特に気に入ったようです。その後祖母が亡くなりましたが、建築家大江宏先生と出会って、その流れるようなこう配の屋根を愛し、作品の厨子(ずし)などを依頼するようになり、さらに自宅の設計・建築もお願いし、昭和44年の正月明けに完成、竣工式を行いました。

 祖父が98歳で、九十八叟院(きゅうじゅうはちそういん – 叟は翁の意)と自ら名付け、以来10年間、亡くなるまで武蔵野の面影の残るこの地で暮らすこととなったのです。「この家は岡倉天心先生か横山大観でなければ住みこなせない。わたしにはちょっと無理だな」とも言っていましたが、祖父は九十八叟院のデザインをとても気に入っていました。

 朝、庭を歩き回り草木の成長を眺め、年相応に楽しんでいるようでした。庭の木や花を愛で、好きな書を書き、孫やひ孫に会うのを楽しみに静かな毎日を送りました。その九十八叟院が現在の記念館です。祖父の亡くなった後、作品と記念館・庭園を通して、明治大正昭和を彫刻一筋に歩んできた、祖父の芸術と人となりに触れていただこうと、作品や蒐集した美術工芸品、建物などを小平市に寄贈し、彫刻美術館としてふさわしい展示館も併設していただいて、早いものでもう25年を越えることができました。

 これまで、多くの方々の熱意とご協力の支えがあってのことと深く感謝しています。今後も、数少ない近代彫刻の美術館としての充実を図り、また、大勢の皆さまに「安らぎ」と「学び」の場を提供し、少しでもこの困難な時代を生き抜いていく糧となるよう努力してまいりたいと思います。 [館長:平櫛弘子]
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(マウス)

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