西友の跡地を現代美術の拠点に。Creative(想像)・Share(共有)・Dialogues(対話)を軸として 群馬:アーツ前橋

アートな場所

こんにちは。群馬県もいよいよ終盤ですね。
県庁所在地…ご存知でしょうか。(注:群馬市ってありません)

高崎市でも桐生市でもなく、前橋市です。これ、関東圏外の学生が間違うトップクラスの都市名だと思います。大人でもたまに「どこだったっけ?」てなる気がします。

※ちなみに群馬という名前は、奈良時代までさかのぼります。和銅6年(713年)、諸国の風土記編集の勅令により、国・郡・郷名はその土地にあった漢字二文字で表すこととされ、国名「上毛野国(かみつけのくに)」は「上野国(こうずけのくに)」に、郡名「車(くるま)郡」は「群馬(くるま)郡」に改められたことにはじまるそう…以外にも相当歴史ある名前なんですね:

真実かは定かではありませんが、高崎市とは競合・対立関係にあるようで、よく「行政や文化の中心は前橋、交通や商業の中心は高崎」と県内では言われるそう。
…それってもしかしたらこの施設が前橋にあるからなのではとか思ったりもします。では早速。

このブログで紹介する美術館

アーツ前橋

・開館:2013年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、県・市観光協会HPより転載)

→一言、おしゃれ…。神戸市出身の建築家:水谷俊博さんが設計・建築。他代表作は武蔵野文学館、武蔵野市クリーンセンターなど。本美術館が限りなくまちに近い存在であるため、まちと美術館をどうつなげていくかということが大切なポイントと考え、
①施設全体を周遊する散歩道のような美術館とする
②既存建物の姿(記憶)を大切にしコンバージョンの魅力を最大限引き出す
③展示ばかりでなく市民が積極的に利用できる魅力的な場所づくりをおこなう
という3つを大きな考え方として計画されたそうです。

・場所
アーツ前橋 – Google マップ

西友の跡地がCreative(想像)・Share(共有)・Dialogues(対話)を担う現代美術の拠点に

・スーパーマーケット西友の跡地を芸術文化活動の支援や振興を担う施設として活用。アーツ前橋は表現をすることと、お互いを理解することはすべての人にとって大切なものだと考え、芸術文化が地域に何を生み出しもたらすのか、アーツ前橋が誰にとっても必要な場所になってもらいたいのかを皆で議論し、以下3つを活動のコンセプトとして展開されているそうです。

美術館のコンセプト

以下は、美術館HPからの引用です。

創造的であること creative

・個人の考えを表現することは、異なる考えを持つ人たちが共存していく現代社会で今後ますます必要とされます。他の誰とも違う、独自の感じ方や考えを創造的に表現して人に伝えることは、ひとつの価値だけでなく、いろいろな価値を認めていくことにもつながると考えています。

みんなで共有すること share

・文化も芸術もみんなが当事者です。多くの人が関わることで、じっくりと時間をかけて文化や芸術の魅力は磨き上げられ、かけがえのないものになっていきます。子供から老人まで、芸術が好きな人も苦手な人も、みんなが未来の文化の担い手となることができます。

対話的であること dialogues

・ここで人が出会い、それぞれが個性を活かし対話をする場所になって欲しいと考えています。そこから、新しいアイディアがたくさん生まれ、きっとそれらはみんなの生きる力になっていくのではないでしょうか。

美術館の収蔵方針

①地域ゆかりの作家の作品を中心にした収集
②美術館の諸活動に関連した作品の収集
③アートの創造力によって地域に貢献できる作品の収集

→収蔵作品検索はコチラ:http://jmapps.ne.jp/artsmaebashi/

コミッションワーク

・アーツ前橋がアーティストへ委託して制作した作品です。

<廣瀬智央 空のプロジェクト: 遠い空、近い空>

<山極満博 ちいさなおとしもの>

<TokyoDex 青い猫のいる街>

<照屋勇賢 静のアリア>

<off-Nibroll いつもの時間>

(付録)アーツ前橋が失い、再興するもの

・これを書くか迷いましたが、これも目を背けてはいけない事実として最後に書き記しておきます(アーツ前橋作品紛失問題)。ここからは読みたくない方もいるでしょうから、読者の方のご判断に任せます。気分が悪くなったらそこで今回のブログは終わって下さい。

本件は、恐らく美術館関係者では恐らく知らない人はいない、アーツ前橋が世間を揺るがす収蔵作品紛失問題を起こしてしまった事実です。色んな意見が出されましたがあくまで事実のみを記載しておきます。

[作品紛失の経緯]
・2018年12月、群馬県高崎市出身の物故作家2人の作品(52点)を遺族から預かり一時保管庫。
・2020年  1月、このうち3点が見当たらないことを学芸員が確認。
・2020年  2月、合計6点(木版画4点と書2点)の紛失が判明。
・2020年  4月、前橋市長に報告。
・2020年  7月、市長は作家遺族らへの連絡を指示するも連絡。
・2020年11月、市による対外公表。作品紛失だけでなく「隠蔽」との批判も起きた。

→この美術館関係者を揺るがした事件、なぜ美術館という市民からの目も多く公共性の高い職場でこのようなことが起きてしまったのか(ちなみにアーツ前橋を擁護しますと、現在はこの反省に立って、決して二度と同じ事象が起きないよう運営されています)。

本件は、(事実として)前橋市と館長・担当学芸員の主張にくい違いが見られました。これがどこから生じているのか。これを語る際、(恐らく私が知りうる限り)もっとも整理された記事は以下の美術手帖さんの記事でしたので参考に掲載しておきます。

〇美術手帖:アーツ前橋の作品紛失問題はなぜここまでこじれたのか。
https://bijutsutecho.com/magazine/insight/24159

→ざざっと問題になりそうな言動、行動、事象だけ箇条書きにしておきました。
・作品の寄贈が決定したばかりであるため、現時点で遺族に状況を共有することで、寄贈の話も振り戻ってしまう可能性が高い。
・現在は調査中というかたちで、保留にしておくのが良いのではないか。
・いま相手方に話してマスコミに公表されてしまうとアーツ前橋の信用が落ち、他館からの作品借用などができなくなり、館運営に支障をきたす。
・作品価値に比して公開することで失うものが大きすぎる。
・懲戒処分になる可能性が高いためリストの更新はしない方が良い。
・事務職員が入ると遺族の信頼を得られなくなる。学芸側に任せてほしい。
・学芸課長を置かず、週に1〜3回来館する館長が決裁。 など

アーツ前橋の当時の労働環境

・作品紛失問題が浮上する前から、アーツ前橋の求人の多さに疑問があった、と記事では書かれてあります。開館から7年のあいだに学芸員が10人辞めており、共通していたのは、残業時間が月80〜100時間の過労死ラインを超過、しかも非正規雇用の学芸員の残業代は払われていなかった。 「ひと月で1日しか休みのない月があった」「終電に間に合わない日が続いた」という声も聞いたと書かれてあります。

・展覧会、アーティスト・イン・レジデンス、教育普及事業と年間の事業数が多すぎる。
・まちなかへ出て活動することも大切だが、相手先が増えればオーバーワークとなっていく。
・非正規雇用の学芸員は無賃残業になってしまうので、見かねた市職員からエクセル表に記入して振替休をとるように指示。
・事務方の上長から学芸員へのヒアリングも行われていた。
・(館長が)学芸員からのプレゼンテーションの際には理由も言わずに否定、代案も言われず、長時間の会議。
・学芸員たちは、作家のために仕事を進めなければならないとの思いで、館長に承認を得やすいよう仕事を進める。
・異を唱える者には叱責や蔑むような発言をする場面もあり、それは他者もいる場で行われるため、見聞きされている。
・開館早期から過重労働が常態化し、それぞれが自身のことで手一杯になっていた。

→これらは全て美術手帖の取材班が当時の関係者にヒアリングして書き記した意見だと思いますが、これは別に美術館という組織に限った話ではないというのは一目瞭然ですね。美術手帖さんはその一端が学芸員の劣悪な労働環境にあったと記されています。(どの組織でもそうですが)これは組織の一人ひとりが「誰のために、何のために働いているのか」を考える環境に置かれなかったのがやはり最大の要因なのかもしれません。

こういう問題は、後から振り返ると「なんでこんな言動や行動が…」と思うかもしれませんが、こういう事象は日々の業務に追われ、少しずつ組織を蝕んでいくため、気づいたときにはもう手遅れということも多々あると聞きます。(なんかこういう話を聞くたびに企業の不祥事や戦争に突入した先の日本を思い出すのは私だけでしょうか…)

美しい美術作品と優麗な館内環境の裏で、美術館という数名~大きくても数十名という組織の形態上、どうしてもこのようなパワハラやコンプライアンスに反する事象が存在するのもまた事実です。これからの美術館運営、コロナ禍もありますます難しくなってきている昨今の情勢の中で、「誰のため、何のための美術館か」という視点に立ち、いかに市民と安心・安全と信頼を積み重ねていけるか、試される時代に入ってきているような気がします。

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