心を生かす。産業の街でくり広げられる現代に焦点を当てた空間 愛知:豊田市美術館

愛知県

こんにちは。先日、東京国立近代美術館へリヒター展を観に行ってきました。会期ぎりぎりの10月2日頃だったのですが、後々チラシを見ると巡回展であと1館この後に行くということが分かり、慌てていく必要がなかったのではないかと感じたマウスです。(私の居住地は今日ご紹介する美術館寄りなので)

でも冷静に考えるとドイツの偉大な現代作家であるゲルハルト・リヒターを東京国立近代美術館と共に呼んでくることができる地方美術館ってあるんですね。そこにも驚きました。今日はそんな歴史は浅いですが、粒ぞろいの企画展示、現代美術コレクションで近年評判が高まってきている館のご紹介です。

このブログで紹介する美術館

豊田市美術館

・開館:1995年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、市観光協会より転載)

→谷口吉生氏の設計です。他代表作に、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(1991年)、東京国立博物館法隆寺宝物館(1999年)、ニューヨーク近代美術館リニューアル(2004年)、京都国立博物館平成知新館(2014年)など。

・場所
豊田市美術館 – Google マップ
→ご存知、日本が世界に誇る自動車メーカー「トヨタ」の本社が立地している街です。
ちなみに豊田市、市名の「豊田(とよた)」は、市内に本社を置くトヨタ自動車と、同社の創業者一族の姓「豊田(とよだ)」に由来します。

意外とここからは知らない人も多いのですが、市制を敷いた当初は、「挙母(ころも)市」という名称でした。その後、自動車産業が本格的に軌道に乗り始めた1958年、トヨタ自動車の本社のある挙母市が全国有数の「クルマのまち」に成長した点と、地名の「挙母」が読みにくいという点であった(「挙母(ころも)」が長野県の「小諸(こもろ)」と混同されることもあった)ことより商工会議所から市宛てに市名変更の請願書が提出。

当時は、「挙母」という地名には古代以来の歴史があり愛着を持つ市民も多く、賛成と反対で市を二分するほどの論議が展開された結果、1959年1月、名称が「豊田市」に変更されました。(なお、日本の市で、明確に私的団体に由来する市名を持つのは、この豊田市と、天理教の本部のある宗教都市である天理市(奈良県)のみです)

心を生かす。産業の街でくり広げられる現代に焦点を当てた空間

・19世紀後半から現代までの美術、デザインや工芸のコレクションを有する美術館として1995年に開館。以来、鑑賞者一人ひとりが作品と対話し、それぞれの作品との関係をつくっていただく場となることを目指して、コレクションの形成、同時代の作家たちとの展覧会やコミッションワーク、市民とともに歩む教育普及活動などを展開しているとの事。
以下は現館長の高橋秀治さんのメッセージです。

絵を見てもおなかはいっぱいにならないけれど、胸はいっぱいになることがある

・1995年に開館した豊田市美術館は、1980年代以降各地に開館した美術館の中では比較的新しい美術館と言えるでしょう。それだけに長い歴史を持った美術館のように美術史を網羅するような収集活動や展覧会活動は行ってきていません。全国的な視点から見るとどちらかと言えば、私たちが生きる現代に焦点を当てた展覧会活動によって、存在感を示してきたともいえます。そうしたことから最初はとっつきにくく市民から距離のある美術館という印象を持たれたようです。収蔵作品にはいわゆる現代美術と呼ばれるものが多くあるのは事実ですが、一方でクリムトや岸田劉生をはじめとする近代美術の名品やウィーン工房などの工芸美術も収集しています。また、高橋節郎館では漆工芸の紹介を続けています。そして、展覧会活動も現代と切り結んだ企画展を中心に、時代や地域の幅を広げてきており、来館者数も開館当時に比較して増えてきています。豊田市を訪れる人にとって立ち寄るべき施設の一つとして位置づきつつあるのかもしれません。また、美術館の魅力は収蔵品や展覧会だけでなく、その建築も人々を引きつける大きな要素です。多くの美術館、博物館建築を手がけられた谷口吉生氏の設計による豊田市美術館の建物は、日本で最も美しい美術館の一つとも評されるモダニズム建築で有名です。

 自動車産業の街として知られる豊田市にとってこの美術館は重要な意味を持っています。産業と文化はかけ離れたものではありません。経済活動だけが人間を生かしているのではなく、文化的な刺激は人びとにとって心を生かすためには欠かせないものです。その文化的な刺激の一つとして美術館が扱う美術というのはただ何か対象の再現をしているのではなく、作家が生きる環境の中から、また生きる時代の反映として自らが感じ、考えたことを色彩や形あるいは何かしらの素材を使って表してきたものです。

 私は、「絵を見てもおなかはいっぱいにならないけれど、胸はいっぱいになることがある」という言葉が好きです。美術品を鑑賞する体験が来館されるみなさんにとって、心のどこかに糧として残り続けることを期待してやみません。(豊田市美術館 館長:高橋秀治)

コレクションの基本方針

・近代以降の国内および国外の美術の流れを展望しつつ、現在、そして将来にわたって、アーティストの創造性を体感し、共有することのできるコレクションづくりを目指しているそうです。(画像はイメージ ※公式HPより)

国外の近代美術

・美術とデザインを接続する総合芸術を目指した世紀末ウィーンの動向に注目、ウィーン分離派を中心とした作品をコレクションの出発点としています。グスタフ・クリムトとエゴン・シーレの肖像画、オスカー・ココシュカの自画像に、彼らのドローイングや版画も加え、充実したコレクションを形成、現代美術の原点といえるダダやシュルレアリスムの作品も当館にとって重要な核となっていま す。ルネ・マグリットやマックス・エルンスト、ジャン・アルプやサルバドール・ダリ、また同 時代のコンスタンティン・ブランクーシやアルベルト・ジャコメッティなど、現代の表現に大きな影響を与えた作家の作品を収蔵しています。

国内の近代美術

・明治時代、新しい日本画の表現を探求した中心人物、菱田春草、横山大観、下村観山を中心に、その影響をうけながら革新的な表現を模索し続けた今村紫紅、速水御舟、安田靫彦や、京都画壇の村上華岳、入江波光などの作品を収蔵。また、洋画では、リアリズムから独自の東洋的表現へと至った岸田劉生、乳白色の肌によってパリで一世を風靡した藤田嗣治をはじめ、急速な近代化がもたらした日本の葛藤をうかがうことのできる「洋画」のコレクションも充実しています。

近代のデザイン、工芸

・新しい社会と生活空間の実現を目指して進展したイギリスのウィリアム・モリスに始まる近代デザインやイギリス:グラスゴーで活躍したチャールズ・レニー・マッキントッシュ。ヨーゼフ・ホフマンと彼が中心を担ったウィーン工房を収蔵。アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトなど、これらの作家によるオリジナルの家具やデザイン画、住宅図面なども展開しています。またペーター・ベーレンスがデザインした工業製品、ヘリット・トーマス・リートフェルトやルートヴィッヒ・ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジエらの機能主義家具など、大量工場生産時代を見据えて作られた近代デザインの発生をたどることのできる重要な作品も収蔵しています。一方で、日本の工芸としては、木工と漆の分野で特筆すべき才能を発揮した黒田辰秋の国内随一のコレクションを核に、工芸と美術をまたいだ表現を試みる小川待子や田中信行の作品もコレクションに加えています。

現代美術

・どれだけ古い作品でも、最新の作品でも、今それを見る人がそこから何を引き出し、新しい価値観を生み出すことができるか、私たちはコレクションや展覧会活動をとおして、その創造に携わることができる「同じ時代を生きる作家たちによる現代美術」も重要視。 第二次世界大戦以降の、既存の価値観を疑い、つねに問い続ける作家たち。人間存在の根源にせまったフランシス・ベーコン、1960年代のイヴ・クラインやクリストといったヌーヴォー・レアリスム、ヨーゼフ・ボイス以降のドイツの作家たちなど、ヨーロッパの現代美術を中心にコレクションを形成。特に、イタリアのアルテ・ポーヴェラのコレクションは国内随一と評価されているそうです。 戦後日本の現代美術についても、白髪一雄や田中敦子といった具体美術協会から、河原温、松澤宥に代表されるコンセプチュアル・アート、高松次郎、李禹煥から榎倉康二に至る「もの派」とその周辺の作家たちがコレクションのひとつの核をなしています。これからも、地元愛知の作家たちをはじめとして、世界中のさまざまなメディアを駆使して新しい価値観を問う作家とともにコレクションを作り続けられています。

主なコレクション

<岸田 劉生>
←麗子さん…洋装あったんですね;
<牧野 義雄>

<横山 奈美>

<奈良 美智>

<高松 次郎>

<グスタフ・クリムト>

<ヤノベケンジ>

<ダニエル・ビュレン>

<トニー・クラッグ>

<リチャード・セラ>

<コンスタンティン・ブランクーシ>

<岡崎 和郎>

漆芸家:髙橋節郎館

・1984年に豊田市で開催された個展がきっかけで、髙橋節郎本人から多数の作品が豊田市に寄贈。「髙橋節郎館」は、同じく谷口吉生による建築の豊田市美術館とともに1995年に開館したことも本館の特徴です。(ひとりの漆芸家の作品を常設展示する国内でも数少ない美術館との事)

大小2つの展示室では、髙橋の特徴的な技法である「鎗金(そうきん)」による屏風やパネル作品を中心に、漆芸と並行して制作された墨彩画や漆版画なども展示。また、金銀、螺鈿の装飾が施された楽器(グランドピアノやハープなど)なども。



髙橋節郎とは

・漆芸家。長野県穂高町(現安曇野市)に生まれ。1938年(昭和13)東京美術学校漆工科卒業。1941年第4回新文展で「木瓜の図二曲屏風」が特選、1951年(昭和26)第7回日展で「星座」が朝倉賞を受賞。1953年より日展審査員を8回務め、1965年「化石譜」で日本芸術院賞、「蜃気楼」で文部大臣賞を受賞。また1964年以降は、現代工芸美術家協会の指導者として現代性に富む漆芸創作運動を進め、1976年東京芸術大学教授となり後進の指導にあたった。1982年東京芸術大学教授退官。1997年(平成9)文化勲章受章。

 

…いかがだったでしょうか。豊田市美術館、館長がコメントで「豊田市を訪れる人にとって立ち寄るべき施設の一つとして位置づきつつあるのかもしれない」と述べられているように、もはや「自動車産業の街」以外の一面も出てきているかもしれませんね。次の100年、豊田市が自動車とともにどのような発展の仕方をしていくのか、目が離せませんね。
※1934年設立「トヨタ創業期試作工場」

 

(マウス)

コメント

タイトルとURLをコピーしました