「Color&Comfort」、彩りと快適さを追求する世界的化学メーカーが大事にする絵との対話 千葉:DIC川村記念美術館

アートな場所

こんにちは。マウスです。
皆さん、突然ですが、「色見本帳」って聞いたことがありますか?

…これ、デザイン関係や服飾関係者、美術に少しでも携わった方は見たことない人はいないのではないでしょうか。もしかしたらこんなお菓子のパッケージカラーにも参考にされているかもしれません。

※画像は違いがわかる辞典「ポッキーとプリッツ」より転載https://chigai-allguide.com/cw0005/

今日は11月11日、ポッキー&プリッツの日ですから…(無理やりかこつけたわけではありませんが)そんな色の原点ともいえる「色見本帳」をつくった会社で、印刷用インキで創業、今や日本を代表する化学メーカーとなった創業家が丁寧にコレクションした作品を展示する美術館のご紹介です。では早速。

このブログで紹介する美術館

DIC川村記念美術館

・開館:1990年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、県・市観光協会HPより転載)

・場所
DIC川村記念美術館 – Google マップ

「Color&Comfort」、彩りと快適さを追求する世界的化学メーカーが大事にする絵との対話

・ブランドスローガン「Color & Comfort(彩りと快適さ)」を掲げるDIC株式会社が関連企業とともに収集してきた美術品を公開する施設。20世紀美術に主眼を置いた多彩なコレクション、作品にふさわしい空間づくりを目指した建築、四季折々の変化が楽しめる豊かな自然環境。「作品」「建築」「自然」の三要素を軸にそれらの調和を大事にした美術館です。

美術館設立者とコレクションについて

・設立者は大日本インキ化学工業(DICの旧社名)創業家の2代目社長である川村勝巳(1905-1999)氏※1。1908年に父である川村喜十郎氏が創立した大日本インキ化学工業が中小企業を経て、戦後日本を代表する化学メーカーへと躍り出る激動の昭和時代に経営の舵取りをした人物です。ビジネスに身を投じる合間、勝巳氏が大事にしていたのは、ひとり絵と語らう時間だったそうです。やがて、その喜びを世の人々と分かち合いたいとの想いから美術館構想を抱き、作品収集を本格化させたのは1970年代初頭。彫刻家・飯田善國※2らの助言を得て、未だ広く紹介されていなかった同時代作家の作品や、当時ヨーロッパで評価され始めたアメリカの現代絵画を早い時期に入手、国内でまとめて見る機会が少なかった20世紀美術のコレクションを充実させました。2008年にはDIC株式会社の創業100周年記念事業の一環として、「ロスコ・ルーム」と企画展専用の展示室を増築。
※1 DIC株式会社中興の祖、川村勝巳さんのより詳細な経歴はコチラが参考になります。大企業創業家の2代目というのがいかに大変か垣間見ることができます。(吉田勝昭の「私の経歴書」研究:https://biz-myhistory.com/post_rirekisho/%E5%B7%9D%E6%9D%91%E5%8B%9D%E5%B7%B3/#:~:text=%E5%AE%9F%E6%A5%AD%E5%AE%B6%E3%80%82,DIC%EF%BC%89%E3%81%AE%E7%A4%BE%E9%95%B7%E3%81%AB%E5%B0%B1%E4%BB%BB%E3%80%82
※2 飯田善國とは…1923年、栃木県足利市生まれ。慶應義塾大学在学中に徴兵され中国を転戦。帰国後、東京藝術大学に入学。梅原龍三郎らの教えを受け1953年に卒業。製作者懇談会と呼ばれる美術論議のグループに所属し、芸術論の交換をしながら、戦争体験でばらばらになった世界観や自己への懐疑を再構築すべく、表現主義的な絵画でリアリズムを築き上げようとした。1956年からのローマ留学の間、彫刻のコースで学び、さらにヴォルスの絵画やヘンリー・ムーアの抽象彫刻に衝撃を受け、より外に開かれた、実感に近いものを求めて彫刻制作に転じ、ウィーンやベルリンなど主に欧州で活躍。同時にミニマルアートやキネティックアートなどの影響を受け、やがて素材は重い情念を感じる木から、より軽やかな印象の金属へと変化した。1983年〜1989年法政大学工学部建築学科教授。

主なコレクション

・マーク・ロスコを中心にアメリカ戦後美術に定評のある美術館です。そんなマーク・ロスコ、せっかくなので振り返っておきましょう。

マーク・ロスコとは

・カラーフィールド・ペインティングの先駆者。1903年、ロシア・ドヴィンスク(現ラトビア共和国ダウガフピルス)生まれ。10歳でアメリカに移住。1921年に奨学金を得て、イェール大学に入学。法律家を目指すが、2年で退学。1923年にニューヨークに出て働く傍ら、画家マックス・ウェーバーに学び表現主義の風景画や人物画を描く。1937年、ジャクソン・ポロックらが携わっていた政府による失業者救済の公共事業促進局(WPA)連邦美術計画に従事。前年にニューヨーク近代美術館で開催された「キュビスムと抽象芸術」展と「幻想芸術:ダダとシュルレアリスム」展に触発され、具像画から離れる。1938年にアメリカの市民権を得て、1940年からマーク・ロスコを名乗る。1940年代後半より浮遊感のある鮮やかな色彩のみで構成される「ナンバー」シリーズに着手。1950年代以降は巨大キャンバスに矩形の単純な色面を、水平あるいは垂直に配した画風に移行し、やがて宗教的体験に似た、鑑賞者の思考を喚起する瞑想的・神秘的な絵画表現を確立。哲学や詩を好み、悲劇、恍惚、運命といった人間の根本的な感情に関心を寄せていたロスコは、次第に自身の作品を感情を伝えるものとみなすようになる。(美術手帖参照)

→だいぶ端折りましたが、上の黄色マーカーしたところだけでも覚えておいてください。ということで、あらためてDIC川村記念美術館が誇る名作、マーク・ロスコを一部掲載しておきます。

<マーク・ロスコ>

(参考)ロスコ・ルームの様子

ロスコが有名な館ではありますが、美術館コレクションとしては他にも魅力的な絵画が多くあり、レンブラント、ジョゼフ・コーネル、サイ・トゥオンブリー、フランク・ステラ、印象派、エコール・ド・パリ、ダダ、シュルレアリスム、ミニマリズム、日本の現代美術まで幅広く取り扱っています。
主観ですが、これらに共通して言えるのはやはり勝巳氏も大切にされた「ひとり絵と語らう時間」をつくれるかどうかをコレクションの軸においているような気がします。より詳しく見たい方は以下の公式サイトを参照にしてみて下さい。
・DIC川村記念美術館 コレクション一覧:https://kawamura-museum.dic.co.jp/art/collection/

(付録)ロスコの魅力~川村氏の想いとは

・さて、そんなマーク・ロスコ、失礼ですが、ただ数色で色を塗っただけと思われる方もいらっしゃるかもしれません。私も画像、できるだけ拡大しましたが(後で怒られるかも)、このロスコの良さは一度足を運んで深呼吸して、椅子にゆっくり腰をかけ、じーっと1時間も2時間も見ることでやっとわかる世界かもしれません。上で覚えてくださいとお伝えしたロスコの狙った「鑑賞者の思考を喚起する神秘的な絵画表現」、これに最も近いのは「瞑想」だと言われています。皆さんも普段から、そんな瞑想をすることは稀かもしれませんが、ロスコの描きたかった世界はまさにこれで、コレクターの川村勝巳氏も激動のビジネスの世界を離れて恐らくこの時間を最も大切にし、それが叶うことができる絵画を傍に置いたのではないかと考えています。

また、ロスコ晩年の作品は数色の色と形に単純化された、まさに「素材」で勝負した作品です。恐らく、ロスコ自身もその作品が置かれる場所や環境を鑑賞者やコレクター自身にゆだねることで、その作品が設置されたその場所や環境も含めてはじめて作品が完成に至る世界を望んでいたのではないでしょうか。

それはDICという印刷用インキを起業の祖とする会社にとってはまさにうってつけのコレクションで、恐らく勝巳氏も生き馬の目を抜くような多忙なビジネスの世界に身を置きながら、そのような先代や企業のアイデンティティに関わる「色」についてひとり語り合う時間をつくってくれるロスコの絵画が人間の限られた時間においてどれほど大切であるのか、それを誰よりもわかっていたのではないかと思います。

され、そんな空想にふけることができるDIC川村記念美術館、いかがだったでしょうか。
実は東京駅、京成上野駅、成田空港駅とJR佐倉駅、京成佐倉駅の各駅から無料送迎バスが運行されています。皆さんもぜひ一度足を運んでみて下さい。

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