地元和泉市で綿業営んだ企業が建設、日本・中国の書画、陶磁器コレクションに特徴 大阪:和泉市久保惣記念美術館

大阪府

こんにちは。大阪の回では大阪府には美術館が少ない理由について触れました。そんな大阪も、和泉市にある日本・中国の古美術品で有名な美術館があるのをご紹介し忘れておりました。こちら過去に和泉市において織物業を営んできた老舗が創立した美術館です。ここでは、ユニークな取り組みとして、市内にある20を越える小学校の6年生を中心に美術館の作品を観覧してもらい、子どもたちが作品を見た感想を1年以上館内に掲示されています。

そんなユニークな美術館、それでは早速見て行きましょう!

このブログで紹介する美術館

和泉市久保惣記念美術館

・開館:1982年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、府・市観光協会より転載)

・場所
久保惣記念美術館 – Google マップ

地元和泉市で綿業営んだ企業が建設、日本・中国の書画、陶磁器コレクションに特徴

・和泉市立の美術館。日本と中国の絵画、書、工芸品など東洋古美術を主に約11,000点を所蔵。「久保惣」(久保惣株式会社)は、明治時代からおよそ100年にわたり綿業を営んだ企業名で、泉州有数の企業として知られました。

久保惣株式会社と美術館開館

・初代:久保惣太郎氏(1863-1928)が明治19年(1886)に創業、二代:惣太郎氏(1889-1944)、忠清氏(1900-1954)、三代惣太郎氏(1926-1984)と引き継がれ、地元和泉市の発展に大きく寄与。1977年(昭和52年)の廃業を機に三代:惣太郎氏が代表し、所縁の地である和泉市の地域文化発展と地元への報恩の意を込め、美術品、および美術館の建物、敷地、基金が和泉市へ寄贈、1982年(昭和57年)、寄贈者を顕彰する館名をつけ、久保家旧本宅跡地に開館しました。

開館以降、五代目代表者で本館名誉館長久保恒彦氏によって、1997年(平成9年)に美術館新館が寄贈、その後も、久保家や久保惣関係者から、音楽ホール、市民ギャラリー、市民創作教室、研究棟が追贈され、約5,000坪の敷地を有するに至っています。

→本業は廃業してしまっても、こうやってその文化財と人が脈々と地元和泉市で受け継がれていっているのは深い話ですね。

主なコレクション

日本の書画

・平安時代のかなの名品「歌仙歌合」(国宝)、「貫之集下 断簡・石山切」藤原定信筆(重文)をはじめ「熊野懐紙」藤原範光筆(重文)などの古筆、奈良時代以降の経巻と鎌倉時代の墨跡の重要文化財が数点ずつ所有。絵画では、鎌倉時代の「伊勢物語絵巻」「駒競行幸絵巻」、室町時代の「山王霊験記絵巻」(以上3点とも重文)などの絵巻をはじめ、「源氏物語手鑑」土佐光吉筆、「枯木鳴鵙図」宮本武蔵筆(以上2点とも重文)などの作品がコレクションされています。また、北斎や広重の風景画、歌麿や写楽の人物画、国芳の武者絵など浮世絵版画にも特徴をもっています。

(国宝)歌仙歌合(部分)

(重文)駒競行幸絵巻(部分)

(重文)枯木鳴鵙図
宮本武藏筆

中国の書画

・「十王経図巻」(五代~北宋時代)、「鍾馗図」(元時代)の2点の重要文化財が平成12年に林宗毅氏より寄贈された近現代絵画411件の定静堂コレクションを持ち、中国のコレクションとしては国内で有数の内容です。

(重文)十王経図巻(部分)

(重文)鍾馗図

陶磁器

・中国・南宋時代の「青磁 鳳凰耳花生 銘万声」(国宝)、日本・桃山時代の「黄瀬戸 立鼓花入 銘旅枕」「唐津 茶碗 銘三宝」(いずれも重文)など。書画、および中国・日本の青銅鏡とならんで久保惣コレクションの目玉になっています。

(国宝)青磁 鳳凰耳花生 銘万声

(重文)唐津 茶碗 銘三宝

金工品

・「響銅 水瓶」(奈良時代)、「響銅 鵲尾形柄香炉」(中国・南北朝時代)などの重要文化財7点を含む、金工品約2,500点を収蔵。日本・中国の青銅鏡276点と商(殷)周時代の青銅器は、絵巻とともに本館の代表的な作品群となっています。

(重文)響銅 鵲尾形柄香炉

その他の東洋美術

・新石器時代から漢時代の玉器、明清時代の煎茶器、古代西アジアの金工品などの工芸品を収蔵。

紫泥 茶銚 「萬豊順記」

西洋美術

・モネ、ルノワール、ゴッホ、ピカソ、ロダンなど、西洋近代の絵画15点、彫刻2点のほか、16~18世紀にヨーロッパで制作されたアジアを含めた世界の古地図、19~20世紀の西洋のエッチング、リトグラフなどを収蔵。

睡蓮 モネ(部分)

…いかがでしょう。和泉市久保惣記念美術館、本館と新館に分かれており、構内には茶室や庭園、市民ホール、市民ギャラリーと美術館活動にとどまらず、総合的な文化施設としての役割も担っているようです。

本館

新館

市民ホール

市民ギャラリー

市民創作教室

茶室

庭園

余談ですが、この美術館創設の母体となった久保惣株式会社、廃業した理由は、昭和53年に政府が打ち出した構造不況業種に対する転廃業指導がきっかけです。国が主導で転廃業指導を行なっていたのは私も知りませんでした。

1950~60年代からの繊維産業と石炭産業、1970年代以降の基礎素材産業(石油化学、化学肥料、 アルミニウム、化学繊維、紙、合金鉄、電炉業等)と国が主導で産業調整政策がはかられました。これは主に、

1.構造不況業種の生産・投資調整(それによる当該産業の自助努力、開放経済体制の堅持)
2.産業調整の過程で生じる社会的摩擦の緩和(それによる雇用への影響の緩和、関連中小企業、地域経済の安定)

という大きな役割を担ってきたようです。そんな中、こういった歴史が美術館設立という流れに繋がってきているのは不思議な縁ですね。そんな文化と経済の歴史も考えながら館内を歩くとより一層楽しめるかもしれません。

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