古物商から日本を代表するスーパーマーケットへ、「ヤオコー」の母が集めた珠玉のコレクション 埼玉:ヤオコー川越美術館(三栖右嗣記念館)

アートな場所

こんにちは。マウスです。今日のブログ、自分で言うのもあれですが、結構面白いです。
先日エリザベス女王が国葬され、ニュージーランドやドイツでも女性が首相として活躍されている昨今ですが、日本はまだまだ何かの組織のトップに女性が立つというのは限られている世の中です。よくガラスの天井と言う言葉がありますが、今日ご紹介する美術館とその美術館の始祖の方、良い意味でそんな天井があるのかなと思わせてくれます。では早速。

このブログで紹介する美術館

ヤオコー川越美術館(三栖右嗣記念館)

・開館:2012年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、県・市観光協会HPより転載)

・場所
ヤオコー川越美術館 – Google マップ

古物商から日本を代表するスーパーマーケットへ、「ヤオコー」の母が集めた珠玉のコレクション

・スーパーマーケットチェーンストアのヤオコーが、創業120周年の記念事業として、本社を置く川越市に2012年(平成24年)に開館。そのコレクションは、ヤオコーの実質的な創業者である川野トモさんが、埼玉県比企郡ときがわ町にアトリエを構える三栖の作品に出遭い、蒐集してきたもの。

スーパーマーケット「ヤオコー」とは

・埼玉県川越市に本社を置くスーパーマーケット。埼玉県を中心に、関東地方で食品スーパー「ヤオコーマーケットプレイス」をチェーン展開。埼玉県内を中心に160店舗以上。それぞれのお店で、地域のお客さまのニーズに対応した品揃えや提案をするよう工夫しているようです。ヤオコーは、今では当たり前となった、「顧客が直接商品を手にとって選び、低価格・短時間の買い物ができるというセルフサービス」を他店に先駆けて導入しており、当時の小売り業界に新風を吹き込ませました。

川野トモさんとは

そんなヤオコーの創業者:川野トモさん、どんな方だったのでしょうか。以下は略歴です。
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・小川町にある古物商「門倉商店」の娘として、1920年7月24日生まれる。小川高等女学校を卒業し、東京・神田の村田簿記学校を卒業。卒業後、小学校の代用教員をしながら、義父:川野清三の実弟で門倉商店のお得様であった八百幸商店を営む川野荘輔と結婚。仕入れたものが売れるという商売の楽しさに目覚め、子育ては基本的には義父:清三らの協力もあり、両立しながら商売を進めた。上記のセルフサービスのアイデアは、前橋のスーパーマーケット(松清中央店)を飛び込みで見学したことがはじまりと言われる。嫁の身分で義理の両親を説得する自信はなかったところ、松清の当時社長がトモのために後日八百幸商店を訪れ、川野家の説得を行い、これをきっかけに八百幸商店ではセルフサービス導入について検討、他店に先駆けてサービスを導入する契機となった。このときのトモの勇気と決断が、現在のヤオコーの原点と言われているそうです。

また、車が踏切待ちや信号待ちで停車すると、すかさず車から降りて同じく信号待ち・踏切待ちで停止している車に駆け寄り、「こんにちは。ヤオコーでございます。こんど○○に新しい店がオープンしますので、どうぞ宜しくお願いいたします」と挨拶をしたという逸話が残るほど、地元では熱心な商売人として有名だったとか。(別名:小川のおしん、惜しまれながら2007年8月14日に没)

子育ては基本的には義父らの協力もあり…」
→さらっと書いていますが、現代の男女の機会均等を地でいくような川野家に驚きました。戦前の圧倒的に女性が社会進出できていなかった時代です、トモさんの生きざまも壮絶ですが、略歴ご覧の通り、どこで絵画や美術に繋がっていくのか全く想像できないですよね。その通りで、川野トモさん、息子で現ヤオコー会長の川野幸夫さんが「絵画に特別な関心を持っていたとは思えない母」と述べているくらいです。そんなトモさんが心を動かされた、三栖右嗣の作品、どんな絵だったのでしょうか。(気になりますね…)

三栖右嗣とは

・埼玉県比企郡ときがわ町にアトリエを構え、現代リアリズムの巨匠といわれる。安井賞受賞作家で、陰影の深い写実表現を追求した洋画家。神奈川県厚木市に生まれ。本名三栖英二。1944年埼玉県北足立郡新倉(現、和光市)に転居。翌年、東京美術学校油画科に入学、安井曽太郎の教室に学ぶ。1952年、東京藝術大学美術学部油絵科を卒業。その後、乾いた叙情性をにじませた表現に強い影響を受けるようになり、そこに写実表現の可能性を見いだす。1976年、第19回安井賞展に実母をモデルにした「老いる」出品、同賞を受賞。受賞理由は、老いた人間の肉体を冷静に克明に描きだすことによって、肉親に対する情愛と生命に対する敬虔な念が凝縮された表現であったことに由来。また、静物、風景、人物等にわたり、画家の言葉である「いのち」をテーマとするようになり、厳然たる自然の姿に対して敬虔な姿勢と賛歌を画面に表わすことにつとめた。後年、「絵描きは作品がすべて。言葉はいらない。」とのコメントを残す。

→三栖右嗣、実母をモデルにした作品で一躍有名になったのですね。そこに現ヤオコー会長の川野幸夫さんも感じるところがあるのかもしれません。

主なコレクション

 

そしてこれが、川野トモさんが最初に三栖さんの絵画に魅了されたコスモスという作品。

※写真は美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダから転載(https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/2961

商売一筋だったトモさん、この絵に何を感じ何に惹かれたのでしょうか。その答えはきっとヤオコー川越美術館(三栖右嗣記念館)に行けば解ると思います。皆さんもぜひ足を運んでみて下さい。

「他人にとっては汚いシワにしか見えないだろうが、私にとっては、一つ一つのシワが私が苦労をかけた想いにつながっている。シワの一筋一筋が私自身なのだ。」(「野の讃歌 三栖右嗣展」カタログより抜粋)
後に「老いた母を写生している間中、涙が止まらなかった。」とも語っています。自身の母親をモデルとしたこの作品で、三栖右嗣は「老いゆくいのち」に真正面から向き合いました。皆さんに見て頂きたい1点です。
(川野幸夫 ヤオコー川越美術館 館長より)

追記
実は私の生家も小さいながらも自営業を営んでいました。川野トモさん、どうにも私の母に重なるところがあるなぁと思いながら執筆しました。世の中の肝っ玉母ちゃん…そんな多くの「母ちゃん」が次の世代の扉を開く原動力になっているのかもしれませんね。そんなことを考えながら終わりたいと思います。ご覧いただきありがとうございました。

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