「粋と賑わい」—江戸東京の歴史と文化をふりかえり、未来の都市と生活を考える場所 東京都江戸東京博物館

東京都

 こんにちは。今日は両国にある都立(正確には東京都歴史文化財団の運営)の博物館です。

 私も東京に住んでいた頃は東東京の方に住んでいたので、何度か足を運びました。
 とてつもなく奇抜な形の建造物に江戸東京の歴史や文化が学べるものが展示されており何とも不思議な感覚になったのを記憶しています(本博物館、地上部分の高さは約62mだそうで江戸城の天守閣とほぼ同じ、隣接する両国国技館との調和を考え高床式のユニークな構造になっています)。

 残念ながら施設老朽化に伴う改修工事のため2025年まで休館されていますが、振り返り含めご紹介していきましょう。

このブログで紹介する博物館

東京都江戸東京博物館

・開館:1993年
・博物館外観(以下画像は博物館HP、都、観光協会HPより転載)

・場所:江戸東京博物館 – Google マップ

「粋と賑わい」—江戸東京の歴史と文化をふりかえり、未来の都市と生活を考える場所

・江戸東京の歴史と文化をふりかえり、未来の都市と生活を考える場として平成5年(1993年)に開館。高床式の倉をイメージしたユニークな建物で、開館以来、東京を代表する観光スポットになりました。常設展は、徳川家康が江戸に入府してから約400年間を中心に、江戸東京の歴史と文化を実物資料や復元模型等を用いて紹介。さらに、1階展示室で開催される年5~6回の特別展に加えて、講座や体験教室など様々な活動を展開しています。

基本方針

①江戸特有の美意識―「粋(いき)」にならった各種事業、ならびに都市史の専門博物館として多くの観覧者で「賑わい」をみせる文化施設を目指す。
②「粋と賑わい」を今日的な意義で捉えなおす。
③資料収集・保管、展示をとおして、江戸東京の歴史と文化を継承する。
④調査研究の成果を広く都民に還元し、多彩な普及活動を展開する。
⑤江戸東京博物館を観光や地域振興の拠点と位置づけ、国内外から訪れる人々の交流を促進する。

→江戸東京博物館、そのシンボルマークも非常にユニークなことで有名です。

このマーク、江戸時代の謎の浮世絵師と言われる東洲斎写楽が描いた役者絵「市川鰕蔵の竹村定之進」(いちかわえびぞう の たけむらさだのしん)の左目をもとにデザインされたものだそうです。見得をきった瞬間の力のこもった目の表情が、博物館を訪れる人びとの驚きや好奇心を表現しているとの事。また、遠い江戸時代からの視線は、現在、そして未来の東京までも見守っているようにもみえるよう工夫されているそうです。(佐藤晃一氏のデザインです)

常設展示

・以下は美術館HPに掲載の館内画像(一部)、及びその紹介文を参考に掲載しています。

江戸城と町割り

・1590年(天正18)、関東に入った徳川家康は江戸を本拠地とし、1603年(慶長8)に征夷大将軍となると、この地に幕府を開く。家康は、江戸を幕府の所在地に相応(ふさわ)しい都市とするため開発を進め、日本橋を中心に堀や道を設け、江戸城の周囲に武家や町人、寺社などの居所を定めた「町割り」を行った。

 常設展示室の入り口となるこのコーナーは、実物大で復元した日本橋から始まる。渡ったその先には、寛永時代の町人地や大名屋敷、幕末の江戸城御殿を縮尺模型で復元、江戸城を中心とした町割りの様子を見ることができる。その他、将軍家や大名家に由来する歴史資料の数々も展示。

町の暮らし

・江戸時代、庶民の多くは長屋と呼ばれる住宅に住んでいた。そこではさまざまな職業の人たちがお互い助け合いながら、日々の生活を営んでいた。このコーナーでは、実物大の「棟割長屋(むねわりながや)」模型をはじめ、現代の私たちの生活に直結するような当時の衣食住についての資料を展示し、また、町の施設や江戸で起こった災害や病気などに関する資料も展示。江戸の人々がどのように暮らしていたのか、見ることができる。

出版と情報

・江戸時代には印刷物の出版が盛んになり、それらの流通を通して、人々は事件や災害の情報を得ることができるようになった。情報伝達の発展だけでなく、庶民が楽しんだ草双紙や錦絵といったさまざまな書物や刷り物も出版され、江戸独自の出版文化が華(はな)開くことになる。 このコーナーでは、書物や錦絵の制作から販売に至るまでを紹介し、人々が読んだり見たりした多彩な出版物を展示。

江戸の商業

・江戸時代は生活の変化とともに、経済活動も大きく変わっていった時代。大坂を中心とする上方からの舟運によって物資が大量に輸送されることにより、江戸の町の物流は質的にも量的にも拡大していく。また、三井越後屋によって「店先売り」や「現銀掛値無し」といった、現代では当たり前となった現金取引による店頭販売など、新たな商取引が始まった。 このコーナーでは、物資の輸送がどのように行われ、それらが江戸でどのように取り引きされていたのか、また貨幣はどのように用いられていたのか、などを取り上げる。

江戸と結ぶ村と島

・大消費都市となった江戸は、出稼ぎなど全国からの移住者が増加したことにより人口が急増、市域も拡大した。上方から輸送される物資だけでなく、江戸近郊の農村や伊豆七島でとれた商品作物も盛んに流入する。このコーナーでは、それらの物流の玄関口として、陸路では五街道の最初の宿となる品川・板橋・千住・内藤新宿の四宿、水路では関東周辺の河川交通を紹介する。江戸と関東との結びつきを知ることができる。

江戸の四季と盛り場

・江戸の人々は、自然と深くつながりながら、四季折々、季節ごとの多彩な年中行事にいろどられた日々を過ごしていた。 このコーナーではそんな庶民の生活文化について、3つのテーマに沿った展示をする。まず「江戸の四季」をテーマに、自然の移ろいや年中行事について。つぎに、聖と俗が一体となった「江戸の盛り場」をテーマに展開。そして最後に「旅と祈り」をテーマに、庶民が町から神社仏閣といった聖地へとおもむく参拝の旅について取り上げる。

文化都市江戸

・江戸の市中では、武士や町人をはじめ、地方からも文人などが集い、書画などの学芸活動や茶の湯・生け花・歌舞音曲などの遊芸活動が盛んに行なわれるようになった。また、江戸時代の日本は、「鎖国」により国際的に孤立していたというイメージがあるが、実際にはオランダ・中国・朝鮮との交流を通じて海外と結びつき、制限された状況のもとでも文化交流は続けられていた。 このコーナーでは、都市江戸における文化活動の高まりや海外文化の受容について紹介する。

江戸の美

・伝統を重んじる上方と比較すると、江戸では明快であっさりとした意匠が好まれていた。小紋や縞(しま)、江戸紫などはその典型である。また、しばしば流行の発信源となったのは役者や吉原の遊女たちの風俗で、彼らは浮世絵の題材としてもたびたび登場する。これら江戸文化の担い手、例えば工芸品や浮世絵の職人たちは、高い技術を持っていた。 このコーナーでは、まず装いと飾りをテーマに、人々の衣装や身近な装身具・調度品に施された江戸好みの意匠に注目し、主に工芸品を展示する。つぎに浮世絵の世界をテーマとして、その誕生から発達、活躍した絵師たち、外国に渡った浮世絵について展示。

芝居と遊里

・当時、歌舞伎などの芝居見物は、庶民や武士といった身分の隔てなく、江戸の人々にとって最大の娯楽であった。 このコーナーでは、今日も日本を代表する伝統芸能の一つとして演じられている歌舞伎を取り上げる。特に荒事を中心とした江戸歌舞伎の特徴を解説し、舞台や芝居小屋の変遷、江戸の人々のあこがれの的であった役者たちについて展示する。 また、幕府公認の遊郭であった吉原の成立と変遷、遊女たちの実像についても展示。

江戸から東京へ

・ペリー艦隊が浦賀に来航してから15年後の1868年(慶応4)、江戸幕府の倒壊により、世は明治と改まり新政府が成立。この幕末・維新の時代には、勝海舟や西郷隆盛など、多くの個性的な人々が登場した。彼らの華々しい活躍は、現代に生きる私たちを惹きつけてやまない。この時代がテレビドラマや歴史小説でしばしば取り上げられることからも、その人気の高さがうかがえる。 このコーナーは、江戸ゾーンと東京ゾーンの2つをつなぐものである。江戸東京博物館からほど近い本所亀沢町(現在の墨田区)に生まれた幕臣勝海舟に注目し、江戸が首都・東京となっていく時代の大きな転換期をあつかう。

文明開化東京

・明治時代に入った東京では、新政府の主導で近代国家にふさわしい首都の建設が進められた。1872年(明治5)の大火の後には、火災に強い洋風都市を目指した「銀座煉瓦街」が建設される。また、1883年(明治16)には、欧化政策のシンボルとして鹿鳴館が落成し、在留の外国人を招いた舞踏会が盛んに開催されるようになる。人々の暮らしにも「ザンギリ頭」や洋食文化などが、徐々に浸透した。 このコーナーでは、江戸をもとにして東京がどのように変化していったのか、現代へと連なる首都東京の誕生と経過について展示。

開化の背景

・文明開化の一方で、庶民の衣食住は江戸の面影が色濃く残っていた。例えば、学校教育の場面においては近代的教育がすぐに整備されたわけではなく、寺子屋から派生した私立小学校も多く存在した。 このコーナーでは、そのような過渡期にあった庶民の暮らしを描いたフランス人画家ビゴーの版画や、近代教育制度の成立に関する資料、当時の学校で使用されていた教科書などを展示。

産業革命と東京

・首都東京では、明治新政府による「富国強兵」「殖産興業」政策のもと、産業が大きく伸展していった。また、上野で開催された「内国勧業博覧会」は国内外の技術が出会う場となり、民間産業の発展に大きく寄与することとなる。明治中期から後期にかけて、重工業が急速に伸長したが、一方で工場の騒音や労働者の劣悪な労働環境などさまざまな問題が起こる。 このコーナーでは、そのような東京の産業発展の様相について紹介する。

市民文化と娯楽

・文明開化以降、東京では多彩な文化や風俗が生まれた。第一次世界大戦を契機として、経済が成長すると、大量生産・大量消費による新しい生活様式が浸透した。人々の目は世界へと向けられるようになり、情報・娯楽産業の発展とともに、新聞・雑誌などのメディアが発達し、文化の大衆化が進んだ。江戸時代以来の盛り場であった浅草では、西洋の技や芸が導入され、かつての見世物小屋から、高層展望塔や活動写真館などの新しい娯楽施設に人気が移った。 このコーナーでは、東京における多彩な文化の展開と、娯楽の本場浅草のにぎわいの変遷について紹介する。

関東大震災

・1923年(大正12)の関東大震災では火災の被害が甚しく、東京では7万人におよぶ人々が犠牲となった。震災後の東京では、大規模な復興事業により街並みが一新されるとともに郊外の開発が進み、現在の東京の原型ができあがる。 一方、たびたび洪水に悩まされてきた東京では、1910年(明治43)の大洪水をきっかけに、全長24kmの荒川放水路の開削(かいさく)が計画され、関東大震災の復興事業が完了した1930年(昭和5)に完成した。 このコーナーでは、東京の都市構造を一変させるきっかけとなった災害を取り上げ、それに立ち向かった人々の姿に迫る。

モダン東京

・大正から昭和前期にかけて、東京に住む人々のライフスタイルは大きく変わった。いわゆるサラリーマン層が増加し、住まいと職場が分かれていることが一般的になる。人々は郊外へと居住地を求め、その人口は増加していった。郊外へつながる鉄道路線も次々と開通し、ターミナル駅となった新宿や渋谷などは新たな繁華街として発展した。 このコーナーでは、そうした都市と生活の変化について、インフラや住まい、職業、余暇の過ごし方などさまざまな側面から展示。

空襲と都民

・1941年(昭和16)12月、日本はアメリカやイギリスなどとの間で戦争状態に突入する。しかし、戦争が長引くにつれ、日本は劣勢となり、やがて空襲の危機が迫ってくる。そのため、多くの学童が地方へと疎開した。その後、東京の大部分が空襲を受け、焼け野原となる。 このコーナーでは、戦時中の人々の暮らしの様子を伝える資料のほか、東京大空襲の凄惨(せいさん)さを物語る被災した品々などを展示。

よみがえる東京

・終戦を迎え、日本は連合国軍の占領下となり、東京には連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が置かれる。外国人兵士が都内に在住し、専用の住宅地が造られたほか、多くの建物が接収され連合国軍用の施設となった。その一方、東京で暮らす人々は、住宅や生活物資が極端に不足した。 このコーナーでは、占領下にあったことを伝える英語名の入った道路標識や、困窮した人々の生活を支えたヤミ市の模型と、そこで売られていた品々などを展示。

高度経済成長期の東京

・戦後まもなく、人々は物不足と食糧難に苦しんだが、国内の製造業が復興し、昭和30年頃から高度経済成長期に入る。また経済的に豊かになり、労働者の賃金も上昇。白黒テレビや電気洗濯機、電気冷蔵庫といったいわゆる「三種の神器」と呼ばれる家庭電化製品が急速に普及した。 このコーナーでは、「三種の神器」を展示するほか、住宅不足の解消のために建設された集合住宅の中から「ひばりが丘団地」の一室を復元し、その暮らしぶりを再現する。そして、この時期の一大イベントであった東京オリンピックに関する資料も展示。

現代の東京

・東京は世界の中でも、最大規模の人口を有する巨大都市であり、さまざまな個性を持つ街が連続するバラエティーあふれる都市でもある。こうした特徴は、どのようにして形成されてきたのか。 このコーナーでは、みなさんの記憶にも新しい時代の生活や文化についての展示を行い、1960年代から2000年代までを5つに分け、東京の変化を10年ごとに比較する。 それぞれの年代に生まれ、そして消えた都市風景、注目されたモノや事象などをたどることにより、現代の東京がどのように変化し形成されてきたのか、時代の移り変わりを展示している。

ミュージアム・ラボ

・ミュージアム・ラボは、展示室の最後尾に位置し、「体感・体験する」コーナーである。 これまでも好評いただいていた1954年(昭和29)頃の住宅を、屋根や廊下を付けて拡充。家庭電化製品や洋風の生活が普及する前の、季節感や生活感あふれる暮らしを追体験していただくため、実際に靴を脱いであがれるようにしている。 新設の小スペースでは、様々な体験模型を設置し、実際に昔の生活道具に触れるプログラムや、様々なワークショップの実施が可能。

手で見る展示

・手で見る展示は、視覚障害の方を対象とした「さわれる」コーナーで、5階案内所横に設置している。 実物大の「日本橋」、「芝居小屋中村座」、「神田明神の山車」などの建築模型を両手で触れる大きさのミニチュアにして、点字付きのキャプションとともに展示。また、喜多川歌麿、東洲斎写楽の大首絵(歌舞伎役者などの半身像を描いた浮世絵)を浮彫り細工により立体的にして、絵の輪郭だけでなく、結った髪の感触などがリアルに感じられる。視覚障害の方だけでなく、全ての方が新たな鑑賞方法として楽しめる。

…いかがでしょうか。今更ですが、この博物館、歴史資料だけでなく、ジオラマや原寸大の復元模型がすごいです。それらを眺めるだけでも江戸東京の街や人びとがどんな生活をしていたのか、想像をかき立てられる博物館です。江戸幕府が誕生してから420年余、その歴史を一挙に振り返ることができる東京都江戸東京博物館、皆さんもぜひ足を運んでみて下さい。

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(参考)江戸東京博物館 沿革

・昭和55.12.1 生活文化局コミュニティ文化部振興計画室が発足
・昭和55.12.3 マイタウン構想懇談会が「マイタウン構想懇談会報告書」を知事に提出
・昭和56.8.14 東京都江戸東京博物館建設懇談会を設置
・昭和57.6.14 資料の受贈を開始
・昭和57.11.30 第7回東京都江戸東京博物館建設懇談会を開催し、「東京都江戸東京博物館建設懇談会報告書」を知事に提出
・昭和58.2.16 東京都江戸東京博物館建設委員会および同専門部会(5部会)を設置
・昭和58.4.1 資料の購入を開始
・昭和58.6.1 江戸東京博物館建設準備室を設置
・昭和58.12.13 東京都江戸東京博物館資料収集委員会を設置
・昭和59.2.23 東京都江戸東京博物館資料評価員会を設置
・昭和60.5.28 東京都江戸東京博物館建設委員会設置要綱を改正し、企画小委員会を設置
・昭和60.7.19~7.28 東京都江戸東京博物館建設委員会企画小委員会が海外博物館を視察
・昭和60.10.24 日本国有鉄道に対し建設予定地として両国駅前(北側)の国鉄用地の譲渡を要請
・昭和61.7.30 第6回東京都江戸東京博物館建設委員会を開催し、「東京都江戸東京博物館建設委員会報告書」を知事に提出
・昭和61.8.16 「東京都江戸東京博物館建設委員会報告書」を東京都江戸東京博物館建設基本構想とすることに決定
・昭和62.4.1 (財)東京都文化振興会へ資料収集関係業務を委託 (財)東京都文化振興会麻布分室を設置
・昭和62.9.1 東京都設計候補者選定委員会が江戸東京博物館設計候補者として㈱菊竹清訓建築設計事務所を選定
・昭和62.10.26 東京都江戸東京博物館建設推進委員会を設置
・昭和63.3.31 日本国有鉄道清算事業団との間で両国駅前の旧国鉄用地(建設予定地)の買収契約締結 第4回東京都江戸東京博物館建設推進委員会を開催し、「江戸東京博物館建設基本計画報告書」を知事に提出
・昭和63.4.1 (財)東京都文化振興会麻布分室が(財)東京都文化振興会江戸東京博物館資料収集室に組織変更
・昭和63.6.3 東京都江戸東京博物館野外収蔵委員会を設置
・昭和63.12.21 (財)東京都文化振興会江戸東京博物館資料収集室が両国へ移転
・平成1.6.9 東京都江戸東京博物館建築に着工
・平成1.6.22 東京都江戸東京博物館建設起工式
・平成2.2.16 東京都江戸東京博物館開設準備委員会を設置
・平成2.10.1 (財)江戸東京歴史財団を設立
・平成3.2.10 東京都江戸東京博物館分館(野外博物館)用地整備に着工
・平成4.4.1 (財)江戸東京歴史財団に江戸東京博物館開設準備室を設置
・平成4.11.3 東京都江戸東京博物館竣工
・平成5.3.28 東京都江戸東京博物館及び同分館江戸東京たてもの園が開館
・平成5.7.1 東京都江戸東京博物館本館常設展示来館者100万人を達成
・平成7.8.9 東京都江戸東京博物館本館常設展示来館者500万人を達成
・平成7.10.1 (財)江戸東京歴史財団と(財)東京都文化振興会の統合により(財)東京都歴史文化財団が発足
・平成8.6月 東京都江戸東京博物館ホームページ開設
・平成8.12.4 東京都江戸東京博物館分館江戸東京たてもの園ボランティアを導入
・平成9.10.1 東京都江戸東京博物館ボランティアを導入
・平成10.3.28 東京都江戸東京博物館及び同分館江戸東京たてもの園開館五周年
・平成10.5.17 東京都江戸東京博物館分館江戸東京たてもの園来園者100万人を達成
・平成11.10.1 館蔵資料の閲覧公開開始
・平成12.6.27 「萌葱地葵紋付小紋染胴服」(1領 付 今村家覚書1巻)が国指定重要文化財に指定
・平成12.10.15 東京都江戸東京博物館本館常設展示来館者1,000万人を達成
・平成12.12.4 「阿蘭陀風説書」(1通)が国指定重要文化財に指定
・平成12.12.12 都営地下鉄大江戸線全線開通により東京都江戸東京博物館に隣接して「両国(江戸東京博物館前)駅」開設
・平成13.3.1 東京都江戸東京博物館分館江戸東京たてもの園ホームページ開設
・平成13.6.22 「旧江戸城写真ガラス原版」(29枚)が国指定重要文化財に指定
・平成13.12.21 メールマガジン「江戸博ニュース」配信開始
・平成14.3.29 東京都江戸東京博物館条例及び規則を改正。開館時間や常設展観覧料などを改訂(平成14年4月1日施行)
・平成15.3.28 東京都江戸東京博物館及び同分館江戸東京たてもの園、開館10周年。江戸東京博物館公式キャラクター「ギボちゃん」発表。江戸開府400年事業に参加
・平成16.6.8 「壬申検査関係ステレオガラス原版」(257点)が国指定重要文化財に指定
・平成17.4.1 図書室蔵書検索(OPAC)のインターネット公開開始
・平成18.4.1 指定管理者として(財)東京都歴史文化財団が運営
・平成20.3.28 東京都江戸東京博物館及び同分館江戸東京たてもの園、開館15周年
・平成21.4.1 指定管理者として(財)東京都歴史文化財団・鹿島建物総合管理株式会社・アサヒビール株式会社からなる財団グループが運営
・平成22.4.1 公益法人制度改革に伴い、公益財団法人東京都歴史文化財団へ移行
・平成23.3.11~ 東日本大震災の影響による臨時休館。東京都江戸東京博物館の全館再オープンは5月1日。江戸東京たてもの園は3月15日。
・平成25.3.28 東京都江戸東京博物館及び同分館江戸東京たてもの園、開館20周年
・平成27.3.28 東京都江戸東京博物館 常設展示室 リニューアルオープン
・平成29.4.1 指定管理者として(公財)東京都歴史文化財団が運営
・平成29.10.1~ 平成30.3.31 ホール等改修工事のため全館休館
・平成30.3.12 蔓梅擬目白蒔絵軸盆(原羊遊斎 作 酒井抱一 下絵)が国指定重要文化財に指定
・平成30.4.1 東京都江戸東京博物館 再オープン(常設展示室及び図書室)
・平成30.4.12 常設展示室360°パノラマビュー 公開
・平成31.3.26 デジタルアーカイブス リニューアル
・令和1.8.1 1階ホール リニューアルオープン
・令和2.2.29~ 令和2.5.31 新型コロナウイルス感染拡大防止のため全館休館
・令和2.9.6 竹内誠名誉館長 逝去
・令和3.4.1 指定管理者として(公財)東京都歴史文化財団が運営
・令和3.4.25~ 令和3.5.31 新型コロナウイルス感染拡大防止のため全館休館
・令和4.4.1~ 大規模改修のため休館

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