17歳で夭折した少年の「青春」が詰まった場所 群馬:高崎市 山田かまち美術館

アートな場所

こんにちは。本日は群馬県です。こちらもご紹介できていなかった館がありました。17歳で夭折し早熟の天才と言われた画家の作品を収蔵する美術館です。こちら、小、中学時代に同級生だったロック歌手・氷室京介さんに紹介されたことから全国の若者の関心を集め、週末になると多くの若者が訪れる場所となっています。

このブログで紹介する美術館

高崎市 山田かまち美術館

・開館:1992年 ※2014年に高崎市市営に移行しリニューアルオープンしました。
・美術館外観(以下画像は美術館HP、市観光協会より転載)

・場所
高崎市山田かまち美術館 – Google マップ

17歳で夭折した画才の「青春」が詰まった場所

・絵画や詩の優れた才能に恵まれながらも、17歳で夭折した山田かまちの水彩画、クレヨン画、詩文など約120点を展示、永遠の少年・山田かまちの魅力を紹介しています。

山田かまちとは

・1960年、高崎市に生まれの画家・詩人。幼少期から小学校にかけて、絵を描いたり詩や物語を書いたりすることに並はずれた独創性を発揮、周囲の人々を驚かせる。4、5年生の頃から切手収集やクラシック音楽にも夢中になり、「ぼくには24時間では足りないよ」が口癖でした。

中学校に入学してからは、学校の友人や国内外の文通仲間と音楽や世界について語り合い、天体観測に夢中になるなど好奇心いっぱいの日々を送る。ビートルズをはじめ、クイーンやエアロスミスなど、海外のロックミュージックにのめりこみ、魂そのもののように感じていたロック音楽についても多くの絵や詩を書き綴りました。予備校、高校での新しい出会いは、かまちに友情と恋を教え、さらに多くの作品として結晶化。

1977年8月、かまちはエレキギターの練習中に感電する事故にあい、誰も予期しなかった突然の死を迎えてしまいます。後に部屋に残された大量の絵と詩文は思春期の少年の揺れ動く想いと心の叫びにあふれ、残された人々に衝撃を与えました。

かまちの死の4年後に前橋で開催された遺作展や小、中学時代に同級生だったロック歌手・氷室京介氏などに紹介されたことから全国の若者の関心を集め、1990年代初期には全国的なブームを呼び、美術や現代国語、社会の教科書などにも掲載されるように。2000年には生誕40周年を記念した巡回展が全国各地で開催され、「かまち現象」とも呼ばれました。

小学生時代から死ぬまでに描き遺した千枚近い絵やデッサンに出合った画廊経営者の広瀬毅郎氏がその表現に打たれ、1992年(平成4年)、高崎市・観音山麓の画廊の隣に個人美術館、山田かまち水彩デッサン美術館を開きます。2004年(平成15年)、その生涯を映画化した「KAMACHI」(望月六郎監督)が公開。
<映画「KAMACHI」のチラシ>

※画像は「映画チラシサイト」から転載:http://eiga-chirashi.jp/view_item.php?titleid=13806

→1日が24時間じゃ足りないが口癖だったのですね(驚)
2歳頃には自動車をいろんな角度から描き分けていたそうで周囲を驚かせていたそう。小学校のときの担任は東京藝術大学出身の方だったそうですが、その才能驚き、黒板の一角をかまちさんのスペースとして担任が自由に使ってもいいことを許したり、東京の様々な美術館へ連れて行ったりしたそうです。そんな周囲の期待をよそに不慮の事故で亡くなったことは悔やまれます。

山田かまち 年表

・1960(昭和35)年、7月21日、高崎市に生まれる。1歳半の頃から、絵を描くことに熱中する。
・1967(昭和42)年、高崎市立倉賀野小学校に入学。毎日、クラスメートに請われて怪獣の絵を何枚も描き、担任教諭から黒板の専用スペースを与えられる。夏休み、はじめて詩を書く。ピアノを始める。
・1969(昭和44)年、小学校3年生の冬休みに52枚の動物画を一時間で描き上げる。当時の担任であった東京藝術大学出身の教諭がその作品に驚嘆し、実業家であり芸術のパトロンとして大きな足跡を遺した井上房一郎氏に、かまちを引き合わせる。
・1973(昭和48)年、高崎市立倉賀野中学校に入学。この頃、天文学に興味を抱き始める。
・1975(昭和50)年、祖母が死去し、非常に心を痛める。文通の友の影響でビートルズに熱中する。《プリーズ・ミスター・ポストマン》など多くの絵を描く。
・1976(昭和51)年、倉賀野中学校を卒業。高校受験に失敗、浪人し前橋の予備校に通う。この頃多くの水彩画や素描が生まれる。また、ノートに詩、物語、漫画などを描く。
・1977(昭和52)年、群馬県立高崎高等学校に入学。学園祭で映画を制作・出演するなど、多彩な才能を発揮する。8月、エレキギターの練習中に感電死する。享年17歳。
・1981(昭和56)年、前橋市で「山田かまち絵画遺作展」が開催される。
・1989(平成元)年、井上房一郎主催により、高崎市の画廊で「山田かまち水彩デッサン展」が開催される。
・1992(平成4)年、「山田かまち水彩デッサン美術館」開館。
・2014(平成26)年、高崎市山田かまち美術館として再オープン。

※井上房一郎氏…覚えていらっしゃいますか?群馬県の芸術・文化の発展に多大な貢献をされ、群馬県立近代美術館の創設に尽力された方です。覚えていらっしゃらない方は群馬県立近代美術館のページを参照ください。(山田かまちさんとの間でも関係性があったことは何だか不思議な縁ですね)

主なコレクション




詩文

・高崎市が開設している美術館のHPには山田かまちさんの詩文も掲載されています。2ヶ月に一度更新されているそうなので、更に深く知りたい方は都度のぞいてみて下さい。
〇山田かまち詩文紹介のページ:https://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2016090400024/
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かまち
かまち
雪が呼んでいますよ
暖かな夜も
雪が 雪が
かまち
かまち
雪が呼んでいますよ
降る 降る 
どこからかそっと 夜に

鈴の音もいつかやみ 闇の中に火がひとつ
なにも耳では聞こえないが
ぼくの中に どこかで 呼ぶ
誰かが 雪が 呼んでいますよ
ぼっと燃えたようなチョコレートも
ああ ああ いい
かまち かまち どこかで呼んでいますよ。(1977年3月)※17歳
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「ぼくの心は・・・」
ぼくの心は悲しさと
いらだたしさと
恐しさと
不安さと
疲労感でいっぱいだけど
でも、楽しさと
夢と
想像と
希望と
期待と
興ふんと
しあわせでいっぱいだ。(1976年2月)※16歳
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