1872年開催の博覧会がはじまり、収蔵品12万件(国宝89件、重要文化財649件)の日本を代表する博物館が大切にする「文化を守り、次世代へ伝える意味」 東京国立博物館

東京都

<東京編は記事有料化していましたが、今回は美術館紹介ラストということで無料配信です!>

こんにちは。いよいよ全国の美術館(博物館)紹介、ラスト1館です。
(と言いながら、先日知人と「エスパスルイヴィトン」って良い現代美術の展覧会やっているよねって話しましたが、実は本ブログでご紹介していないという事実、、)
※重要な20世紀の作品の紹介と現代美術に特化した芸術機関「フォンダシオン ルイ・ヴィトン(フランス、パリ)」の所蔵コレクションから選りすぐった作品を展示。これらルイ・ヴィトンの活動は、「Hors-les-murs(壁を越えて)」プログラムと呼ばれより多くの人々に所蔵作品にふれる機会を提供している。

要はまだまだ日本には私のブログでご紹介できていない素晴らしい美術館が沢山あるということで、皆さんの中でこのブログをきっかけに、他にも最良の美術館・作品を見つけていただく少しでもの助力になれれば私としてはうれしく思います。(また、もし今後「この美術館も紹介して欲しい!」というのがありましたら是非コメント欄やメッセージを寄せていただけると幸甚です)

…思えば2022年8月31日に北海道の札幌芸術の森美術館でスタートした本企画、約1年(正確には11か月)でほぼ毎日更新、300館以上の美術館をご紹介してきました。基本的には各美術館のHPに載っている情報をあえて私見はあまり交えずに忠実に掲載してきたつもりですが、右の人気記事ランキングをご覧いただければお解りのとおり、結構皆さんが興味をもっている美術館・分野というのにバラつきがあります。
(私しか閲覧数は見れないのですが、ランキング上位の記事は毎日500回~1000回くらい見ていただいている時もあるようです)

この美術館紹介にのせた想いや今後の投稿内容、本ブログの便利な使い方などは後日記載するとして、ラスト1館にふさわしい館をこれまでの美術館たちのストーリーを噛み締めながらご紹介していきたいと思います。

このブログで紹介する美術館

東京国立博物館

・開館:1872年 ※日本最古かつ最大の博物館です。
・美術館外観(以下画像は美術館HP、独立行政法人国立美術館、都、観光協会HPより転載)

・場所:東京国立博物館 – Google マップ

1872年開催の博覧会がはじまり、収蔵品12万件(国宝89件、重要文化財649件)の日本を代表する博物館が大切にする「文化を守り、次世代へ伝える意味」

・1872年、東京・湯島聖堂大成殿で開催された博覧会をきっかけに開館した国立博物館。日本の人文系の総合博物館として、日本を中心として広くアジア諸地域にわたる文化財について、収集、保存、管理、展示、調査研究、教育普及事業等を行っており、それら文化財の収集・調査・修復とその成果を展示することで、教育に活かし文化の保護と継承を続けていくことを使命として運営されています。

 150年にわたり受け継いできた収蔵品は現在約12万件で、このうち国宝89件、重要文化財649件(2023年4月現在)と質・量ともに日本を代表するコレクションです。「総合文化展」と称し、これら収蔵品や寄託品で構成される3000件にものぼる展覧会を常時開催しており、その数は年間約300回を数えます。

また、何度来ても新しい発見がある博物館として東京国立博物館の展示館は計6館で構成。本館では日本美術を、平成館では日本の考古を、東洋館では東洋美術、法隆寺宝物館では法隆寺献納宝物を展示。加えて、特別展、催し物会場となる表慶館、敷地外に洋画家黒田清輝の作品を展示する黒田記念館が立地しています。

 創立150年の大きな節目を迎えた東京国立博物館ー館長の藤原誠さんはその想いを「いつ来ても新しい作品に出会える博物館」というメッセージにのせて語っていらっしゃいます。
(参考)https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=141

東京国立博物館の歴史

・美術館のHPにはその150年にわたる歴史について触れられています。
東京国立博物館、明治5年(1872)3月10日、文部省博物局が湯島聖堂大成殿において最初の博覧会を開催したのがはじまりで、開館後間もなく内山下町に移転、次いで明治15年に現在の地である上野公園に移りました。

 150年あまりの間、博物館はその時代の施策により所属官庁が変わったり、大規模な組織の改変が行われるなど幾多の変遷を経てきたそうです。明治期に内外で開催された大規模な博覧会との関わり、関東大震災、太平洋戦争などが館に与えた影響などを織り交ぜつつ、創立当初から今日までの歴史をたどっています。

湯島聖堂博覧会

・以下は、明治5年3月10日に湯島聖堂大成殿を会場として文部省博物局によって開催された日本で最初の博覧会、その陳列風景が描かれています。

博覧会は大変な人気を呼び、最終的に入場を制限したうえ会期を4月末日まで延長しました。博覧会の入場者総数15万人、1日平均約3,000人の観覧者が大成殿に足を運びました。政府による日本最初の博覧会の開催、東京国立博物館はこれをもって創立・開館の時としています。

○参考URL:https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=144

ウィーン万国博覧会

・明治6年(1873)、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の冶世25周年を記念して、ウィーン万国博覧会が開催。 公式参加要請を受けた日本政府は、博覧会事務局を設置し、大隈重信・佐野常民を中心に陳列品収集などの準備を開始。万国博覧会参加の目的には、日本国土の豊かさと優れた伝統技術を海外に紹介し出品した産物や工芸品などの輸出増加をめざすこと、これに対して西洋の近代文化を学び機械技術を伝承するための技術を養成することのほかに、博物館を創設し博覧会を開催するといった、草創期の博物館の大きな目標がかかげられていました。出品物の収集は、各府県の物産調書の作成からはじまり、特産物などをそれぞれについて2点ずつ準備し、ひとつは万国博覧会に、ひとつは博物館の常備陳列品としています。

 日本列品場には、陶器・七宝・漆器・織物などの伝統的工芸品や巨大物品として金鯱、鎌倉大仏の紙の張抜、谷中天王寺五重塔雛形が展示。また、陳列とは別に神社を配した日本庭園を造成します。ウィーンの万国博覧会は、会期中の総入場者数約722万5千人、要した費用は当時の金額で2,340万円にのぼり、日本がはじめて公式参加した世紀の祭典となりました。明治8(1875)年、佐野常民は16部96巻に及ぶウィーン万国博覧会報告書を政府に提出、その中で日本における近代博物館の建設の必要性を強く訴えました。

○参考URL:https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=145

書籍館と浅草文庫

・明治5年(1872)8月、湯島旧聖堂内の大講堂において現在の図書館にあたる書籍館(しょじゃくかん)が開館。草創期の博物館は、動物園・植物園を含む総合博物館の一環として書籍館の建設が計画されました。 明治2年、政府は徳川幕府の開成所・昌平坂学問所・医学館などの文教施設を併合して大学校を設立。それと同時に、紅葉山文庫をはじめとする旧幕府の書籍類を接収して、紅葉山文庫本は太政官へ、昌平坂学問所本は大学へ、医学館本は大学東校へ、蕃書調所本は大学南校へとそれぞれ引き継がれます。

 博物館の開館にともない各官庁に継承された書籍類を1ヵ所に集め一般公開するため文部省は書籍館を設けました。これが日本における近代図書館の始まりです。明治7年、政府は地方官会議の会議所として大講堂を利用するため、書籍館を浅草蔵前にあった八番米倉へ移転を決定。書籍館は浅草文庫と改称します。明治14年、この浅草文庫は上野公園に新築された博物館構内の書籍借覧場に移転、その後、大部分が現在の博物館蔵書となっています。

○参考URL:https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=146

壬申検査

・明治のはじめ古器旧物の保存と海外流出防止のために、社寺や華族の所蔵する古器旧物の本格的な実地調査が行なわれました。この調査は、行なった年の干支をとって壬申検査と呼ばれています。壬申検査は、明治5年(1872)に開催する文部省博覧会の出品物考証に備えるため、太政官正院に正倉院宝物の調査の必要性を申し立てたことに始まります。

 当時、日本人は文明開化の流行の中で新奇を競うあまり古器旧物(文化財)をかえりみることをせず、社寺の宝物を外国人に売り渡すなどの散逸が続いていました。(→時代は戦前戦後で少しずれますが、似たような話は本ブログでもいくつかの美術館で出てきました。気になる方は天一美術館清水三年坂美術館中之島香雪美術館藤田美術館あたりを参照にしてみて下さい。)

 政府は、その状況をうれい、全国の府県に対し管内社寺などから宝物の目録を作成させ、正倉院をはじめとする古社寺の調査を博物館に命じます。調査の日程は、華族所蔵物の調査41日、巡回61日、滞在20日で計122日間、約4ヶ月にも及ぶ長期日程で、参加者は、博物館の町田久成・蜷川式胤、文部省の内田正雄のほか博覧会事務局よりウィーン万国博覧会出品準備のため画家の高橋由一、写真家の横山松三郎らが同行します。(※蜷川の日記「奈良の筋道」に正倉院開封の状況が詳しく記録されているそうです)

この壬申検査は、明治政府による文化財保護へのはじめての対策となりました。

○参考URL:https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=147

山下門内博物館

・博物館は、明治6年(1873)3月、博覧会事務局・書籍館等と合併して、内山下町に移転。これ以後、上野公園に移転する明治14年まで博物館はこの地において展観業務を行ないました。旧博物館のあった内山下町は江戸時代には薩摩藩の装束屋敷、飯山藩・小城藩の藩邸があった場所で、明治時代には鹿鳴館、現在は帝国ホテル、みずほ銀行本店、NTT東日本などがあるエリアです。

○参考URL:https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=148

国勧業博覧会

・内務卿大久保利通は「富国強兵・殖産興業」のスローガンのもとに内政を第一とした積極的な近代化政策をすすめ、その勧業政策の一環として博覧会を開催することを提唱します。これが内国勧業博覧会のはじまりです。初期の博物館は博覧会と深い関わりをもっていました。内国勧業博覧会は第1回が明治10年(1877)、上野公園で開催、以後、5年ごとに開かれることが決められます。そして、このときに博覧会の中心的建築物となったものが当時「美術館」と呼ばれ、記念すべき最初の建物となりました。

第一回 内国勧業博覧会美術館図

 出品者1万6千人余、会期102日・入場者は45万人超で、蒸気機関車が出品されたほか臥雲辰致のガラ紡機が人気だったそうです。第2回は明治14(1881)年、同様に上野公園を会場として、新築成ったばかりのコンドル設計の博物館本館が一部利用され、会期122日・入場者は82万人でガス灯が人気を呼びました。第3回は明治23(1890)年、上野公園が会場となり会場内を電車が走りました。内国勧業博覧会はこの後、第4回が明治28(1895)年に京都、第5回が明治36(1903)年大阪で開催されて終了することになります。

○参考URL:https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=149

上野博物館

・官僚で後に東京国立博物館の初代館長になる町田久成は人文・自然史・産業の各部門と、動物園・植物園・図書館を備えた大博物館を構想し、そのための場所としては早くから上野:東叡山寛永寺の地を考えていました。当時上野は戊辰戦争でその伽藍は灰塵に帰しているうえ、中堂や本坊の跡地などは兵部・文部両省の管理地でしたが、内国勧業博覧会の開催もあり、明治9(1876)年、上野公園は博物館の所管となります。

 明治14(1881)年、博物局は農商務省へ移管、併せて内山下町からの移転が進み動物園の建設工事も着手されます。明治15(1882)年、明治天皇が行幸、開館式が執り行われ、新築博物館と付属の動物園は一般に公開されました。こうして歴史・美術・天産(自然史)・図書館・動物園を含む大博物館、帝国博物館が完成します。

上野博物館遠景之図 J.コンドル筆

○参考URL:https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=150

奉献美術館

・帝国博物館は明治33(1900)年、東京帝室博物館と改称、この年5月10日は皇太子殿下(大正天皇)成婚の日であり、成婚奉祝のため、渋沢栄一・千家尊福らを中心に東宮御慶事奉祝会を設立、この会の目的であった「東京市中に美術館を建設して献納する」ため広く有志を募ります。これに賛同した人は全国に及び、その数23,917人、寄付金は408,501円に達しました。そして、同年10月27日美術館の位置を上野公園内とし、あわせて設計を宮内省技師片山東熊に依頼することなどを取り決めます。明治34(1901)年の着工から7年を要して、明治41(1908)年に竣工、この奉献美術館は「表慶館」と命名され東京帝室博物館が管理することになりました。

 開館後はその奉献の趣旨から美術および美術工芸の陳列館として利用され、現在の第1・2室が工芸、第3室が書跡、第4・5・6室が絵画、第7・8室が彫刻の陳列と定められました。
※第7・8室…現在彫刻は別の陳列館に移り絵画の陳列室となっています。

奉献美術館設計図 片山東熊

○参考URL:https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=151

→それにしても献納美術館とは…21世紀の現在振り返るとなかなか当時の社会の雰囲気、歴史の違いを感じさせられます。皇太子殿下成婚の祝いに絵画ではなく美術館ごと贈ろうという発想は今は逆に1周まわって斬新なくらいです。ちなみに当時(明治)の物価水準は現在の1/4000と言いますので、40万円の寄付なら、その価値は16億円くらいだというから驚きです。

…ただ逆に、今だと16億円では残念ながら新しい美術館を建てることができません。(2007年開館の国立新美術館の総工費は約350億円、昨今の物価高を考慮すると恐らく今は10年前の1.5倍…500億円以上はするはずです……あ、申し遅れていましたが、マウスの本業は調達部員、バイヤーです 笑)

関東大震災と博物館 大正から昭和へ

・大正12年(1923)9月1日、関東大震災が発生。京浜地方に壊滅的な被害をもたらし、帝室博物館でも陳列館として使用していた建物のうち表慶館を除く第1号館(コンドル設計の旧本館)、第2号館(第1回内国勧業博覧会の美術館)、第3号館(第3回内国勧業博覧会の参考館)が大きな損害を受け、使用に耐えなくなります。(陳列品の被害は軽少であったため、翌年4月に表慶館で展示は再開)

 昭和3(1928)年以降、復興本館の建設が具体化、昭和7(1932)年着工、昭和11(1936)年には骨組完了および別館建設工事の開始と順調に進んだ一方、経済的不況や満州事変の勃発など社会情勢は不安定となって博物館観覧者は大正14(1925)年の25万人を頂点に年々減少、復興本館開館直前の昭和12(1937)年はわずか8万人となりました。

→当時の工事技術もあるでしょうが、震災発生から10年以上経過してやっと復旧したということ、被害の大きさや美術館・博物館運営の難しさを物語っています。

○参考URL:https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=152

復興本館 戦時下の博物館

・6年の歳月と700万円を越す工費をかけた東京帝室博物館復興本館(現在の本館)は昭和12年(1937)11月に竣工、翌13(1938)年11月10日、天皇陛下の行幸を仰いで開館します。総面積21,500平方メートル、「日本趣味を基調とする東洋式」と称する建築様式の建物で、設計図案は公募されたものでした。

 当時の最新の設備をそなえ、25の陳列室を擁した復興本館の会館陳列は日本をはじめ東洋の古美術の優品を収集、昭和15(1940年)年11月には紀元2600年を記念して「正倉院御物特別展」を開催、連日満員の盛況で20日間に40余万人の入場者を記録します。正倉院宝物が初めて一般に公開された歴史的な展観でした。

 復興本館の開館後は観覧者数が一時的に急増したものの、昭和17(1942)年以降は戦局の悪化とともに減少。博物館では、太平洋戦争突入を前に有事の際の美術品の被害を憂慮してその保護対策を検討しており、昭和16(1941)年8月から11月にかけて最初の疎開を実施、334点の貴重美術品を奈良県の帝室博物館に移送します。これ以後も美術品の疎開は場所を変えて終戦の直前まで続行されていて、館員もそれぞれの移送先に赴任して美術品の警護にあたっていました。

戦時下においても展示活動は続けられていましたが、空襲の激化に伴い昭和20(1945)年3月10日をもって博物館は閉鎖と決定、休館のまま8月15日の終戦を迎えることとなります。

第二次世界大戦中、博物館講内を農地として開放した際の写真

→いかがでしょう。戦時中の美術館情勢について詳しく述べられており、知らなかった人も多いのではないでしょうか。現在に至る美術・工芸品の数々がこのように様々な人の尽力を経てきていると考えると感慨深いですね。

東京国立博物館 “戦後”から平成へ

・戦災を免れた博物館は昭和21年(1946)3月24日に再開されます。疎開先から美術品還送も未だ完了していない状態での開館でした。しかし、新憲法が施行された翌昭和22(1947)年には名称が国立博物館に改められるとともに直ちに大規模な改組が行われ、更に昭和27(1952)年には東京国立博物館と再改称されます。(10月に創立80年の記念式典を挙行)

 その後、大規模な古美術の特別展や新聞社等との共催による外国美術展が恒常的に開催されるようになり、また講演・講座等を頻繁に催すほか映画の制作や『博物館ニュース』『MUSEUM』の創刊、目録・図録類の発行など種々の新事業が始められました。

設備としては、昭和39(1964)年に収蔵庫を兼ねた陳列館として法隆寺宝物館が、昭和43(1968)年には東洋美術の総合陳列施設である東洋館が開館。さらに昭和59(1984)年には美術史研究のセンター的役割を担った資料館が開館しています。平成2(1990)年には観覧者へのサービスの一環としてミュージアムショップを開設。平成11(1999)年には法隆寺宝物館(新館)、さらに同年今上殿下の成婚を記念して平成館を開館しました。
(→すいません、成婚祝いによる美術館施設開館、平成も続いていましたね。令和はどうなるのでしょうか…)

 平成13(2001)年4月には、東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館の3館を統合した独立行政法人国立博物館が設立。平成19(2007)年4月には、独立行政法人国立博物館(東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館、九州国立博物館)と独立行政法人文化財研究所(東京文化財研究所、奈良文化財研究所)が統合して、独立行政法人国立文化財機構が発足しています。今では収蔵品12万件(国宝89件、重要文化財649件)を有する、日本を代表する博物館です。

モナ・リザ展 昭和49年

年表

・明治4年 1871年 文部省に博物局設置。
・明治5年 1872年 3月10日湯島聖堂で文部省博物館として最初の博覧会を開催。これをもって博物館の創立・開館とする。同所に近代図書館としての書籍館(しょじゃくかん)をあわせて開館。当時は動物園、植物園を含む総合博物館が構想されていた。
・明治6年 1873年 ウイーン万国博覧会参加のための博覧会事務局に博物館・書籍館が合併し、内山下町(千代田区内幸町)に移転。
・明治7年 1874年 書籍館を浅草に移転し、浅草文庫と改称、翌年公開。
・明治8年 1875年 博覧会事務局が内務省の所管となり博物館と改称。
・明治9年 1876年 上野公園が博物館所管となる。
・明治14年 1881年 内務省所管から、農商務省所管となる。上野公園内旧寛永寺本坊跡地にコンドル設計の博物館新館(旧本館)が竣工し、第二回内国勧業博覧会で美術館として使用される。新館移転のため内山下町博物館閉館。動物園建設工事に着手。
・明治15年 1882年 新館(旧本館)開館。付属動物園、浅草文庫とともに一般に公開される。法隆寺献納宝物を収蔵。旧十輪院宝蔵(校倉)を移築。
・明治19年 1886年 宮内省の所管となる。
・明治22年 1889年 帝国博物館となる。総長に九鬼隆一、美術部長に岡倉天心が就任。あわせて、帝国京都博物館、帝国奈良博物館を設置。
・明治33年 1900年 東京帝室博物館と改称。
・明治34年 1901年 1900年のパリ万国博覧会出品古美術作品による第1回の特別展を開催。「稿本日本帝国美術略史」刊行。
・明治42年 1909年 皇太子殿下(大正天皇)の御成婚記念として、東宮御慶事奉祝会より献上された表慶館開館。
・大正6年   1917年 森鴎外、総長に就任。
・大正12年 1923年 関東大震災で旧本館が損壊。翌年まで休館。
・大正13年 1924年 皇太子殿下(昭和天皇)の御成婚記念として上野公園・動物園を東京市に下賜。4月表慶館のみで展示を再開。
・大正14年 1925年 自然史関係の収蔵品を東京博物館(現在の国立科学博物館)等に引き渡す。
・昭和11年 1936年 応挙館・九条館を裏庭に移築。
・昭和13年 1938年 帝室博物館復興翼賛会より献上された現在の本館が開館。「日本美術略史」刊行。
・昭和16年 1941年 戦争被害を避けるため美術品の疎開がはじまる。12月太平洋戦争始まる。
・昭和20年 1945年 太平洋戦争による空襲激化のため、3月観覧を停止。8月15日太平洋戦争終結。
・昭和21年 1946年 3月観覧を再開。
・昭和22年 1947年 宮内省より文部省に移管。国立博物館と改称。
・昭和27年 1952年 東京国立博物館と改称。
・昭和29年 1954年 因州池田屋敷表門(黒門)を移築。
・昭和34年 1959年 春草廬を移築。
・昭和39年 1964年 法隆寺宝物館(旧館)収蔵庫兼展示施設として開館(毎週木曜日、晴天時のみ公開)。
・昭和43年 1968年 文化庁の発足により同庁に移管。10月東洋館開館。
・昭和49年 1974年 モナ・リザ展開催。入場者過去最高の151万人を記録。
・昭和59年 1984年 資料館開館。
・平成11年 1999年 7月法隆寺宝物館(新館)開館。10月今上陛下御成婚を記念して平成館開館。
・平成13年 2001年 東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館の3館を統合した独立行政法人国立博物館を設立。
・平成19年 2007年 東京国立博物館の所属する独立行政法人国立博物館と独立行政法人文化財研究所が統合され「独立行政法人国立文化財機構」が発足。

東京国立博物館 150周年記念特設サイト

・以下は、そんな150年の歴史をもつ東京国立博物館の特設サイトです。「トーハク」の歴史やこれからの展望について、現代風にアレンジし、わかりやすく発信されています。

○東京国立博物館 150周年記念特設サイト:https://www.tnm.jp/150th/

このサイトには、そんな東京国立博物館のステートメントとして

いつの時代も、私たちの使命は、文化財を大切に守り、次の世代へ伝えること。 先人から受け継いだ文化財は、人類一人ひとりの宝物です。~(中略)~150年の歴史を振り返りながら、文化財の魅力や、博物館の楽しさを、より多くの方と分かち合いたい。すべては、かけがえのない宝物を、ともに守り伝えてゆくために。 私たちの、そして文化財の未来は、ここからまた、あなたと一緒にはじまります。

と述べられています。

150周年記念ロゴ

コレクションについて

・最後にコレクションってなんやねん!と思われた方…
…すいません、端からご紹介する気力も体力もありませんでした(笑)だって、収蔵品12万件(国宝89件、重要文化財649件)あるのですから…。(ここまでくるだけでも既に文量1万字超えています)
 以下にそんなトーハクのコレクションが一網に検索できるURLを載せておきます。(しかもトーハクともなると検索方法・種類によって6パターン用意しているという凄さ)

○東京国立博物館 コレクション検索サイト
名品ギャラリー(館蔵品の優品の中で、現在展示室で観覧可能なものの検索):https://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=top

ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索ベース):https://colbase.nich.go.jp/?locale=ja
→これよく作られていて国宝ネットサーフィンするなら最適です。

e国宝 [国立文化財機構の4つの国立博物館 (東京国立博物館、京都国立博物館、 奈良国立博物館、九州国立博物館)と研究所(奈良文化財研究所)が 所蔵する国宝・重要文化財の高精細画像を、多言語(日本語、英語、中国語、韓国語)による解説とともに閲覧可能]:https://emuseum.nich.go.jp/
→これも画像が繊細で綺麗です。

画像検索(館蔵品を中心とした文化財の写真資料を作成、収集、広く一般に利用いただけるよう、デジタル化して公開・提供しているもの):https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/

デジタルライブラリー(東京国立博物館が所蔵する貴重な和書、洋書、漢籍等について、 全文の画像を公開):https://webarchives.tnm.jp/dlib/

研究データベース(東京国立博物館所属の研究員による論文などの研究成果の閲覧が可能):https://webarchives.tnm.jp/home
→より専門性の高い内容がご興味の方向けです。将来美術館・博物館への就職、また大学での研究をしたいと思っている学生さんにとっても良い参考になるのではないかと思います。

さて、いかがだったでしょうか、東京国立博物館(と本ブログ「絵本と、アートと。」の全国美術館紹介企画)。
正直私も軽い気持ちではじめたのですが、ここまで長丁場、本格的なブログ綴りになるとは思っていませんでした。これもひとえに社会全体の中ではあまりスポットが当たらない美術館の活動に対し、ご興味をもって足(目)を運んでくれた方々のおかげだと感じています。

今でもなお、アートはなんか社会的にはアートってなんかよく分からない人たち同士でやっているなんかよく分からない活動って思われがちですが、このブログでご紹介した300館を超える美術館(とその中にいる職員の方)一つひとつ、一人ひとりが今日も過去・現在、そして未来の文化のために日々奔走している姿が目に浮かびます。

最後に、大トリとして「東京国立博物館」を書きましたが、単純に国宝を何点、重要文化財を何点もっているから凄いというわけではなく、1871年から150年以上にわたって、数回の戦火、数度の震災を乗り越えながら現代の私たちに文化の火を繋いできてくれたこと、それこそが何より感謝と敬意に値することなのではないかとマウス的には思っています。

今後はこれまで取り上げてきた美術館を中心に、その最新の動向がつかめるページなどを週1回のまったりペースへと切り替え(すいません、マウス本業あります!)、それに加えて、私の過去積み重ねてきた視点などもところどころご紹介していけたらと考えております。

長々となりましたが、約1年の間お付き合いいただきありがとうございました。
本ブログは閉鎖せずこれまでも続けますが、今日で大きな区切りを迎えることができました。読者の皆さま方もどうか日々ご自愛いただき、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

[2023年7月13日、本ブログ(元々)管理人マウス] 
※本来の執筆者は当初別(美術・絵本の研究者です)…てか、そろそろ帰ってきてくれないかな。

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