今週のPickUp!展会(会期:11月中頃まで)

愛知県

○劉建華(リュウ・ジェンホァ)中空を注ぐ @十和田市現代美術館
 会期:11/19(日)まで

<概要>
・上海を拠点に活動している劉建華(リュウ・ジェンホァ)の日本で初めての個展。
 磁器発祥の地である景徳鎮で育った劉は、磁器工房での職人時代を経て彫刻を学びました。中国における経済や社会の変化や、それに伴う問題をテーマに、土や石、ガラス、陶磁器などを使って立体作品やインスタレーションを制作しています。

 本展ではメインとなる展示室に、ペットボトルや靴などの日用品を磁器で制作した《遺棄》(2001年-2015年)を展示。私たちが使う日用品の大半は一時の役目を果たすと放置され、壊れてゴミになります。この作品は、私たちが土に還らない素材に囲まれて生活していることや、処分できないものを蓄積し続けている現状を想像させます。

 その他にも、瓶や壺の口と首の部分だけを切り取った最新作《塔器》(2021年-2022年)や、当館の常設作品《痕跡》(2010年)の造形ともつながる浮遊する枕《儚い日常》(2001年-2003年)、壁につたう墨汁や陶器の仕上げに使う流動的な釉薬を思わせる《兆候》(2011年)など、劉の初期から近年までの作品を紹介。

 展覧会のタイトル「中空を注ぐ」は、中が空洞の陶磁器の形や流動的な釉薬を連想させますが、意味も内容もない「無意味さ」を作品に込めた劉の制作への姿勢を示しています。そして、空虚な「もの」や「こと」が広がっていく現代のありさまともつながっています。繊細で脆い陶磁器が、空虚さに満ちた現代を語っていきます。

○山田寅次郎展 茶人、トルコと日本をつなぐ @ワタリウム美術館
 会期:11/19(日)まで

<概要>
・トルコ軍艦エルトゥールル号海難事故の義捐金を届けるためトルコへ向かった青年:山田寅次郎という明治の人物を介し、日本とトルコという異なる歴史を持つ2つの国が交流する様子を伝えながら、相手の文化を深く尊敬することの大切さを感じる機会をつくるために開催される展覧会。

1890年、山田寅次郎は日本に到着したオスマン帝国軍艦・エルトゥールル号が、帰路、台風で乗組員のほとんどが命を落とした事故に心を痛め義捐金活動を開始、集めた義捐金を持参しオスマン帝国へと向かいました。わずか24歳の目に映ったのはオスマン文化の荘厳さと人々の暖かさについて、後日本人が著した『土耳古畫觀とるこがかん』をもとに映像とアニメーションを使用して展示。また、晩年、家元として活躍した茶道具、オスマン帝国、アジア、ヨーロッパから持ち帰った品々、寅次郎が読んでいた本、使用していたもの、友人で建築家の伊東忠太氏とやりとりした絵ハガキなどを通じてご紹介します。

※山田寅次郎(やまだとらじろう 1866-1957)
1866年(慶應2年)、山田寅次郎は上州沼田藩土岐家・江戸詰家老職を務める武家に誕生。15歳、茶道宗徧流家元の養子になる。東京薬学校(現・東京薬科大学)卒業後、語学を学ぶ。幸田露伴、尾崎紅葉、福地櫻痴など文化人と交流。日本初のタウンページ「東京百事便」を発行。トルコ軍艦エルトゥールル号海難事故の義捐金を届けるためトルコへ。オスマン帝国アブデュルハミト2世に謁見。トルコに約10年滞在。トプカプ宮殿内東洋美術の分類、日土貿易を行うかたわら伊東忠太、徳富蘇峰などトルコ訪問する日本人のサポートをした。日露戦時、日本政府の依頼でボスポラス海峡近くから「バルチック艦隊」の動静を見張る。日本に帰国後、製紙会社設立し事業家として活躍後、57 歳、茶道宗徧流八世家元襲名。1957年(昭和32年)91歳没。

ー(以下は3つの企画展)ー
○いずれもアーティゾン美術館にて ※会期:11/19(日)まで
  ・ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン(6階)
   <関連>
    ・東京藝術大学美術館
    ・上野の森美術館

  ・創造の現場―映画と写真による芸術家の記録(5階)
  ・石橋財団コレクション選 特集コーナー展示 読書する女性たち(4階)


○特別展 瀬戸焼と美濃焼 @遠山記念館
 会期:11/19(日)まで

<概要>
・遠山記念館の瀬戸焼、美濃焼を一堂に会してならべ、この時期の陶磁器の展開を追って紹介する展覧会。

 愛知県の瀬戸焼は、古代より日本の陶器技術を牽引する役割を果たしてきました。特に瀬戸窯を特徴付けるのは中国陶磁器を手本とした制作であり、茶の湯の発展と歩調を合わせ独特の美しさを持つ作品を生み出してきました。また16世紀には瀬戸の陶工たちが岐阜県の南東部に移住し、その作品は美濃焼と呼び分けられています。美濃焼が生み出した新機軸の製品は、後に黄瀬戸、織部、志野などと呼ばれ、日本の陶芸に大きな影響を与えています。

○海を越える人々(前期)琉球と倭寇のもの語り @沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)
 会期:11/19(日)まで
…チラシが個性的。
<概要>

・海外との交易により隆盛を誇った琉球と中国大陸沿岸部における「倭寇」と呼ばれる無頼集団。
その活動の光と闇について、考古資料、歴史資料を通して紹介します。

プロローグ
倭寇とは、「倭(日本)による侵略」という意味で、中国や朝鮮では日本人海賊と表しています。
本展では、中世東アジア海域とはどのような世界であり、人々が海を越えていこうとする目的は何であったのかについて14世紀〜16世紀の琉球と倭寇の動きを中心に見ていきます。

第1章 倭寇の姿とその動き
倭寇による被害が14世紀後半から15世紀前半にかけて中国大陸沿岸部で多発し、さらに16世紀には海を越えて密貿易を行う人々が増加します。
それに伴い各地で治安が悪化していきました。
本章では倭寇とそれを取り締まる側の姿を当時の資料から見ていきます。

第2章 倭寇の活動時期に展開された琉球の交易
倭寇による活動が活発化していく14世紀後半から、琉球は対外関係を積極的に展開していきます。それに伴い海外諸地域から多くのモノが搬入されました。
琉球における対外交易の実態と琉球各地にもたらされたモノを遺跡から発掘された資料を通して見ていきます。

第3章 倭寇の足跡を追い求める
倭寇が来琉したことを示す記録はほとんど見ることはできません。しかし、戦後において琉球列島における交易の実態を明らかにしようとする研究や琉球列島における倭寇の痕跡を探ろうとした研究があります。
本章ではそれに関わった研究者を紹介します。

エピローグ
倭寇が活動した海域は無秩序な空間でした。
しかし、現在は海を越えた人の移動や物資の移動は早く確実になり、秩序だった海域に変化しています。
戦後沖縄の物流システムを見ながら、海を越えることの意味を探っていきます。

○開館35周年記念 福田美蘭―美術って、なに? @名古屋市美術館
 会期:11/19(日)まで


<概要>
・東京藝術大学大学院を修了後、具象絵画の登竜門といわれた安井賞を最年少で受賞し、国内外で活躍を続ける現代美術家:
福田美蘭(1963-)の1980年代の初期から近年までの作品をご紹介する展覧会

福田美蘭は、現代社会が抱える問題に鋭く切り込み、ときにユーモアを添えて絵画化して見せたり、意識して「もの」を見ることを促したり、東西の美術、日本の伝統、文化を、意表を突くような手法であらわしたりして、私たちの既成概念を打ち破ってきました。そして現在も、絵画の新たな可能性に挑み続けています。

 本展では、作家を紹介する序章および3章の計4章で構成。古今東西の名画に福田ならではのユニークな視点で向き合った作品から、国内外の時事問題をテーマに鋭い視点で切り込んだ作品まで、約50点で福田美蘭の世界観を紹介しています。本展のために新たに制作された、現在の世界情勢を映した新作も公開予定です。

 名古屋市美術館は、1992年に福田美蘭と森村泰昌の二人を迎えて展覧会を開催して以降、約30年ぶりの機会であり、福田の個展としては中部地域初となります。常に私たちの視覚、思考を刺激し、常識を覆すような見方や楽しさに気づかせてくれる福田美蘭の作品は、混沌とした時代を迎えている現代を生き抜く知恵とエネルギーを与えてくれるでしょう。

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