すてきな作品とのすてきな出会いー戦後前衛美術界の大家を軸にしたコレクション 宮崎県立美術館

宮崎県

こんにちは。宮崎県…もはやここまでくると都内の方や東日本エリアの方はあまり足を運ぶ機会は少ないかもしれません。どんな美術館、郷土の作家たちが眠っているのか気になりますね。宮崎県には戦後日本の前衛美術をリードしてきた1人のアーティストが有名です。その名は瑛九…読み方も難しい方ですが、今日は順番を少し変えて、そんな瑛九の経歴からご紹介していきたいと思います。

このブログで紹介する美術館

宮崎県立美術館

瑛九とは

・宮崎市生まれの洋画家。本名は杉田秀夫。1925年(大正14年)、旧制県立宮崎中学校を中退して上京、日本美術学校に入学し油絵の制作をはじめる。その後、日本美術学校洋画科を中退。(→埼玉県の私設学校で、多数の著名な画家を育成しましたが2018年に108年の歴史に幕をおろしました。※東京藝術大学の前身:東京美術学校とよく間違われがちです)

1935年(昭和10年)、宮崎で「ふるさと社」を結成、翌1936年(昭和11)、新時代洋画展の同人となりフォト・デッサン展を開催、作品集「眠りの理由」を刊行。1937年(昭和12年)、「自由美術家協会」の創立に参加。第二次世界大戦後、1951年(昭和26)同志と自由と独立の精神で制作することを主張し、デモクラート美術協会を結成するほか、翌年、久保貞次郎らと創造美育協会を結成。この年浦和に移り、「銅版画」と「石版画」の制作に専念、版画の普及に努める。その間も油彩画の制作を続け、作品は点描の抽象へと移行する。エッチング、リトグラフを制作し、1957年の第1回東京国際版画ビエンナーレ展に招待出品。晩年「午後」ほか非具象油絵を発表した。戦前、戦後にかけて美術史に前衛美術の先駆者として確かな足跡を残した。

宮崎県立美術館 概要

・開館:1995年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、県観光協会HPより転載)

・場所
宮崎県立美術館 – Google マップ

運営ビジョンと基本理念

・最初に、宮崎県立美術館の運営ビジョンと基本理念を振り返っておきましょう。

運営ビジョン(めざす姿)

「美術文化の拠点として県民に親しまれる開かれた美術館」を目標とし、その実現のために次のコンセプトに基づき組織一体となって活動していく。

郷土を核とした美術文化を発掘・保存・研究し、未来に継承する美術館

・宮崎県出身及びゆかりの作家を核とした国内外の優れた作品・資料等を体系的に収集してコレクションを形成し、良好な状態で保存し次代に引き継ぐとともに、美術館の様々な活動の充実を図るため、調査研究に努める。

県民の美術に対する興味・関心を高め、理解を深める美術館

・調査研究の成果を活かしながら、県民の美術に対する興味・関心を高め、理解を深めるとともに、県民の感性を豊かにして新たな知見・創造・感動をもたらすような展覧会や普及事業等を行う。

積極的な情報発信に努め、美術を通じた交流を促進する美術館

・美術館の事業や県内外の美術の動向等について積極的に広報・発信するとともに、地域住民や様々な機関等との連携・協働を促進することで、県民が美術を通じて交流し主体的に美術活動に参加・参画できる文化的土壌を整える。

地域文化と生涯学習の拠点として、活力ある地域社会づくりに貢献する美術館

・既成概念にとらわれない自由な発想で、美術との新たな出会いや発見、美術を通した観光需要を喚起する取組等に挑戦し、その効果を県下全域に広げることに努めることにより、美術を通じて誇りと活力に満ちあふれる地域社会の実現を目指す。

全ての利用者に安らぎと憩いの場を提供する美術館

・効率的で安定した管理・運営のもと、子どもたちや高齢者、障がい者など、全ての利用者にとって快適な環境を整え、ミュージアムショップ等の付帯施設を含めて心地よい空間と良質なサービスを提供する。

すてきな作品とのすてきな出会いー戦後前衛美術界の大家を軸にしたコレクション

収集方針

郷土出身作家及び宮崎県にゆかりのある作品
瑛九コレクション

・コレクションの中心となるのは、戦後日本の前衛美術に大きな影響を及ぼした、宮崎市出身の瑛九の作品群。1,000点近くの作品を収蔵しており、いつでも鑑賞できるよう、専用の「瑛九展示室」を設けています。油彩、フォト・デッサン(フォトグラム)、版画等の作品に加え、遺品や画材、銅版画の原版、生前の写真等の資料も展示。

瑛九が14歳のときに描いた、現存する最も早期の作品「秋の日曜日」から、48歳で早逝する直前に描いた絶筆「つばさ」まで、その表現の変遷にそって、各時代の作品を収蔵。油彩、水彩、素描、版画、フォト・デッサンなど、絶えず様々な技法と表現に挑んだ瑛九の画業の全容を展望することができます。闘病生活の中制作した200号の大作「つばさ」は、瑛九が最後にたどり着いた点描で表現され、凝縮された無数の色点は、うごめき、見る者を包み込み、彼の精神を体感させてくれます。自ら「自己を決定する仕事」と称したように、残された生命力の全てを注ぎ込んだ傑作です。

瑛九「つばさ」

※画像は情報サイトアートアジェンダより転載(https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/5998

また、瑛九以外にも、都城市出身の日本画家、山内多門や益田玉城、洋画では西都市出身の塩月桃甫、都城の山田新一、小林市出身の小野彦三郎など、本県を代表する作家たちを中心に、数多くの作品を収蔵。郷土作家以外にも国内作品については、須田国太郎、海老原喜之助、山口薫など、郷土作家に影響を与えた作家や瑛九と同時代に活躍した作家の作品を含め、わが国の近代以降の美術史を展望できるコレクションの形成を目指しているそうです。

わが国の美術の流れを展望するにふさわしい作家の作品
海外作家コレクション

・海外作品では、ポール・シニャック、パブロ・ピカソ、ピエール・ボナール、ジョルジュ・ルオー、パウル・クレー等、瑛九がその画業の中でたどった印象派、キュビスム(立体派)、フォーヴィスム(野獣派)、シュルレアリスム(超現実主義)などの代表的な作家を中心に、絵画、版画、オブジェ等を収集。

瑛九芸術の源泉をたどる作品群

・美術館の解説によると、瑛九は、独自の表現を追究する過程で、様々に作風を変化させているとの事。抽象画を描いていたかと思えば、「印象派の研究から再出発する」として写実的な風景画を描いたり、ピカソ風の幾何学的な人物像を描いたりしたそうです。宮崎県立美術館の海外作家コレクションは、このような瑛九の画業をたどる形で収集されているそうで、例えば、収蔵品の1つで、シニャック前半期の代表作「サン・トロペの松林」は、自然の光を科学的に分析して細かい色点で描く、新印象派の特徴がよく表れた作品で、友人の死により失意の中にあったシニャックが南仏の港町サン・トロペの明るい光に満ちた風景と出会い新境地を見出したことは、瑛九芸術との共通点が垣間見られるそうです。

ポール・シニャック「サン・トロペの松林」

※画像は情報サイト「九州旅ネット」より転載(https://www.welcomekyushu.jp/article/?mode=detail&id=123

シュルレアリスムの作品群

・海外作家コレクションの中でも、瑛九の表現の根幹に関わるシュルレアリスム(超現実主義)の作家の作品群は、特に充実。ルネ・マグリットの代表作「現実の感覚」をはじめ、サルヴァドール・ダリ、ポール・デルヴォー、マックス・エルンスト、ジョアン・ミロ、ハンス・ベルメール、ロベルト・マッタら著名な作家たちの名品はもちろん、国内の美術館ではあまり見ることができないレオノール・フィニー、オスカル・ドミンゲス、ドロテア・タニングなど、多彩な作家たちの秀作を収蔵。

※画像は情報サイト「アルトネ」から転載(https://artne.jp/event/519

海外のすぐれた作品
近現代イタリア彫刻コレクション

・近現代の彫刻史の中で重要な位置を占め、宮崎県の彫刻界にも大きな影響を与えたイタリア彫刻作家の作品収集にも力を入れています。イタリア近代彫刻の先駆者:メダルド・ロッソをはじめ、具象作家ではマリノ・マリーニ、アルトゥーロ・マルティーニ、ジャーコモ・マンズーら、抽象作家ではジャーコモ・バルラ、アルナルド・ポモドーロ、マルチェルロ・マスケリーニらの作品を収蔵。イタリア彫刻の作品群は、「彫刻展示室」で様々なテーマにそって紹介する他、エントランスホールをはじめ館内のパブリックゾーンにも展示。彫刻作品に加え、各作家の素描や版画などの作品も併せて収集しています。

 

…いかがでしょうか。瑛九を中心に国内、海外とその収集の幅が広がっているのが分かるかと思います。このように地方の画壇においてはいかに1人芸術界の先駆者を育てていくかと言うのがその後の文化・芸術の発展への貢献に重要かということをあらためて痛感させられます。なお、そんな瑛九、個人的には好きか嫌いかでいうととても好きな作家の1人です。何より絶筆「つばさ」が瑛九作品のハイライトと言えるべき傑作であることは、往々にして晩年期の作品群に代表作が少ない芸術の世界を考えると大変にすごいことなのだろうと感じます。

そんな瑛九という前衛芸術界をリードしたアーティストと、それに関連するすてきな作品、すてきな出会いを感じられる場所―宮崎県立美術館、ぜひ一度足を運んでみて下さい。

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