こんにちは、マウスです。
冬ですね、寒いです。まあ、でも寒くなってくると悪いことばかりではなく、皆さん大好きなカニやら牡蠣やらが美味しい季節になりますね。鍋が心身ともに染みる季節です。
‥牡蠣と言えば、先日私も執筆者家族も含め数人で牡蠣小屋に行ってきました。そこの子どもちゃんが「貝ってどんな食感ー?」と聞くので、あれなかなか例えるものがないなとしばらく考えていたんですが、私はとっさに「舌の裏側に(唾液が出てくる)なんか柔らかいけどコリコリしたところあるでしょ?それ。」って言っちゃったんです。
答えたあとに我ながら良い例えだなと思ったのと同時に、これって自分だけじゃなくて他の人もあるのかなって気になって調べちゃいました。
唾液が出るところは口腔底、舌の裏のスジみたいなとこは舌小帯、で、このコリコリしたやつは舌下腺というらしいです。
※いとう歯科口腔外科クリニックHPより転載 https://www.ito-oralsurg.jp/mouth.html
口底と同音という意味では、(どうでもいいですが)私の地元には「くちぞこ」という魚がいます。
↓こんな魚です。(見た目は気持ち悪いかもしれませんが、とても美味しい魚です)
※スーパーアルタHPより転載 https://alta.sagafan.jp/e826825.html
恐らくこちらの方は「靴底」の方からきているのでしょうけどね。
いずれにしろ何らか物体の「底」にあるものはどんなものでも神秘的な存在なのかもしれません。
‥このブログは絵本や、アートに加え、お芝居を題材に書くこともありますからね。「底」と言えば「奈落」をイメージする人もいるんじゃないかと思います。
「奈落」と言えば、日本の伝統文化、歌舞伎。
※歌舞伎座写真ギャラリーより転載 https://www.kabuki-za.co.jp/sya/vol9.html
先日、人間国宝で歌舞伎役者の2台目中村吉右衛門さんが77歳で永眠されたとのニュースが流れてきました。故中村吉右衛門さんは父と祖父の表現世界を生涯をかけて学び演じきったことで知られています。
(参照)JIJI.com「2人の父に導かれ 現代人の心揺さぶる歌舞伎―中村吉右衛門さん」https://www.jiji.com/jc/article?k=2021120101211&g=soc
故中村吉右衛門さん、実は絵画にも造詣が深いことで知られていました。よく旅先で絵筆をもち様々な風景をスケッチしていたそうです。歌舞伎界、しいては日本文化の発展において貴重な才能を亡くしてしまったこと心からご冥福をお祈りします。
ところで、この故中村吉右衛門さんが父と祖父の姿を追い求めた事柄に、今回のブログはヒントを得ています。
私、たまに考えることがあります。人間が生まれてから死ぬまでせいぜい(寿命が延びた現在であっても)80年だか、長くても100年だと思います。
この僅かな時間の中で、これまで人類が築きあげてきた叡智を学ぶだけでも大変なのに、それを学び終えた一部の賢人がそれを発展させるのにどれほどの時間が残っているのかと。(私、いつもこんな卑屈なこと考えてますw)
AIや医療分野において、恐らく、世界を一変させるような劇的なイノベーションがないとこの課題が解決される日を見ることはできないと私は考えています。
ただ現状において少しでもこの課題を解決するために、私たちが悪あがきをしていくためには、必ずと言っていいほど必要なアイテムがあると感じます。
それは「歴史を学ぶこと」です。(しかも可能な限り早く)
前置きが相当長くなりましたが(ほんとごめんなさい!)、今回皆さんにご紹介したいアートスポット、展覧会は「ベネッセアートサイト直島」とその周辺の島々、特に豊島という人口1,000人にも満たない小さな島です。
ベネッセアートサイト直島は、その名の通り、株式会社ベネッセコーポレーションが瀬戸内海の直島、豊島、犬島を舞台に展開しているアート活動の総称で、2004年より現代美術を中心に本格的活動展開しています。
このアート活動をご紹介する前に本ブログ前編では、前述した直島とその周辺の歴史について記載したいと思います。
ピンとこない方へご説明しますと、直島は、男木島、女木島やその周辺の諸島を形成しており、広域には「小豆島」のエリアに属します。幕末には政府直轄地として明治を迎えます。
その後、1873(明治6)年、岩崎彌太郎が創設した三菱グループの源流:九十九商会が、吉岡鉱山(岡山県)の買収を端緒に金属鉱山経営へ進出します。
そして1917年(大正6)年、当時の日本において重工業の発展や電気事業の拡大によって不足していた銅の需要に対応するため、九十九商会から名を変えた三菱商会は、直島に中央製錬所を創業します。
※なお、瀬戸内海沿岸地域はその地域特質上、多くの銅鉱山が創業しています。三菱は当初、隣の豊島への建設を計画していましたが、農業が盛んな土地柄でもあり地元関係者の支持を得られませんでした。この時、基幹産業誘致に積極的だった直島村との交渉の末、最新鋭の技術で公害・煙害を防止することなどを条件に製錬所設置が認められたとの経緯があります。
戦後、GHQによる三菱財閥解体の逆風下にあっても、直島製錬所から生まれた基礎素材は日本の発展と復興を後押しし続けます。そして現在でも年間20万トン以上の電気銅を生産しており、直島の一大産業として経済・社会、そしてそこに住む人たちを支えています。
(参照)直島精錬所
三菱マテリアル(株)HPより転載 https://www.mmc.co.jp/naoshima/
一方、直島に隣接する豊島は、1990(平成2)年、16年間にわたり産業廃棄物が不法投棄されていたことが判明しました。(これは、環境問題を懸念して精錬所建設に反対した豊島にとって皮肉な結果となりました。)
2000年に公害調停が締結されるまで約10年間もの時間を費やし、それまでに廃棄された産業廃棄物は100万トン以上にも登りました。そして今なおそれを島外へ搬出する努力が続いています。
それが影響したかは定かではありませんが、1950年代には3500人が住んでいた豊島は、今では1000人以下、500人に迫る人口となっています。地方や離島全般的に人口減少が続いているとは言え、恐らくここまで急激に人口減となった島は珍しい方ではないかと思います。
(参照)NPO法人瀬戸内オリーブ基金HP https://www.teshima-school.jp/struggle/history/
ただ、本ブログでは近視眼的に排出事業者のみを批判したい訳ではありません。この事業者は1978年に正式なルートで香川県に許可申請をおこなっていることからも、問題の本質は複雑です。香川県のHPには以下の文言が載っています。
(香川県HPより抜粋)
・排出事業者責任の徹底については、豊島事件が発覚した平成2年当時は、廃棄物の処理業者が行った不法投棄や不適正処理について、排出した事業者の責任を問うことは困難でした。〜(中略)〜次に、廃棄物の不適正処理の防止です。廃棄物がなければそれに越したことはありませんが、それはありえないことです。どこかで処理をしなければなりませんが、問題は、不法投棄や不適正な処理が後を絶たないことであり、そこで重要なことは、そういう行為の未然防止や早期発見、早期対応です。
私たちもよく廃棄物や環境問題を議論する際に置き去りにしがちな事柄は、「何か産業活動をおこなうにあたっては廃棄物を0にするというのは不可能」ということです。
コロナ禍でもクローズアップされた問題ではありますが、経済も止まったままではそれこそ人命に関わるという認識です。
精錬所が創業した経緯から述べるとすると、前述した通り、直島と豊島は、一方は経済を採り、一方は環境を採った歴史でした。
では、結果はどうなったか。
ー産業振興と環境問題という本来ならばトレードオフの関係の中、生まれた豊島の悲劇と直島の発展ー
これこそがこのベネッセアートサイト直島が位置する場所で行なった紛れもない歴史、事実です。
次回以降、中編・後編としてこの島しょエリアの中でベネッセが担ってきた役割やそのアート作品、アート活動、美術館などをご紹介したいと思いますが、まずは前編においてこの隣接する2島が刻んできた「歴史」というものをしっかりと理解いただければ、また違った見方も生まれるのではないかと思います。
前編、前置き長くなりましたが今日はここまでに。
日に日に寒くなる毎日ですが、皆さんお身体ご自愛ください。
本ブログも引き続きよろしくお願いいたします。
(マウス)
コメント