こんにちは。今日は山梨の久保田一竹美術館以来の染色工芸家の美術館です。実は全国に染色工芸の専門館って少ないんですよね。日本は海外と比べてもここの技術は素晴らしいと思うのですが、少し美術館の数が少ないのが気になります。今日ご紹介する美術館とその主要なコレクションを形成する工芸家、実は柳宗悦(やなぎむねよし)が唱えた民藝運動※に参画しています。(今回は先に民芸運動をおさらいしておきましょう)
民藝運動とは
※民衆の工芸品の略語。民衆の間でつくられた日常の生活用具のうち、機能的で健康な美しさをもつ工芸品とその制作活動。大正末期(1920年代)に柳宗悦(むねよし)によって提唱された。
それまで下手物(げてもの)とよばれて美術の分野から無視されていた日用雑器に光をあて、手仕事のよさと美的な価値を認めようというもので、朝鮮、沖縄や日本各地の江戸時代から昭和初期の民芸品が特集形式の雑誌『工芸』(1931~51、全120冊刊行)などに紹介され、1936年(昭和11)には東京・駒場(こまば)に日本民藝館が設立されて、民藝運動の拠点となった。民藝品の本来の特性を明らかにし、その工芸美を認識し、技術の保存・普及・復興を図ろうというもので、その主張は次の点で区分されています。
(1)実用性 一般生活に実際に使われる目的で制作されたもの。
(2)民衆性 作者の銘を入れないこと。
(3)手仕事であること
(4)地方性 その地方の伝統と特色を生かしたものであること。
(5)多数性と低価格 民衆の日々の用にあて、いつでも求められること。
このブログで紹介する美術館
静岡市立芹沢銈介美術館
・開館:1981年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、市観光協会HPより転載)
・場所
静岡市立芹沢銈介美術館 – Google マップ
民芸運動を推進した染色家のコレクションを中心に
・染色界の重鎮、芹沢銈介(せりざわけいすけ・1895~1984)氏が、郷里の静岡市に作品とコレクションが寄贈されたのを機に建設。芹沢の芸術を広く紹介し、その偉業を後世に伝えるべく活動を続けています。国内では珍しい染色作家の美術館です。
また、建物の設計は建築家:白井晟一(1905~1983)氏※の設計によるもの。弥生時代の遺跡:登呂公園の一隅に位置し、その遺跡の雰囲気に自然に融け込むように、石、木、水という天然素材を選んで構成されました。コレクションは芹沢の作品約1,300点と他コレクションを併せ約4,500点、年に4回展示替えが行なわれて順次公開しています。
※白井晟一とは…京都市生まれの建築家。1928年(昭和3)京都高等工芸学校卒業。在学中、京都大学哲学科に出入りし、戸坂潤らの影響を受ける。卒業後ドイツに留学、ハイデルベルク大学とベルリン大学で建築と哲学を学ぶ。1933年帰国。京都から奈良へ日参して日本の古代建築を学ぶ。1935年以降建築設計に従事、重厚な独自の造型を目ざす。1960年(昭和35)に松井田町役場(1955)、浅草善照寺本堂(1958)で高村光太郎賞を、佐世保市の親和銀行本店(第1期工事1966、1980完成)で1969年に建築学会賞、1970年に毎日芸術賞などを受賞。1980年日本芸術院賞を受賞。建築設計のほか書をよくし、装丁家としても知られた。
芹沢銈介とは
・静岡市生まれの染色工芸家。東京高等工業学校図案科卒業。当初図案家を志したが、柳宗悦(やなぎむねよし)の著書『工芸の道』を読んで民芸運動に参画、1928年(昭和3)には大礼記念国産振興博覧会で見た沖縄の紅型(びんがた)に触発されて、染色の世界に入る。紅型を基礎にした型染めによる農村風景や生活周辺の器具の
ほか、装飾文字「いろは」「春夏秋冬」には定評があり、染色のほか、版画、装丁、家具設計、民芸品のコレクターとしても知られる。1956年(昭和31)自ら創始した型絵染技法により重要無形文化財保持者に認定。倉敷市の大原美術館の芹沢館(1963開館)、静岡市立芹沢銈介美術館に多くの作品が集められている。
主なコレクション
芹沢銈介の作品
<写真は制作年が古い年代順に並んでいます(大正~昭和50年代)>
芹沢銈介の収集品
・芹沢氏は染色家として国内外で高い評価を得た一方、生前から世界の工芸品の収集家としても広く知られているそうです。収集品は、個人のコレクションとしては厖大な量で、様々なジャンル、時代、国籍のものが含まれます。すべて自らが「よい」「美しい」と感じたものを厳しく選択したもので、収集全体を見渡すと、芹沢氏の個性や創造性が色濃く表れています。収集は、大正8(1919)年、24歳の時にはじめた小絵馬の収集に端を発しており、その後、32歳の時に出会った柳宗悦氏が芹沢氏の収集品を一見してそのすばらしさに驚き、生涯その審美眼に深い敬意をはらったという伝記が残っているそうです。戦後、昭和31(1956)年に人間国宝になって以降は生活に余裕が出てきたこともあり、次第に収集に熱が入っていき、昭和40(1965)年以降になると、収集品のみの展覧会を行うまでに。戦後収集したものだけでも6000点以上にのぼり、その内容は、ほぼ全世界を網羅し、そのジャンルも実に多岐にわたります。本美術館には、そのうち4500点が収蔵されており、順次公開されています。
日本
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南北アメリカ、オセアニア
…いかがでしょう。なぜか芹沢氏の作品そのものも素晴らしいのですが、収集品の方により心惹かれたマウスでした。
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