こんにちは、マウスです。2021年9月に開始した本ブログ、正確には北海道を皮切りに美術館紹介をはじめたのは2022年8月31日の「札幌芸術の森美術館」が記念すべき第1館目でした。
そんな美術館紹介のブログも全国46道府県を網羅し、残るは東京都のみとなりました。これもひとえに私のブログを読んでくれている読者の方の反応(コメントはなくとも…WordPress便利なものでどの記事がよく読まれているとか結構簡単に分かってしまいます)や友人、知人、また家族からの叱咤激励などに支えられてここまで来れたものと感じております。
引き続き、本ブログ「絵本と、アートと。」をよろしくお願いいたします。
それでは早速、東京都の1館目、ご紹介していきましょう。本館は、2018年に「ART」(アート)と「HORIZON」(ホライゾン:地平)を組み合わせた造語による美術館名称へと大きく変え、「創造の体感」をコンセプに運営されています。
このブログで紹介する美術館
アーティゾン美術館
・開館:2020年 ※前身は1952年からのブリヂストン美術館。戦後、日本有数の西洋美術コレクションを形成しました。
・美術館外観(以下画像は美術館HP、都、観光協会HPより転載)
・場所
アーティゾン美術館 – Google マップ
世界有数のタイヤメーカーが設立、「創造の体感」をコンセプトに時代を切り拓くアートの地平を目指して
・東京都中央区京橋にある私立美術館。タイヤメーカーの「ブリヂストン」が母体で現在は公益財団法人石橋財団が運営。 なお、「ARTIZON」(アーティゾン)は、「ART」(アート)と「HORIZON」(ホライゾン:地平)を組み合わせた造語で、時代を切り拓くアートの地平を多くの方に感じ取っていただきたい、という意志から。
新しい美術館のコンセプトは「創造の体感」。 古代美術、印象派、日本の近世美術、日本近代洋画、20世紀美術、そして現代美術まで視野を広げています。 美術館は、23階建て高層ビル「ミュージアムタワー京橋」の低層部に位置、展示室は4階から6階までの3フロア、旧美術館の約2倍の面積(約2,100㎡)に拡張。これによりこれまで実現できなかった大きな企画展(特別展)とコレクション展を同時に開催することが可能となり、最新の照明設備や空調設備、古美術室などが新たに設置。
創設者の石橋正二郎氏が信念とした「世の人々の楽しみと幸福(しあわせ)の為に」という基本理念の下、新たしいコンセプトを「創造の体感」と設定。
印象派のみならず古美術、日本近代洋画、20世紀美術そして現代美術までその裾野を広げ、所蔵作品は現在約3000点を数え、黒田清輝、藤田嗣治、藤島武二、坂本繁二郎、青木繁といった日本近代美術の作品をはじめとし、印象派の主要画家として、ルノワール、モネ、セザンヌ、ゴーガン、20世紀美術の巨匠ピカソ、マティス、彫刻家のロダンまで数多くのコレクションが収蔵。 また、カンディンスキー、パウル・クレー、ジャクソン・ポロックといった抽象画から堂本尚郎、川端実、菅井汲、白髪一雄といった近代日本の抽象画家、さらには、古代ギリシア、ローマ、エジプトの彫刻・工芸品も収蔵されています。
石橋正二郎とは
・1889年、福岡県久留米市生まれの実業家。ブリヂストンタイヤの創業者。久留米の仕立物店の家に生れ,家業を継ぐと足袋の工場生産を試みて成功した。1918年日本足袋会社を設立、次いで新案特許のゴム底の地下足袋の製造を開始したところ労働者や農民に愛用され驚異的な売行きをみた。1931年ブリヂストンタイヤを創立、当時きわめて困難視されていた自動車用タイヤの国産化に成功した。1951年、富士精密社長を兼務したほか、経済団体連合会 (経団連) 、日本経営者団体連盟 (日経連) 常任理事をつとめ財界でも活躍。また美術品の世界的コレクターとしても著名で、1952年ブリヂストン美術館を開設したほか、ベネチア・ビエンナーレ日本館、国立近代美術館など多数寄付している。
美術愛好家:石橋正二郎
・アーティゾン美術館のHPには貴重な美術愛好家としての石橋正二郎の姿が記載されています。そちら転載しておきます。
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・石橋正二郎が本格的に絵画収集を始めるきっかけとなったのは、正二郎の高等小学校時代の図画教師だった洋画家・坂本繁二郎との再会でした。若くして夭折した同郷の画家・青木繁の作品の散逸を惜しんだ坂本は、正二郎に青木の作品を集めて美術館をつくってほしいと語ったといいます。
その言葉に感じ入った正二郎は、青木を中心として日本近代洋画の収集を始め、およそ10年間で《海の幸》など青木の代表作を購入、コレクションを形成していきました。 青木、坂本に加え、正二郎のコレクションの中で重要な位置をしめる画家が藤島武二です。個展で作品を気に入り購入した正二郎は、藤島と親しく交友し、画家が保管していたイタリア時代の作品15点を一括して譲り受けています。
当初から美術館の創設を考えていた正二郎に、老画家から愛蔵品が託されたのでした。開館年の1952(昭和27)年は、サンフランシスコ条約が発効され、戦後復興期にあった日本がようやく主権を取り戻した年でした。以後60年以上にわたって活動を続けてきた国内有数の歴史を誇る美術館ですが、創設者の石橋正二郎は、すでに戦前から絵画収集をスタートさせていたのです。
石橋正二郎は、「青木や藤島などの洋画家たちの作品と、彼らがお手本としたフランスの画家たちの作品を一緒に並べたら光彩を放つだろう」と語り、第二次大戦後の社会の変動期に売りに出された、戦前来の西洋美術から精力的に購入を行います。「明るい絵が好き」で、とりわけ印象派を好み、自身の審美眼を活かして、質の高い作品を収集していきました。同時に、復興期に優れた美術品の海外流出をくい止める役を果たすことにもなりました。
本館を代表するセザンヌの《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》は、原三渓の子息・善一郎が、白樺派が建設を夢見た「白樺美術館」のために戦前のパリで購入した作品です。このように正二郎は国内にある西洋絵画を収集し、印象派をはじめ19世紀から20世紀初頭のフランス絵画を中心に、各画家の代表作を含む良質のコレクションをつくりあげたのでした。 1950(昭和25)年、初渡米した際、都心のビルにあったニューヨーク近代美術館に強い感銘を受けた正二郎。そこで東京・京橋に建設中の本社ビル2階を急きょ美術館として、自らのコレクションを一般公開することを決意します。
1952(昭和27)年1月、ブリヂストン美術館は開館しました。 「好きな絵を選んで買うのが何よりも楽しみであるが、もとよりこのような名品は個人で秘蔵すべきでなく、美術館を設け、文化の向上に寄与することがかねての念願であった」と言う正二郎は、美術館を私物化することなく、4年後には財団法人石橋財団を設立。コレクションの大半をこれに寄付し、館の管理運営を委ねました。同年、石橋美術館も創設し、郷里:久留米市に寄贈しました。企業の経営者として卓越した力を持つ傍ら、美術館館長としても、公共性に対し非常に優れた意識をもつ指導者だったと言えるでしょう。
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美術館のコンセプト
創造の体感
・石橋財団のコレクションを始めとした美術館活動の原点:「時代を切り拓く創造性を提案し、守り・育むこと」に再度焦点を当て、単に観賞の場を提供するだけでなく、見る、感じる、知ることにより作品の創造性を体感し、そのインスピレーションがいつか新たな時代を切り拓くきっかけとなる場所となることを目指して運営されているそうです。
主なコレクション
主な収蔵作家
ピエール=オーギュスト・ルノワール
カミーユ・コロー
ジャクソン・ポロック
パブロ・ピカソ
中国 龍泉窯
青木繁
→青木繁については長野県の「田崎美術館」の回で少し触れましたね。
雪舟
主な時代区分ごとの収蔵作品
・アーティゾン美術館のコレクション、本当に多種多様になものがあります。どのような時代区分ごとにコレクション体系されているのかを記載しておきます。(作品画像などは以下URLを参照ください)
西洋近代美術と戦後美術
印象派とその周辺
ポスト印象派から20世紀美術
抽象絵画
戦後美術
近現代ヨーロッパ彫刻
日本近代洋画
明治
大正
昭和
東洋の美術
書蹟
中国絵画
中世絵画
近世絵画
近代の日本画
陶磁器
古代オリエントとギリシア・ローマ美術
→歴史があり資金力が豊富な美術館って古代オリエントとかギリシア・ローマ美術集めているあるあるな気がするのですが…岡山県の大原美術館もそうでした。
(参考)株式会社ブリヂストン 年表
・最後は恒例の美術館の母体(今回はブリヂストン)の年表振り返りです。
1930年(昭和5年) – 日本足袋株式会社(現:アサヒシューズ株式会社)タイヤ部により純国産タイヤ第1号が生まれる。
1931年(昭和6年) – 3月1日 – 日本足袋タイヤ部が独立し、福岡県久留米市に「ブリッヂストンタイヤ株式会社」設立。
1932年(昭和7年) – 商工省より優良国産品の認定受領。米国フォード社やGM社の製品試験に合格。東アジア等への輸出を開始。
1934年(昭和9年) – 久留米工場開設。本格量産開始。 1935年(昭和10年) – ゴルフボールの本格量産開始。
1937年(昭和12年) – 本社を東京に移転。Vベルト・ゴムホース製造と防振ゴム試作を開始。 1938年(昭和13年) – 横浜工場開設。
1942年(昭和17年) – 太平洋戦争激化に伴い、英語表記の社名を「日本タイヤ株式会社」に変更。(→敵性語)
1947年(昭和22年) – 二代目石橋徳次郎保有の日本タイヤ株式と石橋正二郎保有の日本ゴム株式を交換し、資本・経営関係を分離。
1949年(昭和24年) – 販売店の登録代理店制度を発足。「ブリッヂストン自転車株式会社」発足。輸出事業強化に向けて輸出部を設置。石橋正二郎が東京電気自動車(後のプリンス自動車工業の源流)に出資。
1951年(昭和26年) – 社名を「ブリヂストンタイヤ株式会社」に変更。グッドイヤー社と生産・技術提携契約を締結(1979年(昭和54年)に解消)。他社に先駆けタイヤコードのレーヨン化を開始。東京京橋にブリヂストンビルを竣工、「ブリヂストン美術館」を併設。
1951年(昭和26年) – カーボンブラックの国産化を目的として石橋正二郎により旭カーボンを設立。
1952年(昭和27年) – 横浜工場でフォームラバー生産開始。ブリヂストン自転車にてオートバイの製造開始。トラック・バス用タイヤ全サイズをレーヨンコード化し更に新パタンに切替え「U-LUG」と命名し発売、大ヒットとなる。アジア諸国へ主張員を派遣し市場調査を開始。石橋正二郎が会長を務める「たま自動車」が、初の乗用車「プリンス」を発売(同年、社名を「プリンス自動車工業」に変更)。
1953年(昭和28年) – 売上高100億円突破、業界首位に。中近東諸国への出張員派遣を開始。
1956年(昭和31年) – 創立25周年記念式典挙行、記念事業の一環として石橋文化センターを建設し久留米市へ寄贈。日本初のトラック用スチールバイアスタイヤ開発。販売店の自社系列化政策を開始(販売会社化)。戦後初の海外拠点としてシンガポール支店を設置。
1958年(昭和33年) – 欧米諸国への出張員派遣を開始。
1959年(昭和34年) – 他社に先駆けタイヤコードのナイロン化を開始。
1960年(昭和35年) – 東京工場開設。横浜工場でウレタンフォーム生産開始。「ブリヂストン液化ガス」(現:「ENEOSグローブ」)を設立。
1961年(昭和36年) – 株式公開を実施(店頭 5月)、東京・大阪証券取引所に株式を上場(10月)。
1962年(昭和37年) – 日本初のトラック用スチールラジアルタイヤ開発。東京工場敷地内に技術センター開設。
1963年(昭和38年) – 日本初の本格的レースである第1回日本グランプリに参戦。
1964年(昭和39年) – 日本初の乗用車用ラジアルタイヤ開発。
1965年(昭和40年) – マレーシアに戦後初の海外工場を設立。欧州で最初の販売会社をスイスに設立。米国インペリアル・イーストマン社と技術援助契約、「ブリヂストン・インペリアル・イーストマン」(現:「ブリヂストン・フローテック」)を設立(1981年(昭和56年)に子会社化)。タイヤ品質保証部を設置し、品質の保証を体系化・体制の充実を図る。
1966年(昭和41年) – CMソング「どこまでも行こう」放送開始。ブリヂストン液化ガス、三井物産と資本提携。
1967年(昭和42年) – アメリカに販売会社「ブリヂストン・アメリカ」を設立。ブリヂストンタイヤショップ制度発足。
1968年(昭和43年) – デミング賞受賞。社是制定。アフリカで最初の駐在員事務所をヨハネスブルグに開設。
1968年(昭和43年) – 久留米商工会館屋上にゴム三社(月星ゴム〈現:ムーンスター〉、日本ゴム〈現:アサヒシューズ〉、そしてブリヂストンタイヤ〈現:ブリヂストン〉)の回転式ネオン塔を設置。 1970年(昭和45年) – スチールコードメーカーのベルギー・ベカルト社と協同し「ブリヂストン・ベカルト・スチール・コード」社設立。防振ゴム分野の米国クレバイト社と提携して、「ブリヂストン・クレバイト」(現:「プロスパイラマニュファクチャリング」)を設立。第1回「ブリヂストンゴルフトーナメント」(現:「ブリヂストンオープン」)開催。
1971年(昭和46年) – 環境対策強化を睨み、環境管理部を設置、各種公害の軽減や資源リサイクル分野の強化を開始。
1972年(昭和47年) – アルミホイールの製造・テスト販売を開始。米国クエスター社と合弁契約を締結、「ブリヂストン・スポルディング」を設立しスポーツ用品事業に本格進出。
1973年(昭和48年) – グループ3社(タイヤ・液化ガス・サイクル)提供番組「クイズオンクイズ!!」(日本テレビ系)放送開始。
1976年(昭和51年) – 日本初のF1レースに初参戦(但し1チームのみのスポット参戦)。
1977年(昭和52年) – 栃木県黒磯市に日本初のタイヤテストコース開設。レーシングカートタイヤの生産を開始。
1979年(昭和54年) – 「ポテンザ」ブランド誕生。
1980年(昭和55年) – 販売情報の集約のため、全国の販売網との間にオンラインシステム「DOTシステム」を構築。米国ユニロイヤル社を買収。
1981年(昭和56年) – 提供番組「ベストヒットUSA」(テレビ朝日)放送開始。ブリヂストン液化ガス、三井液化ガス(初代)に社名変更。フラッグシップタイヤ「REGNO」ブランド誕生。
1982年(昭和57年) – 日本初のスタッドレスタイヤ発売。
1983年(昭和58年) – アメリカのファイアストンのナッシュビル工場を買収。
1984年(昭和59年) – 社名を「株式会社ブリヂストン」に改称(CI導入)。新タイヤ形状理論「RCOT」発表。 1988年(昭和63年) – アメリカのファイアストンを正式に買収、子会社化。
1989年(平成元年) – アメリカの子会社を再編、「ブリヂストン/ファイアストン・インク」設立。
1990年(平成2年) – ヨーロッパ統括会社として「ブリヂストン/ファイアストン・ヨーロッパ エス エー」を設立。
1993年(平成5年) – スポーツ関連用品事業をブリヂストンスポーツに統合。
1994年(平成6年) – ヨーロッパにおける事業を「ブリヂストン/ファイアストン・ヨーロッパ エス エー」に統合。
1997年(平成9年) – F1に本格参戦。
1998年(平成10年) – ブリヂストンの源流である株式会社アサヒコーポレーションが会社更生法適用を申請。ブリヂストン代表取締役海崎洋一郎は資金援助の拒絶を表明。久留米市内の工場で同社の人員を受け入れる等の形で再建への協力を行う。
1999年(平成11年) – 旭カーボンを子会社化。
2001年(平成13年) – 「ブリヂストン/ファイアストン・インク」が持株会社制を導入。(「ブリヂストン/ファイアストン アメリカス ホールディング・インク」)
2002年(平成14年) – 創業者の石橋正二郎が日本自動車殿堂入り。ロードレース世界選手権MotoGPクラスに参戦。
2003年(平成15年) – アメリカの統括子会社の社名を「ブリヂストン アメリカス ホールディング・インク」に、同様にヨーロッパの統括子会社の社名を「ブリヂストン ヨーロッパ エヌヴイ エスエー」に変更。
2003年(平成15年) – 栃木工場で大規模な火災事故が発生、操業を一時停止。原因は工場内での溶接中に火花が原料ゴムに着火したことによる。
2004年(平成16年) – 中国にタイヤ事業を統括する普利司通(中国)投資有限公司を設立。
2005年(平成17年) – 日本市場向けとしては24年ぶりとなる新ブランド「Playz(プレイズ)」を発売。
2006年(平成18年) – ブリヂストン アメリカス ホールディング・インク、再生タイヤ大手バンダグ社(Bandag Inc.)を買収。石橋正二郎が米国自動車殿堂入り。戦略的事業ユニット(SBU)、グローバル経営プラットフォーム(GMP)、グローバル本社(GHO)からなる組織改革を実施。
2007年(平成19年) – リトレッド事業のリーディングカンパニー「バンダグ」社を買収、子会社化。
2008年(平成20年)5月16日 – 同業の第4位メーカーである東洋ゴム工業と業務・資本提携を発表した。
2010年(平成22年) – 契約満了に伴い、F1へのタイヤ供給から撤退。
2011年(平成23年)3月1日 – 創業80周年を機にCI(ブリヂストンシンボル)と企業理念を変更(リファイン)し、新タグラインとして「あなたと、つぎの景色へ(日本国外ではYour Journey, Our Passion)」を制定。
2013年(平成25年)11月5日 – 東京都中央区京橋の東京スクエアガーデンへの本社移転に伴い、新本社での業務を開始(12月9日に移転完了)。
2014年(平成26年)6月13日 – 国際オリンピック委員会(IOC)のTOPスポンサーになり、調印式を帝国ホテル東京で行った。
2016年(平成28年)4月 – 東京ディズニーリゾートのオフィシャルスポンサーから撤退。
2022年(令和4年) 3月 – ブリヂストンスポーツ傘下のブリヂストンスポーツアリーナをナガセへ売却、イトマンスポーツスクールとなる。
10月 – ロシア国内の製造・販売事業から撤退すると発表した。
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いかがでしょう。石橋正二郎氏が亡くなったのがちょうど日本初のF1レースに初参戦した1976年ですので、もうそこからも半世紀が経とうとしているから驚きです。
久留米市の1シューズメーカーだった会社がここまで世界的なメーカーに発展するとは当時誰も予想だにしていなかったのではないかと思います。そんな石橋正二郎氏、高等小学校時代の図画教師だった洋画家・坂本繁二郎氏の影響は大きかったのかもしれません。故郷にこのような偉大な作家がいたという事実もまたどこかで、世界的なメーカーの経営者を支えた一面もあったのではないかと個人的には感じています。 そんな創業者の想いが脈々と受け継がれているアーティゾン美術館、皆さんもぜひ足を運んでみて下さい。
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