祖父の出身地に立地、瀬戸内海と瀬戸大橋の雄大な自然に囲まれた美術館 香川:香川県立東山魁夷せとうち美術館

アートな場所

さて、長かった香川県の美術館紹介も残るは公立美術館を残すまでとなりました。直島をはじめ多くの美術館がありましたね。また、直島が現代アートの島になる前夜にも瀬戸大橋が開通した前後で重要な現代美術館が生まれたこともわかりました。そんな香川県において大切にコレクションされている1人の日本画家がいます。実は国内外で有名なこの日本画家の祖父が香川県の瀬戸内海に浮かぶ小島:櫃石島(ひついしじま)のご出身だったことを知る人は意外と少ないかもしれません。恐らく全国的にもファンが多いのではないかと思われる東山魁夷、その完成は瀬戸内海に浮かぶ小島から眺める大自然に育まれたものかもしれません…早速その美術館をみていきましょう。

このブログで紹介する美術館

香川県立東山魁夷せとうち美術館

・開館:2005年
・美術館外観(以下画像は施設HP、県・市、観光協会HPより転載)

・場所
香川県立東山魁夷せとうち美術館 – Google マップ
<h3祖父の出身地に立地、瀬戸内海と瀬戸大橋の雄大な自然に囲まれた美術館

・東山魁夷氏の祖父が坂出市櫃石島の出身で、香川県とゆかりが深いことから、遺族より版画作品270点余の寄贈を受けたことが美術館設立の発端。(東山氏のライトグレー色の瀬戸大橋が眼前に広がり、万葉のロマン漂う歴史的遺産や、瀬戸内海の美しい自然に囲まれ、心の癒しや憩いの場となる美術館とHPでは紹介されています。)美術館では、東山魁夷と香川県とのゆかりを紹介し、様々なテーマで所蔵作品を展示するとともに、東山魁夷やゆかりの日本画家の作品を展示するなど、積極的に発信しています。

東山魁夷とは

・1908年(明治41年)、横浜生まれの日本画家。1931年(昭和6)東京美術学校(東京芸大の前身)を卒業して研究科に進み、1933年から1935年までドイツに留学。1947年(昭和22)の第3回日展で『残照』が特選。1950年から審査員となり、第11回日展出品作『光昏(こうこん)』で1956年に日本芸術院賞を受ける。1965年には日本芸術院会員、日展理事となり、1969年に文化勲章を受章。1974年に日展理事長となった。この間、1960年に東宮御所壁画『日月四季図』、1968年には皇居新宮殿壁画『朝明けの潮(うしお)』を完成、翌年毎日芸術大賞を受ける。また1973年から唐招提寺御影(とうしょうだいじみえい)堂障壁画の制作に携わり、1981年にこれを完成。1987年に所蔵していた自作を長野県に寄贈。1990年(平成2)には、同県にそれらを所蔵した長野県信濃美術館・東山魁夷館が開館。文章をよくし、『わが遍歴の山河』『風景との対話』など著書多数がある。平成11年5月6日死去。
(書跡気になる方は以下ご参照)

東山魁夷―わが遍歴の山河 (人間の記録)


風景との対話 (新潮選書)

年表

・明治41年(1908) 7月8日、船具商を営む東山浩介と妻くにの次男として横浜に生まれる。本名を新吉と称し、幼いころから絵を好んで描き、早くもその才能が開花し始める。
・大正10年(1921) 13歳
兵庫県立第二神戸中学校(現・兵庫高等学校)に入学。中学の恩師からの勧めがきっかけで画家になることを決意する。
・大正15年(1926) 18歳
東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に入学。夏、信州を旅し、山国の雄大な自然に強い感銘をうける。
・昭和6年(1931) 23歳
3月、東京美術学校日本画科を卒業。引き続き研究科に進み、結城素明に師事して「魁夷」を雅号とする。
・昭和8年(1933) 25歳
東京美術学校研究科を修了。8月、渡欧の途につく。10月、ベルリンに到着。ベルリン大学外国人語学部でドイツ語を学ぶかたわら、足繁く美術館に通う。
・昭和10年(1935) 27歳
9月、父の病気の報に、残り1年の留学期間を断念して帰国。
・昭和15年(1940) 32歳
11月川崎小虎の長女すみと結婚する。
・昭和22年(1947) 39歳
10月、第3回日展に《残照》を出品、特選を受賞。この作品によって、以後、風景画家として立つことを決意。
・昭和25年(1950) 42歳
5月、はじめて日展で審査員を委嘱される。10月、第6回日展に《道》を出品、好評を得る。
・昭和31年(1956) 48歳
5月、前年の第11回日展に出品した《光昏》によって日本芸術院賞を受賞する。
10月、第12回日展に《松庭》を出品。
・昭和34年(1959) 51歳
11月、第2回新日展に魁夷の祖父が生まれ育った櫃石島を描いた《暮潮》を出品。
・昭和35年(1960) 52歳
4月、宮内庁から依頼されていた東宮御所の壁画《日月四季図》が完成。
・昭和37年(1962) 54歳
4月17月、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドを写生旅行。
・昭和40年(1965) 57歳
1月、日本芸術院会員に任命される。3月、日展理事に就任。
・昭和43年(1968) 60歳
4月、新宮殿壁画《朝明けの潮》が完成。
・昭和44年(1969) 61歳
1月、《朝明けの潮》の制作および前年の「東山魁夷展京洛四季展」によって毎日芸術大賞を受賞。4月から9月にかけて夫妻でドイツ、オーストリアの古都を巡る。11月、文化勲章を受章、あわせて文化功労者に選ばれる。
・昭和48年(1973) 65歳
8月、香川県文化会館にて瀬戸内美術館連絡協議会結成 第1回事業 東山魁夷展を開催、北欧風景、京洛四季、ドイツ・オーストリアの旅、白い馬の見える風景の4つのテーマによる150点余を出品。
・昭和49年(1974) 66歳
3月、日展理事長に就任。(~1975年)
・昭和50年(1975) 67歳
5月、唐招提寺御影堂の第一期障壁画《山雲》《濤声》が完成、6月3日に奉納される。
・昭和55年(1980) 72歳
2月、第2期障壁画の三題《黄山暁雲》《揚州薫風》《桂林月宵》が完成、6月に唐招提寺に奉納する。
・昭和56年(1981) 73歳
11月、唐招提寺鑑真和上像厨子絵《瑞光》を奉納。
・平成10年(1998) 11月、第30回日展に《月光》を出品、最後の日展出品作となる。
・平成11年(1999) 5月6日、老衰のため逝去。奇しくも鑑真和上と同じ命日であった。
従三位、勲一等瑞宝章を贈られる。
・平成16年(2004) 1月より横浜美術館、兵庫県立美術館で「東山魁夷展-ひとすじの道―」を開催。
・平成17年(2005) 4月、香川県立東山魁夷せとうち美術館が開館。

→やはり日本画壇において重要な歴史を担った作家であることは誰もが認めるところです。比較できるポイントではないのは承知ですが、東山魁夷氏、61歳で文化勲章を受章されています。これは草間彌生さんが80歳代で受章されているのを考えればいかにすごいことだったか分かりますね。

主なコレクション

  
  

私の周りでもいまだに非常にファンの多い作家さんです。恐らく日本人の美意識の根底にあるものをうまく表現した色合いと風景が魅力なのだからでしょう。遺族の方があえて香川県にコレクションを寄贈したのも、少なからず東山魁夷の作品に幼少時代にみた瀬戸内の景色が織り込まれているからと推測しています。そんな瀬戸大橋のつけ根にある日本を代表する日本画家の美術館、皆さんもぜひ足を運んでみて下さい。

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