美術館をもっとおもしろく!大阪で世界を知る世界が大阪を知る 大阪市立美術館

大阪府

こんにちは。今日ご紹介する美術館も天王寺駅に隣接、慶沢園という住友家から大阪市へ寄贈され大規天王寺公園(模庭園)の一角に位置しています。こちら現在大規模改修工事のため2025年春頃まで臨時休館中ですが、その歴史を少し振り返ってみたいと思います。それでは早速。

このブログで紹介する美術館

大阪市立美術館

・開館:1936年
・美術館内・外観(以下画像は美術館HP、市観光協会より転載)

→これHPからの画像なのですが、画像に休館のテロップを入れているあたり既に大阪っぽいですね。

・場所
大阪市立美術館 – Google マップ

美術館をもっとおもしろく!大阪で世界を知る世界が大阪を知る

・市民が優れた美術文化に接する機会を提供し、生活に潤いをもたらすとともに、美術家の活動を助成し、広く大阪の文化振興に資することを目的として、昭和11年(1936年)に開館。美術館は設立当初の本館と、平成4年(1992年)に美術館の正面地下に新設した地下展覧会室がある。コレクションは購入や寄贈によって集まった日本・中国の絵画・彫刻・工芸など8500件をこえる館蔵品と、社寺などから寄託された作品によって構成。

大阪市立美術館 館長コメント

・以下は大阪市立美術館HPに載っている館長の挨拶文です。(これを読むと大阪に美術館が少ない理由、背景が少し垣間見えるかもしれません)
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・大阪市立美術館は昭和11年5月に開館した、日本で三番目に古い公立美術館です。コレクションは日本、東洋の古美術品を中心に8500件を数え、わが国屈指の質の高さを誇っています。その多くは市民による寄贈で、まさに市民が育てた美術館と言って良いでしょう。また、特別展では海外の美術館展も開催されます。大阪市の美術館なのに大阪市以外の美術品が展示されるのはなぜ?と思うかもしれません。その理由は、大阪市にいながら日本全国、さらに世界の名品を鑑賞するためです。言い過ぎではなく、大阪で世界を知るためです。戦後になって施行された社会教育法や博物館法よりも早く、大阪市民は自らの手でそれを成し遂げたのです。

私は館長に就任するにあたり、この理想と歴史を重く受け止めています。と同時に市民の期待とニーズに応える姿勢を大切にしたいと考えています。大阪市立美術館は今秋より2年半に及ぶ改修工事に入ります。2025年春のリニューアルオープンでは、さすが大阪市の美術館はおもろいことしよる、と言っていただけるような姿で戻ってきたいと思います。(2022年4月 大阪市立美術館館長 内藤 栄)
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主なコレクション

阿部コレクション

・東洋紡績株式会社(現TOYOBO)の社長を勤め、その後貴族院議員ともなった阿部房次郎(あべふさじろう 1868-1937 )氏が収集。子息孝次郎氏より昭和17年に寄贈された中国書画160点からなる。伝王維筆「伏生授経図」をはじめ重要文化財4点を数え、燕文貴筆「江山楼観図」など中国書画の歴史を語るうえで無くてはならない作品も多く含まれる、大阪市立美術館の代表的なコレクション。

山口コレクション

・旧関西信託(現在三菱UFJ信託銀行となっている東洋信託銀行の前身)の社長などを務めた関西の実業家、山口謙四郎(1886-1957)氏が収集。中国の石造彫刻125点・金銅仏5点・工芸94点の計224点からなり、昭和52年・53年に譲渡。 特に中国の石像彫刻に造詣が深く、石仏は北魏の天安元年(466)銘仏坐像をはじめ隋・唐にいたるまで、基準作ともなる紀年銘を持つ優品が揃い中国仏教彫刻史を概観することができる日本屈指のコレクション。

田万コレクション

・大阪で衆議院議員・弁護士として活躍した田万清臣(たまんきよおみ、1892~1979)氏が、明子(あけこ)夫人とともに集められた615点におよぶ仏教美術・近世絵画を中心とした東洋美術コレクション。清臣氏の一周忌である昭和55年に、故人の遺志により夫人から寄贈。コレクションのうち仏教美術は154点を数え、「銅 湯瓶」をはじめ、4点の重要文化財が含まれ、昭和57年と62年には子息侃(ただし)氏より48点の作品を追加寄贈。

カザールコレクション

・明治末年の来日以来、昭和39年に亡くなるまで日本に住んで日本文化を研究し、蒔絵を中心にした漆工品を収集した神戸在住のスイス人U.A.カザール(Ugo Alfonso Casal 1888~1964)氏によるコレクション。江戸時代から明治にかけての漆工品3,409件からなり、昭和50年代を中心に七回に分けて譲渡。豪華な蒔絵調度や香合、そして印籠、櫛・笄、根付などの装身具が含まれるが、精緻な蒔絵の優品は明治以降、海外のコレクターの間で人気が高かったため多くが流失しており、国内では珍しい収集との事。

小西家伝来・尾形光琳関係資料

・尾形光琳(1658-1716)の子・寿市郎が養家の小西家にもたらしたもので、昭和18年に武藤金太氏より寄贈された収蔵33件と、京都国立博物館収蔵の257件があり、一括して重要文化財に指定。徳川秀忠の娘で後水尾天皇の中宮である東福門院の呉服御用をつとめた光琳の生家呉服商雁金屋で作られた小袖を記録した衣裳図案帳や資料、光琳や弟尾形乾山に関わる記録、そして絵師光琳の下絵・画稿・粉本、諸文書など多岐にわたり、光琳の芸術と生活を如実に伝える。絵画、書、染織、蒔絵、陶磁器など美術工芸、また当時の芸能や文化、経済を考える上で重要な資料。

師古斎コレクション

・中国拓本に造詣の深かった、大阪出身の岡村蓉二郎氏(1910~1991 号:商石、雅号:師古斎)が、主として昭和10年から昭和18年頃までに収集した中国金石拓本 400件で、昭和49年(1974)一括譲渡。商周代から唐代に至る金文・墓碑・墓誌・造像銘など多彩な内容の拓本が収蔵。自らも拓本をとり、その拓法を研究した岡村氏の旧蔵品は、墨法・拓法に優れた旧拓を多く含み、美術的・歴史的資料としての価値に富んでいる。

住友コレクション

・昭和18年秋に朝日新聞社の企画により開催された「関西邦画展覧会」に出品するために、上村松園・山口華楊・北野恒富・榊原紫峰など、当時の関西日本画壇の代表的な作家20人によって製作された20点の日本画からなる。展覧会の開催後、昭和19年に展覧会への出資者であった男爵16代住友吉右左衛門(住友友成 1909-1993)から寄贈。

小野順造コレクション

・小野薬品工業株式会社の社長・会長であった小野順造(1916-89)氏が昭和30年後半以降に収集された南北朝から唐時代にかけての19点の 中国石窟将来の石造彫刻からなるコレクション。平成7~14年に遺族から大阪市立美術館に譲渡。山西省雲岡石窟、山西省天龍山石窟、河南省龍門石窟などの名だたる石窟将来の仏頭を中心とし、当時の彫刻技術の最高峰を示す。

田原コレクション

・大阪枚方で耳鼻咽喉科を開業していた田原一繁(1934-2009)氏が夫人元子氏とともに収集に励んだ鍋島藩窯の染付・色絵など118件からなるコレクション。初期の段階から後期の終末期まで通史的に集められた鍋島藩窯のコレクションは希少で、学術資料としても貴重。平成23年(2011)に元子夫人から一括寄贈。

(付録)大阪に美術館が少ない理由~大阪市立美術館と大阪中之島美術館の変遷からの考察

・以下は、次回ご紹介する予定の「大阪中之島美術館」と本美術館の変遷をたどることで、このブログ全体の1つのハイライトとなる、「大阪に美術館が少ない理由」、そしてそれを社会全体の課題として考察する上でのまずはふり返りです。

大阪中之島美術館建設の変遷~計画と頓挫

・大阪市は、大阪市立美術館にあった古代美術・東洋美術コレクションのほかに、佐伯祐三など、19世紀以降の近代美術・現代美術のコレクションを形成。1988年、市制100年を記念して大阪市立近代美術館建設計画を発表。

コレクションは充実するものの、展示する美術館の建設は頓挫。[予定地から蔵屋敷跡が発掘されたことに加え、市が財政難に陥り建設費(約280億円)が捻出できず計画が凍結]

その後、作品購入予算もゼロとなり、2004年(平成16年)からは購入自体が停止。出光美術館分館跡のスペースを「大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室」という名称で使用し所蔵品の展示を細々と行う。

2007年(平成19年)新年度予算案に約500万円を調査費として計上、約5年ぶりに建設に向けて事業再開。

平松邦夫市長時代の2010年に「近代美術館あり方検討委員会」が設置、翌2011年には「大阪市立近代美術館整備計画(案)」が発表され、1998年の答申より規模は3分の2に縮小。

さらに、2011年秋に新市長となった橋下徹氏は「しょぼい美術館ができたところで大阪の力は高まらない」とこの案を白紙撤回。(二重行政の廃止を主張する大阪維新の会には美術館も既存の美術館を廃止して新美術館に一元化し民間資金を導入するという意向があった)

2012年11月25日には大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室は閉館。

→ここで大阪市の美術館の運命はついえたかに思えましたが、なんとこの中之島の土地が国有地を買ったものであったことが美術館建設賛成者にとっては功を奏します。

この国有地、大阪市が一定年度までに美術館を建てなかったり美術館以外の用途に転用したりすると、国に対して48億円の違約金が発生することになっており、期限が迫る中、中之島の美術館構想の再起動が迫られ、みたび計画作りが始まります。

2013年には大阪市の戦略会議が中之島への新たな美術館の建設を決定。

天王寺の市立美術館を中之島の新美術館に統合して、古代から現代までを扱う総合美術館とすることも検討されるも、外部有識者検討会で、2つの美術館のコレクションの方向性の違い、市立美術館が戦前に開館した際に財界や市民から多くの寄贈を受けた経緯、南北の2つの美術館があることの都市戦略上の意義などから統合に反対する意見が出たほか、統合により巨大化する中之島の美術館の建築費も問題となり最終的に美術館の統合は行わず経営のみを統合することへ。

2016年には大阪新美術館の建築設計競技を実施し、翌2017年、集まった案の中から遠藤克彦建築研究所の設計案を最優秀案として採用、設計・建設を開始。

2018年からは作品購入予算も復活。館名は「大阪中之島美術館」と決まり、2022年2月2日に開館。

→2004年から2018年まで、15年近く作品購入予算凍結されていたのですね…こういうのも含め、以上が大阪と美術館を語る上で欠かせない情報です。またもう1つ、大阪市立美術館について、生粋の大阪っ子がご紹介している動画を眺めてみてください。

大阪にとって美術館とは

・以上をご覧になって、読者の皆さん、何か違和感を覚えませんでしたでしょうか。動画に出てくるいかにも大阪っ子というレポーターがこの歴史感漂う重厚な大阪市立美術館を紹介していることへの違和感もそうですが、大阪中之島美術館建設にあたっては足かけ30年、3度にわたって計画が頓挫しています。

…なぜ大阪だけここまで美術館建設に抵抗感が強いのでしょうか。

これはあくまで私が経験した一例ですが、とある大阪の知人と宝塚歌劇を観に行った時のこと、見終わるとその知人は何やら怪訝そうな顔をしていました。

「なに?おもしろくなかったの?」と聞いたところ、

「いや、あかんわ、私、宝塚歌劇を観ると『なんで私はあの舞台に立てへんかったんやろ』って複雑な気持ちになって芝居に集中できひん。」と言われたことがあります。

私、個人的にこの経験はなかなかの衝撃で、「宝塚歌劇をこんな見方をしている人がこの世にいたんだ」となかなか自分の価値観を覆されるような多様性を認識した瞬間でした。

だって、他に、サッカーや野球なんか見てても「なんで俺はこの舞台に立てなかったんだろう」と凹みながら観戦している人ってごくごく稀ですよね。
(もしかしたら元甲子園ピッチャー経験者とかだったあり得るかもしれませんが…この知人はタカラジェンヌ目指していたわけでも、ダンサーでもなく、ごくごく普通の大阪の人です)

加えて、前にご紹介した豊田市美術館の館長が「『絵を見てもおなかはいっぱいにならないけれど、胸はいっぱいになることがある』という言葉が好き」とおっしゃっていましたが、もしかしたら大阪の人は「胸がいっぱいになるよりもお腹がいっぱいになる方が好き」とまでは言わなくとも、「胸がいっぱいになる(ようなおもろい)美術館が日本にはない」という課題を逆説的に私たちに示してくれているのではないかと感じました。

私は本ブログで美術館をご紹介している立場上、やや美術寄りではありますが、だからと言って大阪の価値観を否定するつもりはありません。むしろ大阪の人たちの反応は、私たち美術愛好家にとっても課題を見せつけられる良い機会だと考えています。

上で触れたように、大阪の人ってなんやかんやで義理が厚いと言われますし、もしかしたら面白くないものを面白いと言うような嘘がつけないピュアな人たちの集まりなのかもしれません。

大阪市立美術館の館長さんが上のコメントの中で述べられた「大阪市の美術館はおもろいことしよる、と言っていただけるような姿で戻ってきたい」というコメントはまさに大阪のみならず、日本全国の美術館関係者全員の課題として身につまされるのではないかと思いました。

元大阪市長の橋下徹氏の「しょぼい美術館ができたところで大阪の力は高まらない」というコメントに反感を抱いた人は大勢いると思います。一方で、その大阪人の「おもろい」と思うものに食いつき、「おもろくない」と思うものには容赦をしない姿勢というのが紛れもなく日本経済(とそのコレクターたち)を引っ張ってきたのは事実です。橋下氏のコメントも「美術館がしょぼい」とは決して言っておらず、「しょぼい美術館は大阪の力にならない」ということを伝えたかった橋下節での叱咤激励だったのではないかとマウス的には勝手に思っています。

「お金を払ってまで人様の美術品(という見せびらかし)を見たないわ。」という声が聞こえてきそうですが、こういう声を持つ人たちほど、明日の美術ファンになる可能性を秘めているのではないでしょうか。(事実、私も過去そうでした。)

むしろ、「お金を払ってまで人様の美術品(という見せびらかし)を見たないわ。」と思っている人ほど逆に、「自分が美術品を収集して見せびらかしたい」という野心を持って頑張っている人も少なくないかもしれません。そんな子供から大人、裕福な人から貧しい人、はたまた女性から男性まで、あらゆる人が明日のチャンスを掴んで社会的に上昇する可能性と気概に溢れる街、それが大阪なのかもしれませんね。

そんなこんなで、今日はマウスの戯言が多かったですが、ここまでにしたいと思います。本ブログの美術館紹介も大阪まできました。いくつかの都府県を飛ばしましたので、大阪まできてやっと折り返し地点という感じですが、引き続き本ブログ「絵本と、アートと。」をよろしくお願いします。

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