こんにちは、マウスです。
今日も長野県は軽井沢のアート施設です。今更ながら軽井沢とは浅間山山頂から麓まで一帯とした自然豊かな高原を指すそうですが、ここか全国でも有名な一大別荘地帯となった由来は、カナダの宣教師であったアレキサンダー・クロフト・ショーが明治明治6年(1873)イギリス海外福音伝道会から派遣されて来日して以来、軽井沢を避暑地として開発、紹介したのが始まりだそうです。そんな軽井沢において、既にいくつかの美術館をご紹介してきましたが、今日ご紹介するアート施設は塩沢湖を中心に芸術・文学・歴史的建築物が集まる総合的リゾート施設として運営されています。どんな施設なのか、さっそく見ていきましょう。
このブログで紹介するアート施設
軽井沢タリアセン
・開館:1996年 ※前身は1971年開業の塩沢遊園です
・施設外観(以下画像は施設HP、県・市、観光協会HPより転載)
・場所
軽井沢タリアセン – Google マップ
塩沢湖を中心とした芸術・文学・歴史的建築物と自然の中で体を動かしてリフレッシュできる空間
・軽井沢町の南に位置する塩沢湖を中心として、美術館や遊戯施設、レストラン、ショップなどが集まった総合的リゾート施設。施設内の軽井沢高原文庫では、この地にゆかりのある作家・詩人の資料を見ることができ、また、柔らかなタッチで寄り添う恋人たちを描いたレイモン・ペイネの作品を収蔵するペイネ美術館や、深沢紅子による繊細で可憐な野の花の絵が楽しめる深沢紅子野の花美術館など、静かな森の雰囲気の中、芸術・文学・歴史的建築物を同時に楽しむことができます。敷地内はゴーカートやモノレールも設置され、家族みんなで1日過ごすことが可能です。
※タリアセンとは…ウェールズ語で「輝ける額」という意味。もともの語源はケルト神話の「知恵者」、芸術をつかさどる妖精「タリエシン」に由来。
各施設の様子
ペイネ美術館
・いつも寄り添う山高帽の男の子と愛らしい女の子で有名。「ペイネの恋人たち」シリーズで世界中で親しまれているフランスの画家レイモン・ペイネ。その原画やリトグラフ、愛用の画材などを展示。彼の平和に対する強い願いは「ペイネの恋人たち」として実り、暗い社会に一筋の光をもたらしました。平和な世界をおおらかな男女愛に代えて謳い上げる作品です。本美術館は旧帝国ホテル建設時に来日したアントニン・レーモンドが、昭和8年に建てた「軽井沢・夏の家」と呼ばれるアトリエ兼別荘を移築したもの。軽井沢の貴重な文化遺産のひとつになっています。
深沢紅子 野の花美術館
・明治四十四年に建てられた木造2階建て洋館。かつては旧軽井沢の銀座通りの中心的建物で、別荘の人々の情報交換の場として利用されました。2008年5月、国の登録有形文化財に指定。野の花を愛した深沢紅子(1903~1993)、洋画家として活躍する一方、昭和36年頃から20年余、縁あって夫:省三(画家)とともに旧軽井沢の堀辰雄山荘を夏のアトリエとして使用、数多くの高原の花を水彩で描き続けました。収蔵は、野の花を題材にした水彩を中心に、油絵、リトグラフ、挿絵、装幀の書物、愛蔵品など。展示室では季節にそった展示、アトリエの再現などをご覧いただけます。
睡鳩荘(すいきゅうそう)
・昭和6年にW.M.ヴォーリズの設計により建てられ、帝国生命や三越の社長をつとめた朝吹常吉の別荘であったのち、常吉の長女でありフランス文学者でも有名な朝吹登水子が夏場を過ごすための山荘としてこの建物を引き継いで使用。2008年夏オープン。2009年「軽井沢緑の景観」 特別賞受賞。
堀辰雄山荘[1412番山荘]
・堀辰雄の代表作「美しい村」に描かれた場所にあったことで有名な山荘。堀辰雄は昭和16年にアメリカ人スミスから購入し、昭和19年まで毎年初夏から秋にかけて滞在。その後、画家の深沢省三、紅子夫妻が夏のアトリエとして使用。現在は、妻の堀多恵子夫人より軽井沢高原文庫に寄贈され、この地に移築し一般公開しています。
有島武郎別荘[浄月庵]
・作家・有島武郎の父武が明治末期から大正初期に三笠に建てた別荘で、父から譲り受けた武朗はこの別荘で1916年(大正5年)から毎夏を家族と過ごしました。大正7年には「生れ出づる悩み」の一部をここで執筆。大正12年6月、武郎は愛人関係にあった中央公論社の『婦人公論』記者である波多野秋子とこの別荘で心中、事件の舞台となったことで脚光を浴びます。現在、軽井沢高原文庫内に建つ別荘は武郎の終焉の地である三笠ホテルの近くからこの地に移築したもの。1Fはライブラリーカフェ「一房の葡萄」(閉店中)となっており、2Fは有島武郎記念室として公開しています。
生れ出づる悩み (集英社文庫)
野上弥生子書斎
・小説家、野上弥生子(日本芸術員会員、文化勲章受賞)の書斎兼茶室。弥生子は「ホトトギス」への掲載を機に文壇にデビュー。また夏目漱石の門下である野上豊一郎の妻であることでも知られています。弥生子の軽井沢を舞台にした作品には「迷路」、随筆「鬼女山房記」があり、この山荘は文人達の交流の場となっていました。1933年に北軽井沢に建設され、その後1996年この軽井沢高原文庫の庭内に移築し公開しています。
迷路 上 (岩波文庫 緑 49-2)
鬼女山房記 (1964年)
軽井沢高原文庫
・軽井沢の豊かな文学世界を体験していただくために、浅間山の眺望のすばらしい塩沢湖畔に昭和60年8月に開館。敷地内には堀辰雄が愛した山荘を旧軽井沢から移築し、内部を公開しているほか、有島武郎が情死した別荘”浄月庵”、野上弥生子書斎などを移築し、別荘の様子をご覧いただいています。また前庭に立原道造”詩碑”が、裏庭に中村真一郎文学碑が建立されています。
イングリッシュローズ・ガーデン
タリアセンショップ
その他施設
・そのほかにボードやファミリーゴルフ、なかにはスプラッシュバルーンやゴーカートなど施設内は小さなお子さま連れでも楽しめるコーナーがたくさん点在しています。(大人から子供まで皆が楽しめるのは素晴らしいですね)
…いかがでしょう。まさに。塩沢湖のほとりに広がる文人が集った軽井沢の歴史と文化を引き継いだ場所でありながら、こういやって家族皆で楽しめる避暑地としての機能も存分に有しているのは魅力ですね。そんな軽井沢タリアセン、皆さんも足を運んでみて下さい。
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