JR東日本発足1周年を記念し東京駅丸の内駅舎内に開設、駅を通過点ではなく文化の場とするために 東京ステーションギャラリー

東京都

こんにちは、マウスです。
皆さん、東京駅に美術館があるのはご存知でしょうか?

 日本全国、結構な割合の人が利用したことがある駅だと思いますが、慌ただしい最中なかなか駅でゆっくり絵を観ようという気持ちにならないかもしれません。一方で、JR東日本はそのような慌ただしい駅だからこそ駅を単なる通過点ではなく香り高い文化の場としたいという想いを昔から持っているようです。

 今日ご紹介する美術館、1988年に国鉄民営後、JR発足1周年を記念し、東京駅丸の内駅舎内に開設されたものです。どんな美術館なのか早速みていきましょう。

このブログで紹介する美術館

東京ステーションギャラリー

・開館:1988年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、都、観光協会HPより転載)

・場所 東京ステーションギャラリー – Google マップ

JR東日本発足1周年を記念し東京駅丸の内駅舎内に開設、駅を通過点ではなく文化の場とするために

・丸の内にある東京駅の中に付設された、主に近代美術や現代美術の展示を行う美術館。駅を単なる通過点ではなく、香り高い文化の場の提供を目指している。東京駅の歴史を体現する煉瓦壁の展示室をもつ美術館であり活動の柱として「近代美術の再発見」「現代アートへの誘い」「鉄道・建築・デザインとの出会い」を掲げ幅広いテーマで展覧会が開催されている。なお、美術館のHPには東京駅について以下の通り書かれてあります。

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・東京駅丸の内駅舎が、辰野金吾の設計によって創建されたのは、1914(大正3)年のことです。東京駅は、日本の鉄道の上りと下りの基点であり、多くの幹線の0キロポストが設置された「中央駅」として位置づけられています。また、日本の近代史の舞台として、目撃者として、幾多の激動の時代をくぐりぬけてきました。地理的・歴史的に近現代日本の中核に位置し、重要文化財でもある東京駅舎にて美術館活動を行うことの意義を深く認識しつつ、今後の活動を続けてまいります。
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→こんな展示やってたんですね。「鉄道と美術は一筋縄ではいかない、ただならぬ関係にある。」…うーん、気になります。実は私、鉄道もなかなか好きなのでまた開催してもらえるようリクエスト送っておきます(笑
以下は、本美術館の参考動画です。

 

これまでの主な展覧会

・美術館の活動の柱として、知られざる作家の発掘や見過ごされてきた美術の紹介(近代美術の再発見)や新しい時代と新しい丸の内にふさわしい(現代アートへの誘い)というのを掲げられており、これまで以下のような展覧会を開催してきたようです。
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・生誕120年 木村荘八展
・エミール・クラウスとベルギーの印象派
・生誕100年!植田正治のつくりかた
・ジャン・フォートリエ展
・泥象 鈴木治の世界
・富山県立近代美術館コレクションから ピカソと20世紀美術
・没後30年 鴨居玲展 踊り候え
・『月映』田中恭吉・藤森静雄・恩地孝四郎
・ジョルジョ・モランディ 終わりなき変奏
・追悼特別展 高倉健
・幻の画家 不染鉄展
・シャガール 三次元の世界
・生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。
・横山華山 ・吉村芳生 超絶技巧を超えて
・アルヴァ・アアルト もうひとつの自然
・メスキータ ・没後90年記念 岸田劉生展
・辰野金吾と美術のはなし 没後100年特別小企画展
・坂田一男 捲土重来 ・神田日勝 大地への筆触
・もうひとつの江戸絵画 大津絵 ・河鍋暁斎の底力
・没後70年 南薫造
・コレクター福富太郎の眼
・小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌
・ハリー・ポッターと魔法の歴史
・佐伯祐三 自画像としての風景
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…高倉健さんからハリーポッター、南薫三・佐伯祐三までなかなか幅広いですね。
では最後に、JR東日本と東京駅の歴史(年表)を記載して今回は終わりたいと思います。

(参考)東京駅とJR東日本 年表

東京駅

・1888年(明治21年)8月16日 – 東京市区改正条例公布、新橋と上野を結ぶ高架鉄道の敷設および中央停車場の建設が決まる。
・1889年(明治22年)5月20日 – 東京府告示第37号により市区改正設計が公示される。
・1890年(明治23年)9月17日 – 新橋と上野を結ぶ高架鉄道と、その中間に中央停車場を建設するよう、内務省が鉄道庁長官に対して訓令。
・1893年(明治26年)8月5日 – 日本鉄道上野 – 新橋間免許申請。
・1896年(明治29年) 2月4日 – 第9回帝国議会において中央停車場に関する予算が可決成立する。4月28日 – 市街高架線および中央停車場の建設を担当する部署として、新永間建築事務所が発足する。
・1900年(明治33年) – 市街高架線に着工。
・1902年(明治35年)7月 – 中央停車場構内の高架橋工事に着手。
・1903年(明治36年)12月 – 駅舎の設計が辰野金吾に依頼される。
・1908年(明治41年)3月25日 – 駅舎基礎工事着手。
・1909年(明治42年) 6月17日 – 駅舎基礎工事竣工。10月1日 – 鉄骨製作着手。
・1910年(明治43年) 9月15日 – 仮駅の呉服橋駅が開業。工事中の当駅を通り抜けた300m北側(神田駅寄り)に存在した。 8月1日 – 駅舎鉄骨組み立て着手。12月 – 駅舎設計作業完了。
・1911年(明治44年) 4月20日 – 壁体および床工事着手。 7月31日 – 鉄骨製作竣工。9月12日 – 駅舎鉄骨組み立て竣工。
・1912年(明治45年)5月17日 – 屋根および内部工事着手。1913年(大正2年)5月18日 – 壁体および床工事竣工。
・1914年(大正3年) 3月19日 – 屋根および内部工事竣工。12月5日 – 鉄道院総裁達第113号により中央停車場の正式駅名が東京駅と告示される。12月15日 – 全工事竣工。12月18日 – 開業記念式典を挙行。12月20日 – 東京駅開業(旅客駅)。東海道本線の起点となる。呉服橋駅廃止。京浜線電車運転開始。12月26日 – 京浜線電車運転休止。
・1915年(大正4年) 5月10日 – 京浜線電車運転再開。11月2日 – 東京ステーションホテルが丸の内駅舎内に開業。この年、国鉄初の電気時計が設置される。
・1919年(大正8年) 1月16日 – 電車降車口に電車区間の出札所設置。1月25日 – 電車降車口を電車口と改め、乗降双方に供する。3月1日 – 中央本線が乗り入れてその起点となる。山手線電車と直通して「の」の字運転が開始される。近距離電車のみの乗り入れで、長距離列車は従来通り飯田町駅発着のままだった。
・1921年(大正10年) 2月16日 – 東京ステーションホテル滞在中の朝鮮時事新聞社社長閔元植が暗殺される(閔元植暗殺事件)。11月4日 – 当時の内閣総理大臣原敬が乗車口で暗殺(刺殺)される(原敬暗殺事件)。
・1923年(大正12年) 7月1日 – 東京 – 下関間に三等車連結の特別急行列車を運転開始。9月1日 – 関東大震災により被災、通常営業再開は9月21日。
・1925年(大正14年) 4月26日 – 中央線と山手線の直通運転「の」の字運転を廃止し、それぞれ東京駅にて折り返し運転とする。9月15日 – 第1・第2プラットホームを延長して降車通路への階段を造る、電車口は閉鎖となる。11月1日 – 東北本線(電車用の複線)が乗り入れてその起点となる、山手線環状運転開始。12月13日 – 東海道本線東京 – 国府津間および横須賀線大船 – 横須賀間電化完成、横須賀線電気機関車牽引の試運転開始。
・1926年(大正15年) 8月2日 – 横須賀線電気機関車営業運転開始。8月25日 – 東海道本線電気機関車試運転。
・1927年(昭和2年)7月1日 – 東海道本線の列車を電気機関車使用に全面切り替え。
・1928年(昭和3年)4月1日 – 東京 – 上野間に列車用の複線が追加で開通、これにより上野との間が複々線化。 ・1929年(昭和4年) 4月15日 – 町名変更により所在地が永楽町から丸ノ内に変更となる。9月15日 – 一・二等特急を「富士」、三等特急を「桜」と愛称を制定し、運転開始。12月16日 – 八重洲口開設、電車区間のみ取り扱い。
・1930年(昭和5年) 3月15日 – 横須賀線列車が電車運転に切り替え。 4月3日 – 自動乗車券券売機を設置。10月1日 – 特急「燕」運転開始。11月14日 – 当時の内閣総理大臣濱口雄幸が第4ホームで狙撃される。
・1933年(昭和8年) 10月31日 – この日限りで東京ステーションホテルの精養軒への営業委託を解除。12月27日 – 東京ステーションホテルを東京鉄道ホテルと改め、鉄道省直営で営業を再開。
・1934年(昭和9年) 10月13日 – 東京駅収入金差押え事件発生。12月1日 – 丹那トンネル開通、「燕」が電気機関車牽引となる。荷物電車ホームを新設する。
・1937年(昭和12年) 4月1日 – 特別一等駅に指定される。 この年、第5プラットホーム着工。
・1939年(昭和14年) 6月10日 – 八重洲口と結ぶ跨線橋を移転。11月 – 駅構内の車両基地機能の品川客車操車場への一部移転を実施。
・1941年(昭和16年)11月1日 – 混雑緩和のため電車口を中央口として再開。
・1942年(昭和17年) 9月25日 – 第5プラットホーム(9・10番線および中線の11番線、第6プラットホーム用に予定する12番線)完成、供用開始。10月 – 駅構内の車両基地の品川客車操車場への移転完了、一部の留置線のみ残される。11月3日 – 東京機関区の品川への移転完了。
・1944年(昭和19年) 4月1日 – 決戦非常措置要綱実施、特急列車、一等車、寝台車、食堂車全廃。9月8日 – 駅前の井上勝像が金属回収により撤去。
・1945年(昭和20年) 3月20日 – 急行列車が東京 – 下関間の1往復のみに削減。 5月25日 – 東京空襲による爆撃で、焼夷弾を丸の内駅舎降車口ホール付近に受けて炎上、ホーム上屋などとともに焼失。27日から一部運転を再開、6月2日に全面再開。 6月25日 – 爆撃により八重洲口本屋に被害。 9月15日 – RTO事務室を乗車口に設置。 10月1日 – 東京駅戦災復旧工事に本格着工。 12月1日 – 東京鉄道ホテルの経営を日本交通公社に委託、ただし当面休業とする。12月20日 – 乗車口にRTO待合室・事務室竣工。
・1946年(昭和21年) 3月20日 – 東京駅と丸ビルを結ぶ地下道に仮設の東京丸の内ホステルを開設。7月15日 – 札幌行連合軍専用列車「ヤンキー・リミテッド」が東京発着を開始。
・1947年(昭和22年) 3月15日 – 丸の内口駅舎復旧工事完了。安全性の配慮から、南北ドーム部の3階建て部分が角屋根化され、駅舎も3階建てから2階建てに縮小される。5月1日 – RTO事務室および待合室本設工事完成。 11月20日 – 八重洲外堀埋め立て工事完成。
・1948年(昭和23年) 6月20日 – 駅構内の一方通行を廃止し、丸の内側の乗車口・降車口のいずれからでも乗降できるように変更。11月16日 – 八重洲口駅舎完成、使用開始。
・1949年(昭和24年) 4月29日 – 八重洲口駅舎本屋が失火により焼失。5月10日 – 八重洲口復旧工事地鎮祭。9月15日 – 戦後初の特急「へいわ」運転開始。
・1950年(昭和25年) 1月1日 – 特急「へいわ」を「つばめ」に改称。3月1日 – 東京 – 沼津、伊東間に湘南電車運転開始。5月11日 – 特急「はと」を運転開始。
・1951年(昭和26年) 1月17日 – 東京鉄道ホテルを東京ステーションホテルとして再建工事着手。11月15日 – 東京ステーションホテルの宿泊施設が営業再開。12月1日 – 列車用引き上げ線の使用開始。
・1952年(昭和27年) 7月1日 – 東京駅構内の地平配置の留置線が全廃、八重洲側に大規模な手小荷物扱所が完成し使用開始。9月1日 – 八重洲口と結ぶ跨線橋を新通路へ切換え。10月14日 – 八重洲駅舎新築工事鍬入れ式、旧八重洲口を八重洲北口、新八重洲口を八重洲南口と名称変更。
・1953年(昭和28年) 1月6日 – 中央通路延伸工事着工。7月1日 – 第7プラットホーム(14・15番線および回送用16番線)使用開始、10・11・12番線使用停止。八重洲名店街が開業。八重洲乗車口、八重洲北口開設。第1自由通路開通。 9月1日 – 八重洲中央口および南口開設。第6プラットホーム(12・13番線)使用開始、第4プラットホーム(7・8番線)および9番線使用停止、10・11番線使用再開。 11月1日 – 9番線使用再開、第3プラットホーム(5・6番線)使用停止。
・1954年(昭和29年) 2月16日 – 8番線使用再開。中央通路が八重洲中央口まで開通。 3月30日 – 山手線外回りおよび京浜東北線南行を4番線から6番線に変更。 4月15日 – 7番線使用再開、常磐線電車の乗り入れを開始する。 10月14日 – 八重洲口新駅舎使用開始(6階建て)。 10月21日 – 大丸百貨店開業。
・1955年(昭和30年)7月20日 – 八重洲駅舎と第7プラットホームの間の連絡上屋完成、待合室や商業施設なども設置された。
・1956年(昭和31年) 5月4日 – 山手線外回りおよび京浜東北線南行を6番線から5番線に変更 。7月20日 – 帝都高速度交通営団(営団地下鉄)丸ノ内線が淡路町駅から当駅まで延伸開業。当時の終着駅となった。翌年西銀座駅(現・銀座駅)に延伸した。 11月19日 – 山手線と京浜東北線に分離工事完成、3番線が京浜東北線北行、4番線が山手線内回り、5番線が山手線外回り、6番線が京浜東北線南行となる。東海道本線全線電化完成、特急は全区間で電気機関車の牽引となる。夜行特急「あさかぜ」運転開始。
・1957年(昭和32年) 7月14日 – 第1プラットホーム拡幅工事施工。 12月15日 – 営団丸ノ内線が当駅から西銀座駅(後の銀座駅)まで延伸開業。
・1958年(昭和33年) 10月15日 – 準急「日光」運転開始、東北本線方面の優等列車の東京駅発着開始。 11月1日 – 電車特急「こだま」運転開始。
・1959年(昭和34年) 3月10日 – 第2自由通路供用開始。 11月1日 – 丸の内側の乗車口を丸の内南口に、降車口を丸の内北口に、中央口を丸の内中央口に名称変更。
・1960年(昭和35年)11月12日 – 東海道新幹線工事着手。
・1961年(昭和36年) 5月31日 – 東京駅における蒸気機関車牽引の定期列車最終運行。10月1日 – サンロクトオダイヤ改正、8番線を湘南電車に、12番線を列車到着に入れ替える。
・1963年(昭和38年)6月 – 八重洲地下街の工事に着手。
・1964年(昭和39年)10月1日 – 東海道新幹線の当駅 – 新大阪間が開業し、同時に新幹線の駅が完成。第8・9プラットホーム、17・18・19番線供用開始。
・1965年(昭和40年) 6月 – 八重洲地下街1期工事完成[275]。 10月 – 新幹線用に16番線を増設する工事に着手。
・1966年(昭和41年)10月1日 – 営団地下鉄東西線大手町駅開業に伴い、徒歩連絡を開始。ただし同駅は1956年(昭和31年)7月20日から丸ノ内線の駅として開業しており、東西線の駅の開業までは当駅から大きく離れていた。第2プラットホームを北側へ21 m延長し京浜東北線10両運転開始。
・1967年(昭和42年)3月10日 – 東海道新幹線16番線を供用開始、第8・9プラットホームを約70 m延長して16両編成対応とする。
・1968年(昭和43年) 1月10日 – 東京地下駅(総武本線・横須賀線用)工事着工。 6月30日 – 八重洲口駅舎(鉄道会館ビル)を12階建てに増築。
・1969年(昭和44年) 2月10日 – 八重洲地下商店街営業開始。 4月10日 – 八重洲呉服橋口完成。 6月10日 – 東京駅八重洲南口の東名ハイウェイバス乗り場新設。 11月16日 – 佐藤首相訪米に反対する反帝学評の学生が5・6番線ホームで角材を持ってデモを行い機動隊と対峙。駅構内は逃げ惑う乗客らも加わり大混乱となり利用客2人が重傷。
・1972年(昭和47年) 7月15日 – 総武本線地下ホームが開業、東京駅が総武本線の起点となる。10月12日 – 丸の内側地下通路壁面に「天地創造」のステンドグラス初点灯。
・1973年(昭和48年)4月1日 – 第7ホーム(14・15番線)使用停止。これに伴い、東北・上信越を結ぶ「はつかり」「とき」などの一部の特急列車と中距離列車の乗入れを廃止。湘南電車は7・8番線に、横須賀線は9・10番線に、優等列車は12・13番線に、それぞれ変更。
・1975年(昭和50年) 3月10日 – 地下4番線使用開始。7月18日 – 新幹線用に第7プラットホームおよび15番線を使用開始。
・1976年(昭和51年) 6月26日 – 東海道新幹線ホームに広告表示を設置。 10月1日 – 横須賀線の地下線が品川まで開通し、総武本線の電車が品川まで延長運転を開始。
・1977年(昭和52年) 3月16日 – 美濃部亮吉東京都知事と高木文雄国鉄総裁が会談を行い、東京駅の建て替えに言及する。10月21日 – 日本建築学会から東京駅の取り扱いについて慎重な配慮を要請する要望書が提出される。
・1979年(昭和54年) 4月1日 – 中央通路拡幅工事完成、幅25 mとなる。 12月1日 – 東海道新幹線14番線使用開始。
・1980年(昭和55年) 4月1日 – 新幹線16番線使用停止(9月30日まで)。 9月30日 – 中央地下通路開通。 10月1日 – 横須賀線と総武快速線の直通運転開始。これにともない、13番線を廃止。優等列車の発着は9・10番線に変更。
・1981年(昭和56年)3月1日 – 北口自由通路使用開始。
・1986年(昭和61年)11月1日 – 中央本線の特急列車「あずさ」が乗り入れ開始。
・1987年(昭和62年) 4月1日 – 国鉄分割民営化に伴い、東海道新幹線の駅は東海旅客鉄道(JR東海)、その他の国鉄線の駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる。7月13日 – 井上勝像を丸の内駅前広場に復元。7月21日 – 第1回の「とうきょうエキコン」を開催。 12月11日 – 日本建築学会がJR東日本社長に宛て、「東京駅丸の内口駅本屋の保存に関する要望書」を提出。 12月12日 – 「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」発足。
・1988年(昭和63年) 3月13日 – 第6プラットホーム(12番線)廃止 3月25日 – 八重洲口北口でリニア・エクスプレス展が開催される。 4月1日 – 東京ステーションギャラリー開館。
・1990年(平成2年) 3月10日 – 京葉線地下ホームが開業。南口新通路供用開始。 4月21日 – 自動改札システム導入開始。
・1991年(平成3年) 3月16日 – 特急「さざなみ」「わかしお」を従来の総武本線経由から京葉線経由に変更。 3月19日 – 特急「成田エクスプレス」運転開始。 6月20日 – 東北新幹線が上野から当駅へ乗り入れ、第6プラットホーム(12・13番線)を新幹線用に供用開始。日本橋口を新設。 11月9日 – 北陸新幹線東京駅乗り入れ対応工事着手。
・1992年(平成4年) 10月4日 – 8番線使用停止、第4プラットホーム幅縮小工事開始。12月1日 – 中央線重層高架化工事着手。
・1993年(平成5年)7月4日 – 8番線使用再開(仮設)、9番線使用停止、仮第5プラットホーム建設工事開始。
・1994年(平成6年)4月10日 – 9番線使用再開(仮設)、10番線使用停止、仮第5プラットホーム使用開始、第5プラットホーム使用停止して新幹線への転用工事開始。
・1995年(平成7年) 7月2日 – 中央線重層高架化工事供用開始、新設の第01プラットホーム(1・2番線)使用開始。 10月29日 – 京浜東北線北行を第1プラットホームの旧1番線に切り替え(新3番線)。 11月5日 – 山手線内回りを第1プラットホームの旧2番線に切り替え(新4番線)。 12月17日 – 山手線外回りを第2プラットホームの旧3番線に切り替え(新5番線)。 12月24日 – 京浜東北線南行を第2プラットホームの旧4番線に切り替え(新6番線)。
・1996年(平成8年) 6月23日 – 第3プラットホームを東海道線用として使用開始、新7・8番線使用開始、仮設の8・9番線を使用停止、仮第5プラットホーム使用停止。 11月17日 – 中央線高架橋桁の振り戻し工事を実施。
・1997年(平成9年) JR東日本の駅が関東の駅百選に認定される。選定理由は「大正3年誕生、真に歴史を物語るルネッサンス風の赤煉瓦造りの駅舎」。JR東海・営団地下鉄の駅は選定対象になっていない。 3月1日 – 第4プラットホーム使用再開、東海道線用に10番線復旧、9番線使用停止。 9月7日 – 9番線使用再開。 10月1日 – 北陸新幹線(高崎 – 長野)営業開始に伴い、上越・北陸新幹線用20・21番線使用開始。この時12・13番線は22・23番線に改称された。
・1998年(平成10年)3月17日 – 東海道新幹線の改札口に自動改札機を導入。
・1999年(平成11年)10月 – 石原慎太郎東京都知事と松田昌士JR東日本社長の会談により、丸の内駅舎は創建当初への復原方針となる。
・2000年(平成12年)11月9日 – 「とうきょうエキコン」最終開催。
・2001年(平成13年) 11月18日 – JR東日本でICカード「Suica」の利用が可能となる。 12月 – 「東京駅周辺の再生整備に関する研究委員会」により、丸の内駅舎保存・復原および再開発手法に関する提言がなされる。
・2002年(平成14年) 2月15日 – 石原慎太郎東京都知事と大塚陸毅JR東日本社長の会談により、丸の内駅舎復原へ向けた具体的な作業が開始される。 6月28日 – 特例容積率適用区域として都市計画決定が告示される。
・2003年(平成15年) 2月 – JR東海の丸の内中央ビル開業。 4月18日 – 丸の内側の赤レンガ駅舎を重要文化財に指定するよう文化審議会において答申。 5月30日 – 丸の内駅舎を「東京駅丸ノ内本屋」として重要文化財指定の告示。 10月12日 – 東北新幹線、上越新幹線でSuica FREX、Suica FREXパルが利用できるようになる。
・2004年(平成16年) 4月1日 – 営団地下鉄民営化に伴い、丸ノ内線の駅は東京地下鉄(東京メトロ)が運営を継承する。 4月4日 – 東日本キヨスクが当駅内にある東京みやげ専門店「東京銘品館」を新装オープン。 9月10日 – 八重洲口のツインタワー(グラントウキョウ ノースタワーおよびサウスタワー)着工[新聞 15]。 10月13日 – 「赤煉瓦コンサート」開催開始。
・2005年(平成17年)12月10日 – JR東日本のダイヤ改正により、20 – 23番線は東北・山形・秋田・上越・北陸新幹線が方面に関係なく発着するようになった。20・21番線と22・23番線の方面別の使い分けを廃止。
・2006年(平成18年) 3月17日 – 丸の内南口ドームをスクリーンに見立てて映像を投影する「東京駅ルネッサンス」イベントを開催(31日まで)。 4月11日 – 東京駅とアムステルダム中央駅(オランダ)が姉妹駅となる。
・2007年(平成19年) 3月8日 – 日本橋口に「サピアタワー」がオープン。 5月30日 – 丸の内側の赤レンガ駅舎を開業当時の3階建てに「復原」する工事を着工。 10月25日 – 中央地下コンコースにエキナカ商業施設の「グランスタ」がオープン。 11月6日 – 八重洲口に「グラントウキョウ ノースタワー」および「グラントウキョウ サウスタワー」がオープン。
・2009年(平成21年)3月13日 – 寝台特急「はやぶさ」「富士」が廃止。これにより、当駅発着の機関車牽引の定期客車列車がすべて消滅。
・2010年(平成22年) 3月28日 – 改札内1階にエキナカ商業施設「エキュート東京」がオープン。 11月25日 – 京葉線連絡通路にエキナカ商業施設「KeiyoStreet」先行オープン。 12月4日 – 改札内1階にエキナカ商業施設「グランスタダイニング」がオープン。
・2011年(平成23年) 3月5日 – 東北新幹線「はやぶさ」が運行開始。これにより、「はやぶさ」を名乗る当駅発着の列車が形を変えて復活。 3月20日 – 京葉線連絡通路にエキナカ商業施設「KeiyoStreet」グランドオープン。 3月23日 – グランルーフ南部先行開業。
・2012年(平成24年) 8月22日 – 戦災以来失われていた丸の内駅舎南北ドームの時計をこの日の14時に復旧。 9月22日 – 丸の内赤煉瓦駅舎をスクリーンとしてCG映像を映し出す「TOKYO STATION VISION」を開催(23日まで)。 9月24日 – 旧RTOの壁画を京葉線八重洲改札付近に移設展示。 9月29日 – 雄勝石絵の壁画を丸の内南口地下改札口外に設置し除幕式を開催。 10月1日 – 復原された丸の内駅舎が全面開業。「東京ステーションギャラリー」が再オープン。改札内1階にエキナカ商業施設「セントラルストリート」がグランドオープン。北ドーム内に外国人観光客向けの”JR EAST Travel Service Center”を開設。 10月3日 – 「東京ステーションホテル」が再オープン。
・2013年(平成25年) 3月19日 – アメリカ・ニューヨークのグランド・セントラル駅と姉妹駅締結。グランド・セントラル駅が2013年、東京駅が2014年に開業100周年を迎えることを記念してのもの。 9月20日 – 八重洲口にグランルーフ完成。
・2014年(平成26年) 10月2日 – 第一回東京駅ミッドナイトツアーを開催。東京ステーションホテルと東京駅(JR東日本)の共同企画(第二回は11月30日)。 12月20日 – 開業100周年記念日。記念Suicaが発売となるが、東京駅でのみ1万5千枚・一名当たり3枚まで販売という限定品だったため前日からの徹夜組も含めて9千人以上が行列を作り、大混乱となった。警察の指示で約8千枚を売ったところで販売が中止となり、販売方法を変えての翌年の1月から2週間の販売となった。
・2015年(平成27年) 2月12日 – 中華民国(台湾)新竹市の新竹駅と姉妹駅締結。 3月14日 – 上野東京ラインが完成し、宇都宮線・高崎線・常磐線の列車が東京駅に乗り入れ、東海道線との直通運転を開始。
・2016年(平成28年) 3月26日 – 北海道新幹線が新青森-新函館北斗駅間で開業し、同日より東北新幹線と直通運転開始。これにより、東京駅は新幹線が走行する3島(本州・北海道・九州)すべてへ直通新幹線列車が出る唯一の駅・そして鉄軌道線がある本土4島すべてに直通する定期運行列車が出る唯一の駅となった。
・2017年(平成29年) 12月7日 – 東京駅丸の内駅前広場の供用開始。 12月8日 – 東京駅丸の内駅前広場からの信任状捧呈式の行列再開。
・2018年(平成30年)11月28日 – この日より約3か月間、駅ナカシェアオフィス「STATION WORK」のブース型「STATION BOOTH」の実証実験を、総武地下コンコースにて実施。
・2019年(令和元年) 8月1日 – 「STATION BOOTH」を本格開始[報道 13]。 9月29日 – びゅうプラザ東京駅八重洲中央口店が閉店。 11月21日 – 駅ナカシェアオフィス「STATION WORK」のコワーキング型「STATION DESK 東京丸の内」が開業。
・2020年(令和2年) 5月 – 山手線・京浜東北線ホームで、ホームドアが使用開始。 8月3日 – 商業施設「グランスタ東京」の拡大開業に伴い、北地下自由通路に直結する「グランスタ地下北口」改札が供用開。
・2021年(令和3年) 12月5日 – 丸の内北口にあるびゅうプラザ東京訪日旅行センターが閉店。

→いかがでしょう。まるで東京駅の歴史から東京や日本の歴史が垣間見えるようですね。それくらい日本にとって東京駅とは重要な駅だということがわかると思います。個人的には1945年5月25日に東京空襲の焼夷弾を受けて一部炎上し翌月6月2日には全面再開した迅速さに驚きました…;

JR東日本

・1987年(昭和62年) 4月1日:日本国有鉄道が分割民営化され、東日本旅客鉄道株式会社発足。 6月:東日本キヨスク株式会社(後の株式会社JR東日本リテールネット)の株式を取得、子会社化。 7月16日:会津線を廃止(会津鉄道に転換)。
・1988年(昭和63年) 3月24日:木原線を廃止(いすみ鉄道に転換)。 4月1日:東北自動車事業部および関東自動車事業部を分離し、ジェイアールバス東北株式会社とジェイアールバス関東株式会社が営業開始。東京圏運行本部傘下の水戸・千葉・高崎の3運行部を支社に昇格。 4月11日:真岡線を廃止(真岡鐵道に転換)。 9月:株式会社ジェイアール東日本商事の株式取得、子会社化。 10月24日:フジテレビ・日立製作所との共同企画「オリエント・エクスプレス ’88」日本一周ツアー列車が上野駅を出発。 10月25日:長井線を廃止(山形鉄道に転換)。 12月5日:中央本線東中野駅で列車追突事故発生。
・1989年(平成元年) 3月29日:足尾線を廃止(わたらせ渓谷鐵道に転換)。 4月:レストラン事業展開の中核会社として、全額出資によりジェイアール東日本レストラン株式会社(後のジェイアール東日本フードビジネス株式会社)を設立。
・1990年(平成2年) 3月:日本食堂株式会社(後の株式会社JR東日本フーズ)の株式取得、子会社化。 4月1日:東北地域本社傘下の盛岡・秋田の両支店を支社に改称。 9月1日:東京圏運行本部と東京圏営業本部を統合し、東京地域本社発足。
・1991年(平成3年) 3月1日:山手線などから「イオカード」導入開始。 6月20日:東北新幹線 東京駅 – 上野駅間を開業[25](東京駅への延伸)。
・1992年(平成4年) 7月1日:山形新幹線開業。 8月1日:山手線で喫煙コーナー以外での終日禁煙を実施。 9月14日:成田線久住駅 – 滑河駅間で踏切事故発生。
・1993年(平成5年) 3月1日:東京駅から70キロメートル圏内の382駅で喫煙コーナーを除き終日禁煙を実施。 10月26日:東京証券取引所に上場。
・1994年(平成6年)10月:直営の車両新造工場「新津車両製作所」(現・総合車両製作所新津事業所)操業開始。
・1996年(平成8年) 3月13日:ウェブサイト開設。 10月1日:東京地域本社の一部を分離して横浜支社発足。
・1997年(平成9年) 3月22日:秋田新幹線開業。管内の快速・普通列車が全面禁煙化。 9月29日:本社を東京都千代田区丸の内一丁目6番5号の旧・国鉄本社ビルから、東京都渋谷区代々木へ移転。10月1日:北陸新幹線 高崎駅 – 長野駅間(長野新幹線)開業。並行在来線である信越本線 横川駅 – 篠ノ井駅間のうち、横川駅 – 軽井沢駅間を廃止、軽井沢駅 – 篠ノ井駅間を経営分離してしなの鉄道に移管。 10月12日:中央本線大月駅で列車衝突事故発生。
・1998年(平成10年) 3月31日:この日までに自社直営の駅構内飲食店を全店閉鎖。一部は日本食堂などグループ他社に移管。 4月1日:東京地域本社の一部を分離して八王子支社発足。東北地域本社を仙台支社に名称変更し、盛岡・秋田の両支社を本社直轄下とする。 10月1日:東京地域本社を東京支社に名称変更。
・1999年(平成11年) 6月1日:東京近郊区間を拡大。 9月:弘済整備株式会社(現・株式会社JR東日本環境アクセス)の株式取得、子会社化。
・2000年(平成12年)11月29日:中期経営構想『ニューフロンティア21』発表。
・2001年(平成13年) 1月26日:山手線新大久保駅で転落死亡事故発生。 4月1日:東京支社の一部を分離。大宮支社発足。 6月22日:改正JR会社法が公布(成立は2001年6月15日)。本州3社が本法の適用から除外され、JR東日本の純粋民間会社(非特殊会社)化が実現。 11月18日:ICカード乗車券「Suica」のサービスを開始。 12月1日:湘南新宿ライン運行開始。
・2002年(平成14年) 日立物流より、東京モノレールを買収して傘下に収め、モノレール事業も行なうこととなる(ただし運営は同社のままで運賃体系も従来のまま)。 1月21日:日本国外向けインターネット指定席予約サービスworld eki-net開始(2005年12月22日終了)。 6月21日:日本鉄道建設公団(現・独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構)が保有していた株式50万株がすべて売却され、完全民営化。12月1日:東北新幹線 盛岡駅 – 八戸駅間開業。東北本線 盛岡駅 – 八戸駅間を経営分離し、盛岡駅 – 目時駅間をIGRいわて銀河鉄道に、目時駅 – 八戸駅間を青い森鉄道(運行)・青森県(保有)に移管。男性社員の制服変更。
・2003年(平成15年) 9月1日:男性運転士の制服変更。 10月28日:女性社員の制服変更。
・2004年(平成16年) 8月1日:Suicaと西日本旅客鉄道(JR西日本)のICカード乗車券「ICOCA」との相互利用開始。初めて他社のICカード乗車券の相互利用が可能となる。10月16日:東京近郊区間を拡大。 10月23日:新潟県中越地震により鉄道施設に甚大な被害が発生、上越新幹線が脱線。 11月27日:新潟近郊区間を新設。
・2005年(平成17年) 1月24日:中期経営構想『ニューフロンティア2008 ― 新たな創造と発展』発表。 3月31日:磁気式イオカード販売終了。 12月25日:JR羽越本線脱線事故発生。 2006年(平成18年)2月10日:磁気式イオカードの自動改札機での取り扱い停止。 2007年(平成19年) 3月18日:春のダイヤ改正で、管内のすべての新幹線および在来線特急を禁煙にする(喫煙車両の全面廃止)。関東地方を中心とする非JR系交通事業者のICカード乗車券「PASMO」の発売開始に合わせ、SuicaとPASMOの相互利用も開始。 3月25日:JR東日本外国語版サイトをリニューアルし、海外向けインターネット指定席予約サービスサイト「JR-EAST Shinkansen-Reservation」を開設。かつてのworld eki-netの後継サービスで、新サービスではJR東日本エリアに限定されている。旧サービスで提供していた東海道・山陽新幹線は含まれない。また、同日に全国で初めて外国語(英語、中国語、韓国語)による列車運行情報を提供開始。
・2008年(平成20年) 3月15日:東京近郊区間を拡大。 3月29日:Suicaと東海旅客鉄道(JR東海)のICカード乗車券「TOICA」との相互利用開始。 4月1日:『グループ経営ビジョン2020-挑む-』発表。
・2009年(平成21年) 2月13日:JR東日本所有の信濃川発電所での悪質な不正取水を受け、国土交通省北陸地方整備局が同発電所の水利権を取り消す行政処分を発表。 3月14日:Suicaと北海道旅客鉄道(JR北海道)のICカード乗車券「Kitaca」との相互利用開始。同日、東京近郊区間を拡大。
・2010年(平成22年) 2月1日:クレジットカード事業を株式会社ビューカードに分割。 3月13日:Suicaと九州旅客鉄道(JR九州)のICカード乗車券「SUGOCA」、西日本鉄道(西鉄)のICカード乗車券「nimoca」、福岡市交通局(福岡地下鉄)のICカード乗車券「はやかけん」との相互利用を開始した。PASMO以外の非JR系交通事業者のICカード乗車券で初めて相互利用が開始。 4月1日:紀ノ国屋の全株式を取得し、完全子会社化。 12月4日:東北新幹線 八戸駅 – 新青森駅間開業。東北本線 八戸駅 – 青森駅間を経営分離し、青い森鉄道(運行)・青森県(保有)に移管。
・2011年(平成23年) 3月11日:東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により、東北方面の路線を中心に甚大な被害を受ける。これにより、東北新幹線などの運転停止や、計画停電に伴う首都圏の近距離路線の運行制限、旅行客減少などの影響により、過去最大の減収を記録。 4月29日:東北新幹線(東京駅 – 新青森駅間)全線で運転を再開(9月22日まで暫定ダイヤで運転)。
・2012年(平成24年) 4月2日:東京急行電鉄の子会社東急車輛製造(後の横浜金沢プロパティーズ、2016年10月に東京急行電鉄に吸収合併され消滅)の鉄道車両事業を取得し、総合車両製作所とする。 8月20日:東日本大震災で被災した気仙沼線の柳津駅 – 気仙沼駅間をBRTで仮復旧(2013年には大船渡線気仙沼駅 – 盛駅間もBRTで仮復旧)。これにより、1988年以来24年ぶりにバス事業を再開。「気仙沼線・大船渡線BRT」も参照。
・2013年(平成25年)3月23日:交通系ICカード全国相互利用サービスが開始され、Suicaと「manaca」「PiTaPa」との間で相互利用が開始。
・2014年(平成26年) 4月1日:岩泉線廃止。東京・新潟近郊区間を拡大、仙台近郊区間を新設。新津車両製作所の車両製造事業等を会社分割により総合車両製作所に譲渡し、同社の新津事業所とする。 10月1日:東京近郊区間を拡大。 10月28日:世界貿易機関(WTO)政府調達協定の対象から除外。
・2015年(平成27年) 3月14日:北陸新幹線 長野駅 – 上越妙高駅 – 金沢駅間開業、JR東日本は長野駅 – 上越妙高駅間の営業主体となる。信越本線 長野駅 – 直江津駅間を経営分離し、長野駅 – 妙高高原駅間をしなの鉄道に、妙高高原駅 – 直江津駅間をえちごトキめき鉄道に移管。 同時に、上野東京ライン(東京駅 – 上野駅間)が開業。 5月30日:東日本大震災で被災した仙石線の全線復旧に合わせ、東北本線支線の松島駅 – 高城町駅間(仙石東北ライン)が開業。8月-9月:東京都内のJR東日本の施設で連続放火事件が発生。
・2016年(平成28年) 2月23日:JR東日本共通ポイントサービスである「JRE POINT」を開始。3月26日:東北新幹線がこの日開業した北海道新幹線 新青森駅 – 新函館北斗駅間と直通運転開始。Suicaとicscaとの間で仙台エリア相互利用サービス開始。
・2017年(平成29年) 5月1日:クルーズトレイン「TRAIN SUITE 四季島」が運行開始。 12月11日:アベリオ、三井物産との合弁事業でイギリスの列車運行会社であるウェスト・ミッドランズ・トレインズが運行を開始。
・2018年(平成30年)7月3日:グループ経営ビジョン『変革2027』発表。
・2019年(平成31年・令和元年) 3月23日:山田線 宮古駅 – 釜石駅間を廃止し、三陸鉄道に移管。 7月29日:社外向け広報誌『JR EAST』を2019年7月号で休刊すると発表(同年6月号の特集記事で過去の号に掲載された記事を無断改変するなどの捏造があったとの外部からの指摘を受けた措置)。8月1日:東京都内4駅(東京・新宿・池袋・立川駅)でシェアオフィス事業を開始。 10月12日:令和元年東日本台風(台風19号)で多くの路線が被災し、特に北陸新幹線では長野新幹線車両センターが浸水して10編成(うち2編成はJR西日本所有)が水没した。 11月30日:相鉄・JR直通線が開業し、相模鉄道との相互直通運転を開始。東海道本線 鶴見駅 – 羽沢横浜国大駅間開業。
・2020年(令和2年) 1月:東北・上越両新幹線の高架柱367本で耐震補強工事漏れが発覚。在来線についても調査開始。 3月14日:常磐線 富岡駅 – 浪江駅間の運転再開により、東日本大震災の影響による不通区間が全て復旧(BRT転換を含む)。東京近郊区間・仙台近郊区間を拡大。 4月1日:気仙沼線 柳津駅 – 気仙沼駅間、大船渡線 気仙沼駅 – 盛駅間の鉄道事業廃止。 5月1日:新しい接客制服の着用を開始。この制服より、駅運転取扱者の制帽の赤帯表示を取りやめ、赤帯は管理者・管理職(助役以上)の職制表示に変更。 7月:神奈川・宮城・福島・秋田県などの駅に設けられている多機能トイレが列車運行時間帯に施錠されていたことが取材により判明。JRは「不便をお掛けした」として、神奈川の10駅と秋田県内の2駅は解除するが、他の駅は「駅員の対応が困難」としている。 8月26日:京葉線、武蔵野線など在来線6路線の高架橋柱276本で耐震工事の優先度判断を誤って補強漏れがあり、2022年度末までに工事を行うと発表。 9月3日:2021年春のダイヤ改正で東京100キロメートル圏内の終電時刻を繰り上げる計画を発表(保線作業員の労働環境改善のため)。9月16日:民営化後初めて2021年3月期の連結業績が最終赤字になる見通しとの業績予想を公表(主因は新型コロナウイルス感染症による鉄道利用減)。
・2021年(令和3年) 4月1日:エキナカで事業運営を行ういずれも連結子会社の株式会社JR東日本リテールネット、株式会社JR東日本フーズ、株式会社JR東日本ウォータービジネス、および株式会社鉄道会館の4社を合併し、株式会社JR東日本クロスステーションを新設、さらに統合新会社に「リテールカンパニー」「フーズカンパニー」「ウォータービジネスカンパニー」「デベロップメントカンパニー」の4つの社内カンパニーを設置。6月30日:JR北海道、JR東海、JR西日本、JR九州とともに、新幹線の列車公衆電話サービスをこの日をもって終了。6月30日:ニューヨーク事務所を休業。
・2022年(令和4年) 3月1日:ロサンゼルス事務所を設置、ニューヨーク事務所の業務を終了。3月12日:一部の支社で現業機関を再編し、複数の駅を一体で運営する「営業統括センター」および複数駅と乗務員区所を一体で運営する「統括センター」が発足。社員の担務領域が拡大し、現業機関の社員の職名から従来の担務表記(「営業」や「乗務」など)が消える。また、従来の「助役」は「副長」に職名が変更となった。 3月16日:福島県沖地震により鉄道施設に甚大な被害が発生、東北新幹線が脱線。 4月19日:グループ経営ビジョン『変革2027』の実現を目指し、2022年6月以降、組織(本社・支社等)を再編することを発表。 9月20日:音楽館開発の「JR EAST Train Simulator」発売。 9月30日:この日をもって、JR東日本管内完結およびJR東海・JR西日本と跨る区間の普通回数乗車券の販売を終了(身体・知的障害者用および通学用の普通回数乗車券は引き続き販売継続・手持ちの回数乗車券は有効期限まで引き続き使用可能)。 10月1日:平成23年7月新潟・福島豪雨で被害を受け、2011年7月から不通となっていた只見線 会津川口駅 – 只見駅間の運転を再開。同区間を福島県との上下分離方式に移行。同区間の第一種鉄道事業を廃止し、第二種鉄道事業者となる。 11月30日:この日をもって、JR北海道と跨る区間の普通回数乗車券の販売を終了(身体・知的障害者用および通学用の普通回数乗車券は引き続き販売継続・手持ちの回数乗車券は有効期限まで引き続き使用可能)。 

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