こんにちは。先日のヤオコー川越美術館、母子の絆について考えさせられました。
実は今日ご紹介の美術館も私の潜在意識がそうさせるのか偶然なのかは分かりませんが、ある有名金融企業の実業家が母のために贈った邸宅が舞台です。足かけ3年、延べ3万5千人を導入し、当時の技術の粋を投入して建てられたそうです。それだけでどれほどの絆だったのか想像できますね。では、早速。
このブログで紹介するアート施設
遠山記念館
・開館:1970年
・アート施設外観(以下画像は美術館HP、県・町観光協会HPより転載)
※国の重要文化財です
証券大手5社の一角を生んだ実業家が母のために建てた邸宅
前もお伝えしたように、私、こんなブログ書いておきながら経済学部卒なんですよね。だからというか、逆にといったらいいのか、この美術館の創設の歴史がすごく気になります。金融界隈にいる方って絵画やそういう血縁関係って結構ドライに良くも悪くも考えてそうなイメージをもっているため。その点、このアート施設を生み出した日興証券創設者:遠山元一さんは趣が異なりそうです。(というか、日興証券創設者って時点ですごすぎなんですけどね)
遠山元一とは
・1890年(明治23年)7月21日、埼玉県比企郡三保谷村白井沼(現在の川島町)の豪農の家庭に長男として生まれる。父・義三の放蕩により生家が没落。高等小学校卒業後、15歳で上京、16歳で東京日本橋兜町の株屋半田商店に雇われ丁稚奉公をする。5年ほど勤めたのち、病弱のため規模の小さい市村商店や平沢商店に転職、1902年に、病気や没落した一家の先行き不安から、プロテスタントの信仰に入る。1918年(大正7年)、川島屋商店を創立。満州事変以来の好況にのって事業は大いに発展し、現在の価値で120億円をかけて、1936年に苦労した母・美以さんのため、に3000坪の豪邸を建設して生家を再興。1938年(昭和13年)、川島屋證券会社を創業。1944年(昭和19年)、旧日興証券との合併により日興証券の社長、のち会長。日本証券業協会会長。1972年(昭和47年)8月9日没、82歳。
→こちらもなかなか壮絶な人生ですね。「父の放蕩により生家が没落、15歳で上京」からの「證券会社設立」って流れ、何となく分かるような気がします。たぶん、お金の大切さを誰よりも認識していた遠山さんが、それをもって世の中を大きく動かせる職を選んだのは何となく解るような気がします。てか、父の放蕩って…そして苦労する母、この構図ってなんか古今東西いろんなところで見るような…ちなみにマウス感覚だと、お金で苦労した人やその大切さを身をもって経験した人ほど金融業界を目指す方が多い気がします。ちなみにこの会社、現在はSMBC日興証券株式会社であり、証券大手5社※の一角にまで発展しました。ところで、遠山記念館の基になった邸宅…120億円もするんですね(驚)なんか今日はお金の話ばかりで恐縮ですが。
※ SMBC日興証券に加え、野村證券、大和証券、みずほ証券、三菱UFJモルガン・スタンレー証券を加えた5社。(→うん、やっぱりそうそうたる顔ぶれです)
運営方針
遠山元一の遺志に基づき以下の9分野を運営方針に定められているそうです。
(1)遠山記念館の維持経営
(2)美術品その他の資料の蒐集、保管及び一般公開
(3)美術品その他の資料に関する専門的又は技術的研究調査
(4)美術・工芸及び建築等に関する講演会、映写会等の開催
(5)美術品に関する案内書、目録及び図録等各種資料の作成刊行等
(6)芸術家、文化・芸術分野の学術研究者及び美術・工芸及び建築等の振興を行う団体に対する助成金の交付(埼玉県文化振興基金への寄付)
(7)文化・芸術その他の人文科学分野の留学生に対する奨学金の交付(埼玉県グローバル人材育成基金への寄付)
(8)障害者の自立と社会参加のための文化及び芸術の振興を行う団体に対する助成金の交付(シラコバト基金への寄付)
(9)芸術・学術研究等助成金の案内
…なんか結構幅広く活動されているのですね;
館内の様子
邸宅のご紹介
(以下は、遠山記念館HPからの引用です)
・当時の最高技術の大工、左官らに、全国から集めた、今日では手に入れることのできない材料をふんだんに用いて建てられ、戦後、母美:以さんが亡くなられると、日興證券の迎賓館として使われました。元一は晩年に、遠山邸は私邸でありながら、近代和風建築としての文化財的価値があると考えるようになり、その保存継承のために財団法人の認可を受けて、昭和45年(1970)から遠山記念館として一般公開を始めました。今日すでに4分の3世紀の歴史を重ねてきましたが、ほとんど増改築をすることなく、当初の姿を継承しています。平成12年(2000)には、現代では再現することのできない建造物として、また、近隣の景観に寄与する建物として、国の登録文化財となります。そして平成30年(2018年)には国の重要文化財に指定されました。
遠山邸は3つの棟を渡り廊下で連結するプランで建てられました。東棟は生家を再興したことを象徴する豪農風、中棟は貴顕の来客を接待するための格式のある書院造りの大広間があるスタイル、西棟は母のために数寄屋造りの座敷を設けました。これに、土蔵や長屋門を加えると、総建坪は400坪を越えます。3つの棟が建築様式を異にしていながら、全く違和感のなく溶け込み、心地の良い変化と趣を味わうことができます。これは、建築技術と細部の意匠がいずれも伝統に忠実で、一つとして手を抜くところがなく、木材、壁、建具や畳などの材料も、充分に吟味されていて、自然素材の持ち味を保っているからです~(中略)~庭の広さは、長屋門からの車回しを含めると凡そ3000平米で、飛び石づたいに園を巡れば、春は梅、桜、躑躅、さつき、夏は花菖蒲と濠の蓮花、秋は紅葉が眼を楽しませてくれます。武蔵野の田園にたたずむ遠山邸ですから、借景としての山並みは望めませんが、主屋の裏の大欅は屋敷林となって、隣家へつながっていき、水田地帯を輪中の自然堤防のように円弧をつくっています。
庭園のご紹介
・邸宅主屋の前には、回遊式の日本庭園が造られ、四季折々の風情が楽しめるように植栽と石組みに工夫がされました。格式のある庭園と同じように、松を中心とし、秋に美しい紅葉が楽しめるようにもみじを植え、かつての生家が梅屋敷と呼ばれていたことから、白梅も多く、要所に十三重塔や石灯籠が添えられています。組井筒から流れ出た井戸水は、庭をゆるやかに流れて、屋敷の外の濠へと下ります。庭の広さは、長屋門からの車回しを含めると凡そ3000平米で、飛び石づたいに園を巡れば、春は梅、桜、躑躅、さつき、夏は花菖蒲と濠の蓮花、秋は紅葉が眼を楽しませてくれます。武蔵野の田園にたたずむ遠山邸ですから、借景としての山並みは望めませんが、主屋の裏の大欅は屋敷林となって、隣家へつながっていき、水田地帯を輪中の自然堤防のように円弧をつくっています。
館内紹介動画
更に気になる方はユーチューブちゃんねる「DEEP JAPAN」さんの動画を掲載しておきますので参考にされてみて下さい。
さて、2回にわたって、日本を代表する小売店(スーパーマーケット)と証券会社という業種を異にする創業者が関連するアート施設をご紹介してきました。業界は全く異なるものの、「偉大な母」の活躍やその母のために息子たちが一肌脱ぎたいと努力する姿・心意気は古今東西変わらないのだなと感じました。そんな力が経済や文化を動かす原動力になっているのは間違いないようです。
何となく、スポーツ選手などもそうですが、「将来偉くなって母に邸宅をプレゼントする」のが親孝行の一番の姿っていうイメージはこの遠山記念館発祥なのかなとか思ったりしました。(マウスさんは諦めてますwその代わり肩たたき券100枚プレゼントしようと思ってます)
ということで、まだまだ埼玉県の魅力スポットご紹介していきますのでよろしくお願いします!
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