こんにちは。今日ご紹介する美術館、島根県が日本のみならず世界に誇る美術館、足立美術館です。本ブログでも初期の頃に掲載し、いまだ人気記事として好評を得ていますが、前回ではガラスにスポットライトを当てて書きましたので、いわゆるコレクションも含めた「美術館」というお話ができていませんでした。今日は美術館としての足立美術館とその庭園の魅力について語っていきたいと思います。それでは早速。
このブログで紹介する美術館
足立美術館
・開館:1970年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、県・観光協会HPより転載)
・場所
足立美術館 – Google マップ
1人の少年の炭売りからはじまった日本一の名園と横山大観コレクション
・日本庭園と日本画の調和をコンセプトに名園と横山大観コレクションを創設以来の基本方針としている美術館。その狙いは、日本人なら誰でも分かる日本庭園を通して四季の美に触れてもらい、その感動をもって横山大観という日本人なら誰でも知っている画家の作品に接することで、日本画の魅力をより引き立つように工夫されています。さらには、大観を知ることによってその他の画家や作品にも興味を持ってもらい、ひいては日本画の美、すなわち「美の感動」に接してもらいたいという、創設者:足立全康氏の願いが反映されています。
足立全康とは
・明治32年(1899)、能義郡飯梨村字古川(現、安来市古川町:美術館所在地)生まれ。小学校卒業後すぐに、生家の農業を手伝うも、身を粉にして働いても報われない両親を見るにつけ、商売の道に進もうと決意。14歳の時、今の美術館より、3kmほど奥の広瀬町から安来の港までの15kmを大八車で木炭を運搬する仕事につきます。運搬をしながら思いついたのが炭の小売り。余分に仕入れた炭を安来まで運ぶ途中、近在の家々に売り歩き、運賃かせぎの倍の収入を得たことがいわば最初に手掛けた商いとなりました。
戦後、大阪で繊維問屋や不動産関係などの事業のかたわら、幼少の頃より興味を持っていた日本画を蒐集、いつしか美術品のコレクターとして知られるようになります。若い頃から何よりも好きであったという庭造りへの関心も次第に大きくなっていき、昭和45年(1970年)、71歳の時、郷土への恩返しと島根県の文化発展の一助になればという思いで、財団法人足立美術館を創設。
足立全康氏と大観コレクション
・昭和54年(1979年)、北沢コレクションの「紅葉(こうよう)」「雨霽る(あめはる)」「海潮四題・夏」をはじめとする大観の作品群を一括購入。前年に名古屋の横山大観展で見た「紅葉」(六曲一双屏風)に言葉も出ないほどの感動を受け、何が何でも手に入れたいと多方面へ協力を仰ぎ、北沢コレクションの一部を買い受けました。また紅葉だけでなく、長い間、画集から切り抜いて額に入れ毎日飽きもせず眺め続け、夢にまで見た「雨霽る」も含まれており、最終的に管財人との間でひと悶着ありながらも、2年がかりで大観作品収集の依頼について話をまとめたそうです。
※左から横山大観「紅葉」、「雨霽る」(足立美術館HPより)
足立全康氏の遺した言葉
・「足立美術館は、時に『大観美術館』と呼ばれることがあるらしい。近代日本画史に不滅の足跡を刻む横山大観の名品が、数多くコレクションされているところから、そう形容されるのだろう。確かに、足立コレクションの基盤となるものは近代日本画だが、その量・質ともに骨格をなすのは横山大観である。長年、大観の偉大さに心酔してきた私としては、本懐を遂げた気分である。大観の魅力をひと言で言うなら、着想と表現力の素晴らしさにあると思う。それは恐らく誰も真似できないだろう。常に新しいものに挑戦し、自分のものとしていったあの旺盛な求道精神が、その作品に迫力と深み、そして構図のまとまりの良さを生んでいる。100年にひとり、あるいは300年にひとりの画家と言われるゆえんも、そこらあたりにあると思う。そんな大画家と私のような落第生とが、絵を通じて縁を結ぶというのは何とも不思議としか言いようがない。人生に対する心意気と気構えにおいて、少しでも似通っているものがあるとすれば、これほど嬉しいことはない」
→また、この出来事を美術館のHPには以下のように記されています。
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・烈々たる気迫をもって院展を再興し、次々と多くの名作を生み出し続けた大観と、14、5歳の頃から山陰の雪の中を素足にわらじがけで大八車を引き、まったくの裸一貫から、日本一の大観コレクションを有するまでになった足立全康は、ともに辛酸をなめ尽くしたというだけでなく、その発想の非凡さ、着想の素晴らしさ、旺盛なる行動力において相通じるところがあったのでしょう。例えば大観が空刷毛(からばけ)といった新手法を編み出して日本画壇に革命を起こしたことと、美術館の運営などまったくの素人であるといいながら、画期的な運営方法をもって年間50万人を超える、国内トップクラスの来館者を迎える美術館に育てた全康の発想の間には、古い考えに縛られない自由な思考の一致が見られますし、大観の作域の広さと、全康の汲めども尽きぬ着想の多様さには、その視点の広がりを見てとることができます。
豪壮一途なようでもありながら、出入りの若い表具師を、いかに酔っていようとも玄関まで見送って出る大観の律義さと、超ワンマンのようでいて、孫のような我々にまで、君はどう思うかと意見を求められる謙虚さ。また、多忙の中、地方新聞のわずか数行の取材に対してさえ、前日からメモを用意し、軽口をまぜながら上手く対応したその後で疲れはててしまうといった一途さは、やはり似ているように思えるのです。
足立全康は平成2年(1990年)、91歳で亡くなるまで世界の足立美術館にしたいという夢とロマンを持ち続けました。朝に夕に庭を見て、少しでも気に入らないことがあると庭師を呼んでは陣頭指揮をとっている姿や、何年も前に入手し損なった絵画について「いやまったく名作との出会いは人と同じで、縁だね。絵を集めるのは金じゃない。値段じゃない。いいものが出たら目をつむって掴んでしまえということだ。まったくあの絵は惜しいことをした。いまだに夜中にパッと目が覚めては思い出し、眠れん時があるよ」と口角泡を飛ばして語る姿を思い出しますと、要するに足立全康が出会った絵画といわず、庭園といわず、人といわず、それは、「美しいものに感動する心」を何とかして人に伝えたいという想いが、足立美術館のすみずみまで息づいているといえるのではないでしょうか。(足立美術館HPより)
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主なコレクション
近代日本画
横山大観、竹内栖鳳、上村松園、橋本関雪、川端龍子、榊原紫峰、伊東深水など
現代日本画
足立美術館賞受賞作
・を中心に、現代を代表する日本画家の優秀作およそ350点、日本美術院同人の新作や院展入選作を一堂に展示。
陶芸
北大路魯山人
童画
「コドモノクニ」「キンダーブック」など
・大正から昭和にかけて創刊された児童雑誌を舞台に、当時の少年少女たちの絶大なる人気を博した童画家の作品を展示。
日本庭園
・そして、足立美術館において何よりも外せないのが日本庭園です。創設者である足立全康氏が遺した「庭園もまた一幅の絵画である」というコンセプトのもと日々メンテナンスされており、日々刻々と変化する庭園の眺めは、一期一会の美しさに満ち溢れています。枯山水庭をはじめ、5万坪に及ぶ多様な庭園は、四季折々にさまざまな表情を醸出し、借景の自然の山々との調和が楽しめます。
…いかがでしょうか。こちらのブログでも以前お伝えした通り、米国の日本庭園門誌「Sukiya Living Magazine / The Journal of Japanese Gardening」の日本庭園ランキングにおいて19年連続庭園日本一を誇る美術館です。素晴らしい庭園と日本画が楽しめる足立美術館ぜひ足を運んでみて下さい。
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