こんにちは。最近、画家(アーティスト)の評価とは何をもって語られるべきかと考えることがあります。
フェルメールみたいに作品数は少なくともその最大瞬間風速が桁違いな人でしょうか、それともピカソみたいに桁違いに多作な人でしょうか(もちろんピカソも相当な風速ですが)、それとも印象派の画家たちやマルセル・デュシャンのように時代を切り開いた人たちでしょうか…
1つに絞ることはできないとは思いますが、個人的には近年以下の評価軸で語られる作家さんたちも増えてきたように思えます。それはその作家の「成長度合い(要は伸びしろ)」です。生まれながらに才能豊かな人もいるでしょうし、生まれた時は絵なんてどちらかというと苦手、(アンリ・ルソーみたいに)晩年になってようやく芽が開いたなんて人もいると思います。
でも、それはどの人も多少の誤差はあるとはいえスタート地点は0からであることには違いありません。しかし、世の中には0でなく、どちらかというとマイナスからスタートして、その境地にたどり着くアーティストの方もいらっしゃいます。恐らく先ほど述べた「伸びしろ」でいうとフェルメール以上かもしれません。今日はそんなことを考えさせられる1人の画家を真面目にご紹介したいと思います。(普段はアートをなるべく面白いものとしてご紹介するように心がけているのですが、今日はすいません…少しそもそもがそういう世界とは異なる作家さんだからです)
では早速。
このブログで紹介する美術館
みどり市立富弘美術館
・開館:1991年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、県・市観光協会HPより転載)
※観光協会のHPに上空からのショットがあり、草木湖と三境山を背景にそれも綺麗でしたので2枚載せました。
・場所
富弘美術館 – Google マップ
→前橋市、桐生市から日光に抜ける途中にあるようです。
手も足も動かずとも。絶望の淵に立った元体育教師が教えてくれるいのちより大切なもの
・このタイトルを付けるにあたって、以下作家さんの詩が心を打ちました。
[いのち]
いのちが一番大切だと思っていたころ
生きるのが苦しかった
いのちより大切なものがあると知った日
生きているのが嬉しかった
(星野富弘全詩集より)
星野富弘さんとは
・星野さん、24歳の時に不慮の事故で頸椎を損傷し、首から下が動かなくなってしまいます。
本ブログではあえて多くを語りませんが、星野さんの経歴については以下のブログまたは動画が参考になります。ご興味ある方はぜひ一度ご覧いただければと思います。
〇偕成社ウェブマガジン:https://kaiseiweb.kaiseisha.co.jp/s/osusume/osm190708/
→星野さん、病室で一緒だった男の子が転院する際、何とかして自分の想いを表現したいという一心でペンを口にくわえて書き記したことがはじまりのようですね。私もこのブログを通して、皆さんも普段から文字や言葉などで何気なく表現していると思いますが、それって本当はとても尊いことなんだと星野さんの言葉を聞いていると考えさせられます。
富弘美術館とは
・水彩の詩画を通して生命の尊さ、やさしさを語りつづける星野さんの作品を一堂に公開する美術館。不慮の事故での9年間の入院生活から久しぶりにふるさとに帰った星野さんを迎えたのは、子どもの頃から慣れ親しんだ東村の自然でした。東村のふるさと創生事業により1991年春に開館。館内は星野さんの珠玉の作品がいつもやさしく迎え入れ、生きる勇気や喜びを、なにげない毎日のなかから、自然に教えてくれているそうです。
星野富弘さんの作品
→花や草木に優しい詩が添えられた作風が特徴です。
星野富弘さんの詩
[なずな]
神様がたった一度だけ
この腕を動かして下さるとしたら
母の肩をたたかせれもらおう
風に揺れるぺんぺん草の実を見ていたら
そんな日が本当に来るような気がした
[二番目に]
二番目に言いたいことしか人には言えない
一番言いたいことが言えないもどかしさに耐えられないから
絵を描くのかもしれない
うたをうたうのかも知れない
それが言えるような気がして
人が恋しいのかもしれない
[結婚指輪]
結婚指輪はいらないといった
朝 顔を洗うとき
私の顔をきずつけないように
身体を持ち上げるとき
私が痛くないように
結婚指輪はいらないといった
今 レースのカーテンをつきぬけてくる
朝陽の中で
私の許に来たあなたが 洗面器から冷たい水をすくっている
その十本の指先から
金よりも 銀よりも 美しい雫が落ちている
[ただひとつのために]
ただひとつのために生き
ただひとつのために枯れてゆく 草よ
そんなふうに生きても
おまえは誰も
傷つけなかった
[立ち止まって]
たち止って いいんだよ
ふり返って いいんだよ
そこに美しいものを
見たのなら
すわりこんで
ずうっと見ていて いいんだよ
[生きていて強く]
生きていて強く
枯れてなお
あたたかな野の草
老いることの
大切さを思う
枯れることの
美しさを思う
[不自由]
動けないことなんか
たいしたことではない
ただ うれしくてうれしくて
どうしようもない時にも
じっとしているのが
何としても不自由だ (以上、星野富弘全詩集より抜粋)
…いかがだったでしょうか。
星野さんの詩、更に気になる方は図書館などで手にとってみて下さい。
24歳まで体育教師をされていたのですから、恐らく絵に関する造詣はほとんどなかったのではないかと思います。そんな星野さん、76歳になってなお様々な人の心を打つ詩と絵を描き続けています。人間、何歳になっても人を感動させられるのだなと感じますね。皆さんも群馬に行かれた際はぜひ星野さんの絵と詩を見にいってみて下さい。
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