こんにちは。
突然ですが、昨今、国内でも押印文化廃止の風潮が強まってきましたね。私個人も本業の方は結構事務仕事が多いので、過去、保管されている大量の紙ファイルを見て、「これ次見る人いるのだろうか…」と途方に暮れることあります。
河野太郎元行政改革担当大臣が「はんこをやめろ!」と霞が関で叫んだとか、叫んでないとか話題になりましたが、なぜ日本人はそれくらい行政のトップの人が声高らかに叫んでもなかなかやめることができないのでしょうか。(参考)河野太郎とデジタル戦略 「はんこをやめろ」が最初の一手:https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/45909.html
…個人的には、そこにある種のアート的な魅力の一端があるからではないかと見ています。日本人とそのアイデンティティーを司るものとしてのハンコ文化です。
今日ご紹介する美術館はそんな日本や中国の人たちにとって古来から根付くハンコ文化とそのルーツについて考えさせられる美術館です。では早速。
このブログで紹介する美術館
篆刻美術館
→篆刻と書いて「てんこく」と読むそうです。
・開館:1991年 ※1920年(大正9年)に建設された3階建て石蔵を改修したものとの事。(国の登録有形文化財)
・美術館外観(以下、画像は美術館HP及び県・市観光協会HPより転載)
・場所
篆刻美術館 – Google マップ
→茨城が誇る日本第二位の湖、霞ヶ浦からの位置が見えるように切り取ってみました。
篆刻とは
・篆刻とは、自ら印章を彫る行い、および、刻した印面に印泥をつけて紙に捺した印影と印章本体を鑑賞する芸術のこと。 古い時代の印章は金属(金・銀・銅など)、玉(水晶・翡翠・瑪瑙など)、動物の角・牙・骨…等の硬質な素材で専門の職人によってのみ作られていたそうですが、中国明代に加工しやすい石材が登場して以降誰でも印を制作することが可能になり、篆刻が普及発展。 印章はメソポタミア文明を起源に発し、紀元前にシルクロード経由で中国に伝わったとされているそうです。日本での本格的な使用は遣隋使・遣唐使により律令制度が持ち込まれた時代からで、以後独自の発展を遂げ現在の日本独特の印章文化にまで発展。(以下、左から印章、印面、陰影)
篆刻用語
・篆書体[てんしょたい]
篆刻によく使用される漢字の書体。古代文字。広義には秦代より前に使われていた書体全てを指す。
・小篆[しょうてん]
篆書体の一種。秦始皇帝が国家統一に際して制定した統一文字。縦に細長い形が特徴。
・印篆[いんてん]
篆書体の一種。小篆の縦横の比率を同じにして印章に使いやすくした書体。
・印影[いんえい]
印面に印泥をつけて紙面に捺したもの。
・朱文印[しゅぶんいん]
文字を陽刻(凸状)に刻した印で、紙に捺すと文字が朱色の線となる。陽刻印ともいう。
・白文印[はくぶんいん]
文字を陰刻(凹状)に刻した印で、紙に捺すと文字が白抜きの線となる。陰刻印ともいう。
・鈕[ちゅう]
印材の持ち手の部分。観賞用に彫刻が施されているものもある。
1500年の歴史を誇る石に刻むアート
・日本で初めて、日本で唯一の篆刻(てんこく)専門の美術館との事。旧城下町の石町通りに面して大正9年に建設された3階建て石蔵を改修。篆刻は書道芸術のひとつで、700年ほど前に中国が発祥。四書・五経や漢詩などから語句を選び篆書という古文字を用いて柔らかい石に刻んで紙に押したものを鑑賞するもの。(ポイントは鑑賞する工程まで含めて「篆刻」だということです)
館内には、古河出身の故生井子華さんの作品を中心に、篆刻にかかわる封泥や石印材を常設展示しています。
主な収蔵作品
<生井子華>
→なお、篆刻美術館はコチラ↓が参考になります。
〇茨城県観光ガイド「うぃーくえんど茨城」https://weekendibaraki.com/introduce/tenkoku
〇茨城放送 スクーピーレポート 「篆刻美術館」
→館長さんの頑なにカメラと目を合わせないようにする姿…そこになぜか篆刻魂を感じたマウスです。
最後に雑感ですが、篆刻に限らず、日本人はスタンプラリーやキャラクターシールなど、子供のころからやたらめったら集めていますよね。かくいう私も神社、仏閣の御朱印を集めるの大好きです…紙面の空白と朱印に塗られた陰影の真のかっこよさは押印文化が根付く国に生まれた人にしか解らないかもしれないな、そんなことを感じる美術館でした。(日本人に生まれてラッキー)
ということで、皆さん篆刻の奥深さを学ぶことができたでしょうか。職場や私生活などで陰影を見た時は少し篆刻の普及・PRに力を入れている美術館があることを思い出してみて下さい。
(マウス)
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