はい、今日から群馬県です。北関東3県目、こちらにも魅力的な美術館が沢山あります。
では早速ご紹介しましょう。
このブログで紹介する美術館
天一美術館
・開館:1997年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、県観光協会HPより転載)
→東京都出身の建築家・吉村順三の遺作との事。他、代表作に奈良国立博物館新館やN.Yのロックフェラー邸など。
・場所
天一美術館 – Google マップ
→群馬県みなかみ町にあります。皆さん行ったことがありますか?こちら、本館収蔵品のコレクター(創業者)が知り合いの求めに応じて戦前から山荘を所有、戦中に家族を疎開させていた縁の地だそうです。
天ぷら屋が守る日本美術の逸品の数々
・こちら「天一」と聞いてピンときた方もいるかもしれません。※注:某有名ラーメン屋さんではありません。そう、1930年開店、東京都中央区銀座に本店を構える天ぷら料理の老舗、「銀座天一」の創業者:矢吹勇雄さんが集めたコレクションを展示しています。
主なコレクション
<岸田劉生>
→出ました「麗子像」…教科書で習った方も多いと思いますが、ここにある「正面」を向いている麗子像は希少です。私、ある時期まで麗子像は1作品しかないと思っていた時期があるんですよね。ある年に「今年はやけに麗子像をよく見るな」と感じたことがあり、よくよく調べそこで初めて全国各地に麗子像は点在することを知りました。それ、知らなかったんで、「なんでこんな見るんだー;」と結構怖かった記憶があります(笑)
※以上、マウスの思い出でした
<佐伯裕三>
<安井曾太郎>
天ぷら屋が美術コレクションした理由
・天ぷら屋銀座天一はその立地もあり、当時、武者小路実篤・志賀直哉などの白樺派はじめ、政官産の高官や芸術家・作家など文化人のサロンと化していったそう。創業者の矢吹さんも多くの人脈を得たそうで、その中の一人に吉田茂元首相がいたそうです。吉田氏は戦後多くの絵画・陶磁器が海外に流失していくのを目の当たりにして、矢吹さんに「日本美術の逸品を守ってくれ」と言ったとか言わなかったとか。(でも吉田氏に言われたら嫌とは言えませんよね 笑)
以降、矢吹さんは吉田氏の命に従い、人脈を生かしコレクションを蒐集していったそうです。
(付録)銀座天一
・最後に、その源流となったお店のご紹介も。銀座天一、なぜこれほどまでにお客さんに支持されたのでしょうか。それはその立地もさることながら、以下のような工夫もあったようです。
「天一」の書は誰が
・美術館のロゴにも使われている「天一」の文字、これは創業者の矢吹さんが字が苦手でなるべく簡単な二文字を組み合わせたものとの事ですが、この書体のロゴ、先日も本ブログでもご紹介した画家:小杉放庵氏が筆をとったものだとか。「天」と「一」のシンプルな組み合わせでも小杉放庵が書くとここまで趣深くなるのですね;
芸術家への油の補給
・これも知らなかったのですが、矢吹さんの幅広い人脈を受け、戦中は芸術家のもとへ行き油の補給に出向いたりもしていたそう。(え、もしかしてその時に書かれていた油絵は天一の油⁈)
恐らく、天ぷら油の供給ルートを持っていた強みなのでしょうか、こういう細やかな心遣いが当時の高官含め様々な方たちの心を掴んで離さなかったのかもしれませんね。
夏場の営業
・客の目前で揚げる天ぷら屋は、暑さを避けるために夏場は休業するのが当時の常識だったそう。矢吹さんは店舗にクーラーを設置することで夏場でも営業を可能とし、通年営業することで顧客が定着していったのだとか。
コーン油、野菜天の使用
・当時の天ぷら屋では胡麻油を使用していたようです。しかし天一ではコーン油で揚げた天ぷらは軽くて新しい食感が提供できるとコーン油の使用にこだわったそうです。
また、食材である。天ぷらといえば魚介類が当然だという職人が多かった時代で、天一はさまざまな野菜天を提供したことでも知られています。アメリカ大統領在任中であったビル・クリントンもその訪問の際に椎茸天の旨さに魅せられ、離任後にも再訪したほどだとか。
…最後は完全に天ぷら雑学みたいになりましたが、こういうのネットのあちらこちらに落ちていて見ていると楽しいですね。さて、今晩は皆さん、天ぷら食べましょう。財布にゆとりのある方は天一に行って、ちゃんと経済をまわして下さいね。
(マウス)
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