異国の地で職人美を追求した思索の彫刻家 福井市美術館

アートな場所

こんにちは。本ブログではこれまで様々な美術界の偉人、哲人をご紹介してきました。
岡倉天心、イサム・ノグチ、棟方志功、土門拳、竹久夢二、石ノ森章太郎、小杉放菴…(こう振り返ると美術館紹介と言いながらそれに付随して色んなアートな人のご紹介もしてきました)

そんな本ブログの最初期にご紹介した100年を生きる画家:野見山暁治さん。覚えていらっしゃいますでしょうか?今日は野見山さんがフランス:パリへ留学した際、野見山さんへアトリエを譲った美術界の先輩であり、遠くフランスの地で30年近く彫刻をつくり続けた思索のアーティストでもあります。そんな彫刻家であり思索家のコレクションを持つ美術館が本日ご紹介の館です。

このブログで紹介する美術館

福井市美術館

・開館:1997年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、市観光協会HPより転載)
※黒川紀章さんの設計です。
・場所
福井市美術館 アートラボふくい – Google マップ

「みる」と「つくる」が一体化した美術館

・第二次世界大戦前後の動乱期をフランスで過ごした本市ゆかりの彫刻家・高田博厚の作品を収蔵、展示。幅広い文化人との交友を持つ高田を軸として、さまざまな分野の展覧会を企画し、優れた芸術作品を目にする機会を提供されています。また、鑑賞とともに創作も大切にするためアトリエを設けていることが特徴。作品が出来上がるまでの過程を大事にし、作ることの楽しさを体験しながら制作できる場、さらに、優れた作品を鑑賞して刺激された創造力を生かして制作できる場を提供しているとの事です。

自然と一体となった美術空間

・黒川紀章氏により設計された当館は、外壁のほとんどがガラスとなっており曲線を多用した有機的な形には、黒川氏の提唱した「共生」の思想が垣間見えます。彫刻ならではの自然光による作品鑑賞や、明るい雰囲気の中で行う創作など、豊かな創造活動が行えるようです。たくさんの樹木に囲まれた環境での創作活動ができることも本館の魅力です。

ワークシートについて

福井市美術館、常設展では4種類の「ワークシート」という教材を準備し、ユニークな展示をされています。いかにも思索の彫刻家を軸とされている美術館らしい取組みです、以下は美術館HPより引用です。
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・常設展「高田博厚の世界」は、彫刻作品等の展示を通して、彫刻家のみならず、文筆家、思想家としても活躍した高田の生涯が多様な切り口から模索できる場としてデザインされています。この常設展を多くの方に生涯学習の場として活用していただくための教材として、福井大学の大学院生が制作した”えらべる鑑賞シート”というワークシートを準備しております。

以下の4種類のワークシートは、「学習のとびら」をもち、学習者自らが学習テーマを選択したり、美術鑑賞といった領域を超えた探求テーマを提案したりすることができるようになっています。美術館内、または教室でお使いになれるワークシートです。美術館で配布しているものですが、こちらからダウンロード・印刷してお使いいただいても結構ですので、是非ご活用下さい。(ファイル形式は全てPDFのファイル形式です。各とびらの画像をクリックしてダウンロードしてください。)

からだのとびらシート

・「トルソの彫刻作品に、どうしてカテドラルと名づけたの?」といった問いが活動の入り口に用意されています。本シートは、高田博厚の代表作品「カテドラル」から見出した問いを活動の中心に据え、自らの身体を通して探求的に作品を鑑賞していく面白さを学びます。
からだのとびらシート

レシピのとびらシート

・「高田の作品はどのように作られているのだろう?」といった問いが活動の入り口に用意されています。制作プロセスを探ることで、作品の新しい見方を獲得し、鑑賞の視野が広がることが期待できます。
レシピのとびらシート

物語のとびらシート

・「高田の作品はどのように作られているのだろう?」といった問いが活動の入り口に用意されています。制作プロセスを探ることで、作品の新しい見方を獲得し、鑑賞の視野が広がることが期待できます。
物語のとびらシート

哲学のとびらシート

・「高田博厚の生涯に目を向けて、高田博厚の目に映るものを探ってみよう」といった問いが活動の入り口に用意されています。高田の交友関係に触れながら、作品と言葉を読み解いていきます。要所要所で設定された問いには決まった答えは存在しません。しかし、こういった問いと向き合うことで、集めた情報から自分なりの答えを見つけ出す力が育まれることでしょう。作家の歴史や背景から作品を読み解く楽しさを感じてもらえることを期待します。
哲学のとびらシート

異国の地で職人美を追求した思索の彫刻家

・そんなコレクションの軸となる高田博厚さん、皆さんはご存知でしょうか?
彫刻家:高田博厚さんは、2歳から18歳までの多感な時代を福井で過ごしました。早くから哲学や文学、芸術に目覚め、後の東京時代やパリ時代には、当時の優れた数多くの知識人と交友を深め、彫刻家としてのみならず、文筆家、思想家としても活躍。東西の知識人との幅広い交友をもとに、孤独と貧困の中、ひたむきに粘土と向き合いました。

高田博厚氏 略歴(文字媒体)

・1900年(明治33年)、石川県鹿島郡矢田郷村(現七尾市岩屋町)に父・安之介と母・登志の間の三男として誕生。
・1903年(明治36年)、父の弁護士開業で福井市に移り、1907年、同市順化小学校入学。1910年、父没。
・1912年(明治45年)、父の遺した蔵書を読み漁る。ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』に強い影響を受ける。
・1913年(大正2年)、県立福井中学(現福井県立藤島高等学校)へ入学、入学試験では100人以上の中で10番以内で合格。その後は、美術・文学・哲学に熱中。
・1918年(大正7年)、中学を卒業して東京へ移り、年長の高村光太郎、岸田劉生らとつぎつぎに知りあう。17歳も年が違う高村光太郎は高田を対等に遇し、高田は人を訪ねることをしなかったが、高村だけは自ら訪ねた。高田の自画像を岸田劉生に見せた際に、傍らにあった麗子像を見て実力差を感じ絵を描くことをやめる。
・1919年(大正8年)、東京外国語学校(現・東京外国語大学)イタリア語科に入学。
・1931年(昭和6年)、妻と4人の子を残して渡仏。その後、スイスのロマン・ロラン邸を訪ねる。彫刻作品の写真を見せると、後日ロランから片山宛に「私はこの15年誰にも自分の像を作ることを断ってきたが、彼には作ってほしい」という手紙をもらう。同じ年の11月、マハトマ・ガンジーがロンドンの第二回英印円卓会議の帰途ロラン邸に一週間滞在することになった際、高田は素描のため招かれ、ロマン・ロランとマハトマ・ガンジーの会談に同席。
・1937年(昭和12年)、在欧日本人向けに、謄写版刷りの日刊『日仏通信』を始める。
・1944年(昭和19年)、パリ解放の直前、駐独大使大島浩の命令で、在仏日本人とともにベルリンへ移される。
・1945年(昭和20年)、ドイツ降伏後ソヴィエト軍に保護。日本送還を選ばす、単身パリを目指すが、途中米軍占領区に入り収容所に抑留。
・1946年(昭和21年)、フランス当局のアメリカ軍への要請により収容所を出てフランスへ戻る。
・1957年(昭和32年)、ライ・レ・ローズのアトリエを洋画家・野見山暁治に譲り、彫刻は自ら破壊、絵画は野見山に処分を依頼し、数千冊に及ぶフランスで集めた書籍を持って帰国、東京新宿区下落合に住む。以後、高村光太郎賞審査員、新制作協会会員、日本美術家連盟委員、日本ペンクラブ理事、東京芸術大学講師などを務める。
・1987年(昭和62年)、満87歳を目前に没。

高田博厚氏 略歴(動画)

・高田博厚氏については福井市美術館が福井工業大学附属福井中学校 美術部、同 福井高等学校 美術・アニメ部とコラボした以下の紙芝居紹介動画もありました。

野見山暁治と高田博厚

・さて、そんな高田博厚氏、1957年、60歳を前に約30年ぶりに日本に帰国する際、自分の作品の一切合切を処分するよう当時まだ30代の若手作家で、パリでのアトリエを譲ることにしていた野見山暁治さんに依頼したという話が知られています。どんな経緯があったのか、これも野見山さんがまだ存命ということで貴重なお話が載っていましたので掲載しておきます。(野見山さんらしい、飾らない言葉で彫刻家:高田博厚像について語っていらしゃいます。結構驚きのエピソードも⁈)

→これはマウスの勝手な推測ですが、日本に帰国する際、高田博厚さんがそれまでフランスで制作した作品を全てコナゴナに破壊したのは、日本に対するアイデンテティからくるものだったのかもしれませんね。つまり、高田さんは終戦後、恐らく当時の日本という国に如何ともしがたい思うところがあり帰国せずにパリへ渡ったのだと思いますが、日本が経済成長を果たした過程で自分は何ら日本に貢献していない、そんな作家がフランスで揚々と制作した作品など持って帰ってなんになると(高田ファンにとっては持って帰ってきて欲しかったですが…)。そんなところもこの作家の魅力なのかもしれませんね。

東松山市での講演会

・恐らく上の動画までをご覧いただいた方は、思索の彫刻家といえ高田博厚さんのイメージや距離が少し近づいたのではないかと思いますが、最後は高田さんの骨太の芸術論を掲載して終わりたいと思います。これは1980年(昭和55年)に東松山市で高田博厚彫刻展を記念し日本の美について語られた貴重な講演会音源です。ここでは高田博厚さんらしく、芸術がアカデミズムになってきている懸念や龍安寺の石庭を「人間のこざいく」と一蹴されています。少し難しい話ですが、高田さんの人となりも見ることができ、興味ある方にとっては非常に面白い内容ですので是非。

→マウス的には高田さんの言葉「小さい日本の社会構造の中で連綿と美しいものをつくり続ける、これが本当の職人(日本)の美」、「芸術家とは一生職人のつもりで仕事をし続ける人」という言葉が印象的でした。

そんなこんなで今日はここまで。彫刻家:高田博厚さん、ぜひ皆さんも福井へ足を運んでその彫刻群と哲学を感じ取ってください。

福井市美術館 高田博厚コレクション

          

(参考)
福井市美術館、高田博厚氏彫刻コレクション検索URL:
http://www.art.museum.city.fukui.fukui.jp/gallery.html#nogo

(マウス)

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