広大な敷地と和洋の建物、明治・大正期の邸宅に重要文化財19点を有する 大阪:香雪美術館

兵庫県

こんにちは。今日ご紹介する美術館は、昨年末大阪でご紹介した中之島香雪美術館の姉妹館です。(現在こちらは施設設備の改築工事のため臨時休館中ですが)

中之島香雪美術館同様に、朝日新聞社創業者の村山龍平氏の収集品を収蔵展示、東洋古美術を中心とした美術館です。重要文化財19点、重要美術品23点を含み、村山家より約1600点が寄託。早速どんな美術館か振り返ってみましょう。

このブログで紹介する美術館

香雪美術館

・開館:1973年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、県・市観光協会より転載)

※本画像は情報サイトArtAgendaより(https://www.artagenda.jp/museum/detail/212

・場所
香雪美術館 – Google マップ

広大な敷地と和洋の建物、明治・大正期の邸宅に重要文化財19点を有する

・朝日新聞社の創業者・村山龍平氏が蒐集した日本、東洋の古美術コレクションなどを収藏する美術館として、昭和48年(1973)に兵庫県神戸市東灘区に開館。村山氏が神戸・御影に構えた居宅は、現在、「旧村山家住宅」として国指定重要文化財に指定。広大な敷地と和洋の建物を擁し、明治・大正期の邸宅の面影や建築技法を今に伝える。

定期的に「庭園見学会」を開催して外観を公開するほか、秋には茶室棟や書院棟、館蔵の茶道具などを使って濃茶、薄茶、点心でもてなす藪内流の「玄庵茶会」を催し、伝統文化を体験する機会を提供しています。

重要文化財19点、重要美術品23点を筆頭とする所蔵品は、仏教美術、書跡、近世絵画から茶道具、漆工芸、武具に至るまで、幅広く各ジャンルを網羅。特色として、展示に関係するテーマの講演会と茶会をあわせた「梅園会」を年に数回開催。

このほか、設立主旨である美術文化の向上に貢献するため、設立地である兵庫県に関係のある優秀な美術系学生を対象とした「奨学金制度」を創設し、教育・研究活動を経済面で支援されています。

主なコレクション

重要文化財19点、重要美術品33点を含む絵画、書跡、仏教美術、茶道具、武具など。(以下画像は文化遺産オンライン:https://bunka.nii.ac.jp/を参照)

絵画

 


 

※他作品、詳細等は美術館HP参照:

書跡

 
※詳細は美術館HP参照:https://www.kosetsu-museum.or.jp/mikage/collection/shoseki/index.html

彫刻


※詳細は美術館HP参照:https://www.kosetsu-museum.or.jp/mikage/collection/chokoku/index.html

茶道具

  
※詳細は美術館HP参照:https://www.kosetsu-museum.or.jp/mikage/collection/sadougu/index.html

工芸


※詳細は美術館HP参照:https://www.kosetsu-museum.or.jp/mikage/collection/kougei/index.html

武具

・美術館HP参照:

建造物文化財

旧村山家住宅

・朝日新聞を創刊した村山龍平氏が神戸・御影に構えた居宅。阪神間に広がった郊外住宅の先駆的存在、旧村山家住宅は、広大な敷地と和洋の建物を擁する明治、大正期の邸宅の面影を今に伝え、国指定重要文化財に指定。

村山氏が御影郡家の地に数千坪の土地を取得したのは明治33(1900)年頃。当時、一帯は六甲山の裾野の荒れ地でしたが、村山氏が大阪から移り住んだことなどを契機に、明治、大正、昭和初期にかけて大阪の実業家達が競ってこの地域に私邸を構えました。これらの人々の土地取得は単位が千坪を下らず、いずれも豪壮な建築で、住吉村が「長者村」、御影が高級住宅地と呼ばれるに相応しい地域となっていった由縁との事。

また、御影塀を巡らした村山邸の園林には野鳥や昆虫が多く生息。洋館と日本館は起伏に富んだ地形を生かして配置され、自然と共生する生活空間です。

設計にあたった河合幾次氏は、東京帝国大学(現在の東京大学)の建築学科で著名な伊東忠太らと同期だった建築家。施工には初期の竹中工務店があたり、明治42年(1909年)に竣工。北野異人館の風見鶏の家などと同じ頃の建物だそうです。

施主の村山氏は、まずこの洋館で起居生活を送り、後に順次、木造棟を建て増しました。洋館は当時の洋風の生活様式を伝え、主人の好みが部屋の意匠や家具調度に残された住宅遺構として貴重な実例です。

日本館

・近代の和風建築として村山龍平氏の生活、趣味教養を偲ばせると同時に、当時の質の高い木造建築技術を示しています。敷地東端に近くに位置したのは、自然林を残して地形に従おうとする全体の計画からきているそうです。

書院棟

・4層からなり、四面が異なる外観は複雑な構成。西本願寺の飛雲閣を連想させるこの佇まいで、本願寺の茶道師家を務めた藪内流の茶を村山龍平氏が修めたことが背景にあるそうです。望楼は邸内で一番の高所となり、かつては南に住吉の邸宅街や瀬戸内海までが望めたとの事。

茶室棟

・村山邸の特色は、茶の湯を客の接遇の基本としている点にあり、村山氏は、大阪の財界人達との交遊を通じて次第に茶の湯の世界を楽しみ、藪内流の薮内節庵に就いて茶を修めました。

日本館の最も奥まった北に位置する茶室棟の玄関は、まるで山寺に辿り着いたかのような印象を受けます。茶室は、「玄庵」と「香雪」の2席。「玄庵」は明治44年(1911年)、薮内節庵の指導を受けて建てられ、藪内流家元の茶室「燕庵」の忠実な写しとの事。薮内家では、伝来の茶室「燕庵」を写して建てることは相伝を得た人だけが許される定めになっており、村山邸に燕庵写しが建てられたのは破格の扱いだったようです。

館内全体図

…いかがだったでしょうか。豊富なコレクションをやはり中之島の分館もそうでしたが茶室が特色ですね。

中之島香雪美術館とは距離にして20㎞ほど離れていますが、電車だとすぐ着く距離だと思います。現在、神戸市の本館は臨時休館中ですが、開館した際はぜひ貴重な建造物とともに姉妹館ともに足を運んでみて下さい。

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