「椿」の理念をアートの力に、世界の舞台で美を追求してきた企業が建てた美術館 静岡:資生堂アートハウス

静岡県

こんにちは。静岡県…美術館多いですね。
静岡県掛川市、先日ご紹介した楽器博物館がある浜松市から東へ30㎞いった場所でしょうか。ここに化粧品などで有名な日本を代表するビューティーカンパニーの研究生産拠点が1975年に建てられました。ここでは、メーキャップ製品および医薬品・ヒアルロン酸の主力工場として、口紅やファンデーション、アイシャドウを中心に生産されており、1100名を超える従業員が勤務されています。(資生堂世界全体では4.6万人⁈、日本国内でも2.4万人⁈の規模ですので大規模な拠点というわけではないかもしれませんが、重要な製品をつくっていることがわかります)

そしてここ掛川市には本工場が建てられた1975年から数えること3年後に同じ掛川市内に美術館が建てられることになります。当時の資生堂と掛川市の関係がいかに重要なものであったのかがわかりますね。ちなみにちょうどこの時に社長を務めていたのが、資生堂の創業者:福原有信氏の孫、福原信和氏でした。創業家の強みを活かして一気呵成にこのような取組みを進められたのかもしれません。そんな美術館、早速ご紹介していきましょう。

このブログで紹介する美術館

資生堂アートハウス

・開館:1975年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、県・市観光協会HPより転載)

※現在は臨時休館中のようです

・場所
資生堂アートハウス – Google マップ

「椿」の理念をアートの力に、世界の舞台で美を追求してきた企業が建てた美術館

・1978年(昭和53)に開館。2002年(平成14)のリニューアルを機に、美術館としての機能を高め、近現代のすぐれた美術品を収集・保存すると共に、美術品展覧会を通じて一般公開する文化施設として活動中です。コレクションの中核は、資生堂が文化芸術支援活動の一環として、東京・銀座の資生堂ギャラリーを会場に開催してきた「椿会美術展」や「現代工藝展」などに出品された絵画、彫刻、工芸品。

また、本館の建築は高宮眞介、谷口吉生両氏の設計によるもので、「長く地域の環境に貢献し、風雪を耐え、美しく維持され、社会に対して建築の意義を語りかけてきた建築物」として「JIA25年賞」(第9回)を受章、建物自体も独自のアート性をもち見どころの1つです。

椿会美術展とは

・「椿会」は、第二次世界大戦で一時中断していた資生堂ギャラリーの活動を、1947年に再開するにあたり誕生したグループ展。資生堂に長く伝わる花椿マークにちなんで名づけられ、アートが人々に希望を与え、勇気をもたらすという信念に基づき、戦争や災害、不況などで世の中が閉塞状況にあるときにも再興を願い開催されています。誕生から70年以上にわたり、時代とともにメンバーを入れ替えながら、資生堂ギャラリーを代表する展覧会として継続中です。

※1919年にオープンした、現存する日本で最古の画廊。途中、震災や戦争、建物の改築による中断を除き、「新しい美の発見と創造」に取り組み、日本の芸術文化の振興に寄与。これまでに開催した展覧会は3,100回以上、資後に日本美術史に大きな足跡を残した作家も数多く輩出。1990年代からは、現代美術に主軸を定め、前衛性と純粋性を兼ね備えた同時代の表現を積極的に紹介。2001年には、「東京銀座資生堂ビル」の地下1階にリニューアルオープン。

→資生堂は随分長らく文化・芸術活動の発展に取り組まれているのですね。

現代工藝展とは

・1975年から1995年まで開催。工芸界の各分野からメンバーを選んで毎年展覧会を実施し、「椿会美術展」とともに資生堂ギャラリーの企画展の柱となっていた。その後、2001年から2005年まで開催した「life/art」展は、「現代工藝」を今日的に発展させたかたちとして、life(生・生活)とart(芸術・技術)との新たな関係性を探る展覧会に。このような工芸への取り組みは、資生堂ギャラリーを代表する活動のひとつとなっています。

主なコレクション

椿会美術展ゆかりの作品

第一次~第三次(1947年~1990年)

<曽宮 一念>

<徳岡 神泉>

<横山 大観>

<奥村 土牛>

<山本 丘人>

<岩橋 英遠>

<奥田 元宋>

<香月 泰男>

<絹谷 幸二>

<小松 均>

<佐藤 忠良>
 
<中谷 泰>
 
<稗田 一穗>

<吉田 善彦>

<脇田 和>

第四次(1993年~1997年)

<小嶋 悠司>

<小清水 漸>

<滝沢 具幸>

<野見山 暁治>

<舟越 桂>

<堀 浩哉>

<百瀬 寿>

第五次(2001年~2005年)

<青木 野枝>

<イワタ ルリ>

<児玉 靖枝>

<鷲見 和紀郎>

<世良 京子>

<堂本 右美>

<三輪 美津子>

<山本 直彰>

第六次(2007年~2010年)

<伊庭 靖子>

<祐成 政徳>

<袴田 京太朗>

<丸山 直文>

<やなぎ みわ>

第七次(2013年~2017年)

<青木 陵子>

<赤瀬川 原平>

<伊藤 存>

<内藤 礼>

<畠山 直哉>

現代工藝展ゆかりの作品

<磯井 正美>


<赤地 友哉>


<増村 益城>


<田口 善國>

工藝を我らに(資生堂アートハウス主催のグループ展)ゆかりの作品

<十四代 今泉今右衛門>

<小西寧子>

<小椋範彦>

<松島 巌>

<内田鋼一>

<中條伊穗理>

<水口 咲>

<三代 𠮷羽與兵衛>

<安達征良>

小村 雪岱


香水瓶

<Baccarat / バカラ>





<René LALIQUE / ルネ・ラリック>





<その他>




→こうやって見ると香水瓶はあらためてそのガラス芸術性の高さを認識させられますね。資生堂アートハウス、椿会美術展の収集年代順に第一次~第七次と名付けて分類されているのは興味深かったです。(こういう収集順で並べると言うのは意外とこれまで無かったかもしれません)…それくらい本館の歴史が深いということですね。

…それにしても椿会美術展は若手の登竜門的な位置づけもあったのでしょうか、現代アート作家は一度は目にしたことがあるような名だたる面々ばかりですね。彼ら/彼女らが若手の時代の金字塔とも言える作品をこれほどまでに収集して一堂に会してみることができる美術館は全国広しと言えどもここだけなのではないでしょうか。

そんな資生堂アートハウス、最後は皆さんご存知資生堂の略歴を少しご紹介して終わりたいと思います。

(付録)資生堂 略歴

※2022年現在
・1872年(明治5年)9月17日 – 日本初の洋風調剤薬局として福原有信が東京・銀座(出雲町)に「資生堂薬局」創業。
・1880年(明治13年) – 育毛剤の販売開始。
・1888年(明治21年) – 日本初の練歯磨「福原衛生歯磨石鹸」発売。
・1897年(明治30年) – 化粧品業界へ進出、高等化粧水「オイデルミン」発売。
・1902年(明治35年) – 東京・銀座の資生堂薬局内に、日本ではじめてソーダ水とアイスクリームの製造と販売を行う「ソーダファウンテン」を開設、後に資生堂パーラーに発展。
・1915年(大正4年) – 商標「花椿」制定。
・1916年(大正5年) – 東京・銀座(竹川町)に化粧品部を開店。
・1917年(大正6年) – 「七色粉白粉」発売。日本人により制作された最初の本格的香水「花椿」発売。
・1918年(大正7年) – 「資生堂コールドクリーム」発売。
・1919年(大正8年) – 大阪・心斎橋に支店開設。現存する日本で最古の画廊である資生堂ギャラリー開設。
・1921年(大正10年) – 「資生堂五大主義」制定。
・1922年(大正11年) – 三科「美容科」「美髪科」「子供服科」開設、美髪科主任として米国よりヘレン・グロスマンを招く。
・1923年(大正12年) – 関東大震災で煉瓦造り3階建ての薬品部と化粧品部の建物(現:資生堂ザ・ギンザの場所)が倒壊。チェーンストア制度採用。
・1924年(大正13年) – 愛用者向け文化情報誌「資生堂月報」創刊。
・1927年(昭和2年) – 株式会社資生堂設立。欧文ロゴタイプ確立。
・1928年(昭和3年) – 5月18日、化粧品部の建物が落成。7月3日、「資生堂パーラー」が営業開始。
・1931年(昭和6年) – 東南アジア向けに「ローズ化粧品」輸出。初の本格的海外展開。
・1932年(昭和7年) – 「ドリュウ(ドルックス)化粧品」発売。
・1934年(昭和9年) – 銀座の化粧品部に資生堂美容室開店。髙島屋、神戸大丸にて当時銀座にさえなかった百貨店を舞台に華麗なキャンペーン実施。
・1939年(昭和14年) – 資生堂化学研究所設立。
・1940年(昭和15年) – 中国向けに香水を量産し日本を代表する高級輸出品となる。
・1943年(昭和18年) – 2月15日、銀座の美容室が決戦下にふさわしくないとして廃止。電髪器など金属類は献納された[5]。
・1949年(昭和24年) – 東京証券取引所市場第一部に上場。
・1953年(昭和28年) – 資生堂美容研究所開設。
・1956年(昭和31年) – 東京・渋谷の東急文化会館に総合美容サロン1号店オープン。
・1959年(昭和34年) – 「資生堂美容技術専門学校(現 学校法人 資生堂学園)」創設、数多くのヘアメイクアーティスト、メイクアップアーティストを輩出。
・1972年(昭和47年)9月17日 – 創業100年(1世紀)。その記念ブランドとして男性用化粧品ロードス発売。
・1975年(昭和50年) ‐ 静岡県掛川市に工場建設。
・1978年(昭和53年)11月 ‐ 静岡県掛川市に資生堂ハートハウスが開館。

・1980年(昭和55年) – フランスの「ピエール ファーブル社」との合弁会社「シセイドウ フランス」をパリに設立。
・1983年(昭和58年) – 中国(北京市)でシャンプー、リンスの生産開始(輸入販売の開始は1981年)。
・1985年(昭和60年) – ビューティサイエンス研究所発足。
・1986年(昭和61年) – スキンケアブランド「アベンヌ」販売のため、ピエール ファーブル社との合弁、「(株)ピエール ファーブルジャポン」を東京・赤坂に設立。エステティックサロン専用のスキンケアブランド「カリタ」を買収。
・1987年(昭和62年) – 「資生堂薬品(株)」設立。
・1988年(昭和63年) – 一般用医薬品事業に参入。ヘアサロン専用ブランド米国パーマ剤トップメーカー「ゾートス社」を買収。
・1989年(平成元年) – 10月1日、ハーバード大学と共同でマサチューセッツ総合病院内に『ハーバード大学皮膚科学研究所』を設立(研究陣にはハーバード医科大学を中心に生物学、免疫学、細胞学、分子生物学など多岐にわたる先端科学者を世界から招聘)。
・1991年(平成3年) – 資生堂として初めてのエステティックブランド「Qi」を開発し、エステティック事業へ参入。
・1993年(平成5年) – 医療用医薬品事業に参入(オペリード(化粧品原料でもあるヒアルロン酸を活用した眼科手術補助剤、販売:武田薬品工業、発売:千寿製薬)、カサール(化粧品の製剤化技術を活用した抗ウイルス剤、販売:マルホ))。
・1997年(平成9年) – 化粧水「オイデルミン」の発売100周年、新しいデザインの製品を発売。「ヘレンカーチスジャパン」のサロン事業部門を買収、「(株)ジェニック」に社名変更。
・1998年(平成10年) – 滝川(株)より営業権を買収、資生堂サロン事業プロダクトの販売会社として「資生堂ビューティーカンパニー(株)」設立。
・1999年(平成11年) – ブリストル・マイヤーズ スクイブ クレイロール事業部サロン事業買収。
・2000年(平成12年) – 世界のスパブランド「デクレオール」を買収。
・2001年(平成13年) – 東京銀座資生堂ビル完成。
・2002年(平成14年) – バリ島・ウブドに世界最大級のリゾートスパ「キラーナ スパ」をオープン。
・2004年(平成16年) – 国連グローバル・コンパクトへの参加。「資生堂ビューティーカンパニー(株)」と「(株)ジェニック」の2社が合併し、「資生堂プロフェッショナル(株)」を設立。タイに合弁会社「資生堂プロフェッショナル タイランド」を設立。
・2005年(平成17年) – 新しいコーポレートメッセージ「一瞬も 一生も 美しく」を策定。資生堂プロフェッショナル(株)が「カリタ」の国内営業を開始。
・2006年(平成18年) – 企業内大学「エコール資生堂」創設。「誰もが生きいきと働くことができる職場づくり」を目指して、知的障がい者を中心とした特例子会社「花椿ファクトリー(株)」を設立。
・2007年(平成19年) – 女性の更年期障害の「ホルモン補充療法(HRT)」用治療薬で、日本で初めて承認された『肌にぬるジェル状のエストラジオール外用ゲル剤 「ル・エストロジェル」』を共同事業契約に基づきバイエル薬品が発売。「特定非営利活動法人 女性の健康とメノポーズを考える会」から製品発売案内。
・2008年(平成20年) – 「資生堂ビジネスソリューション(株)」設立。上海に「資生堂中国研修センター」を開設。
・2009年(平成21年) – 環境省の「エコファースト制度」に認定。
・2009年(平成21年) – アゼルバイジャンで販売開始。ギリシャで合弁契約を締結。ベトナムの100%出資子会社「資生堂コスメティクス ベトナム」が営業開始。スイスにて100%出資の販売会社による営業開始。中国で薬局向け新ブランド「DQ(ディーキュー)」(スキンケア製品)発売。「資生堂ライフクオリティー ビューティープログラム」が企業フィランソロピー特別賞「美は心とともに賞」を受賞。
・2010年 (平成22年) – ベトナム工場竣工。米国の自然派化粧品会社「ベアエッセンシャル社」を買収。中国で高級ヘアサロン向けヘア製品を販売開始し「プロフェッショナル事業」を本格展開。「資生堂 椿の森」[注釈 1]のCO2吸収量が認証される。
・2011年(平成23年) – 4月1日から全事業所で禁煙を実施。
・2012年(平成24年) – 公式Webサイトの一部を「watashi+(ワタシプラス)」と改称、自社製品のオンライン販売を開始。
・2013年(平成25年) – 10月2日、本社新社屋「資生堂銀座ビル」オープン。
・2014年(平成26年) – 「カリタ」、「デクレオール」ブランドをフランスのロレアルに売却。競泳・水球、体操、バレーボール・ビーチバレーボール日本代表チームのオフィシャルスポンサーになる。
・2015年(平成27年) – 4月27日付を以ってコーポレートロゴを変更。10月1日、日本国内における化粧品事業を資生堂販売株式会社に会社分割するとともに、同社の商号を資生堂ジャパン株式会社に変更。
・2016年(平成28年) – ガーウィッチプロダクツ者を買収。「DOLCE&GABBANA」とライセンス契約。台湾資生堂新竹向上竣工。
・2017年(平成29年) – 資生堂表情プロジェクトスタート。保育事業に関する合弁会社「KODOMOLOGY株式会社」設立。
・2019年(令和元年) – 日本時間の10月8日、スキンケアブランド「Drunk Elephant」所有するDrunk Elephant Holdings, LLCの買収を発表。日本時間の同年11月7日に買収完了。
・2021年(令和3年)
2月3日 – 「TSUBAKI」「SENKA」「Uno (化粧品)」などのマス市場向けブランドを、英国CVC キャピタル・パートナーズが出資するOriental Beauty Holding(以下OBH社)へ売却すると発表。尚、資生堂はOBH社の株式の35%を保有し続ける予定。
4月28日 – 2016年に結んだ「DOLCE&GABBANA」とのライセンス契約の解消を発表。商標権の減損による約350億円の特別損失を見込む。
7月1日 – マス市場向けブランドを、株式会社ファイントゥデイ資生堂へ譲渡。
・2022年(令和4年)
1月1日 – 資生堂意匠部をルーツとする資生堂本社のクリエイティブ部門を、新たな別会社として「資生堂クリエイティブ株式会社」を100パーセント出資会社として設立。
7月1日 – 「SHISEIDO PROFESSIONAL」などのヘアサロン向け業務用事業を資生堂プロフェッショナル株式会社へ会社分割で譲渡し、資生堂プロフェッショナル株式の80%をヘンケルのオランダ法人であるHenkel Nederland B.V.へ譲渡する予定。
9月17日 – 創業150周年。

→社歴があるから当然なのかもしれませんが、今更ながら資生堂が会社として芸術事業に取組みはじめたのは創立から50年ほど経った後、こうやって椿会と称し展覧会を実施、掛川市で大規模なコレクション展示ができるようになったのは創立から100年ほど経った後なのですね。
いかに経営を軌道にのせ、そこから文化・芸術の方面までメセナ活動を手掛けていくのが長い道のりかということがわかりますね。私たち見る側の方もこういう歴史に多少は敬意をはらって観覧したいものですね。そんな感じで今日はここまでとします。引き続き本ブログ「絵本と、アートと。」をよろしくお願いします。

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