2000点を超える個人コレクション、35年間のラジオの歴史をひも解く 長野:日本ラジオ博物館

長野県

こんにちは、松本市2館目は日本有数のラジオの博物館です。このラジオ、長らく家庭の家庭の情報、娯楽の中心媒体として存在していたことはご存知でしょうか。今日ご紹介するラジオ博物館、世界初の放送が開始された1920年頃からスマホが登場する直前の2005年頃までの約2000点のコレクションとその歴史をご紹介されています。どんな博物館なのか早速見ていきましょう。

このブログで紹介するアート施設

日本ラジオ博物館

・開館:2012年
・施設外観(以下画像は施設HP、県・市、観光協会HPより転載)

→建物は1906(明治39)年築の旧家の土蔵を改装したものだそうです。3室に分かれた細長い蔵の手前2室を使用し、外観はほぼオリジナルを維持しながら内部を改装、本来の蔵の雰囲気を損なわないように展示室にされています。敷地には母屋や庭もあるそうですが、施設HPには「こちらは居住者が使用中なのでご覧いただけません。」とわざわざ記載されてあるのは面白かったです。(…いや、ラジオを見に来て、プライバシー侵害しないよう注意しましょう)
・場所
日本ラジオ博物館 – Google マップ

2000点を超える個人コレクション、35年間のラジオの歴史をひも解く

・以下は施設HPの紹介文です。意外と知らない内容が書かれてあるかと思います。
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・1925年(大正14年)にラジオ放送が始まってからテレビが普及する1960年(昭和35年)頃までの約35年間、ラジオは家庭の情報、娯楽の中心でした。また、真空管を使った電子回路の最初の応用製品でもあるラジオセットの歴史は日本のエレクトロニクス産業発展の歴史でもあります。当館では日本製のラジオを中心に約30年にわたり収集してきた資料を、放送の歴史の流れに沿って分類、整理して公開しています。紹介している時代は世界初の放送が開始された1920年からスマホが登場する直前の2005年頃までです。

日本ラジオ博物館は、ラジオだけで2000点を超える個人コレクションをベースに、2007年にネット上のバーチャルミュージアムとしてスタートしました。そして5年後の2012年、長野県松本市に歴史ある土蔵をリフォームした小さな博物館を開館しました。当館では、主にハードウェアとしての日本のラジオの歴史を詳細に伝えることを目的とし、展示施設では関連としてテレビ、オーディオ機器、家電製品なども展示し、アンティークラジオのコレクターだけでなく、メディア史や技術史に興味のある研究者の方にはその歴史を実物を通して理解いただけるように、また、一般の方には、懐かしい電気製品などに触れて楽しんでいただける施設にしているつもりです。
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→メディア史や技術史のガチな研究者の方から一般の方まで幅広く楽しめるように工夫されているのは素晴らしいですね。スマホが登場する直前の2005年頃までを展示ということですが、やはり良くも悪くもスマホが社会に与えた影響と言うのは凄まじいものがありそうです。

博物館の活動方針

収集方針

・ラジオおよびオーディオの歴史を物語る製品を保存することを目的に、1970年代までの日本製を中心にラジオセット、電蓄、ステレオセット、部品、付属品、文献類、関連するテレビ、音響機器、無線機器、計測器を収集。80年代以降の製品についても、将来の必要性を考慮して、スペースが許す限り代表的モデルの保存に努める。ラジオの歴史およびその時代に対する理解を深めるために、家電製品、電気機器(配線、照明器具など)、情報機器、通信機器(電話機、電信機など)および関連資料を収集対象に含める。対象とする年代は、世界初の放送が開始された1920年から現代までとし、特に日本の放送の歴史を展示することから、1925年から2005年までを常設展示、1970年代までをバーチャルミュージアムの展示範囲とする。収集対象は特殊な目的、階層に使われた高級品よりも一般大衆に普及した製品を重視し、手製、メーカー製を問わず広く収集し、外国製品は、放送開始期の物を除き、比較対照のための参考品にとどめるものとする。

保存方針

・、歴史的価値を維持することを目的とし、最小限の清掃、修復にとどめ、基本的に動作させるための修理は行わないものとする。また、修復作業前後の記録を残し、後世の研究、保存に耐えられる環境を維持する。

→収集、保存ともに結構厳密に方針立てされているのは特徴的です。(そうでないと範囲が広くなり本当に見てもらいたいコレクション群にスポットライトが当たらないというのもあるのかもしれませんね。)

ラジオの歴史と展示室、展示製品

(こちらも以下HPからの転載です)

第1展示室:戦前のラジオ

・1925年(大正14年)にラジオ放送が始まり、当初は高価だったラジオもすぐに低価格化し、普及するとともに、ラジオは家庭の情報、娯楽の中心となりました。日本のラジオの技術は最初の10年くらいは欧米のあとを追いかけて順調に進んでいました。しかし、放送事情や経済力などによって欧米から立ち遅れていき、その差は戦争によって決定的になりました。
  

第2展示室:戦時下のラジオ

・ラジオ放送が始まって10年以上経ち、ラジオは家庭の情報、娯楽の中心となりましたが、日中戦争の激化とともに番組に戦時色が強まり、民生品に割り当てられる資材が不足してラジオのデザインが簡素になっていきました。日本のラジオの技術は最初の10年くらいは欧米のあとを追いかけて順調に進んでいましたが、放送事情や経済力などによって欧米から立ち遅れていき、その差は戦争によって決定的になりました。物資の不足でラジオの入手も修理も困難になりましたが、空襲の激化によってラジオの重要度はより高くなっていきました。ラジオ放送の影響力の強さを明快に示すのが、1945年8月15日の「玉音放送」でした。
  

第3展示室:ラジオの戦後史

・戦後、焼け跡から日本のラジオ産業は立ち上がり、復興の歩みを始めました。日本が国際社会に復帰して民放が開局してからテレビが普及する1960年(昭和35年)頃までの約10年間、ラジオは家庭の情報、娯楽の中心でした。1955年には日本初のトランジスターラジオが発売され、代表的な輸出品になりました。
  

第4展示室:電蓄とステレオの歴史

・ラジオ放送開始から5年後の1925年から電気録音、真空管増幅器とスピーカによる再生の歴史が本格的に始まった。真空管を用いてレコード再生する装置を、従来のアコースティック式の蓄音器に対して、「電気蓄音機」、略して「電蓄」と呼びました。当初輸入品のみできわめて高価だった電蓄は、国産化に伴って安くなったものの、庶民にとってきわめて高価であることに変わりはなく、一部の富裕層や喫茶店などの業務用が大半でした。

この状況は戦後も続きましたが、LPレコードが普及した1955年頃から経済成長に伴って一般家庭にも入り始め、ハイファイブームといわれました。その後ステレオ装置が普及してからは「電蓄」という言葉は次第に使われなくなり、「ステレオ」、「オーディオ」というように呼ばれるようになりました。ステレオ電蓄という言葉もありますが、ここではステレオ再生が可能な電蓄を単にステレオと呼ぶことにします。本展示室では、当館の所蔵品および個人コレクターから提供を受けた資料により電蓄の歴史を展示しています。普及価格帯の家庭用音響機器を中心に取り扱い、純粋の業務用、放送用機器、特殊なハイエンド機器は、説明上特に必要な場合を除き省略しています。

→なお、ラジオの歴史について更に深く知りたい方はHPにもさらに深掘りしたサイトが掲載されていましたのでそちらもご参照ください。
〇日本のラジオの変遷と放送史の概要(戦前・戦中編)
https://www.japanradiomuseum.com/intro.html
〇日本のラジオの変遷と放送史の概要(戦後編)
https://www.japanradiomuseum.com/intro2.html
〇松下製小型ラジオの戦後史
https://www.japanradiomuseum.com/smallradio.html
〇珍ブランド集
https://www.japanradiomuseum.com/tinbrand.html

…日本ラジオ博物館、発売当時は家が1軒建つくらいの価格のものもあったそうです(⁈)…そんな高価だったラジオも戦後いっきに小型化、コストダウンが進み家庭に普及していきました。一方でテレビがお茶の間の中心に入ってきて以降は、そのコンテンツ内容もよりパーソナルなものへと深化していったようです。私も長距離通勤をしている手前、クルマの中でよくラジオを聞きます。やっぱりラジオって何か物事や作業をしながら聞くメディアとしては今でも最良の選択だと思うんですよね。

以上、(最後にどうでもいい感想で恐縮ですが)松本市に行ったら古物商で古時計とラジオを1つずつ買いそうなマウスでした。

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