こんにちは、マウスです。今日は新宿を移り渋谷です。
若者が行き交うこんなところに美術館があるのかと思われるのかもしれませんが、渋谷でも実は閑静な住宅街が存在します。実は私、渋谷の神泉という京王井の頭線で渋谷駅から1駅のところに、古びたアパートに住んでいる仲の良い友人がいて何度かこの地に降り立ったことがあります。
恐らく東京の人でも聞いたことがない駅なのではないかと思いますが、当時、友人の家を見つけようと道に迷い、渋谷区の松濤エリアをうろうろしたことがあります。そう、知る人ぞ知る国内でも屈指の高級住宅街で、地方から上京したての私は「渋谷なのにやけに静かでどでかい一軒家が多いものだなあ」と思ったものです。
少し前の副総理もこのあたりに自宅を構えていることで有名ですね。
そんな渋谷区松濤、今日はこちらにひっそりと立地する美術館です。
このブログで紹介する美術館
渋谷区立松濤美術館
・開館:1981年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、都、観光協会HPより転載)
→建築家:白井晟一氏の設計。 池に噴水があるという点で共通する静岡市立芹沢銈介美術館と共に白井の晩年の代表的な作品と言われています。
閑静な高級住宅街にたたずむ、噴水の吹き抜けと石造りの外観が調和する建物
・基本設計を白井晟一研究所に委託し、1980(昭和55)年に竣工、東京都渋谷区松濤2丁目の閑静な高級住宅街に、1981年に開館した区立美術館。企画展を中心に、渋谷区に関連する公募展、絵画展のほか、音楽会や美術教室なども開催。外壁には、自然、素朴な割肌、色合の韓国産の花崗岩(紅雲石)を用い、屋根はブロンズ製のグリルと化粧垂木、銅板葺きからなる。建物は、石造りの印象的な外観を持ち、噴水を設けた吹き抜けや、展示室・回廊が美しく調和している。
2階には、区民が集まって歓談しながら美術を鑑賞したり、勉強しあう静かな場所をつくりたいという思いから、作品鑑賞をしながらゆったりくつろげるスペース「サロン・ミューゼ」を設置。特別展とは異なった角度から渋谷区在住作家展など様々な内容の小企画を開催している。
なお、美術館建設が計画された当初は、「この地域は高級住宅街という土地柄」という理由から、この地にふさわしい施設を検討する中で、図書館や公会堂、総合体育館などの他の文化施設を退け美術館の建設を決定したものです。計画から8年後の1981年に東京都では板橋区立美術館(1979年)につぐ2番目の区立美術館となります。
また、外壁に使われる石材は原設計では恵那錆石を使用する予定でしたが、地味で錆色が濃く暗い感じがすることから、もう少し明るい感じを出したいという白井の発想により、韓国ソウル郊外の石切場から採れる強いピンク色の花崗岩を使用することに。この花崗岩に目を付けた白井は「自然の発見」と自負し、当時は名前がなく日本では誰も知らないような石であったものを、自ら紅雲石と命名して日本へ持ってきたそうです。
建築家:白井晟一 年表
・1905(明38)年、京都市生まれ。
・1928(昭3)年、京都高等工芸学校卒業後、渡独しカール・ヤスパースに師事、ハイデルベルク大学美学専攻卒業。
・1933(昭8)年、ベルリン大学にも学んだのち、帰国。
・1951(昭26)年、建築家として本格的な活動を開始。
・1963(昭38)年以降1975(昭和50)年までに、親和銀行本・支店(東京、長崎、佐世保)を手がけ建築学会賞などを受賞。
・1980(昭55)年には、日本芸術院賞を受賞する。同年、渋谷区立松濤美術館を設計。
・1981(昭56)年、静岡市立芹沢銈介美術館(石水館)の設計を手掛ける。
・1983(昭58)年、78歳で逝去。
コレクション
・主な所蔵作家は、石田喜一郎、海老原喜之助、伊藤隆康、飯田満佐子、大辻清司、恩地孝四郎、掛札功、野島康三、福原信三、村田勝四郎、村林忠、安井仲治、山口啓介、山崎静村など。美術館HPには南薫三の作品が1つ掲載されていました。
区立美術館としては都内で2番目にできた美術館です。それほどまでにこに松濤エリアに住民の方々にとって地域になじみ、愛されてきたとも言えるかもしれません。皆さんもぜひ渋谷に行った際は閑静な高級住宅街に住んだ気持ちになって(?)名建築とコレクションを体感してみて下さい!
(マウス)
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