阪神を代表する「尼信(あましん)」が運営、2000年以上の歴史を誇る貯金箱の世界 兵庫:世界の貯金箱博物館

兵庫県

あけましておめでとうございます。
2023年のスタートです。全国の美術館紹介と言いながら、2022年はビートルズで終わりました(特に理由なし)。2023年は…これも「なんでここ?」と言われると答えに窮するのですが、お年玉が飛び交う季節柄です、また、物価高騰の最中、お金は大事にしましょうということで貯金箱の博物館(アート施設)です。それでは早速。

このブログで紹介するアート施設

世界の貯金箱博物館

・開館:1984年
・アート施設内・外観(以下画像は施設HP、市観光協会より転載)

・場所
尼崎信用金庫 世界の貯金箱博物館 – Google マップ
→阪神電車:尼崎駅下車、すぐです。

阪神を代表する「尼信」が運営、2000年以上の歴史を誇る貯金箱の世界

・尼崎信用金庫職員が趣味で集めた貯金箱コレクションを元に、1984年(昭和59年)に設立。13,000点を超える世界の貯金箱コレクションを有し、その中から約2,500点を常設展示。貯金箱のコレクションとしては世界的にみて最大規模で、日本のみならず、欧米など世界62か国の貯金箱を見ることができる。常設展示以外にも、コレクションを活用して、クリスマス関連の展示など特別展示を企画・実施。(来館者には、縁起が良いとされる宝珠の貯金箱のプレゼントも!)

→それにしても職員が趣味で集めた貯金箱コレクションを元に博物館をつくろうという発想がすごいですよね。相当職員同士の距離感良くないと実現できないような気がします。

館内の様子(4K3Dカメラ)

・これまでの美術館、博物館を紹介してきてここまで高精細の4K3Dカメラをホームページで掲載している館ってなかったような気がします。実は世界の貯金箱博物館、館内の様子をホームページからかなり臨場感溢れる形で見ることができます。これめちゃくちゃカッコイイです。(コロナ禍のなか、有難いですよね)

〇「世界の貯金箱博物館」の各展示室紹介:
https://my.matterport.com/show/?m=MxkZW6fPJF4

貯金箱の歴史

(以下は、世界の貯金箱博物館HPからの抜粋です)
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・貯金箱のルーツは、アジアでは今から2100年前、前漢時代のもので、中国の雲南省、滇王(てんおう)一族の墓から出土した「貯貝器(ちょばいき)」だろうと考えられています。これは、青銅製で円形筒型をしており、当時は「子安貝(こやすがい)」がお金として使われていたので、貯貝器はつまりお金を貯める器といえるでしょう。ですから、今も財貨に関する漢字には「貝」という字がくっついているのです。

 ヨーロッパでは、貴金属の小片などをいれてもらうために教会に置かれた「献金箱」が貯金箱のルーツといわれます。これは貨幣が登場する前から使われており、古代エジプトやギリシャ、エルサレムなどの古い遺跡で発見されています。

やがて、紀元前7世紀頃に貨幣が生まれ、アテネやオリンピア遺跡からは紀元前300年頃の宝物寺院の形をした貯金箱が発見されています。これは粘土製で、テサウロス(Thesauros)と呼ばれ、やがてトレザー(Tresor 金庫)という言葉の語源になったといわれるものです。さらに、古代ローマの遺跡からは3~4世紀の洋梨型の陶器製貯金箱が数多く見つかっており、当時の人々が貯金箱と深くかかわっていたことがわかります。この貯金箱の型は女性の乳房をかたどっているともいわれ、ヨーロッパの貯金箱の伝統的な形として、イタリアなどでは現在もこの形の貯金箱が使われています。

 日本の貯金箱のルーツはというと、縄文時代の末頃から現れる「甕(かめ)」ではないかと考えられています。
その頃、稲作が始まり、種もみや穀物を貯える必要が起こってきました。甕は口よりも胴の部分が大きく、内部が広くて物をいれておくのに適した形です。「貯える」「備える」という考えが、この頃から始まっているといえます。だから、甕や壺(つぼ)は貯金箱の元祖というべきものでしょう。

 室町時代あたりになると、壺の形も使用目的に分けて作られています。その中のひとつに、伊賀で焼かれた「せんべい壺」という深さ28センチぐらいの壺があります。この壺は銭が入って出土するので、「せんべい」とは「銭瓶(せんびょう)」の意味ではないかと思われます。とすると、これは具体的に名づけられた貯金箱の祖先といえそうです。

 ヨーロッパでは中世に入ると、金属の精錬や加工の技術が発達し、各国王朝の華やかな宮廷生活や貴族文化を思わせる見事な細工が施された貯金箱も登場しました。使われている材料も鋳鉄(ちゅうてつ)、真鍮(しんちゅう)、錫(すず)、金、銀などと多彩で、18世紀始めまではシリンダー形の鉄の貯金箱に人気がありました。

 その後、形はビールをのむときのジョッキ型のものが多く作られました。この時代のものはすでに南京錠が取り付けられ、コインの入口には抜き取り防止の止め金が付けられるなど、中身を守る工夫も進んでいます。また、この頃に動物の形をした焼物の貯金箱も各種作られ、こちらは日本のものと同様、いっぱいになると割って取り出すスタイルになっています。

 江戸時代に入ると徳川家康によって貨幣制度がととのえられ、それにともない商業活動が盛んになりました。しかし、この時代の金融は「両替屋(りょうがえや)」「掛屋(かけや)」「札差(ふださし)」「頼母子(たのもし)」など、武士、商人や農民の一部など、ごく限られた人々に対するもので、一般的なものではありませんでした。このため貯金箱と呼べるものも、よくご存知の千両箱や商家が使った木製の銭箱、また、広く庶民の使った竹筒に入れ口を作った銭筒、それに銭壺がある程度でした。

 日本で、今のような公共的で国民大衆を対象とした金融のしくみができたのは、明治になり欧米の近代的な制度がとり入れられてからです。

 明治時代に入り、銀行制度や郵便貯金制度がととのい、国民一般から受け入れられたお金は、金融機関を通して、いろいろな産業の発達のために使われました。開国後の富国強兵や産業振興のため、勤倹節約の思想が高まるとともに、貯金箱も江戸時代の壺や銭箱、銭筒に代わって、一般の人々を対象としたものがたくさんあらわれるようになりました。

 明治初期の貯金箱は一般に「貯金玉(ちょきんだま)」と呼ばれていました。これは、持っているとどんな願いごともかなう”如意の玉(にょいのたま)”つまり「宝珠(ほうじゅ)」を形どっています。大きな目的のために小銭を少しずつ貯める器として、これを選んだ先人の知恵はさすがといえるでしょう。(それにしても、この宝珠と2000年前のヨーロッパの洋梨型の貯金箱をくらべると、とてもよく似た形をしているのは不思議な気がしますね。)

 さて、「貯金玉」は東京・浅草の今戸焼が発祥ではないかといわれます。その後、各地の窯元でも、その土地土地に古くからある郷土人形や民芸品に穴を開けたものがあらわれました。とくに、えびす、大黒、ほてい、だるま、福助、招き猫など、縁起物の置物は、いち早く貯金箱に変身することになりました。

 その頃、アメリカでは鉄製の仕掛けのあるカラクリ貯金箱がブームとなりました。その中でおもしろいものは、犬の口にコインを置いてレバーを押すと、犬がとび上がってピエロの持った輪をくぐり、樽の中へコインを落とす「トリック・ドッグ」といったものがあります。こうしたカラクリ貯金箱は実に300種類も作られたといわれ、それぞれの仕掛けが特許を認められているほどです。

(参考)https://www.amashin.co.jp/sekai/p1.htm

    ※こちらから「日本と外国の貯金箱」の話も見ることができます。

(付録)尼崎信用金庫とは

・1921(大正10)年6月創業。100周年の長い伝統と信用を背景に「郷土のお金を郷土に資金化」をモットーに、地域金融機関としてたゆみない歩みを続けている信用金庫です。全国の信用金庫のなかでも、預金量・融資量・業務純益ともにトップクラス。自己資本比率は16.37%と国内外の基準を大きく上回り、日本格付研究所の格付では「A」(シングルAフラット)。大阪・神戸の大都市圏を含む阪神エリアに、90店舗の高密度のネットワークを構築する「都市型信用金庫」としての基盤を確立。

オリジナルの商品企画として「がんばれ阪神タイガース定期預金」。タイガースのシーズン成績に応じて商品券などさまざまな特典を提供、タイガースファンには魅力満載の商品に。1992年のサービス開始から28年、「あましん」と言えば「タイガース」と呼ばれるほどに、地域に浸透しています。

…別に「あましん」の回し者ではないです…が、こういう美術館、展示館など文化施設を運営している民間企業/組織体を応援している身としてはつい熱が入って営業マンみたいになってしまうマウスです…。

しかも、たぶんこれが投稿される頃は関西の比較的近くにいると思われます。(里帰りのため)もしかしたら、貯金箱見に行くかもしれません…近くにそれらしき人を兵庫県で見かけてもそっとしておいて下さい(笑

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