こんにちは。今日ご紹介の美術館、ぞの源流は1つのギャラリー(画廊)にたどり着きます。
なお、美術館名称は創設者の和多利 志津子氏(1932-2012、富山県小矢部市出身)と志津子氏の娘と息子であるキュレーターの和多利 恵津子氏・和多利 浩一氏から取られています。
これまでご紹介してきた美術館…東京を含めやはり大企業や過去の大実業家、はたまた公立館が多い中、このように画廊から美術館へと転換している館は意外と珍しいかもしれません。(似たような館では、既にご紹介しましたが日動画廊を母体とする笠間日動美術館がありました)
笠間日動美術館の際もお伝えしたのですが、大企業や公立館ではなく、このような一ギャラリーが美術館を運営していくことは並大抵のことではなく、それができるのは長い間で培われたギャラリーとそれを支える方々との信頼関係、そしてギャラリーの運営者含めた人望によるところが大きいのかなとマウス的には思っています。
そんな画廊を前身とする、しかも現代美術専門の美術館…どんな美術館なのか、ご紹介していきたいと思います。
このブログで紹介する美術館
ワタリウム美術館
・開館:1990年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、都、観光協会HPより転載)
世界の現代美術をいち早く日本に紹介、世界で活躍するゲストキュレーターや若い現代アーテイストたちの展覧会
・1990年、プライベート美術館として開館。 初代館長を務めた和多利 志津子氏(1932-2012)は、1972年から1988年まで同地でギャルリー・ワタリを運営、アンディー・ウォーホル、キース・ヘリングやドナルド・ジャッド、ソル・ルウィットなど、世界の現代美術をいち早く日本に紹介してきました。
ワタリウム美術館の所蔵品は80年代のこれらの活動によって集められたものがベースになっています。 建物はスイスの建築家マリオ・ボッタ氏によって設計、御影石とコンクリートのストライプ模様の外壁と、街に大きく羽を広げた鳥のように力強いデザインが印象的です。美術館としての設備を備え、未来のアート作品の展示にも対応できるよう、世界で活躍するキュレーター、ハラルド・ゼーマン氏が建築アドバイザーとして参加しました。
美術館の展覧会としては、開館当初からハラルド・ゼーマン氏や世界的に有名なヤン・フート氏などをゲストキュレーターとして迎え、国際的な現代美術展を発表、さらに南方熊楠、岡倉天心といった日本の文化を支えた人物についても調査し、独自の視点で発表しています。さらに1990年以降は日本の若い現代アーテイストたちの紹介に力を入れています。講演会、ワークショップ、研究会、現地への研修旅行など開館以来1,000回以上開催されています。
美術館のHPにはゲストキュレーターとして参加したヤン・フート氏(1936-2014、ベルギー・ゲント現代美術館初代館長、ドクメンタ9芸術監督)、ハラルド・ゼーマン氏(クンスト・ベルン ディレクター、ヴェネツィア・ビエンナーレ視覚芸術部門ディレクター)の各コメントが掲載されていました。
ヤン・フート氏 コメント
<ワタリウム美術館へ>
・アートの「世界」は、いま文字通り「世界のアート」へと、広がろうとしています。そしてワタリウム美術館は、そうしたアートの発展の中心の一つをなしていると、わたしは考えています。
いま、世界の至る所で多くの人々が求めてやまないものを、ワタリウム美術館は最も高いレベルで、しかも極めて洗練された方法で、実現しているのです。 ワタリウム美術館ははやくもその出発点から、山の頂きを見つめていました。このことは、美術館の設計のために建築家マリオ・ボッタを招いた決断に、すでに見ることができます。
また、展覧会作りの世界的な専門家を招き、コンテンポラリー・アートの発展に国際的に貢献しているアーティストの参加を実現したことからも明らかです。東京という土地に根を下ろした活動でありながら、閉じこもった地域主義に陥ることなく活動を続けているのです。こうした極めて高い水準で、国際的なアートにおける日本の位置の再検討を迫る場が、出現しつつあるのです。
最高の物さしを選んだことは、最も厳密な判断を下す事だけでなく、最高の挑戦を生み出す事をも意味するのです。 美術館の選択としてこれまでに採り上げたアーティストのリストから浮かび上がってきたのは、ワタリウムがはっきり日本に基盤をおいている事です。そして同時にワタリウム美術館は、どこの土地であれ、重要だと考えられているものであればすべてを展覧会として紹介しています。閉鎖的な「地域主義的」という言葉でも、「国際的」という言葉でも、くくることはできません。それは、独自の文化が育んだ感性にもとづいて世界との絆を求める、日本の選択の現れなのです。
また一方、ワタリウム美術館は、日本やアジアのアーティストについても密度の高いリサーチを行い、丹念な関係作りをしています。美術館が行う提案全体の中で、欠くことのできない部分を構成する可能性を、アーティストたちは与えられているのです。 こうして、ワタリウム美術館は、世界のあらゆる土地の人が耳を傾ける、ひとつの声になりつつあります。いまを超えて、いつか日本がワタリウム美術館にさらなる感謝の言葉を贈る日がやって来ることでしょう。(ヤン・フート 1995年)
(参考)ヤン・フートとは
・1936年ルーヴェン(ベルギー)生まれ。1986年にゲント市内の51の住宅を会場に開催した『友達の部屋[Chambres d’Amis]』展を企画。主催者やアーティスト、観客のみならず、会場となる部屋の提供者をはじめとするさまざまな人々が展覧会の作り手として参加、当時自前の建物を持たなかったゲント現代美術館におけるもっとも重要な展覧会のひとつとして挙げられている。
同時に美術館の外で展開するサイト・スペシフィックな展覧会を開催した先駆者としても有名で、1975年にはベルギー初の現代美術を専門とする美術館であるゲント現代美術館の創設に関わり、以後、2003年までディレクターとして、充実したコレクションの構築や質の高い展覧会企画により、同館に対する国際的な高い評価を獲得した。
1992年には冷戦後初のドクメンタ9のチーフキュレーターを務め、37カ国からアーティストを選出、日本からも片瀬和夫、川俣正、竹岡雄二、長沢英俊、舟越桂が参加した。 日本国内では、1991年に「目で見えるものの裏側にあるもう一つの真実を見る」ことをアイロニーと捉えた『視覚の裏側』展をワタリウム美術館で開催。同展開催中には同美術館の館外・プロジェクトとして「現代美術一日大学」や「ヤン・フートIN鶴来 —現在美術と街空間—」、翌年には「ヤン・フートのキュレーター大学」を行ない、ドクメンタ9の体験をもとに、社会とアートの未来を語り、日本の美術の状況に波紋を投げ掛けた。また、同美術館では『Ripple across the water 水の波紋95』展を企画、青山を中心に路上、公園、寺、商業店舗内などさまざまな場所で作品展示を行った。
ハラルド・ゼーマン氏 コメント
・東京は魅惑的な都市である。中部ヨーロッパの都市が、古い歴史をもつ中心部とむしろ成功しているとは言い難い周辺地域やベッドタウンからなるのとは反対に、東京では、広い通りには近代が現前して、あらゆる建築様式が建ち並んでいるかと思えば、角を曲がってすぐのところからは中世が始まって、二階建ての日本式住宅や商店が、軒を接するようにひしめきあっている。そしてこれら二つの時代、二つの世界をつなぐ絆は、ごちゃごちゃした電柱、支柱、ケーブル、電線等の空中を通じてなされるエネルギー供給で、それはカリフォルニアを思わせるようなところがある。
Mario Bottaが、小さな美術館ー彼がティチーノに建てた優れた住宅ほどの大きさーを東京に建てる依頼を受けた1985年、彼の意欲をかき立てた要素は、東京の街並のコントラストや、初めて日本で建物を建てるチャンス(大火災や大地震に合わせた建築規準を習得する労苦という授業料を払ってでも)にとどまらず、依頼主—建築家個人の造形表現と東京の建造物の極端な多様性との対決—最初の美術館建築、といった条件の組み合わせと、与えられた小さなものを大きなものへと変容させる魔術的行為であった。
依頼主は、和多利という一家族である。日本では美術を扱う仕事は、大きな百貨店や比較的小さな市立・区立の美術館、それに西欧中心の傾向を持つ営利的な画廊のものである。これらの場合、ある種の活動方針が確認されることはまれでしかない。
しかし、ワタリウムの前身、ギャルリーワタリのプログラムは違った。1972年に東京に誕生して以来、そこで展示されたのは、次のようなアーティストの作品である。 Max Bill(1972), Nam June Paik (1978からほぼ毎年), Donald Judd(1978), Soto(1979), Lucas Samaras(1980), Sol LeWitt(1980), Andy Warhol(1980 から), Joseph Beuys(1981から), Buckminster-Fuller(1982), On Kawara(1983), Keith Haring(1983から), Mario Botta(1985), John Cage(1986), Jonathan Borofsky(1987), Allen Ginsberg(1987), Marcel Broodthaers(1988), この概観が証拠だてるのは、日本にしては脅威的といえる情報作業であり、それと同時に、あらゆる芸術への関心、並びに非質料的なものへの、すなわち流動的(フルクサス)かつ厳密なものへの愛着であり、また、全体としては、西欧に向っての完全な披きである。
さらにここから読み取れることは、和多利志津子は、ひとつのプログラムを遂行したというよりは、自分の強い直感に導かれて、「脱境界的」芸術家を追求してきたのだということである。それはまたすべての媒体を用いた芸術の国際語を東京にもたらそうとするーしかも個人のイニシアチブにおいてー野心にも導かれている。
かくして、新しい精神は、それに応じた身体を必要とする。1985年、すなわち、まだニューヨーク近代美術館で展覧会がひらかれて名声がいっそう高まるより前に、Mario Bottaの公開対談が、ギャルリーワタリで行われた。この時すでに彼はもともとの画廊の場所に、新しい建物を建てるという依頼に協力することになっていたのである。建物は、外部に向かっては、内部の性格をはっきりと示し、内部においては、多様な関心に応えるはずのもので、完成したあかつきには、WATARI-UM(ワタリ・ミュージアム・オブ・コンテンポラリー・アート)と呼ばれることになっていた。従って、建築そのものが、画廊から美術館になるという主張でなければならなかったのだ。
美術館の設立が世界でもっとも盛んなこの国において、もっとも小さな個人美術館であるWATARI-UMは、ある意志を表明する。すなわち、未来に対する感受性を備えて現代のアートという冒険を日本にもたらすことによって、日本を全く変化させ、それをさらに越えて、個人の所有についての考え方を全く変化させようという意志である。非常に長いあいだ外に対して閉ざされてきた国において、今日の世界を経済的に制服している一国民のために、いまや、このよう意志を宿すにふさわしいユニークな家が存在する。
このことに魅了されて、Mario Bottaは、五年間かけてこの建築に取り組んだのだ。彼が整えた前提条件によって、今、渋谷区神宮前のトライアングルから、精神のバミューダトライアングルが生まれようとしている。(ハラルド・ゼイマン 1990年)
→少し言い回しが難しいかもしれませんが、要は当時の日本がジャパンアズナンバーワンと言われた情勢(当時は1990年、バブル崩壊前夜ですから、日本経済が空前絶頂の領域に達していた頃です)の中で、和多利志津子さんが東京・日本が西欧に対し優位に立つという方向ではなく、日本と西欧を含むすべてがフラットな文化世界を構築したいという想いを日本国内において実行しようとされたこと、そしてそれがいかに先駆的で凄いことなのか、ということについて述べられています。
(参考)ハラルド・ゼーマンとは
・こちらはわかりやすい動画がありますので掲載しておきます。(世界で初、美術館に属さないインデペンデント・キュレーターとしても有名です)
主なコレクション作家
<アーティスト>
Koji Abe 阿部 浩二 Japan 1970~
Akira the Hasler アキラ ザ ハスラー Japan
Kaoru Arima 有馬かおる Japan 1969~
Joseph Beuys ヨーゼフ・ボイス German 1921~86
Max Bill マックス・ビル Swiss
Richard Bray リカルド・ブレイ
Marcel Broothersnbsp マルセル・ブロータース Belgian
Bubu ブブ Jpan
Ezekiel Budeli エゼクエル・ブデリ S.Africa
James Lee Byars ジェームス・リ-・バイヤーズ 1921~87
Cai Guo Qiang 蔡国強
Pedro Cabrita Reis ペドロ・カブリタ・ライス
yukio Chou 張由紀夫 Japan
John Cage ジョン・ケージ
Jim Dine ジム・ダイン
Buckminster Fuller バックミンスター・フラー
Gilbert & George ギルバート&ジョージ
Keith Haring キース・へリング
Gary Hill ゲイリー・ヒル
Noritoshi Hirakawa 平川としのり
Huang Yong Ping ホワン・ヤン・ピン
Sadaharu Horio 堀尾貞治 japan 1939~
Fabrice Hybert ファブリス・イベール France 1961~
Donald Judd ドナルド・ジャッド
On Kawara 河原温 Japan
Wolfgang Laib オルフガング・ライプ
Moshekuwa Langa モシェクワ・ランガ S.afrika 1975~
Sol LeWitt ソル・ルウィット U.S.A
Lin Tianmio 林天苗
Mikado ミカド
Carlsten Nicolai カールステン・ニコライ 1965~
Olaf Nicolai オラフ・ニコライ 1962~
Yoko Ono 小野洋子
Hiroyuki Oki 大木裕之 1964~
Anton Olshvang アントン・オルシュワング Russia 1965~
Tsuyoshi Ozawa 小沢剛
Nam June Paik ナム・ジュン・パイク
Panamarenko パナマレンコ
Sigmar Polke ジグマー・ポルケ
Royden Rabinowitch ロイデン・ラビノヴィッチ
Navin Rawanchaikwl ナウィン・ラワイチャンクン
Jason Rhodes ジェイソン・ローツ
Alexxander Rodchenko アレキザンダー・ロドチェンコ
Niki de Saint-phalle ニキ・デ・サンファール
Davis Salle デビット・サーレ
Lucas Samaras ルーカス・サマラス
Rui Sanches ルイ・サンチェス
Julian Schnabel ジュリアン・シュナーベル
Michihiro Shimabuku 島袋道浩
Jesus-Raphael Soto ソト
Wang Gong Xin 王巧新 ワン・ゴンシン chaina 1960~
Wang Jin 王晋 ワン・ジン 1962~
Andy Warhol アンディ・ウォーホル U.S.A. 1928-1987
Lois Weinberger ルイス・ワインバーガー 1947~
Zhang Huan ジャン・ホワン 1965~
<写真家>
Dian Arbus
Richard Avedon
Robert Frank
Lee Friedland
Davis Hockney
Jacques-Henri Lartigue
Rene Magritte
Robert Mapplethorpe
Duuane Michals
Lisette Model
Helmut Newton
Horst
Robert Rauschenberg
Man Ray
Albert Renger-Patzsch
Augest Sander
Sandy Skoglund
Joseph Sudek
Joel-Peter Witkin
(参考1)ワタリウム美術館 過去の展覧会一覧:
・http://www.watarium.co.jp/jp/exhibition/
(参考2)ギャルリー・ワタリ時代の展覧会一覧:
・http://www.watarium.co.jp/jp/about/galeriewatari/exhibition.html
※現代アート展覧会中心の美術館のためか、コレクション画像は掲載ありませんでしたので、展覧会動画を一部ご紹介しておきます。
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