こんにちは。今日は神奈川県横須賀市です。横須賀といえば何を思い浮かべるでしょうか。海軍?カレー?(どっちも一緒か)
今日はそんな横須賀がカレーや海軍だけじゃないよって話です。三浦半島の東端、観音崎公園と東京湾に面する美しい環境に立地する美術館のご紹介です。
このブログで紹介する美術館
横須賀美術館
・開館:2007年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、県・市観光協会HPより転載)
・場所
横須賀美術館 – Google マップ
市制100周年を記念、東京湾に面し自然と歴史と美術のつながりが感じられる場所
・市制100周年を記念し、2007年に開館。県立観音崎公園の緑が三方を囲み、目の前には東京湾が広がる環境の中にあります。館内でも周囲の自然が感じられるよう、天井や壁面に大小の丸穴が開けられ、開放的な空間となるよう工夫がほどこされています。海側からと山側からのどちらからもアプローチでき、通り抜けできるようにすることで、周辺散策と展覧会観覧のどちらも楽しめるのが特長です。観音埼灯台や砲台跡などをめぐりながら、 自然と歴史と美術の深いつながりが感じられる美術館です。
谷内六郎館
・雑誌「週刊新潮」の表紙絵を描いたことで有名な谷内六郎(1921-81)※の作品や関連資料を収蔵・展示。谷内氏は家族と共にたびたび横須賀を訪れ、1975年には観音崎公園にほど近い場所にアトリエを構えました。そうした縁から、1998年に遺族から『週刊新潮』の表紙原画約1300点をはじめとする膨大な数の作品や関連資料が寄贈。当館では年4回開催するテーマ展示を通じ、谷内六郎の作品をさまざまな視点から紹介しています。
※東京生まれの画家。まだ田園的風景の残っていた世田谷で病弱な幼少期を送る。高等小学校を卒業後、年少労働者として働きつつ漫画・カットなどを新聞・雑誌に投稿。1955年(昭和30)文芸春秋漫画賞を受け、翌1956年2月の創刊号より『週刊新潮』の表紙絵を描いて叙情画家としての地位を確立。童画調の画風のうちに人間幼少期の源泉的な感情をとらえて、見る者を郷愁に誘う。『谷内六郎画集』(1955)、『遠い日のうた』(1966)、『旅の絵本』(1967)などの作品集がある。
収集方針
①横須賀・三浦半島にゆかりのある(出身、居住、在住等)作家の作品
②横須賀・三浦半島を題材とした作品
③「海」を描いた作品
④日本の近現代美術を概観できる作品
→「海」を描いた作品、ユニークですね…あれ、どこか同じような収集方針をもっていた美術館があったような…思い出したら追記しておきます;
なお、横須賀市の美術品収集が始められたのは、1985(昭和60)年のことだそうです。1996(平成8)年に朝井閑右衛門※の作品が一括して市に寄贈、そのことがきっかけで、美術館建設が具体化することとなります。さらに1998(平成10)年には、前述した谷内六郎夫人から週刊新潮表紙絵が多数寄贈されました。1999(平成11)年には、美術館基本計画策定委員会によって美術作品の収集対象が、近現代の絵画、版画、彫刻とされ、基準にそって収集を進められています。市制施行100周年記念事業の一環として、2007(平成19)年4月28日、横須賀美術館が開館し、現在では絵画、彫刻を中心に、約5000点の日本の近現代美術の作品を所蔵しています。
※大阪生まれの洋画家。戦前は官展や光風会で活躍、戦後は新樹会や国際形象展を結成、油彩の厚塗りで強烈な個性を発揮。常に画壇の第一線で活躍しながら画集もなく、また本格的な個展も開催することがないなど、特異な生涯を貫いた。同じモチーフを繰り返し描くことが多く、「バラの画家」「ドン・キホーテに憑かれた画家」と呼ばれることも。
…いかがでしょうか。神奈川県横須賀市、海軍や観音崎公園に加えて、この横須賀美術館も今や横須賀観光の主要な1つになってきていると感じます。皆さんもぜひ一度足を運んでみて下さい。
(マウス)
コメント